宇治拾遺物語:東大寺華厳会の事

敏行の朝臣 宇治拾遺物語
巻第八
8-5 (103)
東大寺華厳会
猟師、仏を射る

 
 これも今は昔、東大寺に恒例の大法会あり。華厳会とぞいふ。大仏殿の内に高座を立てて、講師上りて、堂の後よりかい消つやうにして、逃げて出でつるなり。
 古老の伝へていはく、「御寺建立のはじめ、鯖を売る翁来たる。ここに本願の上皇召しとどめて、大会の講師とす。売る所の鯖を経机にし置く。変じて八十華厳経となる。即ち講説の間、梵語をさへづる。法会の中間に、高座にしてたちまち失せをはりぬ。」
 またいはく、「鯖を売る翁、杖を持ちて鯖を担ふ。その鯖の数八十、則ち変じて八十華厳経となる。」
 件の杖の木、大仏殿の内、東回廊の前に突き立つ。たちまちに枝葉をなす。これ白榛の木なり。今伽藍の栄え衰へんとするに従ひて、この木栄え、枯ると言ふ。
 かの会の講師、この頃までも、中間に高座よりおりて、後戸よりかい消つやうにして出づる事、これを学ぶなり。
 

 この鯖の杖の木、三四十年がさきまでは、葉は青くて栄えたり。その後、なほ枯木にて立てりしが、この度平家の炎上に焼けをはりぬ。世の末の仕儀口惜しかりけり。