伊勢物語 10段:たのむの雁 あらすじ・原文・現代語訳

第9段
東下り
伊勢物語
第一部
第10段
たのむの雁
第11段
空ゆく月

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 
  豆知識①:むかし男は文屋
 
  豆知識②:やまざりける(ヤマ×ナシ→カイ)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  あてなる人 むこがね 
 
  入間の郡みよしの
 
  返し やまざりける
 
 

あらすじ

 
 
 むかし男が武蔵国まで惑いながら歩いて行った(この流れは前段東下りから続く)。
 さて、その国にいるある女を「よばひけり」(?)。
 
 (この段はこの背景を説明している。このよばひは、全体の文脈から呼ばひ=呼ばれて行くの意で夜這いではない。95段参照。
 かつ東を吾妻と掛け、妻問い・妻恋を掛ける話は、古事記の東征にも示される古来の知識。伊勢は暗示的に古事記を継承している。96段・天の逆手も同旨。
 妻恋の話が前段の唐衣の歌だったので、ここでは妻問いの文脈にしている。
 恋しい直後問うとはどういうことかというと、男の妻は筒井(筒)の女で梓弓で死んだ。なので前段で都から離れ泣いているし、本段でも乗り気ではない)
 
 さて、父は違う人に会わせようと言ったが、母は「あてなる人(貴なる人)」に「心つけた(?)」という。
 男の父はなほ人、母は藤原であった。
 
 (なほ人はただの人。殿上、あるいは狭義には皇族ではない意味。これだけでも昔男は業平ではなく、この趣旨の身分の記述は伊勢で終始一貫する)
 
 さて(その母が)その「あてなる人(当てのある人)」に(?)と思い、「このむこがねに」(?)詠んでおこした。
 その(誰の?)住む所は入間の郡み吉野の里であった。
 
 (街外れ。14段の同様の表記(陸奥の栗原=宮城県栗原市)からも、都から下った男の住所とは見れない。
 それが冒頭の惑いながら武蔵まで歩いていったという表現。つまり何かに当てている)
 
 
 ①みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる
 
 むこがね、返し、
 
 ②わが方に寄ると鳴くなるみよし野の たのむの雁をいつか忘れむ
 
 となむ。
 
 ①(母)君に頼もうとしても一向(ひたぶる)に君はいない
 
 君は不確定なので意味を多義的に掛け、それを狩の雁と解く。
 その心は、肝心な(いてほしい)時にいないが、どうでもいい時にいるという。
 末尾の「鳴くなる」も「鳴くという(完了)」と「いなくなる(否定)」を掛けている。
 
 ②(男)私のことなどいつか忘れる
 
 雁を借りとかけ、むこがねと解く。その心は、頼むとか借りといってもどうせすぐ忘れるから私はすぐ(とく)返す。借りは作らない。
 すぐ返すのは返事。それと多分、金(受け取らない)。
 
 
 人の国にても、なほかゝることなむやまざりける。(?)
 
 人の国でも、なおこのようなことでなやまされていたのだった
 と、とりあえずはならして見る。なほとなむで韻を踏んでいるので、読み込むために置いている。
 
 この「やまざりける」こそ、この段の最も目につきやすい問題。辞書にもない暗語。
 読者の柔軟な読解力を試し、かつ伊勢の記述の基本方針を示している言葉とも言える。
 
 山+ざり(否定)+けるを
 山+なしと掛け、甲斐と解く。
 その心は、頼みの甲斐がない。それで頼むの雁。つまり当てがあるようで、実は当てがないお話でした。
 雁は渡り鳥で主人公のむかし男。いわば前段の流れで都から流れてきた都鳥。
 
 貴族だった母が頼み甲斐がないというお話(父と書いていないので、今は藤原でもない)。
 この母は実はかつて宮(84段)。それと対照させ、父はなほ人(ただの人)。
 つまり素朴に見れば、母は降嫁しさらに後家。だから色々働きかけている。
 これに従い「むこがね」「心つけ」「あて」「よばひ」を解釈する。
 
 大きな流れでいえば、母が縁談をもちかけてくる。
 それでどこのものとも分からない自分は、どこのものとも分からない里の女に会っている言い訳に使っている話。
 つまり前段の都鳥の話と同じギャグ。
 埼玉の街外れの話で、藤原の母のあてなる(高貴)というのは、ちょっと無理。全体を整合的に見ればこうなる。
 
 

豆知識①:むかし男は文屋

 
 
