古事記 由良の戸の由来~原文対訳

たまきはる 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
本岐歌と志都歌
2 由良の戸の
仁徳天皇陵
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

カラの船

     
此之御世。  この御世に、  この御世に
免寸河之西。 兔寸うき河の西の方に、 ウキ河の西の方に
有一高樹。 高樹たかきあり。 高い樹がありました。
其樹之影。 その樹の影、 その樹の影は、
當旦日者。 朝日に當れば、 朝日に當れば
逮淡道嶋。 淡道あはぢ島におよび、 淡路島に到り、
當夕日者。 夕日に當れば、 夕日に當れば
越高安山。 高安山を越えき。 河内の高安山を越えました。
     
故切是樹
以作船。
かれこの樹を切りて、
船に作れるに、
そこでこの樹を切つて
船に作りましたところ、
甚捷行之船也。 いと捷とく行く船なりけり。 非常に早はやく行く船でした。
時號其船。
枯野
時にその船に名づけて
枯野からのといふ。
その船の名は
カラノといいました。
     
故以是船。 かれこの船を以ちて、 それでこの船で、
旦夕
酌淡道嶋之寒泉。
旦夕あさよひに
淡道島の寒泉しみづを酌みて、
朝夕に
淡路島の清水を汲んで
獻大御水也。 大御水もひ獻る。 御料の水と致しました。
     

由良能斗能

     
茲船破壞以
燒鹽。
この船の壞やぶれたるもちて、
鹽を燒き、
この船が壞こわれましてから、
鹽を燒き、
取其燒遺木。 その燒け遺のこりの木を取りて、 その燒け殘つた木を取つて
作琴。 琴に作るに、 琴に作りましたところ、
其音響七里。 その音七里ななさとに聞ゆ。 その音が七郷に聞えました。
     
爾歌曰。 ここに歌よみて曰ひしく、 それで歌に、
     
加良怒 枯野からぬを 船ふねのカラノで
志本爾夜岐 鹽に燒き、 鹽を燒いて、
斯賀阿麻理 其しが餘あまり その餘りを
許登爾都久理 琴に造り、 琴に作つて、
賀岐比久夜 掻き彈くや 彈きなせば、
由良能斗能 由良ゆらの門との 鳴るユラの海峽の
斗那賀能伊久理爾 門中となかの 海石いくりに 海中の岩に
布禮多都 振れ立つ  觸れて立つている
那豆能紀能 浸漬なづの木の、 海の木のように
佐夜佐夜 さやさや。 さやさやと鳴なり響く。
    と歌いました。
     

志都歌之歌返

     
此者。
志都歌之
歌返也。
 こは
志都歌の
歌ひ返しなり。
これは
靜歌しずうたの
歌うたい返かえしです。
たまきはる 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
本岐歌と志都歌
2 由良の戸の
仁徳天皇陵