蜻蛉日記 和歌一覧 311首

題名の由来 蜻蛉日記
和歌一覧
全文

 

 蜻蛉日記の和歌一覧。全311首(本編261、付録50)。うち長歌3(5758135)、連歌2(96-97153-154)。リンクで原文の該当箇所に通じさせた。

 27に百人一首53「歎きつつ一人ぬる夜の明くるまは」がある。

 

 上巻125首、中巻56首、下巻80+50首。

 

 女性で長歌は珍しく、935年の土佐日記・貫之の影響と思う。大和物語(295首)・枕草子(33首)・源氏物語(795首)で長歌はない。

 土佐日記冒頭「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」とは、男もしているから女もしてみようといって表音文字の平易なかなでするのであるという啓蒙。この点通説は、貫之が女を装った・女の私もしてみようと装ったとするが、文献にも文脈にも理知的という貫之評にも全く根拠がない、近視眼的場当たり解釈。土佐以前には女子作品など認知されてすらおらず、また文脈とは十数字程度のことなのか。数文字だけ見てあれこれ言うのは誰でもできる。

 そうして和歌の権威・貫之の言をきっかけに、954~975年の本作以降、女子の和歌日記が続くことになった。

 その知的な権威のお墨付きがなければ、世界的男性偏重社会で女子の自己表現など、眉をひそめられこそすれ一般に歓迎されない。夫・兼家の宣伝という逆手にとったような説は、その強固な男性偏重思想を投影している。
 

 

上巻:蜻蛉日記卷上

 

天暦8年:954年

1 音にのみ 聞けばかなしな ほととぎす
 ことかたらむと 思ふこころあり〈兼家〉
2 かたらはむ 人なきさとに ほととぎす
 かひなかるべき こゑなふるしそ〈道綱母著者〉
3 おぼつかな 音なき瀧の みづなれや
 ゆき〈くカ〉へも知らぬ 瀬をぞ尋ぬる
4 人知れず いまやいまやと 待つほどに
 かへりこぬこそ 侘しかりけれ
5 濱千鳥 あともなぎさに ふみ見れば
 われをこす波 うちやけつらむ
6 いづれとも わかぬ心は そへたれど
 こたびはさきに 見ぬ人のがり
 

7 しかの音も 聞えぬ里に 住みながら
 あやしく逢はぬ 目〈夢カを脱歟〉もみるかな
8 高砂の をのへわたりに すまふとも
 しかさめぬべき めとは聞かぬを
9 あふ坂の 関やなになり 近けれど
 越えわびぬれば なげきてぞ経る
10 越えわぶる あふ坂よりも 音に聞く
 なこそを〈新千作は〉かたき 関としらなむ〈道綱母〉
11 夕ぐれの 流れくるまを まつほどに
 なみだおほゐの 川とこそなれ
12 思ふこと 大井の川の 夕ぐれは
 ころも〈こころイ〉にもあらず なかれこそすれ
13 しののめに おきけるそらに おもほえで
 怪しく露と 消えかへりつる
14 さだめなく 消えかへりつる 露よりも
 そらだのめする われは何よ〈なカ〉
15 思ほえぬ かきはにをれは 撫子の
 はなにぞつゆは たまらざりけり〈るカ〉
 

九月

16 消えかへる 露もまだひぬ 釉の上に
 今朝はしぐるる 空もわりなし
17 おもひやる 心の空に なりぬれば
 今朝〈は脱歟〉時雨ると 見ゆるなるらむ
18 かしはぎの 杜の下草 くれごとに
 なほたのめとや もるを見る見る〈道綱母〉
 

十月

19 なげきつつ かへす衣の つゆけきに
 いとど空さへ しぐれ添ふらむ〈兼家〉
20 思ひあらば ひなましものを いかでかは
 返す衣の たれもぬるらむ
21 君をのみ たのむたつ〈びカ〉なる こころには
 行く末遠く おもほゆるかな〈父倫寧〉
22 我をのみ たのむといへば ゆくすゑの
 まつの千代をも きみこそは見め〈兼家〉
 

師走

23 氷るらむ よかはの水に 降る雪も
 わがごと消えて ものは思はじ〈道綱母〉
 

天暦9年:955年(道綱0歳)

 

正月

24 知られねば 身を鶯の ふりいでつつ
 なきてこそ行け 野にもやまにも
25 うぐひすの あたにて行かむ 山く〈べカ〉にもなく
 声聞かば 尋ぬばかりぞ
 

九月

26 うたがはし ほかに渡せる ふみ見れば
 ここやとだえに ならむとすらむ
 

十月

27 歎きつつ 一人ぬる夜の 明くるまは
 いかに久しき ものとかは知る〈道綱母〉
28 げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸に
 遅くあくるは 陀しかりけり。
 

天暦10年:956年(道綱1歳)

 

三月

29 待つほどの きのふ過ぎにし 花のえは
 今日折る事ぞ かひなかりける
30 みちとせを みつべきみには 年每に
 すくにもあらぬ 花と知らせむ
31 花により すくてふ事の ゆゆしきに
 よそながらにて 暮してしなり
32 などかかる 歎きはしげさ まさりつつ
 人のみかかる 宿となるらむ
33 思ふてふ 我が言の葉を あだびとの
 しげきなげきに そへてうらむな
 

