古事記 下巻全文~原文対訳

下巻目次 古事記
下巻全文
下巻①
仁德天皇

下巻目次
16 仁德天皇(にんとく)
17 履中天皇(りちゅう)
18 反正天皇(はんぜい)
19 允恭天皇(いんぎょう)
20 安康天皇(あんこう)
21 雄略天皇(ゆうりゃく)
22 清寧天皇(せいねい)
23 顕宗天皇(けんぞう)
24 仁賢天皇(にんけん)
25 武烈天皇(ぶれつ)
26 継体天皇(けいたい)
27 安閑天皇(あんかん)
28 宣化天皇(せんか)
29 欽明天皇(きんめい)
30 敏達天皇(びだつ)
31 用明天皇(ようめい)
32 崇峻天皇(すしゅん)
33 推古天皇(すいこ)

 
 
 

仁德天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子(仁徳天皇)

     
大雀命。  大雀おほさざきの命、  オホサザキの命(仁徳天皇)、
坐難波之
高津宮。
難波の
高津の宮にましまして、
難波なにわの
高津たかつの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
此天皇。 この天皇、 この天皇、
娶葛城之
曾都毘古之女。
石之日賣命
〈大后〉
葛城かづらきの
曾都毘古そつびこが女、
石いはの日賣ひめの命
大后に娶あひて、
葛城のソツ彦の女の
石いわの姫ひめの命(皇后)と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
大江之
伊邪本和氣命。
大江の
伊耶本和氣
いざほわけの命、
オホエノ
イザホワケの命・

墨江之中津王。
次に
墨江すみのえの
中なかつ王みこ、
スミノエノ
ナカツの王・

蝮之水齒別命。
次に
蝮たぢひの
水齒別みづはわけの命、
タヂヒノ
ミヅハワケの命・

男淺津間
若子宿禰命。
次に男淺津間若子
をあさづま
わくごの宿禰の命
ヲアサヅマ
ワクゴノスクネの命の
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶上云。
日向之
諸縣君。
牛諸之女。
髮長比賣。
また上にいへる
日向ひむかの
諸縣むらがたの君
牛諸うしもろが女、
髮長比賣かみながひめに娶あひて、
また上にあげた
ヒムカノ
ムラガタの君
ウシモロの女の
髮長姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子みこは
波多毘能大郎子。
〈自波下
四字以音。下效此〉
亦名大日下王。
波多毘
はたびの大郎子、
またの名は
大日下くさかの王、
ハタビの大郎子、
またの名は
オホクサカの王・
次波多毘能若郎女。
亦名長日比賣命。
亦名若日下部命。
次に波多毘の若郎女わきいらつめ、
またの名は長目ながめ比賣の命、
またの名は若日下部の命
ハタビの若郎女、
またの名はナガメ姫の命、
またの名はワカクサカベの命の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
庶妹
八田若郎女。
また庶妹ままいも
八田やたの若郎女に
娶ひ、
また庶妹
ヤタの若郎女と
結婚し、
又娶
庶妹
宇遲能若郎女。
また庶妹
宇遲の若郎女に
娶ひたまひき。
また庶妹
ウヂの若郎女と
結婚しました。
此之二柱。
無御子也。
(この二柱は、
御子まさざりき)
このお二方は
御子がありません。
     
凡此
大雀天皇之御子等。
并六王。
およそこの
大雀の天皇の御子たち
并はせて六柱。
すべてこの
天皇の御子たち
合わせて六王ありました。
〈男王五柱。女王一柱〉 (男王五柱、女王一柱) 男王五人女王一人です。
     

伊邪本和氣命者。
治天下也。
かれ
伊耶本和氣の命は、
天の下治らしめしき。
この中、
イザホワケの命は
天下をお治めなさいました。
     

蝮之水齒別命。
亦。治天下。
次に
蝮の水齒別の命も
天の下治らしめしき。
次に
タヂヒノミヅハワケの命も
天下をお治めなさいました。

男淺津間
若子宿禰命
亦。治天下也。
次に
男淺津間
若子の宿禰の命も
天の下治らしめしき。
次に
ヲアサヅマ
ワクゴノスクネの命も
天下をお治めなさいました。
     
此天皇之御世。  この天皇の御世に、 この天皇の御世に
爲大后。
石之日賣命之
御名代。
定葛城部。
大后
石いはの比賣の命の
御名代みなしろとして、
葛城部かづらきべを定めたまひ、
皇后
石いわの姫ひめの命の
御名の記念として
葛城部をお定めになり、
亦爲太子。
伊邪本和氣命之
御名代。
定壬生部。
また太子
ひつぎのみこ
伊耶本和氣の命の御名代として、
壬生部にぶべを定めたまひ、
皇太子
イザホワケの命の
御名の記念として
壬生部をお定めになり、
亦爲水齒別命之
御名代。
定蝮部。
また水齒別の命の
御名代として、
蝮部たぢひべを定めたまひ、
またミヅハワケの命の
御名の記念として
蝮部たじひべをお定めになり、
亦爲大日下王之
御名代。
定大日下部。
また大日下の王の
御名代として、
大日下部を定めたまひ、
またオホクサカの王の
御名の記念として
大日下部おおくさかべをお定めになり、
爲若日下部王之
御名代。
定若日下部。
若日下部の王の
御名代として、
若日下部を定めたまひき。
ワカクサカベの王の
御名の記念として
若日下部をお定めになりました。
     

