古事記 仲哀天皇の系譜~原文対訳

成務天皇 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
宮と系譜
神功皇后神がかり
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

     
帶中日子天皇。  帶中たらしなかつ
日子ひこの天皇、
 タラシナカツ彦の天皇
(仲哀天皇)、

穴門之
豐浦宮。
穴門あなとの
豐浦とよらの宮
穴門あなとの
豐浦とよらの宮

筑紫
訶志比宮。
また
筑紫つくしの
訶志比かしひの宮にましまして、
また筑紫つくしの
香椎かしいの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。
娶大江王之女。
大中津比賣命。
この天皇、
大江おほえの王が女、
大中津おほなかつ比賣の命に娶ひて、
この天皇、
オホエの王の女の
オホナカツ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
香坂王。 香坂かごさかの王、 カゴサカの王と
忍熊王。 忍熊おしくまの王 オシクマの王
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     

神功皇后

     
又娶
息長帶比賣命。
また
息長帶おきながたらし比賣の命に
娶ひたまひき。
また
オキナガタラシ姫の命と
結婚なさいました。
是大后。
生御子。
この太后の
生みませる御子、
この皇后の
お生みになつた御子は
品夜和氣命。 品夜和氣ほむやわけの命、 ホムヤワケの命・

大鞆和氣命。
亦名
品陀和氣命。
次に
大鞆和氣おほともわけの命、
またの名は
品陀和氣ほむだわけの命
オホトモワケの命、
またの名は
ホムダワケの命と
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     

応神天皇

     
此太子之御名。
所以負
大鞆和氣命者。
この太子ひつぎのみこの御名、
大鞆和氣
おほともわけの命と
負はせる所以ゆゑは、
この皇太子の御名を
オホトモワケの命と
申しあげるわけは、
初所生時。 初め生れましし時に、 初めお生まれになつた時に
如鞆宍
生御腕。
鞆なす宍しし、
御腕みただむきに生ひき。
腕に
鞆ともの形をした肉がありましたから、
故著其御名。 かれその御名に著けまつりき。 この御名前をおつけ申しました。
是以知坐
腹中定國也。
ここを以ちて
腹中ぬちにましまして國知らしめしき。
そこで腹の中においでになつて
天下をお治めなさいました。
     
此之御世。 この御世に、 この御世に
定淡道之屯家也。 淡道あはぢの屯家みやけを定めたまひき。 淡路の役所を定めました。
成務天皇 古事記
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宮と系譜
神功皇后神がかり