五月

34 底にさへ よ〈かイ〉るといふなる まこも草
 いかなるさと〈はカ〉に 根をとどむらむ〈道綱母〉
35 まこも草 刈るとは淀の さはなれや
根をとどむてふ 澤はそことか〈兼家〉
 

六月

36 我が宿の なげきのしたは 色ふかく〈秋またでイ〉
 うつろひにけり ながめふるまに
 

七月

37 をりならで 色つきにける もみぢ葉は
 ときにあひてぞ いろまさりける
38 藻鹽やく 煙の空に 立ちぬるは
 ふすべやしつる くゆる思ひに
39 思ひ出づる 時もあらじと おもへども〈後拾作みえつれど〉
やといふにこそ 驚かれぬる〈れカ〉
 

九月

40 吹く風に つけてもとはむ ささがにの
 通ひしみちは 空に絶ゆとも
41 色かはる こころと見れば つけてとふ
 風ゆゆしくも 思ほゆるかな
 

天徳元年:957年(道綱2歳)

 

42 ふみおきし うらも心も あれたれば
 あとをとどめぬ 千鳥なりけり〈道綱母〉
43 心あると ふみかへすとも 濱千鳥
 うらにのみこそ あとはとどめめ〈兼家〉
44 濱千鳥 あとのとまりを 尋ぬとて
 ゆくへも知らぬ うらみをやせむ
 

七月

45 ほに出でて いはじやさらに おほよその
 靡く尾花に 任せても見む〈道綱母〉
46 ほに出でば まづ靡きなむ 花すすき
 こちてふ風の 吹かむまにまに〈兼家〉
47 嵐のみ 吹くめる宿に はなすすき
 穗に出でたりと かひやなからむ
48 百草に 乱れて見ゆる はなの色は
 置くしら露の おくにやあるらむ
49 身のあきを 思ひ乱るる 花の上に
 うちのこころは いへばさらなり
50 いかにせむ 山の端に だにとどまらで
 こころも空に 出でむ月をば〈道綱母〉
51 久方の 空にこころの 出づといへば
 影はそら〈こカ〉にも とまるべきかな〈兼家〉
52 言の葉は 散りもやするとどめ置きて
 今日はみからも とふにやはあらぬ
53 散りきても とひぞしてまし 言の葉を
 こちはさばかり 吹きしたよりに
54 こちといへば おほろふ〈そら歟〉なりし 風にいで
 つけてはとはむ あたらなだてに
55 散らさじと をしみ置きける〈とどめおきけるイ〉 言の葉を
 きながらだにぞ 今朝はとはまし
 

十月

56 ことわりの をりとは見れど 小夜更けて
 かくは時雨の 降りははつべき
 

天徳2年: 958年(道綱3歳)

57 おもへただ むかしもいまも わがこころ のどけからでや
はてぬべき みそめしあきは ことの葉の うす〈き脱歟〉いろにや
うつろふを なげきのしたに なげかれき ふゆはくもゐに
わかれゆく ひとををしむと はつしぐれ くもりもあへず
降りそぼち こころぼそくは ありしかど きみにはしもの
わするなと いひおきつとか 聞きしかば さりともと思ふ
ほどもなく とみにはるけき わたりにて 白て〈くイ〉もばかり
ありしかば こころそらにて 経しほどに きみみ〈きりカ〉も靆き
絶えにけり またふるさとに かりがねの 帰るつらにやと
おもひつつ ふれどかひなし かくしつつ 我が身むなしく
せみの羽の いましもひとの うすからず なみだのかはの
はやくより かくあさましき そらゆゑに ながるることも
絶えねども いかなるつみか おもるらむ ゆきもはなれず
かくてのみ ひとのうき瀬に ただよひて つらきこころは
水のあわの 消えば消えなむと おもへども かなしきことは
みちのくの つつじのをかの くまつつじ くるほどをだに
またでやは はする〈三字中イ〉を絶ゆべき あふくまの あひ見てだにと
おもひつつ なげくなみだの ころも手に かからぬ世にも
経べき身を なぞやと思へど あふばかり かけはなれては
しかすがに こひしかるべき からごろも うち着てひとの
うらもなく なれしこころを おもひては うき世をされる
かひもなし おもひ出でなき われ〈別イ〉やせむ と思ひかく思ひ
おもふまに やまとつもれる しきたへの まくらのちりも
ひとりねの かずにしとらは つきぬべし なにか絶えぬる
たびなりと おもふものから かぜ吹きて ひと日も見えじ
あまぐもは かへりしときの なぐさめに 今こむといひし
ことの葉を さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも
聞くごとに ひとわろくなる なみだのみ わが身をうみと
たたえても みるめもよせぬ みその浦は かひもあらじと
知りながら いのちあらばと たのめこし ことばかりこそ
しらなみの たちもよりこば 問はまほしけれ
   