聖帝の世(仁徳に掛けた理想論:租税労役免除)

     
又役秦人。  また秦はた人を役えだてて、  この御世に大陸から來た
秦人はたびとを使つて、
作茨田堤。 茨田うまらたの堤と 茨田うまらだの堤、
及茨田三宅。 茨田の三宅みやけとを作り、 茨田の御倉をお作りになり、
又作丸邇池。 また丸邇わにの池、 また丸邇わにの池、
依網池。 依網よさみの池を作り、 依網よさみの池をお作りになり、
又掘難波之堀江而。 また難波の堀江を掘りて、 また難波の堀江を掘つて
通海。 海に通はし、 海に通わし、
又掘小椅江。 また小椅をばしの江を掘り、 また小椅おばしの江を掘り、
又定
墨江之津。
また墨江の津を
定めたまひき。
墨江すみのえの舟つきを
お定めになりました。
     
於是天皇。  ここに天皇、  或る時、天皇、
登高山 高山に登りて、 高山にお登りになつて、
見四方之國。 四方よもの國を見たまひて、 四方を御覽になつて
詔之。 詔のりたまひしく、 仰せられますには、
於國中烟不發。 「國中くぬちに烟たたず、 「國内に烟が立つていない。
國皆貧窮。 國みな貧し。 これは國がすべて貧しいからである。
故自今至三年。 かれ今より三年に至るまで、 それで今から三年の間
悉除
人民之課役。
悉に人民おほみたからの
課役みつきえだちを除ゆるせ」
とのりたまひき。
人民の租税勞役を
すべて免せ」
と仰せられました。
     
是以大殿破壞。 ここを以ちて
大殿破やれ壞こぼれて、
この故に
宮殿が破壞して
悉雖雨漏。 悉に雨漏れども、 雨が漏りますけれども
都勿修理 かつて修理をさめたまはず、 修繕なさいません。
以椷受其漏雨。 椷ひをもちてその漏る雨を受けて、 樋ひを掛けて漏る雨を受けて、
遷避于
不漏處。
漏らざる處に
遷り避さりましき。
漏らない處に
お遷り遊ばされました。
     
後見國中。 後に國中くぬちを見たまへば、 後に國中を御覽になりますと、
於國滿烟。 國に烟滿ちたり。 國に烟が滿ちております。
故爲人民富。 かれ人民
富めりとおもほして、
そこで人民が
富んだとお思いになつて、

科課役。
今はと
課役科おほせたまひき。
始めて
租税勞役を命ぜられました。
是以
百姓之榮。
ここを以ちて、
百姓おほみたから榮えて
それですから
人民が榮えて、
不苦
役使。
役使えだちに
苦まざりき。
勞役に出るのに
苦くるしみませんでした。
故稱其御世。 かれその御世を稱へて それでこの御世を稱えて
謂聖帝世也。 聖帝ひじりの御世とまをす。 聖ひじりの御世と申します。
     

皇后の嫉妬編:石姫の妬み(女石=妬)

     
其大后
石之日賣命。
 その大后
石いはの日賣の命、
 皇后
石の姫の命は
甚多嫉妬。 いたく嫉妬うはなりねたみ
したまひき。
非常に嫉妬なさいました。
故天皇所
使之妾者。
かれ天皇の
使はせる妾みめたちは、
それで天皇の
お使いになつた女たちは
不得臨宮中。 宮の中をもえ臨のぞかず、 宮の中にも入りません。
言立者。 言立てば、 事が起ると
足母阿賀迦邇
嫉妬。
〈自母下
五字以音〉
足も
足掻あがかに
妬みたまひき。
足擦あしずりして
お妬みなさいました。
     

黒姫への歌(くろざや)

     
爾天皇。 ここに天皇、 しかるに天皇、
聞看。
吉備
海部直之女。
名黑日賣。
其容姿端正。
吉備きびの
海部あまべの直あたへが女、
名は黒日賣くろひめ
それ容姿端正かほよしと
聞こしめして、
吉備きびの
海部あまべの直あたえの女、
黒姫くろひめという者が
美しいと
お聞き遊ばされて、
喚上而使也。 喚上めさげて使ひたまひき。 喚めし上げてお使いなさいました。
     
然畏其大后之嫉。 然れども
その大后の嫉みますを畏かしこみて、
しかしながら
皇后樣のお妬みになるのを畏れて
逃下本國。 本つ國に逃げ下りき。 本國に逃げ下りました。
天皇坐高臺。 天皇、高臺どのにいまして、 天皇は高殿においで遊ばされて、
望瞻
其黑日賣之。
船出浮海以。
その黒日賣の
船出するを
望み見て
黒姫の
船出するのを
御覽になつて、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌い遊ばされた御歌、
     
淤岐幣邇波 沖方へには 沖おきの方ほうには
袁夫泥都羅羅玖 小舟つららく。 小舟おぶねが續いている。
久漏邪夜能 くろざやの   
摩佐豆古和藝毛 まさづこ吾妹わぎも、 あれは愛いとしのあの子こが
玖邇幣玖陀良須 國へ下らす。 國へ歸るのだ。
     
