紫式部集1 めぐり逢ひて(百人一首57):解説と問題点

和歌抜粋
126首
紫式部集
第一部
若かりし頃

1めぐり逢ひて
2鳴きよわる
原文
(定家本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉
はやうより  早くから 【はやうより】-幼いころから。
わらは友だちなりし人に、 童友だちであった人に、

【わらは友だちなりし人】-誰であるか未詳。

〈よって女友達とする説は源氏物語の著者を捕まえ婚前恋愛はないと思い込む家父長的論者の一方的偏見。これが通説化するのが2023ジェンダーギャップが中国以下インド2つ上の国。貫之が女を装ったレベルの稚拙な近視眼読解。

 これは伊勢物語・筒井筒的ボーイフレンドと解するのが和歌の王道解釈で、2鳴きよわるにも紫式部の歌風にも合致する。伊勢23段「むかし田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを、大人になりければ、男も女もはぢかはしてありけれど」

 また「人(man)」とある場合基本男。この時代女なら明示するので(式部集では娘・君)、基本を覆す必然の事情がなければ女と言えず、まして女と推定するのは誤り。そして肝心の歌詞も源氏用つまり極めて特別な男性用。歌詞が主で詞書は従。本末転倒させてはいけない。なおドラマのように道長とする根拠はなく、それは日記の文言(露)を針小棒大に美化した大政翼賛会的読解(恩恵)かつ夜戸を叩いてきた道長を断固拒んだ文脈を無視したもので誤り〉

年ごろへて行きあひたるが、

〈年頃経て年頃になり偶然行き会ったところ〉

長年経て行き逢ったが

〈年ごろ:長年・数年と、良い頃合い・適齢期の年頃と掛ける。

行きあひたる:月も見えているので親達主催の宴席等に同席し、席を外して時代劇な縁側的通路を歩いている時

が:単純接続・単なるつなぎで次が肝心〉

ほのかにて

ほのかな淡い気持ちを抱いて=ときめいて〉

×ほんの少しの時間で

【ほのかにて】-わずかな時間。ほんの少し

〈この時間僅少説に加え、はっきり見えなかった視覚不分明説、または二説を折衷させるのが学説だが、いずれも語義から乖離した即物的曲解で誤り。女友達との慌ただしい再会というセンスも根拠もない見立てを押し通すから、肝心の言葉ほどひねり、それを古文の読解と根本的に勘違いしている。

 和歌は心を種とした心象表現で即物解釈が基本ではない。ましてそれで通るわけでもないから議論されている。

 ほのかは、ほんのり・かすかに。香に掛けもするが基本心象〉

十月十日のほど、 十月十日のころに、 【十月十日】-現行の活字校訂本では別本や新古今集によって「七月十日」と改めるが、旧暦では「十月十日」以後に「秋果つる日」が来る年もある。〈「秋果つる日」は2鳴きよわる参照〉
月にきほひて帰りにければ、 月と〈肩を並べて〉×競って帰ってしまったので、

【きほひて】-実践本「きおふ」は平安の仮名遣い。

〈きほひ【競ひ】:一般に勢い・競り合う意味だが、式部の場合は並び立つ・比肩・匹敵(するほど素敵)の意味「風に競へる紅葉の乱れなど、あはれ」(源氏帚木)。ここでは人を月に見立て本音を婉曲した修辞(をかし)。もう帰る時間? もっとゆっくり見て(遠くから顔を眺めて)いたかったのに…という心理。月はめでるもの。いつも見えるようで手が出せない。

きほひてといっても慌ただしい訳でも急いでいた訳でもない。月は慌ただしくないし急がないから〉

     
めぐり逢ひ 〈めぐり逢って

【久しぶりに出逢ってお会いしたのに】

〈めぐり逢ひ:枕詞かつ字余りで象徴かつ強調。かつ式部集先頭で最重要。よって通説の如く、この字義も字余りも流し彼女の作風歌風(恋愛)と無関係に見るのは背理。推論方向が逆。

 源氏で「めぐりひ」は定家本原文中一例のみ。「みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひけるえには深しな」(澪標:源氏→明石)。これ以上ない男女の運命的恋歌。これが紫式部の「めぐり逢ひ」唯一の用例。この例に逆らい、不明な人を女と限定する文脈の根拠は?

 紫式部はあうと逢うは区別しており、前者は同性仕事的・非恋愛。源氏明石で「めぐりあひ」も一首あるが兄朱雀帝→源氏の同性(宮柱めぐりあひける時しあれば 別れし春の恨み残すな)

 ここでの当初の「行きあひたる」はフラットな状態で、「めぐり逢ひ」は「ほのか」な心から遡及した著者自身の再解釈。完璧すぎる〉

見しやそれとも 見ても前と同じかどうかも 【昔のままのあなたであったかどうであったか】
わかぬまに わからぬまに

【見分けのつかないうちに急いで

雲がくれにし 姿を消した 【姿を隠してしまった】
夜はの月かげ

夜中の月とあなたの面影

【夜半の月影のようなあなたでしたね】

〈月影は通説が定義するように物理的な月の光ではない。月の面影(心象あるいは水面への物理的投影)。この歌を「月かな」とする本は「月影」の解せない即物的感覚で原文を曲げたに過ぎない。「ほのかにて」同様自分達の認識で「月影」→「月かげ」→「月かな」と曲げた。文字に即し説明できないから。即物的だから。そういう変更でもある。

ちなみに源氏物語で月影は光源氏の面影のこと。「月影の宿れる袖はせばくとも」(須磨:花散里→源氏)。これに対する源氏の返歌は「行きめぐりつひにすむべき月影の」〉

   

そして、本1番歌は19番「行きめぐり逢ふを松」と対になる(「めぐり逢」は式部集では1と19のみ)

 

したがって、この歌は女友達との歌ではありえない。

 

以上全て独自説だが、根本が参照の日本的学説にはない理論的磐石ぶりで最先端どころか永遠に耐えると自負している。しかし何も特別ではなく普通と言い張ることや、根拠ない自称や偶像担ぎ上げが村社会的古文史から懸念されるが、知的な差は明らかと思うので、理解できる人は速やかにこちらについてもらいたい。

参考異本=後世の二次資料

*「はやくよりわらはともだちに侍ける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日の比、月にきほひてかへり侍りければ  紫式部
 めぐりあひてみしやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ」(寿本「新古今集」雑上 一四九九)
*「めぐりあひてみしやそれともわかぬまにくもがくれにし夜半の月かな」(書陵部本「百人秀歌」六四)
*「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜はの月かげ」(尭孝筆本「百人一首」五七)。
*「めぐりあひてみしやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(「女房三十六人歌合」六三)
*「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにしよはの月かな」(「定家八代抄」一六一五)