58 折りそめし ときのもみぢの さだめなく うつろふいろは
さのみに〈にイこそ〉 逢ふあきごとに 常ならぬ〈めイ〉 なげきのしたの
木の葉には いとどいひ置く はつしもに ふかきいろにや
なりにけむ おもふおもひの 絶えもせず いつしかまつの
みどり子を 行きては見むと するがなる 母子のうらなみ
立ちよれど ふじのやまべの けぶりには ふすぶることの
絶えもせず あまぐもとのみ たなびけば 絶えぬ我が身は
しらいとの まひくるほどを おもはじと あまたのひとの
せにすれば 身ははしたかの すずろにて なつくるやどの
なければぞ ふる〈す脱歟〉にかへる まにまには 飛びくれ〈るカ〉事の
ありしかば ひとりふすまの とこにして 寢ざめのつきの
真木の戸に ひかりのこさず もりてくる かげだに見えず
ありしより うとむこころぞ つきそめし たれかよづまと
あかしけむ いかなるいろの おもきぞと いふはこれこそ
つみならし とはあふくまの あひも見で かからぬひとに
かかれかし なにのいは木の 身ならぬは〈ねどイ〉 おもふこころも
いさめぬに うらのはまゆふ いくかさね い〈へカ〉だてはてつる
からころも なみだのかはに そぼつとも おもひしいでば
たきものの この目ばかりは かわきなむ かひなきことは
甲斐のくに つみのみ〈まき脱歟〉に 荒るる馬の いかでかひとは
かけとめむと おもふものから たらちねの 親と〈もカ〉知るらむ
かたかひの こまやこひつつ いなかせむと おもふばかりぞ
あはれなるべき
59 なつくべき 人も放てば みちのくの
 うまやかぎりに あらむとすらむ
60 われがなを をふり〈ちカ〉の駒の あればこそ
 なつくにつかぬ 身とも知られめ
61 こまぞ〈うカ〉げに なりまさりつつ なつけぬをこ
 繩絶えずぞ 賴み来にけり〈るカ〉
62 白川の 関のせけばや こまうくて
 あまたの日をば ひき渡りつる
 

天徳4年:960年(道綱5歳)

63 天の河 七日を契る こころあらば
 ほしあひばかりの かげを見よとや
 

応和元年:961年(道綱6歳)

 

64 みだれ糸の つかさ一つに なりてしも
 くる事のなど 絶えにたるらむ
65 絶ゆといへば いとぞ悲しき 君により
 同じつかさに くるかひもなく
66 夏引の いとことわりや ふためみめ
 よりありくまに 程の経るかも
67 泣くばかり ありてこそあれ 夏引の
 いとまやはなき 一目二目に
68 君と我 猶しらいとの いかにして
 うきふしなくて 絶えむとぞ思ふ。
69 世をふとも 契りおきてし 中よりは
 いとどゆゆしき 事も見ゆらむ
 

五月

70 つれづれの ながめのうちに そそぐらむ
 ことのすぢこそ をかしかりけれ
71 いづこにも ながめのそそぐ ころなれば
 世にふる人は のどけからじを
72 天の下 騷ぐこころも おほみづに
 たれもこひ路に ぬれざらめやは
73 世とともに かつみる人の 恋路をも
 ほす世あらじと 思ひこそやれ
74 しり〈かカ〉もゐぬ 君はぬるらむ つねに住む
 ところには又 恋路だになし
75 とこなつに 恋しきことや 慰み〈まカ〉
 きみがかきほに 折ると知らずや
76 水増り うらもなぎさの ころなれば
 千鳥のあとを ふみはまどふる
77 浦がくれ 見ることかたき 跡ならば
 汐干をまたむ からきわざかな
78 うらもなく ふみやる跡を わたつ海の
 汐の干るまも 何にかはせむ
 

応和3年:963年(道綱8歳)

79 君がこの まちの南に とみにおそき
 はるにはいまだ たづねまゐれる
80 ほに出でば 道ゆく人も 招ぐべき
 やどのすすきを ほるがわりなき〈さイ〉
 

康保元年:964年(道綱9歳)

81 あやしくも よるの行くへを 知らぬかな
今日ひぐらしの 声は聞けども
82 くもり〈るカ〉夜の 月と我が身の 行く末の
 おぼつかなら〈さカ〉は いづれまされり
83 敎へける 月は西へぞ 行くさきは
 我のみこそは しかる〈しるべカ〉かりけれ
84 ありとだに よそにても見む 名にしおはば
 われかぎり〈にきかイ〉せよ 耳くら〈らくイ〉の山〈島イ〉
85 いづことか 音にのみ聞く みみくらの
 島がくれにし 人をたづねむ
86 手ふれねと 花はさかりに なりにけり
 とどめおきける 露に〈のカ〉かかりて
87 はちす葉の 玉となるらむ むすぶにも
 そでぬれまさる けさのつゆかな
88 思ひきや 雲の林に うち捨てて
 そらのけぶりに たたむものとは
 

康保2年:965年(道綱10歳)

 

89 藤衣 流すなみだの かはみづは
 きしにもまさる ものにぞありける
90 今はとて 彈き出づる琴の ねを聞けば
 うちかへしても 猶ぞ悲しき
91 なき人は おとづれもせで ことの緖を
 断ちしつき日ぞ かへりきにける
 

九月

92 引きとむる ものとはなしに 逢坂の
 関の朽ちめの ねにぞそぼつる
93 思ひやる 逢坂山の せきのねは
 聞くにもそでぞ くちめつきぬる
 

康保3年:966年(道綱11歳)

