古事記 和泉の由来~原文対訳

建波爾安の邪心 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
和泉の由来
犯人はヤス 
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
即於
丸邇坂。
遣す時に、
すなはち丸邇坂わにさかに
その時に
丸邇坂わにさかに
居忌瓮而。
忌瓮いはひべを居すゑて、

清淨な瓶を据えてお祭をして
罷往。 罷り往いでましき。 行きました。
     
於是到
山代之
和訶羅河時。
ここに
山代の
和訶羅わから河に
到れる時に、
さて山城の
ワカラ河に
行きました時に、

建波邇安王。
興軍待遮。
その
建波邇安の王、
軍を興して、待ち遮り、
果して
タケハニヤスの王が
軍を興して待つており、
各中
挾河而。
對立相挑。
おのもおのも
河を中にはさみて、
對むき立ちて相挑いどみき。
互に河を挾んで
對むかい立つて
挑いどみ合いました。
故號其地。
謂伊杼美。
かれ其地そこに名づけて、
伊杼美いどみといふ。
それで其處の名を
イドミというのです。
     
〈今謂
伊豆美也〉
(今は
伊豆美といふ)
今では
イヅミと言つております。
     
建波爾安の邪心 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
和泉の由来
犯人はヤス