 むかし男は二条の后に仕えていた(95段)。恋仲ではない。
 「ひじき藻」「西の対」の話が「関守」「芥河」で夜這い騒ぎになった話は、男が側で仕え世話をしていた二条の后の見聞録。
 文屋が身元不明の卑官なのに縫殿という後宮の女所にいて、かつ二条の后の歌を一人だけ伊勢から離れて二つ持っているのは、本段の母の背景がある。
 つまり宮で藤原であった母がいた(二条の后の裏返し的経歴)。身元が安全。男は一貫して身元を伏せているが、藤原としたのは自分はそうではないから。
 終盤の84段で母を長岡に住む宮としたのは出自をいうためではなく背景を説明するため。長岡の宮原(田んぼ)の笑い話も58段(荒れたる宿)にある。
 
 伊勢を記す実力だから歌仙。でなければ下級役人がそう称されない。業平はそれに乗じただけで、歌は全く知らないとされている(101段)。
 他の男歌仙も同様。だから貫之は酷評している。全員落としているなら記す意味がない。小町は小町針というエピソードから縫殿での同僚。
 そもそも仮名序の記述の仕方(文屋のみ直接観察の描写)、古今8・9(文屋・貫之)の配置から、歌仙評を貫之に伝授したのは文屋。
 
 

豆知識②:やまざりける(ヤマ×ナシ→カイ)

 
 
 業界用語で「山」というのがあるが、これはその品が「ない」という意味。
 そして上述のように「山」×「なし」→「甲斐」。
 これを合わせて、山とくれば、無し、そして買い(発注)の暗示ということになる。
 
 こう見れば、男がその女の元に行っていたことは、服か何かの(仕事の)話とも見れる。若干筋違いだけども。
 これと同様の構図が33段(こもり江)。そちらは行き先が灘の女だった。
 
 むかし男が女と男女の関係にある時、「よばひ」とか「かよひ」とかあいまいな表現で終わらせたりしない。
 ①契りや②寝るとか③恋に死ぬとかそういう表現をする。
 ①②③をもつのが筒井の梓弓の女(妻)で、①が伊勢斎宮。②③が14段の陸奥の女。この三者のみ。
 
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第10段 たのむの雁 みよし野(の里)
   
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  武蔵の国までまどひありきけり。 むさしのくにまでまどひありきけり。 むさしの國まどひありきけり。
 
  さてその国にある女をよばひけり。 さて、そのくにゝある女をよばひけり。 その國なる女をよばひけり。
 
  父はこと人にあはせむといひけるを、 ちゝはこと人にあはせむといひけるを、 父はこと人にあはせんといひけるに。
  母なむあてなる人に心つけたりける。 はゝなむあてなる人に心つけたりける。 母なんあてなる人に心つけたりける。
  父はなほびとにて、 ちゝはなお人にて、 父はたゞ人にて。
  母なむ藤原なりける。 はゝなむふぢはらなりける。 母なん藤原なりける。
 
  さてなむあてなる人にと思ひける。 さてなむあてなる人にとおもひける。 さてなんあてなる人にとはおもひける。
  このむこがねによみておこせたりける。 このむこがねによみてをこせたりける。 此むこがねに。よみてをこせたる。
  住む所なむ すむところなむ、 すむさとは。むさしのくに
  入間の郡み吉野の里なりける。 いるまのこほり、みよしのゝさとなりける。 いるまのこほりみよしのの里なり。
 

14
 みよし野の
 たのむの雁もひたぶるに
 みよしのゝ
 たのむのかりもひたぶるに
 み吉野の
 賴むの鴈もひたふるに
  君が方にぞ
  寄ると鳴くなる
  きみがゝたにぞ
  よるとなくなる
  君か方にそ
  よるとなくなる
 
  むこがね、返し、 むこがねかへし、 かへし。むこがねかへし。
 

15
 わが方に
 寄ると鳴くなるみよし野の
 わが方に
 よるとなくなるみよし野ゝ
 我方に
 よるとなくなるみ吉野の
  たのむの雁を
  いつか忘れむ
  たのむのかりを
  いつかわすれむ
  たのむの鴈を
  いつか忘れん
 
  となむ。人の国にても、 となむ。人のくにゝても、  人の國にても。
  なほかゝることなむやまざりける。 猶かゝる事なむ、やまざりける。 かゝることは。たえずぞありける。
   

現代語訳

 
 

むかし、男、武蔵の国までまどひありきけり。
 
さてその国にある女をよばひけり。

 
 
むかし、男
 むかし男が、
 

武蔵の国までまどひありきけり
 武蔵の国まで、惑い歩いていた。
 
 前段の武蔵と下総の間の都鳥から続いて雁という水鳥の歌。
 

さてその国にある女をよばひけり
 さて、男はその国の女を「よばひ」した。
 
 さてとは、別の表現に見せつつ上の文章の背景や理由を説明していることが、この段では一貫している。
 
 よばひ 【呼ばひ】:
 ①求婚・男が女に言い寄ること。
 ②男が女の寝所に忍んで行くこと。夜這ひ。
 
 ここでは、なれない東の国で、とある女に会いに行ったということを曖昧にぼかした表現。
 つまり「よばひ」でウホっ!?となる読者への引っ掛けでブラフ。本来的な①②の意味はない。
 その背景は、自分の本意ではないということを以下で説明するお話。
 
