枕草子8段 大進生昌が家に

思はむ子 枕草子
上巻上
8段
大進生昌
うへに候ふ御猫は

(旧)大系:8段
新大系:5段、新編全集:6段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:6段
 


 
 大進生昌が家に、宮のいでさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、また陣のゐねば、入りなむと思ひて、かしらつきわろき人も、いたうもつくろはず、寄せて降るべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門小さければ、さはりてえ入らねば、例の筵道敷きて降るるに、いとにくく腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。
 

 御前に参りて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などかはさしもうちとけつる」と笑はせ給ふ。「されど、それは目なれにて侍れば、よくしたてて侍らむにしもこそ、おどろく人も侍らめ。さてもかばかりの家に、車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これ、参らせ給へ」とて、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などその門、はたせばくは作りて住み給ひける」と言へば、笑ひて、「家のほど、身のほどに合はせて侍るなり」といらふ。「されど、門のかぎりを高う作る人もありけるは」と言へば、「あな、おそろし」と驚きて、「それは于定国がことにこそ侍るなれ。古き進士などに侍らずは、承り知るべきにも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られ侍る」と言ふ。「その御道もかしこからざめり。筵道敷きたれど、みな落ち入りさわぎつるは」と言へば、「雨の降り侍りつれば、さも侍りつらむ。よしよし、また仰せられかくることもぞ侍る。まかり立ちなむ」とて往ぬ。「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつる」と問はせ給ふ。「あらず、車の入り侍らざりつること、言ひ侍りつる」と申して下りたり。
 

 同じ局に住む若き人々などして、よろづのことも知らず、ねぶたければみな寝ぬ。東の対の西の廂、北かけてあるに、北の障子に懸金もなかりけるを、それも尋ねず、家あるじなれば、案内を知りて開けてけり。あやしくかればみさわぎたる声にて、「候はむはいかに、いかに」と、あまたたび言ふ声にぞおどろきて見れば、几帳の後ろに立てたる灯台の光はあらはなり。障子を五寸ばかり開けて言ふなりけり。いみじうをかし。さらにかやうのすきずきしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかするなめり、と思ふも、いとをかし。
 

 かたはらなる人を押し起こして、「かれ見給へ。かかる見えぬもののあめるは」と言へば、かしらもたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれはたそ、顕証に」と言へば、「あらず。家ぬしと局あるじと、定め申すべきことの侍るなり」と言へば、「門のことをこそ聞こえつれ、障子開け給へとやは聞こえつる」と言へば、「なほそのことも申さむ。そこに候はむはいかに、いかに」と言へば、「いと見苦しきこと。さらにえおはせじ」とて笑ふめれば、「若き人おはしけり」とて、引き立てて往ぬる、のちに、笑ふこといみじう、開けむとならば、ただ入りねかし、消息を言はむに、よかなりとは、たれか言はむ、と、げにぞをかしき。
 

 つとめて、御前に参りて啓すれば、「さることも聞こえざりつるものを。夜べのことにめでて行きたりけるなり。あはれ、かれをはしたなう言ひけむこそ、いとほしけれ」とて、笑はせ給ふ。
 

 姫宮の御方のわらはべの装束、つかうまつるべきよし仰せらるるに、「この袙のうはおそひは、何の色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前のものは、例のやうにては、にくげに候はむ。ちうせい折敷に、ちうせい高坏などこそよく侍らめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たらむわらはも、参りよからめ」と言ふを、なほ、「例の人のやうに、これなかくな言ひ笑ひそ。いと謹厚なるものを」と、いとほしがらせ給ふも、をかし。
 

 中間なるをりに、「大進、まづもの聞こえむとあり」と言ふを聞こしめして、「またなでふこと言ひて、笑はれむとならむ」と仰せらるるもまたをかし。「行きて聞け」と宣はすれば、わざといでたれば、「一夜の門のこと、中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、『いかでさるべからむをりに心のどかに対面して、申し承らむ。』となむ申されつる」とて、またことごともなし。一夜のことや言はむ、と心ときめきしつれど、「いましづかに、御局に候はむ」とて往ぬれば、帰り参りたるに、「さて、何事ぞ」と宣はすれば、申しつることを、さなむと啓すれば、「わざと消息し、呼びいづべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむときも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたる、うれしとや思ふ、と告げ聞かするならむ」と宣はする、御けしきも、いとめでたし。