故大后。  かれ大后  皇后樣は
聞是之御歌。 この御歌を聞かして、 この歌をお聞きになつて
大忿。 いたく忿りまして、 非常にお怒りになつて、
遣人於大浦。 大浦に人を遣して、 船出の場所に人を遣つて、
追下而。 追ひ下して、 船から黒姫を追い下して
自歩追去。 歩かちより追やらひたまひき。 歩かせて追いはらいました。
     

淡路では出会わじの歌

     
於是天皇。  ここに天皇、  ここに天皇は
戀其黑日賣。 その黒日賣に戀ひたまひて、 黒姫をお慕い遊ばされて、
欺大后。 大后を欺かして、のりたまはく、 皇后樣に欺いつわつて、

欲見
淡道嶋而。
「淡道島あはぢしま
見たまはむとす」
とのりたまひて、
淡路島を
御覽になる
と言われて、
幸行之時。 幸いでます時に、  
坐淡道嶋。 淡道島にいまして、 淡路島においでになつて
遙望歌曰。 遙はろばろに望みさけまして、
歌よみしたまひしく、
遙にお眺めになつて
お歌いになつた御歌、
     
淤志弖流夜 おしてるや、 海の照り輝く
那爾波能佐岐用 難波の埼よ 難波の埼から
伊傳多知弖 出で立ちて 立ち出でて
和賀久邇美禮婆 わが國見れば、 國々を見やれば、
阿波志摩 粟島 アハ島や
淤能碁呂志摩 淤能碁呂島おのごろしま、 オノゴロ島
阿遲摩佐能 檳榔あぢまさの アヂマサの
志麻母美由 島も見ゆ。 島も見える。
佐氣都志摩美由 佐氣都さけつ島見ゆ。 サケツ島も見える。
     

その心は吉備(機微。遠回り)

     
乃自其嶋傳而。  すなはちその島より傳ひて、  そこでその島から傳つて
幸行吉備國。 吉備きびの國に幸でましき。 吉備の國においでになりました。
     
爾黑日賣。 ここに黒日賣、 そこで黒姫が
令大坐
其國之山方地而。
その國の山縣やまがたの地ところに
おほましまさしめて、
その國の山の御園に
御案内申し上げて、
獻大御飯。 大御飯みけ獻りき。 御食物を獻りました。
     
於是爲
煮大御羹。
ここに大御羮
おほみあつものを煮むとして、
そこで羮あつものを
獻ろうとして
採其地之
菘菜時。
其地そこの
菘菜あをなを採つむ時に、
青菜を採つんでいる時に、
天皇。
到坐。
其孃子之採菘處。
天皇
その孃子の菘な採む處に
到りまして、
天皇が
その孃子の青菜を採む處に
おいでになつて、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いになりました歌は、
     
夜麻賀多邇。 山縣がたに  山の畑に
麻祁流阿袁那母。 蒔ける菘あをなも、 蒔いた青菜も
岐備比登登。 吉備人と  吉備の人と
等母邇斯都米婆。 共にし摘めば、 一緒に摘むと
多怒斯久母阿流迦。 樂たのしくもあるか。 樂しいことだな。
     

黒姫の歌(あんたは誰の夫)

     
天皇上幸之時。  天皇上り
幸いでます時に、
 天皇が京に上つて
おいでになります時に、
黑日賣獻御歌曰。 黒日賣、御歌、獻りて曰ひしく、 黒姫の獻つた歌は、
     
夜麻登幣邇 倭やまと方へに 大和の方へ
爾斯布岐阿宜弖 西風にし吹き上あげて、 西風が吹き上げて
玖毛婆那禮 雲離ばなれ 雲が離れるように
曾岐袁理登母 そき居をりとも、 離れていても
和禮和須禮米夜 吾われ忘れめや。 忘れは致しません。
     
又歌曰。 また歌ひて曰ひしく、  また、
     
夜麻登幣邇 倭やまと方へに 大和の方へ行くのは
由玖波多賀都麻 往くは誰が夫つま。 誰方樣どなたさまでしよう。
許母理豆能 隱津こもりづの  地の下の水のように、
志多用波閇都都 下よ延はへつつ 心の底で物思いをして
由久波多賀都麻 往くは誰が夫。 行くのは誰方樣どなたさまでしよう。
     

若郎女と密(御津で密会)

     
自此後時。  これより後、  これより後に
大后爲
將豐樂而。
大后
豐とよの樂あかりしたまはむとして、
皇后樣が
御宴をお開きになろうとして、
於採御綱柏。 御綱栢みつながしはを採りに、 柏かしわの葉を採りに
幸行木國之間。 木の國に幸でましし間に、 紀伊の國においでになつた時に、
天皇。婚
八田若郎女。
天皇、
八田やたの若郎女わかいらつめに
婚あひましき。
天皇が
ヤタの若郎女と結婚なさいました。
     
於是大后。 ここに大后は、 ここに皇后樣が
御綱柏
積盈御船。
御綱栢を
御船に積み盈みてて
柏の葉を
御船にいつぱいに積んで
還幸之時。 還りいでます時に、 お還りになる時に、
所驅使於水取司 水取もひとりの司に使はゆる、 水取の役所に使われる
吉備國
兒嶋之仕丁。
吉備の國の
兒島の郡の仕丁よぼろ、
吉備の國の
兒島郡の仕丁しちようが
是退己國。 これおのが國に退まかるに、 自分の國に歸ろうとして、
     
