枕草子142段 なほめでたきこと

とり所なき 枕草子
中巻上
142段
なほめでたき
殿などの

(旧)大系:142段
新大系:135段、新編全集:136段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:145段
 


 
 なほめでたきこと、臨時の祭ばかりのことにかあらむ。試楽もいとをかし。
 

 春は、空のけしきのどかにうらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部司の、畳をしきて、使は北向きに、舞人は御前のかたに向きて、これらは僻おぼえにもあらむ、所の衆どもの、衝重とりて、前どもにすゑわたしたる。陪従も、その庭ばかりは御前にて出で入るぞかし。公卿、殿上人、かはりがはり盃とりて、はてには屋久貝といふものして飲みて立つ、すなはち、とりばみといふもの、男などのせむだにいとうたてあるを、御前には、女ぞ出でとりける。おもひかけず、人あらむとも知らぬ火焼屋より、にはかに出でて、おほくとらむとさわぐものは、なかなかうちこぼしあつかふほどに、軽らかにふととりて往ぬる者にはおとりて、かしこき納殿には火焼屋をして、とり入るるこそいとをかしけれ。掃部司の者ども、畳とるやおそしと、主殿寮の官人、手ごとに箒とりてすなご馴らす。
 

 承香殿の前のほどに、笛吹き立て拍子うちて遊ぶを、とく出で来なむと待つに、有度浜うたひて、竹の笆のもとにあゆみ出でて、御琴うちたるほど、ただいかにせむとぞおぼゆるや。一の舞の、いとうるはしう袖をあはせて、二人ばかり出で来て、西によりて向かひて立ちぬ。つぎつぎ出づるに、足踏みを拍子にあはせて、半臂の緒つくろひ、冠衣の領など、手もやまずつくろひて、「あやもなきこま山」などうたひて舞ひたるは、すべて、まことにいみじうめでたし。
 

 大輪など舞ふは、日一日見るともあくまじきを、果てぬる、いとくちをしけれど、またあべしと思へば、頼もしきを、御琴かきかへして、このたびは、やがて竹のうしろより舞ひ出でたるさまどもは、いみじうこそあれ。掻練のつや、下襲などのみだれあひて、こなたかなたにわたりしなどしたる、いでさらに、いへば世のつねなり。
 

 このたびは、またもあるまじければにや、いみじうこそ果てなむことはくちをしけれ。上達部なども、みなつづきて出で給ひぬれば、さうざうしくくちをしきに、賀茂の臨時の祭は、還立の御課神楽などにこそなぐさめらるれ。庭燎の煙ほそくのぼりたるに、神楽の笛のおもしろくわななき吹きすまされてのぼるに、歌の声もいとあはれに、いみじうおもしろく、さむく冴えこほりて、うちたる衣もつめたう、扇もちたる手も冷ゆともおぼえず。才の男召して、声ひきたる人長の心地よげさこといみじけれ。
 

 里なる時は、ただわたるを見るが飽かねば、御夜白までいきて見る折もあり。おほいなる木どものもとに車を立てたれば、松の煙のたなびきて、火のかげに半臂の緒、衣のつやも、昼よりはこよなうまさりてぞ見ゆる。橋の板を踏み鳴らして、声あはせて舞ふほどもいとをかしきに、水の流るる音、笛の声などあひたるは、まことに神もめでたしとおぼすらむかし。頭の中将といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くなりて上の社の橋の下にあなるを聞けば、ゆゆしう、ものをさしも思ひ入れじとおもへど、なほこのめでたきことをこそ、さらにえ思ひすつまじけれ。
 「八幡の臨時の祭の日、名残こそいとつれづれなれ。など帰りてまた舞ふわざをせざりけむ。さらば、をかしからまし。禄を得て、うしろよりまかづるこそくちをしけれ」などいふを、上の御前に聞こしめして、「舞はせむ」と仰せらる。
 「まことにや候ふらむ。さらば、いかにめでたからむ」など申す。
 うれしがりて、宮の御前にも、「なほそれ舞はせさせ給へと申させ給へ」など、あつまりて啓しまどひしかば、そのたび、帰りて舞ひしは、いみじううれしかりしものかな。
 さしもやあらざらむとうちたゆみたる舞人、御前に召す、ときこえたるに、ものにあたるばかりさわぐも、いといと物ぐるほし。
 

 下にある人々のまどひのぼるさまこそ。人の従者、殿上人など見るも知らず、裳を頭にうちかづきてのぼるを笑ふもをかし。