紫式部日記 31 御五十日は霜月の朔日 逐語対訳

宮の亮と宮大夫 紫式部日記
第二部
誕生五十日の儀
上達部達と若紫
目次
冒頭
1 御五十日は霜月の朔日の日
2 御帳の東の御座の際に
3 御まかなひ宰相の君讃岐
4 今宵、少輔の乳母、色ゆるさる
5 大宮は葡萄染めの五重の御衣

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 御五十日は
霜月の
朔日の日。
 若宮のご誕生五十日の祝いは、
霜月〈11月〉
一日の日である。
 
     
例の
人びとの
したてて
参う上り
集ひたる
御前の
ありさま、
例のごとく
女房たちが
着飾って
参集している
中宮様の御前の
様子は、
【参う上り集ひたる】-『絵詞』には「まうのほりあひたる」とある。底本の表現が適切である。
絵に描きたる
物合せの
所にぞ、
いとよう
似てはべりし。
絵に描いた
物合せの
場面に
大変によく
似ておりました。
 
     

2

 御帳の
東の御座の
際に、
 御帳台の
東の御座所の
際に、
【東の御座】-『絵詞』には「ひむかしなるをまし」とある。『全注釈』は「東なる御座」と校訂する。
御几帳を
奥の御障子より
廂の柱まで
隙もあらせず
立てきりて、
御几帳を
奥の御障子から
廂の間の柱まで
隙もなく
立て続けて、
 
南面に
御前の物は
参り据ゑたり。
南面の廂の間に
中宮様と若宮の御膳は
お供えしてあった。
 
     
西によりて、
大宮の御膳、
例の
沈の折敷、
何くれの台
なりけむかし。
その西側寄りに
中宮様の御膳は
例によって
沈の折敷に
何とかの台
であったろう。
 
     
そなたの
ことは
見ず。
そちらの
ことは
見ていない。
【そなたのことは】-『絵詞』には「そなたは」とある。底本の表現が適切である。
     

3

 御まかなひ
宰相の君讃岐、
 お給仕役の
宰相の君讃岐で、
【宰相の君讃岐】-藤原豊子。「讃岐」はその補足的説明。
前出。紫式部のお気に入りで特に目をかけ(つけ)ている〉
取り次ぐ女房も、
釵子、元結
などしたり。
取り次ぎ役の女房も、
釵子や元結
などをしていた。
【取り次ぐ女房も】-『絵詞』には「も」ナシ。『全注釈』は『絵詞』に従って「も」を削除する。
     
若宮の
御まかなひは
大納言の君、
東に寄りて
参り据ゑたり。
若宮の
お給仕役は
大納言の君で、
東側寄りに
お供えしてあった。
【大納言の君】-前出、中宮付きの女房、源廉子
     
小さき御台、
御皿ども、
御箸の台、
洲浜なども、
雛遊びの具
と見ゆ。
小さい御膳台や
お皿など、
御箸の台や
洲浜なども、
まるで雛遊びの道具のように
見える。
 
     
それより
東の間の
廂の御簾
すこし上げて、
そこから
東の間の
廂の御簾を
すこし巻き上げて、
【東の間の廂の】-『絵詞』には「ひむかしのひさしの」とある。『全注釈』は『絵詞』に従って「間の」を削除する。
弁の内侍、
中務の命婦、
小中将の君など、
弁の内侍や
中務の命婦、
小中将の君など、
【弁の内侍】-前出、中宮付きの古参の女房、出自未詳。
【中務の命婦】-前出、中宮付きの古参の女房、源隆子。〈中務の君?〉
【小中将の君】-前出、中宮付きの女房、藤原忠孝の娘。
さべい
かぎりぞ、
しかるべき
女房だけが、
〈「べい」は、べしの音便〉
【さべいかぎりぞ】-『絵詞』には「さるへきかきりそ」とある。『全注釈』は『絵詞』に従って「さるべきかぎりぞ」と校訂する。
取り次ぎつつ
まゐる。
順次取り次ぎながら
差し上げる。
【取り次ぎつつ】-『絵詞』には「とりつゝ」とある。『全注釈』は『絵詞』に従って「とりつつ」と校訂する。
     
奥にゐて、
詳しうは
見はべらず。
奥の方にいたので、
詳しくは
見ておりません。
 
     