於難波之大渡。 難波の大渡に、 難波の大渡おおわたりで
遇所後
倉人女之船。
後れたる
倉人女くらびとめの船に
遇ひき。
遲れた
雜仕女ぞうしおんなの船に
遇いました。
     
乃語云。 すなはち語りて曰はく、 そこで語りますには
天皇者。 「天皇は、 「天皇は
此日婚
八田若郎女而。
このごろ
八田の若郎女に
娶ひまして
このごろ
ヤタの若郎女と
結婚なすつて、
晝夜戲遊。 晝夜よるひる戲れますを。 夜晝戲れておいでになります。
若大后。 もし大后は 皇后樣は
不聞看此事乎。 この事聞こしめさねかも、 この事をお聞き遊ばさないので、
靜遊幸行。 しづかに遊びいでます」
と語りき。
しずかに遊んで
おいでになるのでしよう」
と語りました。
     
爾其倉人女。 ここにその倉人女、 そこでその女が
聞此語言。 この語る言を聞きて、 この語つた言葉を聞いて、
即追近御船。 すなはち御船に追ひ近づきて、 御船に追いついて、
白之。
状具如仕丁之言。
その仕丁よぼろが言ひつるごと、
状ありさまをまをしき。
その仕丁の言いました通りに
有樣を申しました。
     
於是大后
大恨怒。
ここに大后
いたく恨み怒りまして、
 そこで皇后樣が
非常に恨み、お怒りになつて、
載其御船之
御綱柏者。
その御船に載せたる
御綱栢は、
御船に載せた
柏かしわの葉を
悉投棄於海。 悉に海に投げ棄うてたまひき。 悉く海に投げ棄てられました。
故號其地。
謂御津前也。
かれ其地そこに名づけて
御津みつの前さきといふ。
それで其處を
御津みつの埼と言うのです。
     

佐斯夫の歌(刺し夫)

     
即不入坐
宮而。
すなはち宮に
入りまさずて、
そうして皇居に
おはいりにならないで、
引避
其御船
泝於堀江。
その御船を
引き避よきて、
堀江に泝さかのぼらして、
船を曲げて
堀江に溯らせて、
隨河而。 河のまにまに、 河のままに
上幸山代。 山代やましろに上りいでましき。 山城に上つておいでになりました。
此時歌曰。 この時に歌よみしたまひしく、 この時にお歌いになつた歌は、
     
都藝泥布夜 つぎねふや  
夜麻志呂賀波袁 山代やましろ河を 山また山の山城川を
迦波能煩理 川のぼり 上流へと
和賀能煩禮婆 吾がのぼれば、 わたしが溯れば、
迦波能倍邇 河の邊べに  河のほとりに
淤斐陀弖流 生ひ立てる  生い立つている
佐斯夫袁 烏草樹さしぶを。 サシブの木、
佐斯夫能紀 烏草樹さしぶの樹、 そのサシブの木の
斯賀斯多邇 其しが下に  その下に
淤斐陀弖流 生ひ立てる 生い立つている
波毘呂 由都麻都婆岐 葉廣ゆつ眞椿まつばき、 葉の廣い椿の大樹、
斯賀波那能 弖理伊麻斯 其しが花の 照りいまし その椿の花のように輝いており
芝賀波能 比呂理伊麻須波 其しが葉の 廣ひろりいますは、 その椿の葉のように
廣らかにおいでになる
淤富岐美呂迦母 大君ろかも。 わが陛下です。
     

大和で若い男をつくるの歌

     
即自山代廻。  すなはち山代より廻りて、  それから山城から廻つて、
到坐那良山口。 那良の山口に到りまして、 奈良の山口においでになつて
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いになつた歌、
     
都藝泥布夜 つぎねふや  
夜麻志呂賀波袁 山代河を 山また山の山城川を
美夜能煩理 宮上り 御殿の方へと
和賀能煩禮婆 吾がのぼれば、 わたしが溯れば、
阿袁邇余志 あをによし うるわしの
那良袁須疑 那良を過ぎ、 奈良山を過ぎ
袁陀弖 小楯をだて 青山の圍んでいる
夜麻登袁須疑 倭やまとを過ぎ、 大和を過ぎ
和賀美賀本斯久邇波 吾わが 見が欲し國は、 わたしの見たいと思う處は、
迦豆良紀多迦美夜 葛城かづらき 高宮たかみや 葛城かずらきの高臺の御殿、
和藝幣能阿多理 吾家わぎへのあたり。 故郷の家のあたりです。
     
如此歌而還。  かく歌ひて還らして、  かように歌つてお還りになつて、
暫入坐。
筒木韓人。
名奴理能美
之家也。
しまし
筒木つつきの韓から人、
名は奴理能美
ぬりのみが家に入りましき。
しばらく
筒木つつきの韓人の
ヌリノミの家に
おはいりになりました。
     

いけいけ鳥山の歌(御前がいけ)

     
天皇。聞
看其大后。
自山代上幸而。
 天皇、
その大后は
山代より上り幸でましぬと
聞こしめして
天皇は
皇后樣が山城を通つて
上つておいでになつたと
お聞き遊ばされて、
     
使舍人。
名謂鳥山人。
舍人名は
鳥山といふ人を使はして
トリヤマという舍人とねりを
お遣りになつて
送御歌曰。 御歌を送りたまひしく、 歌をお送りなさいました。
その御歌は、
     
