平家物語 巻第九 河原合戦 原文

宇治川先陣 平家物語
巻第九
河原合戦
かわらかっせん
木曾最期

 
 戦敗れにければ、飛脚をもつて鎌倉殿へ、合戦の次第詳しう記し申されけり。鎌倉殿、まづ御使に、「佐佐木はいかに」と御尋ねありければ、「宇治川の真つ先候ふ」と申す。さて日記をひらいて御覧ずれば、「宇治川の先陣、佐佐木四郎高綱、二陣、梶原源太景季」とこそ書かれたれ。
 

 宇治勢田敗れぬと聞こえしかば、木曾左馬頭義仲、最後の暇申さんとて、院の御所六条殿へ馳せ参る。
 御所には法皇をはじめ参らせて、公卿、殿上人、今度ぞ世の失せはてとて手を握り、立てぬ願もましまさず。
 木曾門前まで参りたりしかども、さして奏すべき旨もなくして、とつて返す。六条高倉なる所、初めて見そめたりける女房のありければ、そこに打ち寄つて、最後の名残惜しまんとて、とみに出でもやらざりけり。
 ここに今参りしたりける越後の中太家光といふ者あり。「御敵すでに川原まで攻めいつて候ふに、何とてかやうにうちとけて渡らせ給ひ候ふぞ。犬死にせさせ給ひ候ひなんず。とうとう御出で候へ」と申しけれども、なほ出でもやらざりけり。「さ候はば、家光はまづ先だち参らせて、四手の山でこそ待ち参らせ候はめ」とて、やがて打つ立ち給ひけり。
 

 ここに上野国の住人、那波太郎広純を先として、その勢百騎ばかりには過ぎざりけり。六条河原に打ち出でて見給へば、東国勢と思しくて、まづ三十騎ばかりで出で来たり。
 その中より武者二騎進んだり。一騎は塩屋五郎維広、一騎は勅使河原小三郎有直なり。塩屋が申しけるは、「後陣の勢をや待つべき」。また勅使河原が申しけるは、「一陣敗れぬれば残党まつたからず。ただ駆けよや」とて、をめいてかく。
 木曾は今日を最後と戦へば、東国の大勢、皆我討ち取らんとぞ進みける。
 

 大将軍九郎御曹司義経、戦をば軍兵どもにせさせ、院の御所のおぼつかなきに、守護し奉らんとて、混甲五六騎、院の御所六条殿へ馳せ参る。御所には、大膳大夫成忠、御所の東の築垣の上にのぼりあがり、わななくわななく見渡せば、武士五六騎のけ甲に戦ひなつて、白旗ざつと差し上げ、春風に射向け袖吹きなびかし、黒煙立てて馳せ参る。
 成忠、「あなあさまし、また木曾が参り候ふぞや」と申しければ、今度ぞ世の失せはてとて、君も臣も大きに騒ぎおはします。成忠重ねて申しけるは、「笠しるしのかはり候ふ。いかさまこれは今日はじめて都へ入る東国勢とおぼえ候ふ」と申しも果てねば、九郎義経、門前に馳せ参じ、急ぎ馬より飛んで下り、門をたたかせ、大音声を揚げて、「東国より前兵衛佐頼朝が舎弟、九郎義経参つて候ふぞや」と申されたりければ、成忠あまりの嬉しさに、急ぎ築垣の上より躍り下るるとて、腰をつき損じたりけれども、痛さは嬉しさに紛れておぼえず、はふはふ御前へ参つて、この由奏聞しければ、法皇大きに御感あつて、やがて門を開かせて入れられけり。
 

 九郎義経その日は、赤地の錦の直垂に、紫裾濃の鎧着て、鍬形うつたる甲の緒をしめ、金作りの太刀をはき、二十四さいたる切生の矢負ひ、滋籐の弓の鳥打ちを、紙を広さ一寸ばかりに切つて、左巻き巻いたる。今日の大将軍のしるしとぞ見えし。
 法皇、中門の連子より叡覧あつて、「ゆゆしげなる者どもかな。皆名乗らせよ」と仰せければ、まづ九郎義経、次に安田三郎義定、畠山庄司次郎重忠、梶原源太景季、佐佐木四郎高綱、渋谷右馬允重資とぞ名のりたれ。義経具して武士は六人、鎧は色色なりけれども、面魂ことがら、いづれも劣らず。
 成忠仰せ承つて、義経を大床のきはへ召して、合戦の次第をくはしう御尋ねあり。
 義経かしこまつて申しけるは、「木曾が謀叛のこと、頼朝、大きに驚き、範頼、義経を先として、都合六万余騎を参らせ候ふ。義経は宇治の手攻め破つて、この御所守護のために馳せ参じて候ふ。範頼は勢田より参り候ひつるが、未だ見え候はず。義仲河原を上りに落ち候ひつるを、軍兵どもをもつて追はせ候ひつれば、今は定めて打ち取り候ひなんず」と、いと事もなげにぞ申されける。
 法皇大きに御感あつて、「また木曾が余党なんども参つて、狼藉もぞつかまつる。汝はこの御所よくよく守護せよ」と仰せければ、かしこまり承つて、四方の門を固めて待つほどに、兵どもはせ集まつて、ほどなく一万余騎ばかりになりにけり。
 

 木曾はもしの事あらば、法皇取り奉て、西国へ落ち下り、平家とひとつにならんとて、力者二十人そろへて持つたりけれども、御所にはまた九郎義経参つて守護し奉ると聞こえしかば、「今はいかにも叶ふまじ。さらば」とて敵の中へかけ入り、討たれんとする事度度に及ぶといへども、かけいりかけいり通りけり。
 

 木曾涙を流いて、「かかるべしとだに知りたりせば、今井を勢田へはやらざらまし。幼少竹馬の昔より、死なば一所で死なんとこそ契りしに、ところどころで討たれん事こそ悲しけれ。いま一度今井が行方を聞かん」とて、河原をのぼりにかくるほどに、六条河原と三条河原の間にて、敵襲うてかかれば、取つて返し取つて返し、わづかなる小勢にて、雲霞のごとくなる敵の大勢を、五六度まで追ひ返す。
 賀茂川ざつとうち渡し、粟田口、松坂にもかかりけり。去年信濃を出でしには、五万余騎と聞こえしが、今日四の宮河原を過ぐるには、主従七騎になりにけり。まして中有の旅の空、思ひやられてあはれなり。
 

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