4

 今宵、
少輔の乳母、
色ゆるさる。
 今夜、
少輔の乳母が
禁色をゆるされる。
【少輔の乳母】-前出〈渋谷注は前出とするが以前に少輔を冠したのは命婦しかいないところ、全集266pは両者を別人と認定〉、主上付きの女房。大江清通の娘、橘為義の妻。
〈諸本に従い渋谷「聴」を「ゆる」に改める〉
ここしき
さま
うちしたり。
〈まだあどけない
感じが
何となく〉していた。
おっとりした様子を(渋谷等通説)
×いかにも端正な様子(全集)
【ここしきさま】-底本「たゝしきさま」。『絵詞』には「こゝしきさま」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は『絵詞』に従って「ここしきさま」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま〈「ただしき」とする〉。
  〈ここしき(子子しき):大人大人しと対であどけない。おっとりは派生解釈。色は彼女にまだ早いというお局の含みを「うちしたり」に見る(次章「恐ろしかるべき夜」で宰相の君を連れて逃げる)。これと真逆の本文を強調する全集は御用系解釈(黒川本は宮内庁所蔵)。後ほど公然猥褻的酔態を注意しない「殿のたまはず」を「殿のたまはす」と真逆にするのも同じ〉
宮抱き
たてまつり、
御帳の内にて、
殿の上
抱き移し
たてまつり
たまひて、
〈この乳母が〉若宮を
お抱き申して、
御帳台の中で、
殿の北の方が
お抱き取り
申し上げられて、
【御帳の内にて】-『絵詞』には「御帳のまにて」とある。『全注釈』は「中宮の御帳台の中ではなく、几帳によって隔てられた東母屋の西側部分、すなわち御帳台のある「間」においてであろう」として「御帳の間」と改める。『集成』『新大系』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【たてまつり】-底本「たてまつれり」。『絵詞』には「たてまつり」と連用形である。『全注釈』『集成』は『絵詞』に従って「たてまつり」と改める。『新大系』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
ゐざり
出でさせ
たまへる
火影の
御さま、
膝行しながら
〈お出しに
なられる〉
灯火に照らされた
お姿は、
△出ていらっしゃる
けはひ
ことに
めでたし。
まことに
立派な
感じである。
 
     
赤色の
唐の御衣、
地摺の御裳、
麗しく
さうぞ
きたまへるも、
赤色の
唐衣に、
地摺の御裳を付け、
きちんと〈綺麗に
装束を〉
お召しになっているのも、
〈学説は直前から出現した北の方の描写とみなすが、禁色と若さ典型の描写で少輔の乳母にフォーカスした描写と見る。そう見ないと前置きに意味がないし、逆に「いとよう、老い拭ひ捨てたまへ」と人づてに致命的嫌味を伝えてきた年上の殿の上を麗しと形容する動機が式部には全くなく、学説はその辺の重みを男目線で軽視している〉
かたじけなくも
あはれ
見ゆ。
もったいなくも
切なく
見える。
【あはれにも】-底本は「あはれに」。『絵詞』には「あはれにも」とある。『全注釈』は「並対の句であるから、絵詞本文に従うべきである」と改める。『集成』『新大系』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。〈しかし「も」三連続はくどいので不適〉
  〈かたじけなし:有難くもったいない。対象が貴い場合に用いる(よって殿の上の描写とするのが学説だが「赤色」で説明した様に整合性がない)他、身分のみならず貴重な場合も用いる。つまりそれが子子しき(素朴で可愛い)。
 あはれ:切ない。ここでは子っこ性についての嘆き。芦田嬢の服が派手になったようなもの。しみじみ感慨深いと良い意味にするのが一般の親父的定義だが、あはれは竹取以来権力への嘆きで良い意味ではない。良い意味にされてきたのは最高権力も憐れむ天道視点が世俗学者に理解できないから。この意味で全注釈の議論(「も」の対句)は目くらましで、大した解釈上の違い・議論の実益もない。一昔前は汚い親父のオキニにならないと世に出ないは都市伝説的常識だったが今は知らない〉
×素晴らしくも(渋谷)
△しみじみ・感慨深く(新大系・全集)

5

大宮は
葡萄染めの
五重の御衣、
蘇芳の
御小袿
たてまつれり。
中宮様は
葡萄染めの
五重襲の袿に、
蘇芳の
御小袿を
お召しになっている。
〈葡萄染め(えびぞめ):ぶどう色、つまり紫色〉
     
殿、
餅は
まゐりたまふ。
殿が
お餅は
差し上げなさる。