夜麻斯呂邇 山代に 山城やましろに
伊斯祁登理夜麻 いしけ鳥山、 追おい附つけ、トリヤマよ。
伊斯祁伊斯祁 いしけいしけ 追い附け、追い附け。
阿賀波斯豆麻邇 吾あが愛はし妻づまに 最愛の我が妻に
伊斯岐阿波牟加母 いしき遇はむかも。 追い附いて逢えるだろう。
     

大猪子の歌

     
又續遣
丸邇臣
口子而。
 また續ぎて
丸邇わにの臣
口子くちこを遣して
 續つづいて
丸邇わにの臣おみ
クチコを遣して、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 御歌をお送りになりました。
     
美母呂能 御諸みもろの ミモロ山の
曾能多迦紀那流 その高城たかきなる 高臺たかだいにある
意富韋古賀波良 大猪子おほゐこが原。 オホヰコの原。
意富韋古賀 大猪子が  その名のような大豚おおぶたの
波良邇阿流 腹にある、 腹にある
岐毛牟加布 肝向ふ 向き合つている臟腑きも、
許許呂袁陀邇迦 心をだにか せめて心だけなりと
阿比淤母波受阿良牟 相思おもはずあらむ。 思わないで居られようか。
     

大根白いの歌

     
又歌曰。  また歌よみしたまひしく、  またお歌い遊ばされました御歌、
     
都藝泥布 つぎねふ 山やままた山やまの
夜麻志呂賣能 山代女の 山城の女が
許久波母知 木钁こくは持ち 木の柄のついた鍬くわで
宇知斯淤富泥 打ちし大根、 掘つた大根、
泥士漏能 根白 その眞白まつしろな
斯漏多陀牟岐 白腕しろただむき、 白い腕を
麻迦受祁婆許曾 纏まかずけばこそ 交かわさずに來たなら、
斯良受登母伊波米 知らずとも言はめ。 知らないとも云えようが。
     

青摺衣が紅色

     
故是
口子臣。
 かれこの
口子くちこの臣おみ、
 このクチコの臣が
白此御歌之時。 この御歌を白す時に、 この御歌を申すおりしも
大雨。 大雨降りき。 雨が非常に降つておりました。
     
爾不避其雨。 ここにその雨をも避さらず、 しかるにその雨をも避けず、
參伏前殿戶者。 前つ殿戸とのどにまゐ伏せば、 御殿の前の方に參り伏せば
違出後戶。 後しりつ戸に違ひ出でたまひ、 入れ違つて
後うしろの方においでになり、
參伏後殿戶者。 後つ殿戸にまゐ伏せば、 御殿の後の方に參り伏せば
違出前戶。 前つ戸に違ひ出でたまひき。 入れ違つて
前の方においでになりました。
     
爾匍匐進赴。 かれ匍匐はひ進起しじまひて、 それで匐はつて
跪于庭中時。 庭中に跪ける時に、 庭の中に跪ひざまずいている時に、
水潦至腰。 水潦にはたづみ腰に至りき。 雨水がたまつて腰につきました。
其臣。 その臣、 その臣は

著紅紐
青摺衣。
紅あかき紐ひも著けたる
青摺あをずりの衣きぬを
服きたりければ、
紅い紐をつけた
藍染あいぞめの衣を
著ておりましたから、
故水潦拂紅紐。 水潦紅き紐に觸りて、 水潦みずたまりが赤い紐に觸れて
青皆變紅色。 青みな紅あけになりぬ。 青が皆赤くなりました。
     

口子臣之妹。
口日賣。
ここに
口子の臣が妹
口比賣くちひめ、
そのクチコの臣の
妹のクチ姫は
仕奉大后。 大后に仕へまつれり。 皇后樣にお仕えしておりましたので、
故是
口日賣歌曰。
かれその
口比賣くちひめ歌ひて曰ひしく、
この
クチ姫が歌いました歌、
     
夜麻志呂能 山代の 山城やましろの
都都紀能美夜邇 筒木の宮に 筒木つつきの宮みやで
母能麻袁須 物申す 申し上げている
阿賀勢能岐美波 吾あが兄せの君は、 兄上を見ると、
那美多具麻志母 涙ぐましも。 涙ぐまれて參ります。
     
爾太后問
其所由之時。
 ここに大后、
その故を問ひたまふ時に
 そこで皇后樣が
そのわけをお尋ねになる時に、
答白。 答へて曰さく、  
僕之兄口子臣也。 「僕が兄口子の臣なり」
とまをしき。
「あれはわたくしの兄の
クチコの臣でございます」
と申し上げました。
     

三色の蟲(三食の虫)

     
於是口子臣。  ここに口子の臣、  そこでクチコの臣、
亦其妹口比賣。 またその妹口比賣、 その妹のクチ姫、
及奴理能美。 また奴理能美ぬりのみ、 またヌリノミが
三人議而。 三人議はかりて、 三人して相談して
令奏天皇云。 天皇に奏まをさしめて曰さく、 天皇に申し上げましたことは、
     
