枕草子244段 蟻通の明神

社は 枕草子
下巻上
244段
蟻通の明神
一条の院

(旧)大系:244段
新大系:226段-3、新編全集:227段-2
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:225段-2
 


 
 蟻通の明神、貫之が馬のわづらひけるに、この明神の病ませ給ふとて、歌よみ奉りけむ、いとをかし。
 

 この蟻通しとつけけるは、まことにやありけむ、昔おはしましける帝の、ただ若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをば、失はせ給ひければ、人の国の遠きに行き隠れなどして、さらに都のうちにさる者のなかりけるに、中将なりける人の、いみじう時の人にて、心などもかしこかりけるが、七十近き親二人を持たるに、かう四十をだに制することに、まいておそろし、とおぢさわぐに、いみじく孝なる人にて、遠き所に住ませじ、一日に一たび見ではえあるまじとて、みそかに家のうちの地を掘りて、そのうちに屋をたてて、こめ据ゑて、いきつつ見る。人にも、おほやけにも、失せかくれたる由を知らせてあり。などか、家に入りゐたらむ人をば知らでもおはせかし。うたてありける世にこそ。この親は上達部などにはあらむにやありけむ、中将などを子にて持たりけるは。心いとかしこう、よろづのこと知りたりければ、この中将もわかけれど、いと聞こえあり、いたりかしこくして、時の人におぼすなりけり。
 

 唐土の帝、この国の帝を、いかで謀りてこの国討ち取らむとて、常にこころみごとをし、あらがひごとをしておそり給ひけるに、つやつやとまろにうつくしげに削りたる木の二尺ばかりあるを、「これが本末いづかた」と問ひに奉れたるに、すべて知るべきやうなければ、帝おぼしめしわづらひたるに、いとほしくて、親のもとにいきて、「かうかうの事なむある」といへば、「ただ、速からむ川に、立ちながら横さまに投げ入れて、返りて流れむかたを末としるして遣はせ」と教ふ。
 参りて我が知り顔にて、「さて、試み侍らむ」とて、人と具して、投げ入れたるに、先にしていくかたにしるしをつけて遣はしたれば、まことにさなりけり。
 

 また、二尺ばかりなるくちなはの、ただおなじ長さなるを、「これが男女」とて奉れり。また、さらに人え見知らず。例の、中将来て問へば、「二つを並べて、尾のかたにほそきすばえをしてさし寄せむに、尾はたらかさむを女と知れ」といひける、やがて、それは内裏のうちにてさしけるに、まことに一つは動かず、一つは動かしければ、またさるしるしつけて、遣はしけり。
 

 ほどひさしくして、七曲にわだかまりたる玉の、中通りて左右に口あきたるがちひさきを奉りて、「これに緒通して賜はらむ。この国にみなしみなし侍る事なり」とて奉りたるに、「いみじからむものの上手、不用なり」と、そこらの上達部、殿上人、世にありとある人いふに、また行きて、「かくなむ」といへば、「大きなる蟻をとらへて、二つばかりが腰にほそき糸をつけて、またそれに、いますこしふときをつけて、あなたの口に蜜を塗りて見よ」といひければ、さ申して、蟻を入れたるに、蜜の香をかぎて、まことにいととくあなたの口より出でにけり。さて、その糸の貫かれたるを遣はして後になむ、「日の本の国はかしこかりけり」とて、後にさる事もせざりける。
 

 この中将をいみじき人におぼしめして、「なにわざをし、いかなる官位をか賜ふべき」と仰せられければ、「さらに官もかうぶりも賜はらじ。ただ老いたる父母のかくれうせて侍るたづねて、都に住まする事を許させ給へ」と申しければ、「いみじうやすき事」とてゆるされければ、よろづの人の親これを聞きてよろこぶこといみじかりけり。
 中将は上達部、大臣になさせ給ひてなむありける。
 

 さて、その人の神になりたるにやあらむ、その神の御もとにまうでたりける人に、夜現れて宣へりける、
 

♪26
  七曲に まがれる玉の 緒をぬきて
  ありとほしとは 知らずやあるらむ
 

と宣へりける、と人の語りし。
 
 

社は 枕草子
下巻上
244段
蟻通の明神
一条の院