平家物語 巻第一 祗王(妓王) :概要と原文

我身栄花 平家物語
巻第一
祗王/妓王
ぎおう
二代后

〔概要〕
 
 清盛は白拍子の祇王を寵愛。ある日清盛は寵愛相手を仏御前に変えた。祇王は隠居し尼になった(ところに仏御前が訪れる)。
「祇王廿一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に、柴の庵をひきむずび、念仏してこそゐたりけれ」(以上丸括弧以外Wikipedia「平家物語の内容」から引用

 

 このエピソードが一巻で最も厚い部分で(6800字)、全体を通しても特徴的な部分。十二巻本の平家物語にはなく後に増補されたものとされるが(全注釈上116p)、最後まで伴った巴を逃す木曾の描写もあるように、女性に対する支配者の態度を平家の作者は重視したと見るべきものと思う。

 

 この章の題について、最も一般的な覚一本系(大系・全集)は「祇王」、米沢本を底本とした全注釈は「妓王」として表記が分かれる(義王は当て字)。この点、字義からすると「妓」の方が素直に思えて迷うところだが、「祇園精舎」「祇園女御」(巻六)の字と音と対に考え、さらには「仏御前」と対にされることから、「祇王」を本来(格式ばった表記)としたい。

 「祇」には慎み敬うという意味があり、「妓」はあそびめと読む歌い子の意味で、芸妓のように端的な遊女の意味になるが、ただの遊女ではなく京の遊女の話なので「祇(祇園の舞妓)」が相応しいだろう。内容的にも美貌と舞歌と人間性を中心にその短い命を、祇園精舎の鐘の声的に描いている。

 


 
 入道相国、天下を掌のうちににぎり給ひし間、世の誹りをも憚らず、人のあざけりをも顧みず、不思議の事をのみし給へり。例へば、その頃京に聞こえたる白拍子の上手、妓王、妓女とておととひあり。とぢといふ白拍子が娘なり。
 しかるに姉の妓王をば入道相国寵愛せられけり。妹の妓女をも、世の人もてなす事なのめならず。とぢにもよき屋造つて取らせ、毎月に百石百貫を送られたりければ、家内富貴して楽しい事なのめならず。
 

 そもそもわが朝に白拍子の始まりける事は、昔、鳥羽の院の御宇に、島の千歳、和歌の前、これら二人が舞ひ出だしたりけるなり。はじめは水干に立烏帽子、白鞘巻をさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。しかるを中頃より烏帽子刀をのけられて、水干ばかり用ゐたり。さてこそ白拍子とは名付けけれ。
 

 京中の白拍子ども、妓王が幸ひのめでたきやうを聞いて、羨む者もあり、嫉む者もあり。羨む者どもは、「あなめでたの妓王御前の幸ひや。同じ遊女とならば、誰も皆あのやうでこそありたけれ。いかさまにも妓といふ文字を名に付いて、かくはめでたきやらん。いざや我等も付いてみん」とて、或いは妓一、妓二にと付き、或いは妓福、妓徳など付く者もありけり。嫉む者どもは、「なんでふ名により、文字にはよるべき。幸ひはただ前世の生まれつきでこそあんなれ」とて、付かぬ者も多かりけり。
 

 かくて三年といふに、また白拍子の上手一人出で来たり。加賀国の者なり。名をば仏とぞ申しける。歳十六とぞ聞こえし。京中の上下これを見て、昔より多くの白拍子は見しかども、かかる舞の上手はいまだ見ずとて、世の人もてなすことなのめならず。
 