大后幸行所以者。 「大后の幸でませる故は、 「皇后樣のおいで遊ばされたわけは、
奴理能美之所養虫。 奴理能美が養かへる蟲、 ヌリノミの飼つている蟲が、
一度爲匐虫。 一度は匐はふ蟲になり、 一度は這はう蟲になり、
一度爲殻。 一度は殼かひこになり、 一度は殼からになり、
一度爲飛鳥。 一度は飛ぶ鳥になりて、 一度は飛ぶ鳥になつて、
有變三色之
奇虫。
三色くさに變かはる
奇あやしき蟲あり。
三色に變る
めずらしい蟲があります。
看行此虫而。 この蟲を看そなはしに、 この蟲を御覽になるために
入坐耳。 入りませるのみ。 おはいりなされたのでございます。
更無異心。 更に異けしき心まさず」 別に變つたお心はございません」
如此奏時。 とかく奏す時に、 とかように申しました時に、
     
天皇詔。 天皇、 天皇は
然者吾。 「然らば吾あれも奇しと思へば、 「それでは
思奇異故欲見行。 見に行かな」
と詔りたまひて、
わたしも不思議に思うから見に行こう」
と仰せられて、
自大宮上幸行。 大宮より上り幸でまして、 大宮から上つておいでになつて、
入坐奴理能美之家時。 奴理能美が家に入ります時に、 ヌリノミの家におはいりになつた時に、
其奴理能美。 その奴理能美、 ヌリノミが
己所養之三種虫。 おのが養へる三種の蟲を、 自分の飼つている三色に變る蟲を
獻於大后。 大后に獻りき。 皇后樣に獻りました。
     

大根さわさわの歌

     
爾天皇。 ここに天皇、 そこで天皇が
御立
其大后所坐殿戶。
その大后のませる
殿戸に御立みたちしたまひて、
その皇后樣のおいでになる
御殿の戸にお立ちになつて、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌い遊ばされた御歌、
     
都藝泥布 つぎねふ 山また山の
夜麻斯呂賣能 山代女の 山城の女が
許久波母知 木钁こくは持もち 木の柄のついた鍬で
宇知斯意富泥 打ちし大根、 掘つた大根、
佐和佐和爾 さわさわに そのようにざわざわと
那賀伊幣勢許曾 汝なが言へせこそ、 あなたが云うので、
宇知和多須 うち渡す 見渡される
夜賀波延那須 やがは枝えなす 樹の茂みのように
岐伊理麻韋久禮 來き入り參ゐ來れ。 賑にぎやかにやつて來たのです。
     
此天皇與大后
所歌之六歌者。
 この天皇と大后と
歌よみしたまへる六歌は、
 この天皇と皇后樣と
お歌いになつた六首の歌は、
志都歌之歌返也。 志都しつ歌の歌ひ返しなり。 靜歌の歌い返しでございます。
     

すげーはらの歌

     
天皇。  天皇、  天皇、

八田若郎女。
八田やたの
若郎女わかいらつめに
戀ひたまひて、
ヤタの若郎女を
お慕いになつて
賜遣御歌。 御歌を遣したまひき。 歌をお遣しになりました。
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
夜多能 八田の ヤタの
比登母登須宜波 一本菅ひともとすげは、 一本菅は、
古母多受 子持たず 子を持たずに
多知迦阿禮那牟 立ちか荒れなむ。 荒れてしまうだろうが、
阿多良須賀波良 あたら菅原すがはら。 惜しい菅原だ。
許登袁許曾 言ことをこそ 言葉でこそ
須宜波良登伊波米 菅原すげはらと言はめ。 菅原というが、
阿多良須賀志賣 あたら清すがし女め。 惜しい清らかな女だ。
     

認知の歌

     
爾八田若郎女
答歌曰。
 ここに八田の若郎女、
答へ歌よみしたまひしく、
 ヤタの若郎女の
お返しの御歌は、
     
夜多能 八田の 八田やたの
比登母登須宜波 一本菅は 一本菅いつぽんすげは
比登理袁理登母 獨居りとも。 ひとりで居りましても、
意富岐彌斯 天皇おほきみし 陛下が
與斯登岐許佐婆 よしと聞こさば 良いと仰せになるなら、
比登理袁理登母 獨居りとも。 ひとりでおりましても。
     
故爲八田
若郎女之
御名代。
 かれ八田の
若郎女の
御名代として、
 
定八田部也。 八田部やたべを定めたまひき。  
     

女鳥王(メトリ王)めとられる

     
亦天皇。  また天皇、  また天皇は、
以其弟
速總別王。
爲媒而。
その弟
速總別の王を
媒なかだちとして、
弟の
ハヤブサワケの王を
媒人なこうどとして

庶妹
女鳥王。
庶妹ままいも
女鳥めとりの王を
乞ひたまひき。
メトリの王を
お求めになりました。
     
爾女鳥王。 ここに女鳥の王、 しかるにメトリの王が

速總別王曰。
速總別の王に
語りて曰はく、
ハヤブサワケの王に
言われますには、
因大后之強。 「大后の強おずきに因りて、 「皇后樣を憚かつて、
不治賜
八田若郎女。
八田の若郎女を
治めたまはず。
ヤタの若郎女をも
お召しになりませんのですから、
故思不仕奉。 かれ仕へまつらじと思ふ。 わたくしもお仕え申しますまい。
吾爲
汝命之妻。
吾あは
汝が命の妻めにならむ」
といひて、
わたくしは
あなた樣の妻になろうと思います」
と言つて
即相婚。 すなはち婚あひましつ。 結婚なさいました。
     

