古事記 八田若郎女(と密)~原文対訳

黒姫の歌:誰の夫 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
イワヒメ皇后の嫉妬
6 八田若郎女
あをによし
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

密通

     
自此後時。  これより後、  これより後に
大后爲
將豐樂而。
大后
豐とよの樂あかりしたまはむとして、
皇后樣が
御宴をお開きになろうとして、
於採御綱柏。 御綱栢みつながしはを採りに、 柏かしわの葉を採りに
幸行木國之間。 木の國に幸でましし間に、 紀伊の國においでになつた時に、
天皇。婚
八田若郎女。
天皇、
八田やたの若郎女わかいらつめに
婚あひましき。
天皇が
ヤタの若郎女と結婚なさいました。
     

御綱柏

     
於是大后。 ここに大后は、 ここに皇后樣が
御綱柏
積盈御船。
御綱栢を
御船に積み盈みてて
柏の葉を
御船にいつぱいに積んで
還幸之時。 還りいでます時に、 お還りになる時に、
所驅使於水取司 水取もひとりの司に使はゆる、 水取の役所に使われる
吉備國
兒嶋之仕丁。
吉備の國の
兒島の郡の仕丁よぼろ、
吉備の國の
兒島郡の仕丁しちようが
是退己國。 これおのが國に退まかるに、 自分の國に歸ろうとして、
     
於難波之大渡。 難波の大渡に、 難波の大渡おおわたりで
遇所後
倉人女之船。
後れたる
倉人女くらびとめの船に
遇ひき。
遲れた
雜仕女ぞうしおんなの船に
遇いました。
     

密告

     
乃語云。 すなはち語りて曰はく、 そこで語りますには
天皇者。 「天皇は、 「天皇は
此日婚
八田若郎女而。
このごろ
八田の若郎女に
娶ひまして
このごろ
ヤタの若郎女と
結婚なすつて、
晝夜戲遊。 晝夜よるひる戲れますを。 夜晝戲れておいでになります。
若大后。 もし大后は 皇后樣は
不聞看此事乎。 この事聞こしめさねかも、 この事をお聞き遊ばさないので、
靜遊幸行。 しづかに遊びいでます」
と語りき。
しずかに遊んで
おいでになるのでしよう」
と語りました。
     
爾其倉人女。 ここにその倉人女、 そこでその女が
聞此語言。 この語る言を聞きて、 この語つた言葉を聞いて、
即追近御船。 すなはち御船に追ひ近づきて、 御船に追いついて、
白之。
状具如仕丁之言。
その仕丁よぼろが言ひつるごと、
状ありさまをまをしき。
その仕丁の言いました通りに
有樣を申しました。
     

御津前

     
於是大后
大恨怒。
ここに大后
いたく恨み怒りまして、
 そこで皇后樣が
非常に恨み、お怒りになつて、
載其御船之
御綱柏者。
その御船に載せたる
御綱栢は、
御船に載せた
柏かしわの葉を
悉投棄於海。 悉に海に投げ棄うてたまひき。 悉く海に投げ棄てられました。
故號其地。
謂御津前也。
かれ其地そこに名づけて
御津みつの前さきといふ。
それで其處を
御津みつの埼と言うのです。
黒姫の歌:誰の夫 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
イワヒメ皇后の嫉妬
6 八田若郎女
あをによし