 仏御前申しけるは、「我、天下に聞こえたれども、当時めでたう栄えさせ給ふ、平家太政入道殿へ召されぬ事こそ本意なけれ。遊び者のならひ、何か苦しかるべき。推参してみん」とて、ある時、西八条殿へぞ参りたる。人参つて、「当時都に聞こえ候ふ仏御前が参つて候ふ」と申しければ、入道、「なんでふ、さやうの遊び者は、人の召しにてこそ参れ、さうなう推参するやうやある。その上、妓王があらん所は、神ともいへ、仏ともいへ、かなふまじきぞ。とうとうまかり出でよ」とぞ宣ひける。
 仏御前は、すげなう言はれ奉つて、すでに出でんとしけるを、妓王、入道殿に申しけるは、「遊び者の推参は、常のならひでこそ候へ。その上歳もいまだ幼う候ふなるが、たまたま思ひ立つて参つて候ふを、すげなう仰せられて、帰させせ給はんこそ不憫なれ。いかばかり恥づかしう、かたはらいたくも候ふらん。我がたてし道なれば、人の上ともおぼえず。たとひ舞を御覧じ、歌をこそ聞こし召さずとも、ただ理を曲げて、召し返いて御対面ばかり候へ」と申しければ、
 入道相国、「いでいで、わごぜがあまりにいふ事なれば、見参して帰さん」とて、使ひをたてて、召されけり。
 仏御前は、すげなう言はれ奉つて、既に車に乗つて出でんとしけるが、召されて帰り参りたり。入道やがて出で逢ひ対面して、「今日の見参はあるまじかりつるを、妓王が何と思ふやらん、あまりに申しすすむる間、かやうに見参しつ。見参する上ではいかでか声をも聞かであるべき。今様ひとつ歌へかし」と宣へば、仏御前、「承り候ふ」とて、今様ひとつぞ歌うたる。 
 

♪5
 君をはじめて見る折は 千代も経ぬべし姫小松
 御前の池なる亀岡に 鶴こそ群れゐて游ぶめれ

 
 と、押し返し押し返し、三遍歌ひすましたりければ、見聞の人々、みな耳目を驚かす。入道もおもしろげに思ひ給ひて、「わごぜは、今様は上手にてありけるかな。この定では舞も定めて良かるらん。一番見ばや、鼓打ち召せ」とて召されけり。打たせて一番舞うたりけり。仏御前は、髪姿よりはじめて、みめ容貌うつくしく、声良く節も上手なり。なじかは舞ひも損ずべき。心も及ばず舞ひすましたりければ、入道相国舞にめで給ひて、仏に心をうつされけり。
 

 仏御前、「こはなにごとにて候ふぞや。もとよりわらはは推参の者にて、すでに出だされ参らせ候ひしを、妓王御前の申し状によつてこそ、召しかへされても候へ。かやうに召しおかれなば、妓王御前の思ひ給はん心のうち、はづかしう候ふべし。はやはや暇を賜はつて、出ださせおはしませ」と申しければ、入道相国、「すべてその儀あるまじ。ただし妓王があるをはばかるか。その儀ならば妓王をこそ出ださめ」と宣へば、
 仏御前、「これまたいかでかさる事候ふべき。もろともに召しおかれんだにも心うく候ふべきに、妓王御前を出だされ参らせて、わらはが一人召しおかれなば、いとど心うう候ふべき。おのづから後までも忘れぬ御事ならば、召されてまたは参るとも、今日は暇を賜はらん」とぞ申しける。入道、「なんでうその儀あるまじ。妓王とうとうまかり出でよ」と、御使重ねて三度までこそ立てられけれ。
 

 妓王はもとより思ひまうけたる道なれども、さすが昨日今日とは思ひもよらず。急ぎ出づべき由、しきりに宣ふ間、掃きのごひ、塵拾はせ、出づべきにこそ定まりけれ。一樹のかげに宿りあひ、同じ流れを結ぶだに、別れはかなしき習ひぞかし。ましてこの三年が間住みなれし所なれば、名残も惜しう悲しくて、かひなき涙ぞこぼれける。さてしもあるべき事ならねば、今はかうとて既に出でんとしけるが、なからん跡の忘れ形見にもとや思ひけん、障子に泣く泣く一首の歌をぞ書き付けける。 
 