それおれの?歌

     
是以
速總別王。
不復奏。
ここを以ちて
速總別の王
復奏かへりごとまをさざりき。
それですから
ハヤブサワケの王は
御返事申しませんでした。
     
爾天皇。 ここに天皇、 ここに天皇は
直幸
女鳥王之
所坐而。
直ただに
女鳥の王の
います所にいでまして、
直接に
メトリの王の
おいでになる處に行かれて、
坐其殿戶之閾上。 その殿戸の
閾しきみの上にいましき。
その戸口の
閾しきいの上においでになりました。
     
於是女鳥王。
坐機而
織服。
ここに女鳥の王
機はたにまして、
服みそ織りたまふ。
その時メトリの王は
機はたにいて
織物を織つておいでになりました。
     
爾天皇歌曰。 ここに天皇、歌よみしたまひしく、 天皇のお歌いになりました御歌は、
     
賣杼理能 女鳥の メトリの女王の
和賀意富岐美能 吾が王おほきみの  
淤呂須波多 織おろす機はた、 織つていらつしやる機はたは、
他賀多泥呂迦母 誰たが料たねろかも。 誰の料でしようかね。
     

ちゃう(鳥)の歌

     
女鳥王答歌曰。  女鳥の王、答へ歌ひたまひしく、  メトリの王の御返事の歌、
     
多迦由久夜 高行くや  大空おおぞら高たかく飛とぶ
波夜夫佐和氣能 速總別の ハヤブサワケの王の
美淤須比賀泥 みおすひがね。 お羽織の料です。
     
故天皇。  かれ天皇、  それで天皇は
知其情。 その心を知らして、 その心を御承知になつて、
還入於宮。 宮に還り入りましき。 宮にお還りになりました。
     

とったれの歌

     
此時。  この時、 この後に
其夫速總別王。
到來之時。
その夫ひこぢ速總別の王の
來れる時に、
ハヤブサワケの王が
來ました時に、
其妻
女鳥王歌曰。
その妻みめ
女鳥の王の歌ひたまひしく、
メトリの王の
お歌いになつた歌は、
     
比婆理波 雲雀ひばりは 雲雀は
阿米邇迦氣流 天あめに翔かける。 天に飛び翔ります。
多迦由玖夜 高行くや 大空高く飛ぶ
波夜夫佐和氣 速總別、 ハヤブサワケの王樣、
佐邪岐登良佐泥 鷦鷯さざき取らさね。 サザキをお取り遊ばせ。
     
天皇聞此歌。  天皇この歌を聞かして、  天皇はこの歌をお聞きになつて、
即興軍欲殺。 軍を興して、
殺とりたまはむとす。
兵士を遣わして
お殺しになろうとしました。
     

君と一緒ならの歌

     

速總別王。
女鳥王。
共逃退而。
ここに
速總別の王、
女鳥の王、
共に逃れ退きて、
そこで
ハヤブサワケの王と
メトリの王と、
共に逃げ去つて、
騰于
倉椅山。
倉椅山くらはしやまに
騰あがりましき。
クラハシ山に
登りました。
     
於是
速總別王
歌曰。
ここに
速總別の王
歌ひたまひしく、
そこで
ハヤブサワケの王が
歌いました歌、
     
波斯多弖能。 梯立ての 梯子はしごを立てたような、
久良波斯夜麻袁。 倉椅山を クラハシ山が
佐賀志美登。 嶮さがしみと 嶮けわしいので、
伊波迦伎加泥弖。 岩かきかねて  岩に取り附きかねて、
和賀弖登良須母。 吾わが手取らすも。 わたしの手をお取りになる。
     
又歌曰。  また歌ひたまひしく、  また、
     
波斯多弖能。 梯立ての 梯子はしごを立てたような
久良波斯夜麻波。 倉椅山は クラハシ山は
佐賀斯祁杼。 嶮しけど、 嶮しいけれど、
伊毛登能爐禮波。 妹と登れば  わが妻と登れば
佐賀斯玖母阿良受。 嶮しくもあらず。 嶮しいとも思いません。
     
故自其地逃亡。  かれそこより逃れて、  それから逃げて、
到宇陀之
蘇邇時。
宇陀うだの
蘇邇そにに到りましし時に、
宇陀うだの
ソニという處に行き到りました時に、
御軍追到
而殺也。
御軍追ひ到りて、
殺しせまつりき。
兵士が追つて來て
殺してしまいました。
     

玉とった将軍→死刑

     
其將軍
山部大楯連。
 その將軍いくさのきみ
山部やまべの大楯おほたての連むらじ、
 その時に將軍
山部の大楯おおだてが、
取其女鳥王。 その女鳥の王の、 メトリの王の
所纒御手之
玉釧而。
御手に纏まかせる
玉釧たまくしろを取りて、
御手に纏まいておいでになつた
玉の腕飾を取つて、
與己妻。 おのが妻めに與へき。 自分の妻に與えました。
     
此時之後。 この時の後、 その後に
將爲豐樂之時。 豐の樂あかりしたまはむとする時に、 御宴が開かれようとした時に、
氏氏之女等。
皆朝參。
氏氏の女ども
みな朝參みかどまゐりす。
氏々の女どもが
皆朝廷に參りました。
爾大楯連之妻。 ここに大楯の連が妻、 その時大楯の妻は
以其王之玉釧。
纒于己手
而參赴。
その王の玉釧を、
おのが手に纏まきて
まゐ赴むけり。
かのメトリの王の玉の腕飾を
自分の手に纏いて
參りました。
     
