枕草子 一本23 松の木立高き所の

檳榔毛は 枕草子
一本
23段
松の木立
きよげなる童

(旧)全集=能因本:319段
前の木高う、庭ひろき家の
 


 
 松の木立高き所の東、南の格子あげわたしたれば、すずしげに透きて見ゆる母屋に、四尺の几帳立てて、その前に円座置きて、四十ばかりの僧のいときよげなる、墨染の衣、薄物の袈裟、あざやかに装束きて、香染の扇をつかひ、せめて陀羅尼を読みゐたり。
 

 もののけにいたう悩めば、移すべき人とて、おほきやかなる童の、生絹の単あざやかなる、袴着なしてゐざり出でて、横ざまに立てたる几帳のつらにゐたれば、外様にひねり向きて、いとあざやかなる独鈷をとらせて、うち拝みて読む陀羅尼もたふとし。
 

 見証の女房あまた添ひゐて、つとまもらへたり。ひさしうもあらでふるひ出でぬれば、もとの心失せて、おこなふままに従ひ給へる、仏の御心もいとたふとしと見ゆ。
 

 せうと、従兄弟なども、みな内外したり。たふとがりて集まりたるも、例の心ならば、いかにはづかしと惑はむ。みづからは苦しからぬことと知りながら、いみじうわび泣いたるさまの心苦しげなるを、憑き人の知り人どもなどは、らうたく思ひ、けぢかくゐて、衣ひきつくろひなどす。
 

 かかるほどに、よろしくて、「御湯」などいふ。北面にとりつぐ若き人どもは、心もとなく、ひきさげながら、いそぎ来てぞ見るや。単どもいときよげに、薄色の裳など萎えかかりてはあらず、きよげなり。
 

 いみじうことわりなどいはせて、ゆるしつ。「几帳の内にありとこそ思ひしか。あさましくもあらはに出でにけるかな。いかなることありつらむ」と、はづかしくて、髪をふりかけてすべり入れば、「しばし」とて、加持すこしうちして、「いかにぞや、さわやかになり給ひたりや」とてうち笑みたるも、心はづかしげなり。
 「しばしも候ふべきを、時のほどになり侍りぬれば」などまかり申しして出づれば、「しばし」など留むれど、いみじういそぎ帰る所に、上臈とおぼしき人、簾のもとにゐざり出でて、「いとうれしく立ち寄らせ給へるしるしに、たへがたう思ひ給へつるを、ただ今おこりたるやうに侍れば、かへすがへすなむ喜び聞こえさする。明日も、御いとまのひまにはものせさせ給へ」となむいひつつ、「いと執念き御もののけに侍るめり。たゆませ給はざらむ、よう侍るべき。よろしうものせさせ給ふなるを、よろこび申し侍る」と言すくなにて出づるほど、いとしるしありて仏のあらはれ給へるとこそおぼゆれ。