宇治拾遺物語:蔵人得業、猿沢の池の龍の事

白河法皇 宇治拾遺物語
巻第十一
11-7 (130)
猿沢の池の龍
清水寺御帳

 
 これも今は昔、奈良に蔵人得業恵印といふ僧ありけり。鼻大きにて赤かりければ、「大鼻の蔵人得業」と言ひけるを、後ざまには、ことながしとて、「鼻蔵人」とぞ言ひける。なほ後々には、「鼻蔵鼻蔵」とのみいひけり。
 

 それが若かりける時に、猿沢の池の端に、「その月のその日、この池より龍登らんずるなり」といふ札を立てけるを、往来の者、若き老いたる、さるべき人々、「ゆかしき事かな」と、ささめき合ひたり。この鼻蔵人、「をかしき事かな。我がしたる事を、人々騒ぎ合ひたり。をこの事かな」と、心中におかしく思へども、すかしふせんとて、空知らずして過ぎ行くほどに、その月になりぬ。
 おほかた大和、河内、和泉、摂津国の者まで聞き伝へて、集ひ合ひたり。恵印、「いかにかくは集まる。何かあらんやうのあるにこそ。怪しき事かな」と思へども、さりげなくて過ぎ行くほどに、すでにその日になりぬれば、道もさり敢へず、ひしめき集る。
 

 その時になりて、この恵印思ふやう、「ただごとにもあらじ。我がしたる事なれども、やうのあるにこそ」と思ひければ、「この事さもあらんずらん。行きて見ん」と思ひて頭つつみて行く。
 おほかた近う寄りつくべきにもあらず。興福寺南大門の壇の上に登り立ちて、今や龍の登るか登るかと待ちたれども、何の登らんぞ。日も入りぬ。
 

 暗々になりて、さりとては、かくてあるべきならねば、帰りける道に、一つ橋に、盲が渡り合ひたりけるを、この恵印、「あな、あぶなのめくらや」といひたりけるを、盲とりもあへず、「あらじ。鼻くらなり」いひたりける。この恵印を、鼻蔵といふも知らざりけれども、めくらといふにつきて、「あらじ。鼻蔵ななり」といひたるが、鼻蔵に言ひ合せたるが、をかしき事の一つなりとか。