枕草子40段 木の花ならぬは

節は 枕草子
上巻上
40段
木の花ならぬは
鳥は

(旧)大系:40段
新大系:37段、新編全集:38段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:47段
 

能因本段冒頭:木は


 
 木の花ならぬは かへで。かつら。五葉。
 

 たそばの木、しななき心地すれど、花の木どもちりはてて、おしなべてみどりになりたるなかに、時もわかず、こきもみぢのつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。まゆみ、さらにもいはず。やどり木といふ名、いとあはれなり。
 さか木、臨時の祭の御神楽の折など、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。
 楠の木は、木立おほかる所にも、ことにまじらひたてえらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝にわかれて恋する人のためしにいはれたるこそ、たれかは数を知りていひはじめけむと思ふにをかしけれ。
 檜の木、またけぢかからぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむもあはれなり。
 かへでの木のささやかなるに、もえいでたる葉末のあかみて、おなじかたにひろごりたる、葉のさま、花も、いと物はかなげに、虫などのかれたるに似て、をかし。
 あすはひの木、この世にちかくもみえきこえず。御獄にまうでて帰りたる人などのもて来める、枝ざしなどは、いと手にふれにくげにあらくましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかと思ふに、聞かもほしくをかし。
 ねずもちの木、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。
 楝の木。山橘。山梨の木。椎の木、常磐木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしにいはれたるもをかし。
 白樫といふものは、まいて深山木のなかにもいとけどほくて、三位、二位のうへのきぬ染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことにとりいづべくもあらべど、いづくともなく雪のふりおきたるに見まがへられ、素盞鳴尊(すさのをのみこと)出雲の国におはしける御ことを思ひて、人丸がよみたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、ひとふしあはれともをかしとも聞きおきつるものは、草、木、鳥、虫もおろかにこそおぼえね。
 ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいとあかくきらきらしく見えたるこそ、あやしきけれどをかし。なべての月には見えぬ物の、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人のくひものに敷く物にやとあはれなるに、また、よはひをのぶる歯固めの具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。
 柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督、佐、尉などいふもをかし。
 姿なけれど、棕櫚の木、唐めきて、わるき家の物とは見えず。