伊勢物語 53段:あひがたき女 あらすじ・原文・現代語訳

第52段
飾り粽
伊勢物語
第二部
第53段
あひがたき女
第54段
つれなかりける女

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 昔、男が会い難い女に会い、物語などしているうちに鶏が鳴いたので、

 いかでかは 鶏の鳴くらむ 人しれず 思ふ心は まだ夜ぶかきに
 

 その心は、「あったというのに まだ寝てない」。と泣く泣く思う。
 

 ここで「あひがたき女」とは、44段(馬の餞)で送られて、地方に行った小町(言葉の符合を辿っていくと、25段(逢はで寝る)の小町に行き着く)。
 しかし、近かった時でも会いづらいことに変わりはなかった(人の目などで。42段(誰が通ひ路)参照)
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第53段 あひがたき女
   
 昔、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  あひがたき女にあひて、 あひがたき女にあひて、 あり(あひ一本)がたかりける女に。
  物語などするほどに、 物がたりなどするほどに、 物がたりなどするほどに。
  鶏の鳴きければ、 とりのなきければ、 とりのなきければ。
       

99
 いかでかは
 鶏の鳴くらむ人しれず
 いかでかは
 鳥のなくらむ人しれず
 いかてかく(は一本)
 鳥のなくらん人しれす
  思ふ心は
  まだ夜ぶかきに
  おもふ心は
  まだよふかきに
  おもふ心は
  また夜深きに
   

現代語訳

 
 

昔、男、
あひがたき女にあひて、物語などするほどに、
鶏の鳴きければ、
 
いかでかは 鶏の鳴くらむ 人しれず
 思ふ心は まだ夜ぶかきに

 
 
昔男
 昔男が
 

あひがたき女にあひて
 会い難い女に会って、
 
 →文脈からして小町。前段が物の贈答で有常の内容が示唆され、小町と有常はセットで出てくる。
 
 44段「馬の餞」では、有常の家で小町(県へゆく人)の送別会をして、女物の装束を贈った。小町と認定する経緯は44段を参照。
 (なお普通の訳ではそう見ずに、送別会で女の服を男に贈ったと奇天烈に認定する。このような女物の服を贈る珍妙な認定は、16段と全く同じ構図)
 
 加えて、37段(下紐)では「色好み」の女が出てきた直後、38段(恋といふ)で有常が実名で登場。
 そしてこの「色好み」は、会いにくい女とセットで用いられ、小町を象徴する言葉(25段・逢はで寝る夜。この段の歌が実社会で小町が歌ったもの)。
 「あはじともいはざりける女の、 さすがなりけるがもとにいひやりける」。
 この後段の「さすが」は、13段で妻の尻にしかれて叩かれてもめげずに生きる男とかけ、16段の有常とのかかりも暗示している。
 
 つまり、この二人が著者に特に近かった、ということ。
 

物語などするほどに
 物語などしているうちに
 

 これはただの雑談に加え、ストーリーテラーのストーリーテリングも含意。この物語のように。
 例えば、「女(=二条の后)いとしのびて、ものごしに逢ひにけり。 物語などして、男、『彦星に  恋はまさりぬ天の河』」(95段・彦星)
 

 同様に女性に対するものとして、「かのまめ男、うち物語らひて」
 (2段・西の京。普通の会話なら、まめとする意味がそこまではない。と思うが)
 

 他方で、男達の間では「夜ふくるまで酒飲み物語して」(82段・渚の院)→こちらは雰囲気がないので、おそらくただの会話。
 

鶏(▲鳥)の鳴きければ
 (ニワ?)トリが鳴いたので、
 

いかでかは
 もうそんな? バカなっ…
 

 いかでか 【如何でか】
 ①どうしてか、いや、そんなはずはない。反語
 ②どうして。疑問
 ③なんとかして。願望
 

鶏の鳴くらむ
 鶏がないたと
 

人しれず 思ふ心は
 人知れず 泣く泣く思う心は
 

まだ夜ぶかきに
 まだ夜が深いし
 (これ以上はいえません=チョメチョメ)
 

 せかずにコトをしそんじた、とはこれいかに。(怠慢)
 いや冗談ですよ。小町とは、そういう一発にかけるような間柄ではないのです。(言い訳?)
 

 むかし、男、いとうるはしき友ありけり。
 かた時去らずあひ思ひけるを、人の国へいきけるを、いとあはれと思ひて別れにけり
46段・うるはしき友)
 

 これが男なりの「愛」だったと。
 手が出せなかったのは、男には(亡くなった)妻がいたという経緯があって(24段)、小町もそれを知っていたから(9段。友とする人と家を探す)。
 お互いに、そんな無節操なことはできないと思った。というのが、多分小町も困ってしまう原因だったのかと。
 
 なお、ここに業平は関係ない。