 

三月

94 かぎりかと 思ひつつこし 程よりも
 なかなかなるは 侘びしかりけり
95 我もさぞ のどけきとこの うらならで
 帰る波路は あやしかりけり
96 あふひとか きけどもよそに たち花の
97  きみがつらさを 今日こそは見れ
98 あやめ草 生ひにし藪を かぞへつつ
 ひくや五月の せちに待たると〈るカ〉
99 隱れぬに 生ふる藪をば 誰か知る
 あやめ知らずに 待たるなるかな〈兼家〉
100 絶えぬるか 影だにあらば 問ふべきを
 かたみの水は みくさゐにけり
 

九月

101 いちじるき 山口ならば ここながら
 神の気色を 見せよとに〈ぞカ〉思ふ
102 いなりやま 多くの年ぞ 越えにけり〈如元〉
 いのるしるしの 杉をたのみて
103 神々と のぼり下りは わぶれどて〈もカ〉
 まださかゆかぬ こころ〈ちカ〉こそすれ
104 かみやせく しもにやみくづ 積るらむ
 思ふこころの 行かぬみたらし
105 榊葉の ときはかきはに ゆふしでや
 かたくるしなる めな見せそ神
106 いつしかも いつしかもとぞ 待ちわたる
 森のた〈ひカ〉まより 光見むまを
107 ゆふだすき 結ぼほれつつ 歎くこと
 絶えなば神の しるしと思はむ
 

康保4年:967年(道綱12歳)

 

三月

108 藪知らす 思ふこころに くらぶれば
 十かさぬるも ものとやは見る〈登子〉
109 思ふこと しらではかひや あらざらむ
 かへすがへすも かずをこそ見め〈道綱母〉
 

五月

110 世の中を はかなきものと みささぎの
 埋るる山に なげくらむやう〈ぞカ〉
111 おくれじと うきみささぎに 思ひ入る
 心は死出の 山にやあるらむ
 

七月

112 おくやまの 思ひやりだに 悲しきに
 又あま雲の かかるなになり
113 山深く 入りにし人も 尋ぬれど
 なほ天ぐもの よそにこそなれ
 

安和元年:968年(道綱13歳)

 

正月

114 かたごひや くるしかるらむ やまがつの
 あふごなしとは 見えぬものから
115 やまがつの あと〈一字ふごイ〉まち出でて くらぶれば
 こひまさりけり〈るカ〉 方もありけり
 

三月

116 松山の さし越えてしも あらじよを
 我によそへて 騷ぐ波かな
117 ましまえ〈つしまイ〉の 風にしたがふ なみなれや
 よするかたこそ 立ちまさりけれ
 

五月

118 見し夢を ちがへ侘びぬる 秋の夜に
 寐難きものと 思ひしりぬる
119 さもこそは ちがふる夢は かたからめ
 逢はで程経る 身さへ憂きかな
120 逢ふと見し 夢になかなか くらされて
 なごり恋しく さめぬなりけり
121 こと絶ゆる うつつや何ぞ なかなかに
 夢はかよひぢ ありといふものを
122 かはと見て ゆかぬ心を 詠むれば
 いとどゆゆしく いひや果つべき
123 渡らねば をち方人に なれる身を
 心ばかりは ふち瀬やはわく
 

九月

124 人心 宇治のあじろに たまさかに
 よるひるだにも たづねけるかな
125 かへる日を 心のうちに 藪へつつ
 誰によりてか あじろをもとふ
 

中巻:蜻蛉日記卷中

 

安和2年:969年(道綱14歳)

126 年ごとに あまれは〈るイ〉こひる〈かイ〉 君がため
 閏月をばおくに やあるらむ
 

三月

127 ももの花 すき物どもを さいわうが
 そのわたりまで 尋ねにぞやる
128 山風の まへ〈ほイ〉よりふけば たこの春
 のやなぎのいと はしりへにぞよる
129 藪々に 君かたよりて 引くなれば
 やなぎのまゆも いまぞひらくる
130 時しもあれ かく五月雨と〈一字のたカ〉 まさかに【水まさり】
 をち方人の ひと〈をイ〉もこそふれ
131 ましみづの まして程ふる 物ならば
 おなじぬれ〈まカ〉にも おる〈りカ〉も立ちなむ
 

