古事記 比比羅木之八尋矛~原文対訳

出雲建の悲劇 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
1 比比羅木之八尋矛
伊勢大御神宮
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

倭建の東征の理由:最凶

     
爾天皇。  ここに天皇、  ここに天皇は、
亦頻詔
倭建命。
また頻しきて
倭建やまとたけるの命に、
また續いて
ヤマトタケルの命に、
言向和平。
東方十二道之
荒夫琉神。
及摩都樓波奴
人等而。
「東の方十二道
とをまりふたみちの荒ぶる神、
また伏まつろはぬ人どもを、
言向け和やはせ」と詔りたまひて、
「東の方の諸國の
惡い神や
從わない人たちを
平定せよ」と仰せになつて、
     
副吉備臣等之祖。
名御鉏友
耳建日子而。
遣之時。
吉備きびの臣おみ等が祖、
名は御鉏友耳建日子
みすきともみみたけひこを
副へて遣す時に、
吉備きびの臣等の祖先の
ミスキトモ
ミミタケ彦という人を副えて
お遣わしになつた時に、

比比羅木之
八尋矛。
比比羅木ひひらぎの
八尋矛やひろぼこを
給ひき。
柊ひいらぎの
長い矛ほこを
賜わりました。
〈比比羅
三字以音〉
   
出雲建の悲劇 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
1 比比羅木之八尋矛
伊勢大御神宮