枕草子25段 すさまじきもの

生ひ先 枕草子
上巻上
25段
すさまじきもの
たゆまるる

(旧)大系:25段
新大系:22段、新編全集:23段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:22段
 


 
 すさまじきもの。昼吠ゆる犬、春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。乳児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃・地下炉。博士のうちつづき女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などは、いとすさまじ。
 

 人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されどそれはゆかしきことどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。
 

 人のもとにわざときよげに書きてやりつる文の返りごと、いまはもて来ぬらむかし、あやしう遅き、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いときたなげにとりなしふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌みとて取り入れず」と言ひてもて帰りたる、いとわびしくすさまじ。
 

 また、必ず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、さななりと人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅ほうとうちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日はほかへおはしますとて、渡り給はず」などうち言ひて、牛のかぎり引き出でて往ぬる。
 

 また、家の内なる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるほど、いとあいなし。乳児の乳母の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵はえ参るまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜少しふけて、忍びやかに門たたけば、胸少しつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすすさまじと言ふはおろかなり。
 

 験者の物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせ、せみの声しぼり出だして読みゐたれど、いささか去りげもなく、護法もつかねば、集まりゐ念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで読み困じて、「さにあらず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまにさくりあげ、あくびおのれうちして、寄り臥しぬる。
 

 いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、おし起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
 

 除目に司得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる田舎だちたる所に住む者など、皆集まり来て、出で入る車の轅もひまなく見え、物詣でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ、酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど耳立てて聞けば、前駆追ふ声々などして、上達部など皆出で給ひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを、見る者どもはえ問ひにだに問はず。
 ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせ給ひたる」など問ふに、答へには、「なにの前司にこそは」などぞ必ず答ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて往ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしうすさまじげなり。
 

 よろしうよみたると思ふ歌を人のもとにやりたるに、返しせぬ。懸想人はいかがせむ、それだに折をかしうなどある返事せぬは、心おとりす。また、さわがしう時めきたる所に、うちふるめきたる人の、おのれがつれづれといとまおほかるならひに、むかしおぼえてことなることなき歌よみておこせたる。物のをりの扇、いみじと思ひて、心ありと知りたる人にとらせたるに、その日になりて、思はずなる絵などかきて得たる。
 

 産養、むまのはなむけなどの使に、禄とらせぬ。はかなき薬玉、卯槌などもてありく者などにも、なほかならずとらすべし。思ひかけぬことに得たるをば、いとかひありと思ふべし。これは必ずさるべき使と思ひ、心ときめきしていきたるは、ことにすさまじきぞかし。
 

 婿取りして四五年まで産屋のさわぎせぬ所も、いとすさまじ。おとななる子どもあまた、ようせずは、孫などもはひありきぬべき人の親どち昼寝したる。かたはらなる子どもの心地にも、親の昼寝したるほどは、より所なくすさまじうぞあるかし。寝おきてあぶる湯は、はらだたしうさへぞおぼゆる。
 

 十二月のつごもりのながあめ。「一日ばかりの精進解斎」とやいふらむ。