閏さ月

132 花に咲き 実になりかはる 世を捨てて
 浮葉の露と われぞ消ぬべき〈道綱母〉
133 風だにも 思はぬ方に よせざらば
 この世のことは かの世にも見む。
134 露しげき 道とかいとど しでの山
 かつがつぬるる そでいかにせむ
135 あはれ今は かくいふかひも なけれども おもひしことは 
はるのすゑ はななむ散ると さわぎしを あはれあはれと
聞きしまに にしのみやまの うぐひすは かぎりのこゑを
ふりたてて きみがむかしの あたごやま さして入りぬと
聞きしかど ひとごとしげき ありしかば みちなきことと
なげきわび たにがくれなる やまみづの つひにながると
さわぐまに 世を卯つきにも なりしかば やまほととぎす
立ちかへり きみをしのぶの こゑ絶えず いづれのこと〈里カ〉
鳴かざ〈り脱カ〉し ましてながめの さみだれは うき世のなかに
ふるかぎり たれがたもとか ただならむ 絶えずぞうるふ
さつきさへ かさねたりつる ころも手は うへしたわかず
くたしてき ましてこひぢに おりたてる あまたの田子は
己がよ〈ま〉ゝ いかばかりかは そぼちけむ 四つにわかるる
むこどりの おのがちりぢり 巢ばなれて わづかにとまる
すもりにも なにかはかひの あるべきと くだけてものを
おもふらむ いへばさらなり ここのへの うちをのみこそ
ならしけめ おなじかずとや ここのへ〈くカ〉に しま二つをば
〈ながイ有〉むらむ かつはゆめかと いひながら あふべきごなく
なりぬとや きみもなげきを こりつみて しほ燒くあまと
なりぬらむ ふねをながして いかばかり うらさびしかる
世のなかを ながめかるらむ 行きかへり かりのわかれに
あらばこそ きみがとこ〈よ脱歟〉の あれざらめ 塵のみおく〈けイ〉
むなしくて 枕のゆくへも しらじかし いまはなみだも
みなつきの こかげにわぶる うつせみの むねさけてこそ
歎くらむ〈めカ〉 ましてやあきの かぜ吹けば まがきのをぎの
なかなかに そよとこたへむ をりごとに いとど目さへや
あはざらば ゆめにもきみが きみ〈こむイ〉を見て ながき夜すがら
鳴くむしの おなじこゑにや 堪へざらむと おもふころ〈二字心カ〉
おほあらき もりのしたなる くさのみも おなじくぬると
しるらめや露
136 宿見れば よもぎの門も さしながら
 あるべきものと 思ひけむやぞ〈はイ〉
137 やまびこの 答ありとは 聞きながら
 あとなき空を たづねわびぬる
138 吹く風に つけて物思ふ あまのたく
 しほのけぶりは 尋ね出でずや
139 あるるうらに 鹽の煙は 立ちけれど
 こなたにかへす 風ぞなかりし
 

八月

140 大空を めぐる月日の いくかへり
 今日行くすゑに あはむとすらむ
141 一声に やがて千鳥と 聞きつれば〈どイ〉
 世々をつくさむ かずも知られず
142 あまた年 越ゆる山べに 家居して
 つなひくこまも おもなれにけり
143 雲ゐより うちえ〈こち〳〵カ〉の声を 聞くなべに
 さしくむばかり 見ゆるつきかげ
144 なみかげの 見やりに立てる 小松ばら
 こころをよする ことぞあるべ〈らイ〉
145 松のかげ 真砂のなかと 尋ぬるは
 なにのあかぬぞ たづのむらとり
146 あじろぎに 心をよせて 日を経れば
 あまたの夜こそ 旅寐してけれ
147 いざりびも あまのこ舟も のどけか〈しカ〉
 生けるかひある うらに来にけり
148 よろづよを 野べのあたりに 住む人は
 めぐるめぐるや あきを待つらむ
 

しも月

149 降る雪に つもる年をば よをへつつ
 消えむごもなき 身をぞ恨むる
 

天禄元年:970年(道綱15歳)

 

四月

150 よのうちは 松にも露は かかりけり
 明くれば消ゆる ものこそ思へ
 

六月

151 鶯も ごもなきものや おもふらむ
 みなつきはてぬ 音をぞ鳴くなる
152 鳴きかへる 声ぞきほひて 聞ゆなる
 まちやしつらむ 関のひぐらし
153 うらやまし 駒のあしとく 走井の
154  しみづにかげは よどむものかは
155 うき世をば かばかりみつの 濱べにて
 淚になごり ありやとぞ見し
156 いなづまの ひかりだにこ〈みイ〉ぬ やがくれは
 軒ばのなへも ものおもふらし
157 ささがにの 今はと限る すぢにても
 かくてはしばし 絶え〈じ脱歟〉とぞ思ふ
158 絶えきとも 聞くぞ悲しき 年月を
 いかにかけこし くもならなくに
159 あらそへば 思ひにわぶる あまく〈もに脱歟〉
 まづそる鷹ぞ かなしかりける
160 思ひせは〈くカ〉 胸のひむらは つれなくて
 なみだをわかす 物にざりけり〈るカ〉
 

天禄2年:971年(道綱16歳)

 

二月

161 うちはらふ 塵の〈み脱歟〉積る さむしろを
 なげく敷には しかじとぞおもふ
162 なびくかな 思はぬかたに 呉竹の
 うき世のすゑは かくこそありけれ
163 降る雨の あしとも落つる なみだかな
 こまかにものを 思ひ碎けば
 

