宇治拾遺物語:虎の鰐取りたる事

絵仏師良秀 宇治拾遺物語
巻第三
3-7 (39)
虎の鰐取りたる
樵夫

 
 これも今は昔、筑紫の人、商ひしに新羅に渡りけるが、商ひ果てて帰る道に、山の根に沿ひて、舟に水汲み入れんとて、水の流れ出でたる所に舟をとどめて水を汲む。
 

 そのほど、舟に乗りたる者、舟ばたにゐて、うつぶして海を見れば山の影うつりたり。高き岸の三四十丈ばかり余りたる上に、虎つづまりゐて物を窺ふ。その影、水にうつりたり。その時に人々に告げて、水汲む者を急ぎ呼び乗せて、手ごとに櫓を押して急ぎて舟を出す。その時に虎躍りおりて舟に乗るに、舟はとく出づ。虎は落ち来る程のありければ、今一丈ばかりを、え躍りつかで、海に落ち入りぬ。
 

 舟を漕ぎて急ぎて行くままに、この虎に目をかけて見る。しばしばかりありて、虎海より出で来ぬ。泳ぎて陸ざまに上りて、汀に平なる石の上に登るを見れば、左の前足を膝より噛み食ひ切られて血あゆ。「鰐に食ひ切られたるなりけり」と見るほどに、その切れたる所を水に浸して、ひらがりをるを、「いかにするにか」と見るほどに、沖の方より、鰐、虎の方をさして来ると見るほどに、虎、右の前足をもて鰐の頭に爪をうち立てて陸ざまに投げあぐれば、一丈ばかり浜に投げあげられぬ。のけざまになりてふためく。
 頤の下を、躍りかかりて食ひて、二度三度ばかりうち振りて、なへなへとなして、肩にうちかけて、手を立てたるやうなる岩の五六丈あるを、三つの足をもて、下り坂を走るがごとく登りて行けば、舟の内なる者ども、これが仕業を見るに、半らは死に入りぬ。
 「舟に飛びかかりたらましかば、いみじき剣刀を抜きてあふとも、かばかり力強く早からんには、何わざをすべきぞ」と思ふに、肝心失せて、舟漕ぐ空もなくてなん、筑紫には帰りけるとかや。
 

絵仏師良秀 宇治拾遺物語
巻第三
3-7 (39)
虎の鰐取りたる
樵夫