古事記 三輪山の由来~原文対訳

活玉依姫 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
富多多泥古の出自
三輪山の由来
東方十二道

三輪山の由来

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

赤い麻糸

     
是以其父母。 ここを以ちてその父母、 そこでその父母が、
欲知其人。 その人を知らむと欲おもひて、 その人を知りたいと思つて、

其女曰。
その女に
誨をしへつらくは、
その女に
教えましたのは、
以赤土
散床前。
「赤土はにを
床の邊に散らし、
「赤土を
床のほとりに散らし
以閇蘇
〈此二字以音〉
紡麻貫針。
卷子紡麻
へそをを
針に貫ぬきて、
麻絲を
針に貫いてその
刺其衣襴。 その衣の襴すそに刺せ」
と誨をしへき。
着物きものの裾に刺せ」
と教えました。
     

御諸山(三輪山)の神=大物主大神=少名毘古那神?

     
故如教而。 かれ教へしが如して、 依つて教えた通りにして、
旦時見者。 旦時あしたに見れば、 朝になつて見れば、
所著針麻者。 針をつけたる麻をは、 針をつけた麻は
自戸之
控通而出。
戸の鉤穴かぎあなより
控ひき通りて出で、
戸の鉤穴かぎあなから
貫け通つて、
唯遺麻者。 ただ遺のこれる麻をは、 殘つた麻は
耳。 三勾みわのみなりき。 ただ三輪だけでした。
     
爾即知
自鉤穴出之状而。
 ここにすなはち
鉤穴より出でし状を知りて、
そこで
鉤穴から出たことを知つて
從糸尋行者。 絲のまにまに尋ね行きしかば、 絲をたよりに尋ねて行きましたら、
至美和山而。 美和山に至りて、 三輪山に行つて
留神社。 神の社に留まりき。 神の社に留まりました。
     

意富多多泥古=活玉×少名毘古那?

     
故知
神子
かれその神の御子なり
とは知りぬ。
そこで神の御子である
とは知つたのです。
     

三勾=美和?

     
故因其麻之
三勾遺而。
かれその麻をの
三勾みわ遺のこれるによりて、
その麻の
三輪殘つたのによつて
名其地謂
美和也。
其地そこに名づけて
美和みわといふなり。
其處を三輪と言うのです。
     
〈此意
富多多泥古命者。
この
意富多多泥古の命は、
この
オホタタネコの命は、
神君。 神みわの君、 神みわの君・
鴨君之祖〉 鴨の君が祖なり。 鴨の君の祖先です。
活玉依姫 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
富多多泥古の出自
三輪山の由来
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