紫式部日記 30 暮れて月いとおもしろきに 逐語対訳

行幸翌日の有様 紫式部日記
第二部
宮の亮と宮大夫
誕生五十日の儀
目次
冒頭
1 暮れて月いとおもしろきに
2 宰相は中の間に寄りて
3 いと思ふことなげなる御けしきどもなり
4 「今日の尊とさ」など、声をかしう
5 夜更くるままに、月いと明かし

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 暮れて
月いと
おもしろきに、
 日が暮れて
月〈面〉がたいそう
白く興がある〉時分に、
×美しい(渋谷)△風情がある(全集)
〈月の面白は竹取以来、面白おかしく滑稽な(男女の)描写の前置き。独自。しかも竹取は上達部の滑稽さを描く。学説は根本が野放図な権威礼賛なのでその滑稽さ・おもしろさを全く解せず全て大真面目に捉える。これが古文界のをかしさ〉
宮の亮、
女房にあひて、
とりわきたる
よろこびも
啓せさせむ
とにや
あらむ、
中宮亮が
女房に会って、
特別な
加階のお礼を
啓上してもらおう
とでも
いうのであろうか、
【宮の亮】-中宮権亮藤原実成
〈この年33歳。とりわきたるよろこび:先段の行幸で従三位昇進。中宮権亮(ちゅうぐう ごん の すけ)は中宮職の上から四番目。中宮大夫、権大夫、亮、権亮の順。面倒はせず女性と話し偉そうにするボンボンの閑職と見る。なお父の公季は閑院大臣、その家系は閑院流とされ、西園寺や徳大寺を生み出した〉
     
妻戸の
わたりも
御湯殿の
けはひに濡れ、
人の音も
せざりければ、
妻戸の
あたりも
御湯殿の
湯気に濡れて、
女房のいる物音も
しなかったので、
〈妻戸~御湯殿~人の音もせざりは、よそ者に一見して分からない、女所の陰湿さの象徴的文学表現と解する。独自。それで以下の発言を聞き流す(いらへもせぬ)。でなければこの浮いた描写に何の意味があるか。「一体が湿っぽくなっていて、腰を下ろすわけにもいかないのであろう」(全注釈)とする即物的見立ての当否は読者の判断にまかせるが、私の見立ては本段のみならず日記全体をあまさず説明できる〉
この渡殿の
東のつまなる
宮の内侍の
局に立ち寄りて、
こちらの渡殿の
東の端にいる
宮の内侍の
部屋に立ち寄って、
【宮の内侍】-前出橘良芸子。中宮付きの古参の女房。
「ここにや」
案内
たまふ。
「こちらでしょうか」
と伺い
なさる。
〈案内(あない):尋ねること(現代の紹介の意味は従者=民の役割)。質問か訪問かは文脈による。特に何も考えてない(いと思ふことなげ)と後で判明するが、この時点では確定できないので、どちらの意味にも見る。ネイティブは答えありきで見ず、後から考える〉

2

宰相は
中の間に
寄りて、
まだ鎖さぬ
格子の上
押し上げて、
宰相(中宮亮)は、
また中の間に
寄って、
まだ鈎〈かぎ〉を鎖さない
格子の上を
押し上げて、
【宰相】-中宮権亮藤原実成は宰相も兼ねていたのでこの呼称もある。
〈首相と同じで、一般社会なら一応無視されずむしろ有難がられる偉い奴という確認〉
「おはすや」
などあれど、
いらへも
せぬに、
「いらっしゃいますか」
などと言うが、
返事を
しないでいると、
【いらへもせぬに】-底本「いてぬに」。『絵詞』には「いらへもせぬに」とある。『全注釈』『集成』は「いらへもせぬに」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
     
大夫の、
「ここにや」
とのたまふ
にさへ、
中宮大夫が、
「こちらでしょうか」
とおっしゃる
のに対してさえ、
【大夫】-中宮大夫藤原斉信
〈正二位。先の宮の亮(宰相)の上司で中宮職トップ〉
聞き
しのばむも
ことごとしき
やうなれば、
聞こえぬ
ふりをしているのも
〈何やら偉そうで〉仰々しい
ようなので、
【聞きしのばむも】-『絵詞』には「きゝしのひんも」とある。『全注釈』は「ここは、「こらえる」「しんぼうする」の意でなく、「かくれている」「こっそりする」の意であるから、古い形の上二段活用の他動詞として、絵詞本文にしたがう」とする。
〈しかしこれは現場のトップまで来たら流石に聞き流し無視できないという意味で、前後にその確実な文脈がある。主要本は全注釈以外スルーし全注釈も語法解説で誤魔化し恐縮なことにしているが、「こっそり」性が直後の「ことごとしき」と全く整合しない上、面の割れた上役が訪ねて来て隠れんぼする文脈がなく、最後「かたはらいいたし」以降まくし立てる痛烈な批判の文面(あだへたるも罪)と全く整合しない。それを曲芸の如く曲解を重ね教科書的美談に仕立てるのが学説の基本的態度〉
はかなき
いらへ
などす。
ちょっとした
返事
などをする。
〈「はぁ…(え?何しにきた?)」という溜息のような生返事。独自。生意気なのは中宮や道長の権威にあずかるからではなく(それは男二人も同じ)、この二人は一時の腰掛けで女子達の人生と待遇を左右しないし、見て癒される池面でもなく、むしろ苛つかせるばかりだから。以降の段全てその文脈〉

