枕草子138段 円融院の御はての年

五月ばかり 枕草子
中巻上
138段
円融院の
つれづれ

(旧)大系:138段
新大系:131段、新編全集:132段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:141段
 


 
 円融院の御はての年、みな人御服ぬぎなどして、あはれなることを、おほやけよりはじめて、院の人も、花の衣に」などいひけむ世の御ことなど思ひ出づるに、雨のいたう降る日、藤三位の局に、蓑虫のやうなる童のおほきなる、白き木に立文をつけて、「これ奉らせむ」といひければ、「いづこよりぞ。今日明日は物忌なれば、蔀もまゐらぬぞ」とて、下は立てたる蔀より取り入れて、さなむとは聞かせ給へれど、「物忌なれば見ず」とて、上についさして置きたるを、つとめて、手洗ひて、「いで、その昨日の巻数」とて請ひ出でて、伏し拝みてあけたれば、胡桃色といふ色紙の厚肥えたるを、あやしと思ひてあけてもいけば、法師のいみじげなる手にて、
 

♪19
  これをだに かたみと思ふに 都には
  葉がへやしつる 椎柴の袖
 

と書いたり。
 いとあさましうねたかりけるわざかな、誰がしたるにかあらむ、仁和寺の僧正のにや、と思へど、よにかかること宣はじ、藤大納言ぞかの院の別当におはせしかば、そのし給へることなめり、これを、上の御前、宮などにとくきこしめさせばや、と思ふに、いと心もとなくおぼゆれど、なほいとおそろしういひたる物忌し果てむとて、念じ暮らして、またつとめて、藤大納言の御もとに、この返しをして、さし置かれたれば、すなはちまた返ししておこせ給へり。
 

 それを二つながら持て、いそぎ参りて、「かかることなむ侍りし」と、上もおはします御前にて語り申し給ふ。
 宮ぞいとつれなく御覧じて、「藤大納言の手のさまにはあらざめり。法師のにこそあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」など、いとまめやかに宣はすれば、「さば、こは誰がしわざにか。好き好きしき心ある上達部、僧綱などは誰かはある。それにや、かれにや」など、おぼめき、ゆかしがり、申し給ふに、上の、「このわたりに見えし色紙にこそいとよく似たれ」とうちほほ笑ませ給ひて、いま一つ御厨子のもとなりけるをとりて、さし賜はせたれば、「いで、あな、心憂。これ仰せられよ。あな頭痛や。いかで、とく聞き侍らむ」と、ただ責めに責め申し、うらみきこえて、わらひ給ふに、
 やうやう仰せられ出でて、「使にいきける鬼童は、台盤所の刀自といふ者のもとなりけるを、宮も笑はせ給ふを、ひきゆるがし奉りて、「など、かくは謀られおはしまししぞ。なほ疑ひもなく手をうち洗ひて、伏し拝み奉りしことよ」と、わらひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。
 

 さて、上の台盤所にても、わらひののしりて、局に下りて、この童たづね出でて、文とり入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」といふ。
 「誰が文を、誰かとらせし」といへど、ともかくもいはで、しれじれしう笑みて走りにける。大納言、後に聞きて、わらひ興じ給ひけり。