古事記 目弱王~原文対訳

大日下王の悲劇 古事記
下巻⑤
20代 安康天皇
親族殺害暗殺物語
目弱王
安康天皇陵
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
自此以後。  これより後に、  それから後に、
天皇。 天皇 天皇が
坐神牀而。 神牀かむとこにましまして、 神を祭つて
晝寢。 晝寢みねしたまひき。 晝お寢やすみになりました。
爾語其后。 ここにその后に語らひて、 ここにその皇后に物語をして
曰。
汝有所思乎。
「汝いまし思ほすことありや」
とのりたまひければ、
「あなたは思うことがありますか」
と仰せられましたので、
     
答曰。
被天皇之
敦澤。
何有所思。
答へて曰さく
「天皇おほきみの
敦き澤めぐみを被かがふりて、
何か思ふことあらむ」とまをしたまひき。
「陛下の
あついお惠みをいただきまして
何の思うことがございましよう」
とお答えなさいました。
     

寝床の下の目弱王

     
於是。 ここに ここに
其大后先子。 その大后の先さきの子 その皇后樣の先の御子の
目弱王。 目弱まよわの王、 マヨワの王が
是年七歲。 これ年七歳になりしが、 今年七歳でしたが、
是王。 この王、 この王が、
當于其時而。 その時に當りて、 その時に
遊其殿下。 その殿の下に遊べり。 その御殿の下で遊んでおりました。
     
爾天皇。 ここに天皇、 そこで天皇は、
不知
其少王。
遊殿下以。
その少わかき王みこの
殿の下に遊べることを
知らしめさずて、
その子が
御殿の下で遊んでいることを
御承知なさらないで、

吾恆有所思。
大后に詔りたまはく、
「吾は恆に思ほすことあり。
皇后樣に仰せられるには
「わたしはいつも思うことがある。
何者。 何なぞといへば、 それは何かというと、
汝之子目弱王。 汝いましの子目弱の王、 あなたの子のマヨワの王が
成人之時。 人となりたらむ時、 成長した時に、
知吾殺
其父王者。
吾が
その父王を殺せしことを知らば、
わたしが
その父の王を殺したことを知つたら、
還爲有邪心乎。 還りて邪きたなき心あらむか」
とのりたまひき。
わるい心を起すだろう」
と仰せられました。
     

目弱王による安康誅殺

     
於是。 ここに そこで
所遊其殿下
目弱王。
その殿の下に遊べる
目弱の王、
その御殿の下で遊んでいた
マヨワの王が、
聞取此言。 この言みことを聞き取りて、 このお言葉を聞き取つて、
便竊伺。 すなはち竊に ひそかに
天皇之
御寢。
天皇の
御寢みねませるを
伺ひて、
天皇の
お寢やすみになつているのを
伺つて、
取其傍大刀。 その傍かたへなる大刀を取りて、 そばにあつた大刀を取つて、
乃打斬。
其天皇之頸。
その天皇の頸を
うち斬りまつりて、
天皇のお頸くびをお斬り申して
逃入
都夫良意富美
之家也。
都夫良意富美
つぶらおほみが
家に逃れ入りましき。
ツブラオホミの
家に逃げてはいりました。
大日下王の悲劇 古事記
下巻⑤
20代 安康天皇
親族殺害暗殺物語
目弱王
安康天皇陵