♪6
 もえ出づる もかるるも同じ 野辺の草
  いづれか秋に あはではつべき

 
 さて車に乗つて宿所に帰り、障子の内に倒れ伏し、ただ泣くよりほかの事ぞなき。母や妹これを見て、「いかにやいかに」と問ひけれども、妓王とかうの返事にも及ばず、具したる女に尋ねてぞ、さる事ありとも知りてげる。さるほどに毎月送られける百石百貫をもおし止められて、今は仏御前のゆかりの者どもぞ、はじめて楽しみ栄えける。
 京中の上下、この由を伝へ聞いて、「まことや妓王こそ、暇賜はつて出でたんなれ。いざ見参して游ばん」とて、或いは文をつかはす者もあり、或いは使者を立つる人もあり。妓王、さればとて今さら人に対面して遊びたはむるべきにもあらねば、文を取り入るる事もなく、まして使ひをあひしらふまでもなかりけり。これにつけても悲しくて、いとど涙にのみぞ沈みける。かくて今年も暮れぬ。
 

 明くる春の頃、入道相国、妓王がもとへ使者を立てて、「いかに妓王、その後は何事かある。さては仏御前があまりにつれづれげに見ゆる。何か苦しかるべき、参つて今様をも歌ひ、舞などをも舞うて、仏慰めよ」とぞ宣ひける。妓王とかうの御返事にも及ばず、涙を押さへて伏しにけり。入道重ねて、「なにとて妓王は、ともかうも返事をば申さぬぞ。参るまじきか。参るまじくはそのやうを申せ。浄海もはからふ旨あり」とぞ宣ひける。
 母とぢこれを聞くに悲しくて、いかなるべしともおぼえず。泣く泣く教訓しけるは、「なにとて妓王はともかうも御返事をば申さで、かやうにしかられ参らせんよりは」といへば、
 妓王涙をおさへて申しけるは、「参らんと思ふ道ならばこそ、やがて参るとも申さめ。参らざらんもの故に、なにと御返事をば申すべしともおぼえず。このたび召さんに参らずは、はからふ旨ありと仰せらるるは、都のほかへ出ださるるか、さらずは命を召さるるか、これ二つにはよも過ぎじ。たとひ都を出ださるるとも、歎く道にあらず。たとひ命を召さるるとも惜しかるべき我が身かは。一度憂きものに思はれ参らせて、二たび面をむかふべきにもあらず」とて、なほ御返事も申さざりけるを、
 母とぢかさねて教訓しけるは、「いかに妓王御前、天が下にすまん人は、ともかうも入道殿の仰せをば、そむくまじきことにてあるぞ。男女の縁宿世、いまにはじめぬ事ぞかし。千年万年と契れども、やがて離るる仲もあり。あからさまとは思へども、ながらへはつる事もあり。世に定めなきものは、男女のならひなり。それにわごぜは、この三年まで思はれ参らせたれば、有り難き事にこそ候へ。召さんに参らねばとて、命を失はるるまではよもあらじ。都の外へぞ出だされんずらん。たとひ都を出ださるるとも、わごぜ達は歳若ければ、いかならん岩木のはざまにても、過ごさん事やすかるべし。但し我が身年老い、齢傾いて、都の外へぞ出だされんずらん。ならはぬ鄙の住まひこそもかねて思ふも悲しけれ。ただ我をば都の内にて住みはてさせよ。それぞ今生後生の孝養にてあらんずる」といへば、妓王憂しと思ふ道なれども、親の命を背かじと、泣く泣くまた出でたちける、心の中こそ無慚なれ。
 

 一人参らんはあまりに物憂しとて、妹の妓女をも相具しけり。その外白拍子二人、総じて四人、一つ車にとり乗つて、西八条殿へぞ参じたる。先々召されつる所へは入れられず、遥かに下がりたる所に、座敷しつらうてぞ置かれたる。
 妓王、「こはされば何事ぞや。我が身に過つ事はなけれども、棄てられ奉るだにあるに、座敷をさへ下げらるる事の心憂さよ。いかにせん」と思ふに、知らせじと押さふる袖の隙よりも、あまりて涙ぞこぼれける。
 仏御前これを見て、あまりに哀れに思ひければ、「あれはいかに、日ごろ召されぬ所にても候はばこそ、これへ召され候へかし。さらずはわらはに暇をたべ。出でて参らせん」と申しければ、入道「すべてその儀あるまじ」と宣ふ間、力及ばで出でざりけり。
 入道やがて出で逢ひ、対面し給ひて、妓王が心の中を知り給はず、「いかにその後は何事かある。さては舞も見たけれども、それは次の事。今様をも歌へかし」とぞ宣ひける。妓王、参るほどでは、ともかくも入道殿の仰せをば、背くまじと思ひければ、落つる涙を押さへて、今様一つぞ歌うたる。 
 