3

いと
思ふことなげなる
御けしき
どもなり。
〈一切
何も考えることがなさそうな〉
ご様子の
面々である。
×二人ともまことに満足のいったご様子である
     
「わが
御いらへはせず、
大夫を
心ことに
もてなしきこゆ。
「わたしへの
お返事はしないで、
中宮大夫を
特別に
お扱い申し上げる。
〈しかし、私もちゃんと深く考えてると言わんばかりに〉
ことわりながら
悪ろし。
 
かかる所に、
もっともであるが
感心しない。
 
このような〈誰もが尊い〉所で、
〈かかる所:学説は私的な女房の局(非公式なプライベートの場)と理解するが(全注釈上443)宰相は自分も尊ばれるべき格別な高位とし、女の私的な場だからと身分の区別を希薄化しているのではない。それで「ことわり」とある。独自〉
上下のけぢめ、
いたうは
分くものか」
上下の身分の差を
ひどく
区別するなんて」
【上下臈のけぢめ】-底本「上らふのけちめ」。『絵詞』には「上下らうのけちめ」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は『絵詞』に従って「上下臈のけぢめ」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
〈しかし上下が本来。源氏物語の上下18回中上下臈は一度もなく、エリートが売りの子息が下級民と称することは謙譲でもない。「かかる所」の理解にかかわる〉

あはめ
たまふ。

憐れまれ
なさる。
×非難(渋谷・新大系・集成)、おとがめ(全集)、皮肉(全注釈)
〈あはむ:さげすみ見下す意に解され、学者に受け入れがたい文脈と概念で「淡む」とぼかされるが、字義と語義が乖離しているので憐むと解す。ここでは双方、自身の不遇と女達の見る目のなさを憐れんだ。以上独自〉

4

「今日の
尊とさ」
など、
をかし
うたふ。
「今日の
尊とさ」
などと、
変な声で〉
謡う。
【今日の尊とさ】-催馬楽「あな尊」の一節。
×催馬楽を声美しく(渋谷)、いい声・いい調子(全集・全注釈)
〈脈絡がないので、受けを狙って歌ったが「声をかし」で失笑された文脈(人びとはしのびて笑ふ参照)。で「かたはらいたし」に続くように褒める根拠が前後に全くないどころか軽んじている根拠しかない〉

5

 夜更くる
ままに、
月いと明かし。
 夜が更けて
行くにつれて、
月がとても明るい。
〈冒頭の月の「おもしろ」がない。え、何その歌…。いや、月を見ればこの面白さがわかる!(?)と、〉
     
「格子のもと
取りさけよ」と、
せめたまへど、
いと下りて
上達部の
ゐたまはむも、
〈格子の下を
取り外せよ
責め立てられるが〉、
ひどく品格を下げて
上達部が〈女所:女郎花多かる野辺
入り込むようなのも、
△「格子の下半分を取り外しなさいよ」と要〈もと〉めなさるが
〈学説は一致して「なさいよ」と丸めるが、この「よ」は呼びかけではなく命令形「さけよ・下げよ」の「よ」。全注釈は取り下げと濁点をつけるのは意味をなさないとするが、「下りて」と対をなし、食器も片付けを下げる(目のつかない所に移動させる)というしそちらが自然。批判が走って全否定したものと思うが面倒なので合わせた。問題はそういう言葉尻ではない。
 権勢に守られ、おばあちゃまと水入らずの平和と幸福に満ち(前章末尾)のように女所に来て場違いな綺麗事ばかり言う偉そうな言説を再三無視するおかしさが本章の趣旨だが、学説はそれを地で行くので認められない〉
かかる所
といひながら、
かたはらいたし、
このような〈誰もが尊い所〉
とは言いながらも、
やはり見苦しいし、
×里第(渋谷)、私的な場所(全集)
〈かかる所といひながら:学説は単に局の私的性ではなく内裏に比した道長邸の私的性を強調する(全注釈上443)が、これは先の宰相発言引用である以上別異にするのは不自然不適当。そしてそこでは私的性を強調してない(男はみな尊い・公的強調)。私的な場だからと公的身分を反故にするのは非身分社会的理解で、一般読者の情緒的に成立しても本章の論理では成立しない。なぜなら宰相は自分の身分を重んじてほしくて苦言を言ったから。
 かたはらいたし:偉そうするのに女郎花「多かる野辺」にキャバクラ的に連れ立って来て片腹痛いの意味。土御門邸では「旅の恥はかき捨てといった解放感が加わる」という妙な含みをもたせた全注釈もその種の感覚を裏付ける。内裏至近の土御門が旅先とは距離感がおかしい上、危うさも感じる〉
若やかなる人こそ、
もののほど
知らぬやうに
あだへたるも
罪許さるれ、
若い女房ならば、
物事の分別を
知らないように
戯れるのも
大目に見られようが、
〈若やかなる人:日記冒頭で女所に来た道長息子頼通の暗示。宰相・頼通共に三位。通説は女房に限定するが、高位の男(宰相)を無視し軽んじる文脈で男尊女卑的に見るのは違うので、男女双方への戒めと解する。勿論独自〉
なにか、
あざればまし
と思へば、
放たず。
どうしてそんな
ふざけたことができようか
と思うと、
格子を外さない。
〈つまりこの二人と人目にふれることは絶対したくない。もてなす大義名分はあるので、タイプでもなく良い評判もない。誰もが高位の場所でそれは何も売りにならない、というお話〉