枕草子 補 にくきもの、乳母の男こそあれ(能因本:旧全集26段)

にくきもの 枕草子
上巻上
補1
にくきもの乳母の男
心ときめき

(旧)大系,新大系,新編全集=主要三巻本系列:ナシ
(旧)全集=能因本:26段,群書類従(堺本系):ナシ
上記三巻本になく能因本のみにある段は、著者が身内本たる能因本からより広い世間の目を意識し(最終段:人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば)、なかったことにして改訂したものと解する(独自)
 


 

(旧)全集
能因本系
三条西家旧蔵本
国文大観
能因本系
   
 にくきもの、
乳母(めのと)の男(をとこ)こそあれ。
 
乳母の男こそあれ、
   
 女子(おんなご)は、
されど
近く
寄らねばよし。
女は
されど
近くも
寄らねばよし。
   
 をのこ子は、
ただわが物に領じて、
立ち添ひ
うしろ見、
をのこゞをば
唯我が物にして、
立ちそひりやうじて
うしろみ、
いささかも
この御事に
たがふ者をば
詰め讒(ざん)し、
人にも
思ひたらず。
いさゝかも
この御事に
たがふものをば
ざんし、
人をば人とも
思ひたらず、
   
 あしけれど、
これがとがをば、
心にまかせ
言ふ人しなければ、
あやしけれど
これがとが
心に任せて
いふ人もなければ、
所得(ところえ)、
いみじき面持して、
事行なひなどするよ。
所え
いみじきおもゝちして
事を行ひなどするに。

 


 

 三巻本では大系187段で「かしこきものは、乳母のをとここそあれ。帝、親王たちなどは」と文脈が真逆になっている。

 この違いは、上記のように能因本の文脈が世間一般の目からすると相応しくないために改訂したものと思う。
 これは語尾の違いや、肉付けを増やした説明調の補い(典型例は、伊勢物語の筒井筒を受けた大和物語の沖つ白波)ではないので、著者自らによる改訂で書写の過程を経た第三者による改変と見るのは無理がある。一般に、書写では改変が少なくないと説明されるフシがあるが、枕草子のように抜本的で大胆な違いまで第三者の手によると見るなら、この国の写本はおよそ原型をとどめていないことになるが、同列の古典作品では枕草子ほどの変化はないと思う。

 

 大方の書写人が自覚する写本ではそういう大胆な補いや欠落は許されないだろうし、基本は前例踏襲で、細かな部分の調整にこだわる顕著な国民性に関しては、私は日本の文化を信頼している。

 したがって、三巻本(及び堺本)で欠落しているのは清少納言の改訂で、三巻本のみ前段末尾に「開けて出で入る所閉てぬ人、いとにくし」とあるのも、その代替の調整と思う。

 ただし、上記のような能因本相互の微妙な違いになると、清少納言の推敲課程か書写の過程の違いか微妙になってくるが、当サイトは能因本を基本に採用しないので、有意な違いがなければ、それ以上立ち入らない。