古事記 蜻蛉島・あきずしまの歌~原文対訳

吉野の舞子歌 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
蜻蛉島の歌
葛城山の大猪歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
     

蜻蛉=とんぼ・かげろう

     
即幸
阿岐豆野而。
 すなはち
阿岐豆野あきづのにいでまして、
 それから
吉野のアキヅ野においでになつて
御猟之時。 御獵したまふ時に、 獵をなさいます時に、
天皇。
坐御呉床。
天皇、
御呉床にましましき。
天皇が
お椅子においでになると、
爾虻
咋御腕。
ここに、虻あむ、
御腕ただむきを咋くひけるを、
虻あぶが
御腕を咋くいましたのを、
即蜻蛉來。
咋其虻而飛。
〈訓蜻蛉云阿岐豆〉
すなはち蜻蛉あきづ來て、
その虻あむを咋くひて、
飛とびき。
蛉蜻とんぼが來て
その虻を咋つて
飛んで行きました。
     

そらみつ大和の蜻蛉島

     
於是作御歌。 ここに御歌よみしたまへる、 そこで歌をお詠みになりました。
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
美延斯怒能 み吉野えしのの 吉野の
袁牟漏賀多氣爾 袁牟漏をむろが嶽たけに ヲムロが嶽たけに
志斯布須登 猪鹿しし伏すと、 猪ししがいると
多禮曾 誰たれぞ 陛下に申し上げたのは誰か。
意富麻幣爾麻袁須 大前に申す。  
夜須美斯志 やすみしし 天下を知ろしめす
和賀淤富岐美能 吾わが大君の 天皇は
斯志麻都登 猪鹿しし待つと 猪を待つと
阿具良爾伊麻志 呉床あぐらにいまし、 椅子に御座ぎよざ遊ばされ
斯漏多閇能 白栲しろたへの 白い織物の
蘇弖岐蘇那布 袖そで著具きそなふ お袖で裝うておられる
多古牟良爾 手腓たこむらに 御手の肉に
阿牟加岐都岐 虻あむ掻き著き、 虻が取りつき
曾能阿牟袁 その虻を その虻を
阿岐豆波夜具比 蜻蛉あきづ早咋くひ、 蜻蛉とんぼがはやく食い、
加久能碁登 かくのごと かようにして
那爾於波牟登 名に負はむと、 名を持とうと、
蘇良美都 そらみつ  
夜麻登能久爾袁 倭やまとの國を この大和の國を
阿岐豆志麻登布 蜻蛉島あきづしまとふ。 蜻蛉島あきづしまというのだ。
     

アキズ(飽きない食い合い)

     
故自其時。  かれその時より、  その時からして、
號其野。 その野に名づけて その野を
謂阿岐豆野也。 阿岐豆野あきづのといふ。 アキヅ野というのです。
吉野の舞子歌 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
蜻蛉島の歌
葛城山の大猪歌