古事記 第二次神逐~原文対訳

天安河原 古事記
上巻 第二部
天照の受難
第二次神逐・オホゲツヒメ
八俣大蛇
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是八百萬神
共議而。
ここに八百萬の神
共に議はかりて、
ここで神樣たちが
相談をして
於速須佐之男命。 速須佐の男の命に スサノヲの命に
負千位置戶。 千座ちくらの置戸おきどを負せ、 澤山の品物を出して
罪を償つぐなわしめ、
亦切鬚。 また鬚ひげと手足の爪とを切り、 また鬚ひげと
及手足爪令拔而。 祓へしめて、 手足てあしの爪とを切つて
神夜良比
夜良比岐。
神逐かむやらひ
逐ひき。
逐いはらいました。
     
     スサノヲの命は、
かようにして天の世界から逐おわれて、
下界げかいへ下くだつておいでになり、
又食物乞
大氣津比賣神。
 また食物をしものを
大氣都比賣
おほげつひめの神に
乞ひたまひき。
まず食物を
オホゲツ姫の神に
お求めになりました。
爾大氣都比賣。 ここに大氣都比賣、 そこでオホゲツ姫が
自鼻口及尻。 鼻口また尻より、 鼻や口また尻しりから
種種味物取出而。 種種の味物ためつものを取り出でて、 色々の御馳走を出して
種種作具而。 種種作り具へて進たてまつる時に、 色々お料理をしてさし上げました。
     
進時。   この時に
速須佐之男命。 速須佐の男の命、 スサノヲの命は
立伺其態。 その態しわざを立ち伺ひて、 そのしわざをのぞいて見て
以爲
穢汚而奉進。
穢汚きたなくして奉る
とおもほして、
穢きたないことをして食べさせる
とお思いになつて、
乃殺
其大宜津比賣神。
その大宜津比賣
おほげつひめの神を
殺したまひき。
そのオホゲツ姫の神を
殺してしまいました。
     
故所殺神於身
生物者。
かれ殺さえましし神の身に
生なれる物は、
殺された神の身體に
色々の物ができました。
於頭生蠶。 頭に蠶こ生り、 頭あたまに蠶かいこができ、
於二目生稻種。 二つの目に稻種いなだね生り、 二つの目に稻種いねだねができ、
於二耳生粟。 二つの耳に粟生り、 二つの耳にアワができ、
於鼻生小豆。 鼻に小豆あづき生り、 鼻にアズキができ、
於陰生麥。 陰ほとに麥生り、 股またの間あいだにムギができ、
於尻生大豆。 尻に大豆まめ生りき。 尻にマメが出來ました。
     
故是
神產巢日御祖命。
かれここに
神産巣日かむむすび
御祖みおやの命、
カムムスビの命が、
令取茲。 こを取らしめて、 これをお取りになつて
成種。 種と成したまひき。 種となさいました。
天安河原 古事記
上巻 第二部
天照の受難
第二次神逐・オホゲツヒメ
八俣大蛇

オホゲツヒメとは

 
 
 オホゲツヒメ(大宜津比賣→大月姫・大尻姫) は、アマテラスを裏返したような存在(ゲツ・月⇔太陽。ケツ=尻・下品)。
 この神は「粟國謂大宜都比賣」と掛かる。耳の粟は阿波、鼻の小豆は小豆島。いずれもイザナギ・イザナミの国生み②で出てくる。
 したがって、ここでの舞台も素直に見れば四国(二目+二耳)。
 
 神の名は天照のように象徴的な意味がある(命)。
 スサノオは、天照の所を糞で汚した(田を壊し、食事所を汚した)、糞を食らうはめになった。
 目には目を。同じ目を。糞には糞を。歯は言葉。神は自分の言動を鏡のようにして報いる(還し矢)。
 
 最後に突然出てきた、神ムスビ(造化三神)がオオケツ姫の肢体を種にした(成種)のは、次に生かす(転生)という意味。糞でも肥しに、糧にして生きる、それが摂理の哲学。文明が発達すれば糞と糧は抽象化される。
 
 死体の頭にカイコができたというのは、醜いけど綺麗な思い。目にイナダネ、鼻に小豆・尻の大豆は、顔のソバカスや、体各所の赤いブツブツで、全く良い表現ではないが、考えることは綺麗だった。そういう些細なことを神は美しいと思って手にとり報いるという。