 類似の「二条の后に仕うまつる男ありけり。女の仕うまつるを、つねに見かはしてよばひわたり」の95段参照。
 こちらは後宮での話なので、言い寄るとか夜這いとかはありえない。仕えている女(二条の后)に目配せやらで呼ばれて仕事をしていたむかし男という意味。
 
 

あてなる人

父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。
父はなほびとにて、母なむ藤原なりける。

 
父はこと人にあはせむといひけるを、
 父は、違う人にあわせようと言ったが、
 

母なむあてなる人に心つけたりける。
 母は、高い人に心つけていた。

 なむ:強意。
 「母は(ははは)」にしない意味もある。こうして語調を前後と変化させている所には意味がある。
 

 あて:父君
 あてなる(貴なる):家柄が高い
 

 心つけ:心づけ。一般に「お礼として渡す小額の金銭や物のこと」 
 

父はなほびと(△たゞ人)にて、
 父は、ただの人であったが、
 

母なむ藤原なりける。
 母は藤原であった。
 
 この母が、84段で子が見たいという文をよこしてくる。
 
 

むこがね

さてなむあてなる人にと思ひける。
このむこがねによみておこせたりける。
住む所なむ入間の郡み吉野の里なりける。

 
さてなむあてなる人にと思ひける。
 さて(そういう関係から母は父と違う)あてなる人に(あわせよう)と思った。
 

このむこがね
 このムコガネ(?)にと
 

 むこがね:婿になるための金(心づけ・当て)の暗語。
 一般に婿候補とし「がね」は接尾語(語調を整える言葉)とするが、「むこ」あるいは「がね」に候補を読みこむことは困難だろう。安易に逃げない。
 それに伊勢はこういう一見不明な部分にこそ意味をもたせている。「がね」は「心づけ」という金の暗示とかかるように。
 

 先行する雁という語には「かりがね」という一見不明な説明も辞典にあるが、これはカリと来れば金とくることを受けているだろう。
 歌で「かりがね」は雁が音とされるが、ここではそれに掛けた金の意味。
 
 

よみておこせたりける。
 詠んで起こし寄こしてきた。
 
 

入間の郡みよしの


 住む所(△さと)なむ
 住む所は、
 

入間の郡みよしの(▲吉野)の里なりける。
 今の入間郡のみよしのという里であった。
 

 埼玉県三芳町。
 「みよしの」の里ではなく、みよしの里。
 「入間の郡」の「の」を取るように。
 伊勢では一語一語が大事。
 
 あてなる所に当てがあるといって、埼玉深くなのがこの話のツッコミ所の一つ。
 そもそも住む所とは、誰の住む所か定かではない。
 流れからいえば、歌の宛先である男の住所だが、当てなる人の住所とも見れる。
 しかしどちらに解しても通り難い。男は都から出向している身分だから。
 つまりやはりこれも、前段の都鳥同様のおかしな物語。
 


 

みよし野の たのむの雁も ひたぶるに
 君が方にぞ 寄ると鳴くなる

 
みよし野の
 
 埼玉の奥深くに行ってしまったのか
 

たのむの雁も

 頼むのに雁(渡り鳥)のように便りもなく=手紙もよこさず(84段
 

ひたぶる
 一向に
 

 ひたぶる:頓、一向。いちずな、ひたすら。
 ここでは、とんと一向に(返事を返さない・かえりみない)
 

君が方にぞ
 君の所にと
 

寄ると鳴くなる
 寄るといなくなる。
 
 

返し

むこがね、返し、
 
わが方に 寄ると鳴くなる みよし野の
たのむの雁を いつか忘れむ
 
となむ。

 
むこがね、返し、
 向こうの息子が(包まれた金を)返し、

 婿候補と解しても別に問題ない。
 

わが方に
 わたしの方に
 

寄ると鳴くなる みよし野の
 
 その心は、
 

たのむの雁を
 頼む!とか借りとかは(忘れないとかいっても)
 

いつか忘れむ
 いつか忘れる
 

となむ。
 といって。
 
 (その心は、だから忘れないよう早めに返します)
 
 

やまざりける

人の国にても、なほかゝることなむやまざりける。

 
人の国にても、
 人の国でも、

なほかゝること
 なおこのような(甲斐ない=しょーもない)ことで
 

なむやまざりける(△たえずぞありける)。
 なやまされていたのであった(適当)。
 
 やまざりけるの解釈は、冒頭あらすじ参照。
 山梨(ナシ)で甲斐なし。
 
 山梨:律令制下の山梨郡(甲斐国)