五月

164 世の中に ある我が身かは わびぬれば
 更にあやめも 知られざりけり
 

六月四日

165 さむしろの したまつ事も 絶えぬれば
 置かむかただに なきぞ悲しき
166 あさましや のどかにたのむ とこのうへを
 うちかへしける 波の心よ
 

六月十五日

167 かけてだに 思ひやはせし 山深く
 入りあひの鐘に 音を添へむとは
168 いふよりも 聞くぞ悲しき 敷島の
 世にふるさとの 人やも〈なイ〉になり〈如元〉
169 身を捨てて うきをも知らぬ 旅だにも
 山路にもふかく 思ひこそ入れ
170 思ひ出づる 時ぞかなしき 奥山の
 このしたつゆの いとどしげきに
171 世のなかの 世のなかならば 夏草の
 しげき山邊も たづねざらまし〈著者叔母〉
172 世の中は おもひの外に なるたきの
 ふかき山路を たれ知らせけむ
173 物おもひの 深さくらべに 来て見れば
 夏のしげりも 物ならなくに〈道綱母〉
174 身ひとつの かくなる瀧を 尋ぬれば
 さらにかへらぬ 水もすみけり
175 外山だに かかりけるをと しら雲の
 ふかき心は 知るも知らぬも
 

七月

176 妹背川 むかしながらの なかならば
 人のゆききの かげは見てまし
177 よしや身の あせむなげきは 妹背山
 なか行く水の 名もかはりけり
178 〈うイ〉へしたと〈にイ〉 こがるることを たづぬれば
 胸のほかに〈二字のほイ〉は 鵜船なりけり
 

長月

179 袖ひづる 時をだにこそ なげきしか
 身さへ時雨の ふりも行くかな
 

はての月

180 かなしくも 思ひ絶ゆるか いそのかみ
 さはらぬものと ならひしものを
181 大はこの 神の助や なかりけむ
 ちぎりしことを おもひかへるは
 

下巻:蜻蛉日記卷下

 

天禄3年:972年(道綱17歳)

 

正月

182 しもつけや 桶のふたく〈らイ〉を あぢきなき
 かげもうかばぬ 鏡とぞ見る
183 さし出でたる ふたく〈らイ〉を見れば 身を捨てて
 このむは玉の こぬと定めつ
184 久しとは おぼつかなしや からごろも
 うち着てなれむ さて贈らせよ
185 わびて又 とくと騷げど かひなくて
 程経る物は かくこそありけれ
 

二月十七日

186 関越えて 旅寐なりつる くさまくら
 かりそめにはた おもほえぬかな
187 おぼつかな 我にもあらぬ 草まくら
 まだこそ知らね かかる旅寐は
188 置き添ふる 露に夜な夜な 濡れこしは
 思ひのな〈ほイ〉かに かわくそでかは
 

うるふ二月

189 かた時に かへし夜藪を かぞふれば
 しぎのもろ羽も たゆしとぞなく
190 いかなれや しぎのはねがき かき〈ずイ〉知らず
 思ふかひなき 声に鳴くらむ
 

三月

191 思ひそめ 物をこそおもへ 今日よりは
 あふひ遙に なりやしぬらむ
192 わりなくも すぎ立ちにける 心かな
 三輪の山もと たづねはじめて
193 三輪の山 まち見る事の ゆゆしさに
 杉立てりとも えこそ知らせね
 

五月

194 かくれぬに 生ひそめにける あやめ草
 知る人なしに 深きした根を〈道綱母〉
195 菖蒲草 根に顕るる 今日だに〈こそイ〉
 いつかと待ちし かひもありけれ〈兼家〉
196 我が袖は 引くとぬらしつ あやめ草
 人のたもとに かけてかわかせ
197 引きつらむ 袂はしらず あやめ草
 あやなき袖に かけずもあらなむ
198 我ぞげに とけてぬらめや 郭公
 ものおもひまさる 声となるらむ
 

六月

199 夏山の 木のしたつゆの ふかければ
 かつぞなげきの 色もえにける
200 露にのみ いろもえぬれば 言の葉を
 いくしほとかは 知るべかるらむ
 

八月

201 夕されの 寢屋のつまづま 詠むれば
てづからのみぞ 蜘蛛もかきぬる
202 蜘蛛のかく いとぞあやしき 風吹けば
 空に乱るる ものとしるしる
203 露にても いのちかけたる 蜘蛛のいに
 あらき風をば 誰かふせがむ
204 たじろ〈まイ〉のや く〈たイ〉くひ〈ひイ無〉火のあとを 今日見れば
 雪の白濱 白くては見し
205 ことわりや いはでなげ〈き脱歟〉し 年月も
 ふるのやしろの かみさびにけむ
206 夢ばかり 見てしばかりに 惑ひつつ
 明くるぞ遅き あまの戸ざしは
207 さもこそは 葛城山に なれたらめ
 唯ひとことや かぎりなりける〈ひイ〉
 

神無月

 

天延元年:974年(道綱18歳)

 

二月

208 かひなくて 年へにけりと ながむれば
 たもと〈も脱歟〉花の 色にこそしめ
209 年を経て などかあやなく 空にしも
 花のあたりを 立ちは染めけむ
210 みがくれの ほどといふとて〈もイ〉 あやめ草
 なほしたからむ 思ひあふやと
211 したからむ 程をもしらず まこも草
 世に生ひそは〈めイ〉じ 人はかるとて〈もイ〉
 

