平家物語 巻第五 都帰:概要と原文

五節之沙汰 平家物語
巻第五
都帰
みやこがえり
異:都還
奈良炎上

〔概要〕
 
 今度の遷都は君臣みな嘆き、比叡山も奈良も諸寺も神社もみな反対したので、さすがの横柄な清盛も、それならば都帰りするとして、みな我先に京に戻った。しかしみな家をなくしており、身分があっても八幡・賀茂・東山などの御堂の回廊や拝殿などに仮住まいした。福原遷都の本意は、そういう神社仏閣の騒ぎから離れているからということだったが。

 その二十日ほど後、平知盛(清盛四男)・忠度(清盛異母弟)2万の軍勢が、あぶれていた近江源氏を一々攻め落し(小物を倒し)、美濃・尾張へと越えた。

 


 
 今度の都遷りをば、君も臣もなのめならず御歎きありけり。
 

 山、奈良を始めて、諸寺諸社に至るまで、然るべからざる由訴へ申しければ、さしも横紙を破らるる太政入道も、「さらば都還りあるべし」とて、同じき十二月二日、にはかに都返りありけり。
 新都は北は山々にそひて高く、南は海近うして下れり。波の音常はかまびすしく、潮風はげしき所なり。されば新院、いつとなく御悩のみしげかりければ、急ぎ福原を出でさせおはします。
 中宮、一院、上皇も御幸なる。摂政殿をはじめ奉り、太政大臣以下の卿相雲客、我も我もと上らせ給ふ。平家太政入道を始め奉り、一門の人々みな上られけり。
 憂かりつる新都に、誰か片時も残るべき、我先にと上らせ給ふ。両院、六波羅、池殿へ御幸なる。行幸は五条内裏とぞ聞こえし。
 去んぬる六月より屋ども少々こぼち下し、形のごとく取り立てられたりしかども、今また物狂はしうにはかに上られければ、何の沙汰にも及ばず、打ち捨て打ち捨て上られけり。
 各宿所もなくして、八幡、賀茂、嵯峨、太秦、西山、東山の片ほとりについて、或いは御堂の廻廊、或いは社の拝殿なんに立ち宿つてぞ、然るべき人々はましましける。
 

 そもそも今度の都遷りの本意をいかにといふに、「旧都は山、奈良近くして、いささかの事にも日吉の神輿、春日の神木などいうてみだりがはし。新都は山隔たり、江重なつて、ほどもさすが遠ければ、さやうの事かるまじ」とて、入道相国はからひ出だされけるとかや。
 

 同じき二十三日、近江源氏の背きしを攻めんとて、大将軍には左兵衛督知盛、薩摩守忠度、都合その勢二万余騎で近江国へ発向す。山本、柏木、錦古里などいふあぶれ源氏ども攻め落とし、それよりやがて美濃、尾張へぞこえられける。
 

五節之沙汰 平家物語
巻第五
都帰
みやこがえり
異:都還
奈良炎上