♪7
 仏も昔は凡夫なり 我等もつひには仏なり 
 いづれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ

 
 と、泣く泣く二返歌うたりければ、その座になみゐ給へる平家一門の公卿殿上人、諸大夫、侍に至るまで、みな感涙をぞ流されける。
 入道もおもしろげに思ひ給ひて、「時にとつては神妙にも申したり。さては舞も見たけれども、今日はまぎるる事出で来たり。この後は召さずとも常に参つて、今様をもうたひ、舞などをも舞うて、仏なぐさめよ」とぞ宣ひける。
 妓王、涙をおさへて出でにけり。「母の命を背かじと、つらき道におもむいて、二度憂き目を見つる事の心憂さよ。かくてこの世にあるならば、また憂き目をも見んずらん。今はただ身を投げんと思ふなり」といへば、妹の妓女これをきいて、「姉身を投げば、我もともに身を投げん」といふ。
 母とぢこれを聞くに悲しくて、泣く泣くまた重ねて教訓しけるは、「いかに妓王御前、さやうの事あるべしとも知らずして、教訓して参らせつる事の心うさよ。まことにわごぜの恨むるも理なり。ただしわごぜが身を投げば、妹の妓女もともに身を投げんと言ふ。二人の娘後れなん後、年老い衰えたる母、命生きても何にかはせんなれば、我もともに身を投げんと思ふなり。いまだ死期も来たらぬ親に身を投げさせん事は、五逆罪にやあらんずらん。この世は仮の宿りなり。恥ぢても恥ぢでもなにならず。ただ長き世の闇こそ心憂けれ。今生でこそあらめ、後生でだに悪道へ赴かんずる事の悲しさよ」と、さめざめとかき口説きければ、
 妓王、涙を押さへて、「一旦憂き恥を見つる心憂さにこそ、身を投げんとは申したれ。げにもさやうに候はば、五逆罪疑ひなし。さらば自害をば思ひとどまり候ひぬ。かくて都にあるならば、また憂き目を見んずらん。今はただ都のほかへ出でん」とて、妓王二十一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に、柴の庵を結び、念仏してこそゐたりけれ。
 妹の妓女これを聞いて、「姉身を投げば、我もともに身を投げんとこそ契りしか。まして世をいとはんに、誰かは劣るべき」とて、十九にて様をかへ、姉と一所に籠りゐて、後生を願ふぞあはれなる。
 母とぢこれを聞いて、「若き娘どもだに、様をかふる世の中に、年老い衰へたる母、白髪を付けても何にかはせん」とて、四十五にて髪を剃り、二人の娘もろともに、一向専修に念仏して、ひとへに後生をぞ願ひける。
 

 かくて春過ぎ夏たけぬ。秋の初風吹きぬれば、星合の空を眺めつつ、天の戸渡る梶の葉に、思ふ事書く頃なれや。夕日の影の西の山の端に隠るるを見ても、日の入り給ふ所は、西方浄土にてあんなり。いつか我等もかしこに生まれて、ものも思はで過ごさんずらんと、かかるにつけても過ぎにし方の憂き事ども思ひ続けて、ただ尽きせぬものは涙なり。
 