五月

212 うちとけて 今日だに聞かむ 時鳥
 しのびもあへぬ ときは来にけり
213 時鳥 かくれなき音を 聞かせては
 かけはなれぬる 身とやなるらむ
214 物おもふに 年経けりとて〈もイ〉 あやめ草
 今日に〈をイ〉たびたび すぐしてぞしる
215 つもりける 年のあやめも おもほえず
 今日も過ぎぬる 心見ゆれば
216 うちとのみ 風の心を よすめれば
 返しは吹くも 劣るらむかし
 

九月

217 流れての とこ〈と脱歟〉賴みて こしかども
 我が中川は あせにけらしも
218 さごろもの つまも結ばぬ 玉の緖の
 絶えみ絶えずみ 世をや結ばむ
219 露深き 袖にひえつつ あかすかな
 たれ長き夜の かたきなるらむ
220 冬ごもり 雪にまどひし をり過ぎて
 今日ぞ垣根の うめを尋ぬる
221 枝若み 雪まに咲ける 初花は
 いかにととふに 匂ひますかな
222 我が袖の こほりは春も 知らなくに
 こころとけても 人の行くかな
 

しもつき・しはす

 

天延2年:975年(道綱19歳)

223 もろ声に 鳴くべきものを 鶯は
 むつきともまだ 知らずやあるらむ
224 思ひきや 天つそらなる あま雲を
 袖して分くる 山踏まむとは
225 春雨に ぬれたる花の 枝よりも
 人知れぬ身の そでぞわりなき
 

三月

226 契りおきし 卯月はいかに 時鳥
 我が身のうきに かけ離れつつ
227 なほ忍べ 花橘の 枝やなき
 あふひ過ぎぬる 卯月なれども
228 ほととぎす また問ふべくも 語らはで
 かへる山路の こぐらかりけむ
229 問ふこゑは いつとなけれど 郭公
 あけてくやしき ものをこそ思へ
230 いかにせむ 池のみづ 波さわぎては
 こころのうちの まつにかからば
231 ささがにの いづこともなく 吹く風は
 かくてあまたに なりぞすらしも
232 今更に いかなるこまか なつくべき
 すさめぬ草と のがれせぬ身を
233 白妙の ころもは神に ゆづりてむ
 へだてぬ中に かへしなすべく
234 唐衣 なれにしつまを うちかへし
 わがしたがひに なすよしもがな
235 夏ごろも たつやとぞ見る 千早ふる
 神をひとへに たのむ身なれば
236 絶えず行く わがなか河の 水まさり
 をちなる人ぞ こひしかりける
237 あはぬせを 恋しとおもはば 思ふどち
 へむ中川に われをすませよ
238 なげきつつ あかしくらせば 郭公
 この卯のはなの かげに鳴きつつ
239 かげにしも などか鳴くらむ 卯の花の
 えだにしのぶの 心とぞ聞く
 

八月

240 年月の めぐりくるまの わになりて
 思へばかかる をも〈りイ〉もありけり
 

神無月

241 霜がれの 草のゆかりぞ あはれなる
 こまがへりても なつけてしがな
242 ささわけば あれこそまさめ 草枯の
 こまなつくべき もりの下かは〈けイ〉
243 かづらきや 神代のしるし 深からば
 ただ一ことに うちもとけなむ
244 葛城の 蛛手はいづこ やつはしの
 ふみ見てけむ〈りイ〉と たのむかひなく
245 通ふべき 道にもあらぬ やつはしの〈をイ〉
 ふみ見てきとて なに賴むらむ
246 なにかその 通はむ道の かたからむ
 ふみ始めたる あとをたのめる〈ばイ〉
247 尋ぬらむ〈ともイ〉 かひやなからむ 大空の
 くもぢは通ふ あとはかもあらじ
248 おほ空も 雲のかけはし なくばこそ
 かよふはかなき 歎きをもせめ
249 ふみみれど 雲のかけはし あやふしと
 思ひしらずも たのむなるかな
250 なほをらむ 心たのもし あしたづの
 くもぢおりくる つばさやはなき
 

師走

251 かたしきし〈てイ〉 としはふれども さごろもの
 なみだにしむる 時はなかりき
252 我がなる〈かイ〉は そばのぬるかと 思ふまで
 見きとばかりも 気色ばむかな
253 天雲の 山のはるけき まろ〈つイ〉なれば
 そばぬるいろは ときはなりけり
254 いとせめて 思ふ心を 年のうちに
 はるくることも しらせてしがな
255 かひなくて 年暮れはつる 物ならば
 春にもあはぬ 身ともこそなれ
256 我ならぬ 人まつならば 待つといはで
 いたくな越しそ 沖つ白浪
257 越しもせず こさずもあらず 浪よせの
 濱はかけつつ 年をこそ経れ
258 さもこそは 浪の心は つらからめ
 としさへ越ゆる まつもありけり
259 千歳経る まつもこそあれ ほどもなく
 越えては帰る 程やとほか〈まらイ〉
260 吹く風に つけてもものを 思ふかな
 大海の浪の しづこころなく
261 我が思ふ 人はたそとは 見なせども
 なげきのえだに やすまらぬかな
参考

