枕草子103段 雨のうちはへ降る頃

中納言 枕草子
上巻下
103段
雨の
淑景舎

(旧)大系:103段
新大系:99段、新編全集:99段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:107段
 


 
 雨のうちはへ降る頃、けふも降るに、御使にて、式部の丞信経参りたり。
 例のごと褥さし出でたるを、常よりも遠くおしやりてゐたれば、「誰が料ぞ」といへば、笑ひて、「かかる雨にのぼり侍らば、足がたつきて、いとふびんにきたなくなり侍りなむ」といへば、「など、せんぞく料にこそはならめ」といふを、「これは、御前にかしこう仰せらるるにあらず。信経が足がたのことを申しざらましかば、え宣はざらまし」といひしこそをかしかりしか。
 

 「はやう中后の宮に、ゑぬたきといひて、名だかき下仕なむありける。美濃の守にて亡せにける藤原時柄が蔵人なるける折に、下仕どものある所にたちよりて、『これやこの高名のゑぬたき、などさも見えぬ』といひける、いらへに、『それは、時柄にさも見ゆるなからむ』といひたりけるなむ、かたきに選りても、さることはいかでからむと、上達部、殿上人まで、興あることに宣ひける。また、さりけるなめり、けふまでかくいひ伝ふるは」と聞こえたり。
 「それまた時柄がいはせたるなめり。すべて、ただ題がらなむ、文も歌もかしこき」といへば、「げにさもあることなり。さば、題いださむ。歌よみ給へ」といふ。
 「いとよきこと」といへば、「御前に、おなじくは、あまたを仕うまつらむ」などいふほどに、御返り出で来ぬれば、「あな、おそろし。まかり逃ぐ」といひて出でぬるを、いみじう、「真名も仮名もあしう書くを、人の笑ひなどすれば、隠してなむある」といふもをかし。
 

 作物所の別当する頃、誰がもとにやりたりけるにかあらむ、ものの絵やうやるとて、「これがやうに仕うまつるべし」と書きたる真名のやう、文字の、世に知らずあやしきを見つけて、そのかたはらに、「これがままに仕うまつらば、ことやうにこそあべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々とりて見て、いみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。