 黄昏時も過ぎぬれば、竹の編み戸を閉ぢふさぎ、灯火かすかにかきたてて、親子三人念仏してゐたる所に、竹の編み戸を、ほとほとと打ちたたく者出できたり。
 その時尼ども肝を消し、「あはれ、これは、いふかひなき我等が念仏してゐたるを妨げんとて、魔縁の来たるにてぞあるらん。昼だにも人も訪ひ来ぬ山里の、柴の庵のうちなれば、夜更けて誰かは尋ぬべき。わづかに竹の編み戸なれば、開けずとも押し破らんことやすかるべし。なかなかただ開けて入れんと思ふなり。それに情をかけずして、命を失ふものならば、年頃たのみ奉る弥陀の本願を強く信じて、隙なく名号を唱へ奉るべし。声を尋ねて迎へ給ふなる聖衆の来迎にてましませば、などか引摂なかるべき。相構へて念仏怠り給ふな」と互ひに心を戒めて、竹の編み戸を開けたれば、魔縁にてはなかりけり。仏御前ぞ出で来たる。
 妓王、「あれはいかに、仏御前と見奉るは、夢かやうつつか」と言ひければ、
 仏御前涙を押さえて、「かやうの事申せば、すべて事新しう候へども、申さずはまた思ひ知らぬ身ともなりぬべければ、始めよりして、ありのままに申すなり。もとよりわらはも推参の者にて、出だされ参らせ候ひしを、妓王御前の申し状によつてこそ、召しかへされても候ふに、女のかひなき事、我が身を心に任せずして、おしとどめられ参らせし事、心憂くこそ候ひしか。わごぜの出だされ給ひしを見しにつけても、いつか我が身の上ならんと思ひしかば、嬉しとはさらに思はず。障子にまた、『いづれか秋に逢はで果つべき』と書きおき給ひし筆の跡、げにもとおぼえ候ひしぞや。いつぞやまた召され参らせて、今様歌ひ給ひしにも、思ひ知られてこそ候ひしか。その後は在所をいづくとも知り参らせざりつるに、かやうに様をかへ、一所にと承つて後は、あまりに羨ましくて、常は暇を申ししかども、入道殿さらに御用ひましまさず。つくづくものを案ずるに、娑婆の栄華は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん。人身は受け難く、仏教には逢ひ難し。このたび泥梨に沈みなば、多生曠劫をば隔つとも、浮かび上がらん事難かるべし。年の若きを頼むべきにあらず。老少不定の境なり。出づる息の入るをも待つべからず。かげろふ稲妻よりもなほはかなし。一旦の楽しみにほこつて、後生を知らざらん事の悲しさに、今朝紛れ出でて、かくなつてこそ参りたれ」とて、かづいたる衣をうちのけたるを見れば、尼になつてぞ出で来たる。
 「かやうにさまをかへて参りたれば、日頃のとがをば許し給へ。『許さん』とだに仰せられば、もろともに念仏して、一つ蓮の身とならん。それにもなほ心ゆかずは、これよりいづちへも迷ひ行き、いかならん苔の莚、松が根にも倒れ伏し、命のあらん限りは念仏して、往生の素懐を遂げん」とて、袖を顔におしあてて、さめざめとかき口説けば、
 妓王涙を押さへて、「わごぜのこれほどまで思ひ給はんとは夢にも知らず、憂き世の中の性なれば、身の憂きとこそ思ふべきに、ともすればわごぜの事のみ恨めしく、往生の素懐遂げん事かなふべしともおぼえず。今生も後生も、なまじひにし損じたる心地にてありつるに、かやうに様をかへておはしたれば、日頃の咎は、露塵ほども残らず、今は往生疑ひなし。このたび素懐を遂げんこそ、なによりもまた嬉しけれ。わらはが尼になりしをこそ、世に有り難き事のやうに人もいひ、我が身も思ひしが、今わごぜの出家に比ぶれば、事の数にもあらざりけり。されどもそれは世を恨み、身を恨みてなりしかば、様をかふるも理なり。但しわごぜは恨みもなし、歎きもなし。今年はわづかに十七にこそなる人の、これほどまで穢土をいとひ、浄土を願はんと、深く思ひ入り給ふこそ、まことの大道心とはおぼえ候ひしか。嬉しかりける善知識かな。いざもろともに願はん」とて、四人一所に籠りゐて、朝夕仏前に花香を供へ、余念なく願ひけるが、遅速こそありけれ、四人の尼どもみな往生の素懐を遂げけるとぞ聞こえし。
 さればかの後白河法皇の長講堂の過去帳にも、妓王、妓女、仏、とぢ等が尊霊と、四人一所に入れられけり。あはれなりし事どもなり。
 

我身栄花 平家物語
巻第一
祗王/妓王
ぎおう
二代后