付録

262 年の内に 積み消す庭に ふる雪は
 つとめてのちは つもらざらなむ
263 かかりける この世も知らず 今とてや
 あはれはちすの 露をまつらむ
264 峰の松 おのがよはひの 藪よりも
 いまいく千世ぞ きみにひかれて
265 袖の色 かはれる春を 知らずして
 こぞにならへる 野邊のまつらむ〈かもイ〉
266 ぬれぎぬに 天の羽衣 むすびけり
 かつはもしほの 火をし消たねば
267 みちのくの ちがの島にて 見ましかば
 いかに躑躅(つつじ)の をかしからまし
268 たのみ〈まイ〉ずな 御垣をせばみ あふひはは〈くさイ〉
 しめのほかに〈もイ有〉 ありといふなり〈如元〉
269 深草の や〈さイ〉とになりぬる やどもなど
 とまれるつゆの たのもしげなき
270 深草の 誰もこころに しげりつつ
 あさちがはらの つゆにけぬべし
271 よろづ世を よばふ山べの 猪の子こそ
 きみがつ〈さイ〉かふ〈ゆイ〉る よはひなるべし
272 誰かこの 藪は定めし われはただ
 とへとぞおもふ やまぶきのはな
273 我が國の 神のまもりや 添へりけむ
 かはくげかりし あまつ空かな
274 今ぞ知る かはくと聞けば 君がため
 天照る神の 名にこそはあれ
275 我が宿の やなぎの糸は 細くとも
 来るうぐひすは 絶えずもあらなむ
276 今日ぞとや つらく待ち見む わが恋は〈のイ〉
 始もなきか こなたなるらむ〈べしイ〉
277 飛びちがふ 鳥のつばさを いかなれば
 すだつ歎きに 返さざるらむ
278 ささがにの いかになるらむ 今日だにも
 知らばや風の 乱る気色を
279 絶えてなほ すみのえになき 中ならば
 きしに生ふなる くさもがなきみ
280 すみよしの 岸に生ふとは 知りにけり
 つまむ摘まじは きみがまにまに
281 かしはぎの 森だにしげく 聞くものを
 などか三笠の 山のかひなき
282 かしはぎの〈もイ〉 三笠のやまも 夏なれば
 しげり〈れイ〉〈てイ〉あやな 人の知らなく
283 うちそばみ 君一人見よ まろこすげ
 まろは一すげ なしといふなり
284 うつせがは 淺さの程も 知らは〈れイ〉じと
 思ひしわれや まづ渡りなむ
285 みつせ川 われよりさきに 渡りなば
 みぎはにわぶる 身とやなりなむ
286 かくめりと 見れば絶えぬる ささがにの
 糸ゆゑ風の つらくもあるかな
287 七夕に けさひく糸の 露を〈おカ〉〈衍歟〉
 みたわむけしきも 見でややみなむ
288 〈日ごイ〉ろより あしたのそでぞ ぬれにける
 なにを晝まの 慰めにせむ
289 かけて見し 末も絶えにし 日陰草
 なにによそへて 今日結ぶらむ
290 となふなる 波の藪には あらねども
 はちすのうへの 露にかから〈なりなイ〉
291 かばかりも とひやはしつる ほととぎす
 はな橘の ここ〈二字香カ〉にこそありけ〈二字イ無〉
292 橘の も〈なイ〉りものならぬ 身をしれば
 しづえなくては とはぬとぞ聞く
293 ぬれつつも 恋しきみちは より〈ぎイ〉なくに
 まだきこへ〈一字衍歟〉ず ゑと思はざらむ
294 蓮葉の 浮葉をせばみ この世にも
 やどらぬつゆと 身をぞ知りぬる
295 はちすにも たまゐよとこそ むすびしか
 露は心を 置きたがへけり
296 花薄(はなすすき) 招きもやまぬ やまざとに
 こころのかぎり とどめつるかな
297 たきぎこる ことは昨日に つきにしを
 いざをののえは ここにくたさむ
298 千代もへよ たちかへりつつ 山城の
 こまにくらべし こりの末なり
299 都びと ねてまつらめや ほととぎす
 いまぞ山べを 鳴きて過ぐなり〈如元〉
300 渡つ海は あまの舟こそ ありと聞け
 乗りたがへても 漕ぎてけるかな
301 いざ〈まイ〉さらは〈にイ〉 いかなるこまかな つくべきす
 さめぬ草と のがれにし身を
302 卯の花の 盛なるべし やまざとの
 ころもさぼせる をりと見ゆるは
303 ほととぎす 今ぞさわたる 声すなる
 わが吿げなくに 人や聞くらむ
304 菖蒲草 今日のみぎはを 尋ぬれば
 ねをしりてこそ かたよりにけれ
305 五月雨や こぐらき宿の 夕されは
 おもてるまでも てらすほたるか
306 吹きにける 枝なかりせば とこなつも
 のどけき名をや 残さざらまし
307 あやなしや 宿の蚊やり火 つけそめて
 かたらふ虫の 声をさけつる
308 おくるといふ 蟬の初声 聞くよりぞ
 いまかと荻の あきを知りぬる
309 こまやくる 人や別くると 待つほどに
 繁りのみます 宿のなつくさ
310 思ひつつ 恋ひつつはねじ〈つねにイ〉 逢ふと見る
 夢を〈もイ〉さめては くやしかりけり
311 藪知らぬ 真砂にたづの 程よりは
 ちぎりそめけむ 千代ぞすくなき