於是
大后石之日賣命。
ここに
大后石いはの日賣の命、
そこで
皇后石いわの姫の命が、
自取
大御酒柏。
みづから
大御酒の栢かしはを取らして、
お手ずから
御酒みきの柏かしわの葉を
お取りになつて、
賜諸氏氏之女等。 諸もろもろ氏氏の女どもに賜ひき。 氏々の女どもに與えられました。
     
爾大后。 ここに大后、 皇后樣は
見知
其玉釧。
その玉釧を
見知りたまひて、
その腕飾を
見知つておいでになつて、
不賜
御酒柏。
御酒の栢を
賜はずて、
大楯の妻には
御酒の柏の葉を
お授けにならないで
乃引退。 すなはち引き退そけて、 お引きになつて、
召出
其夫大楯連以。
詔之。
その夫
大楯の連を召し出でて、
詔りたまはく、
夫の
大楯を召し出して
仰せられましたことは、
     
其王等。 「その王たち、 「あのメトリの王たちは
因无禮而
退賜。
禮ゐやなきに因りて
退けたまへる、
無禮でしたから、
お退けになつたので、
是者無異事耳。 こは異けしき事無きのみ。 別の事ではありません。
     
夫之奴乎。 それの奴や、 しかるにその奴やつは
所纒己君之
御手
玉釧。
おのが君の
御手に纏かせる
玉釧を、
自分の君の
御手に纏いておいでになつた
玉の腕飾を、
於膚温
剥持來。
膚もあたたけきに
剥ぎ持ち來て、
膚はだも温あたたかいうちに
剥ぎ取つて持つて來て、
即與己妻。 おのが妻に與へつること」
と詔りたまひて、
自分の妻に與えたのです」
と仰せられて、
乃給死刑也。 死刑ころすつみに行ひたまひき。 死刑に行われました。
     

カリの卵(その心は=命も思いのママ)

     
亦一時。  またある時、  また或る時、
天皇爲
將豐樂而。
天皇
豐の樂あかりしたまはむとして、
天皇が
御宴をお開きになろうとして、
幸行
日女嶋之時。
日女ひめ島に
幸でましし時に、
姫島ひめじまに
おいでになつた時に、
於其嶋雁生卵。 その島に雁かり卵こ生みたり。 その島に雁が卵を生みました。
     
爾召
建内宿禰命。
ここに
建内の宿禰の命を召して、
依つて
タケシウチの宿禰を召して、
以歌問
雁生卵之状。
歌もちて、
雁の卵生める状を
問はしたまひき。
歌をもつて
雁の卵を生んだ樣を
お尋ねになりました。
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
多麻岐波流 たまきはる  
宇知能阿曾 内の朝臣あそ、 わが大臣よ、
那許曾波 汝なこそは あなたは
余能那賀比登 世の長人ながひと、 世にも長壽の人だ。
蘇良美都 そらみつ  
夜麻登能久邇爾 日本やまとの國に この日本の國に
加理古牟登岐久夜 雁子こ産むと 聞くや。 雁が子を生んだのを
聞いたことがあるか。
     
於是建内宿禰。  ここに建内の宿禰、  ここにタケシウチの宿禰は
以歌語白。 歌もちて語りて白さく、 歌をもつて語りました。
     
多迦比迦流 比能美古 高光る 日の御子、 高く光り輝く日の御子樣、
宇倍志許曾 斗比多麻閇 諾うべしこそ 問ひたまへ。 よくこそお尋ねくださいました。
麻許曾邇  斗比多麻閇 まこそに 問ひたまへ。 まことにもお尋ねくださいました。
     
阿禮許曾波 余能那賀比登 吾あれこそは 世の長人、 わたくしこそは
この世の長壽の人間ですが、
蘇良美都 夜麻登能久邇爾 そらみつ 日本の國に この日本の國に
加理古牟登 伊麻陀岐加受 雁かり子こ産むと いまだ聞かず。 雁が子を生んだとは
まだ聞いておりません。
     
如此白而。  かく白して、  かように申して、
被給御琴。 御琴を賜はりて、 お琴を戴いて續けて歌いました。
歌曰。 歌ひて曰ひしく、  
     
那賀美古夜 汝なが王みこや 陛下へいかが
都毘邇斯良牟登 終に知らむと、 初はじめてお聞き遊ばしますために
加理波古牟良斯 雁は子産らし。 雁は子を生むのでございましよう。
     
  と歌ひき。  
此者。
本岐歌之片歌也。
こは
壽歌ほきうたの片歌なり。
 これは
壽歌ほぎうたの片歌かたうたです。
     

カラの船歌(その心はどこにでもある)

     
此之御世。  この御世に、  この御世に
免寸河之西。 兔寸うき河の西の方に、 ウキ河の西の方に
有一高樹。 高樹たかきあり。 高い樹がありました。
其樹之影。 その樹の影、 その樹の影は、
當旦日者。 朝日に當れば、 朝日に當れば
逮淡道嶋。 淡道あはぢ島におよび、 淡路島に到り、
當夕日者。 夕日に當れば、 夕日に當れば
越高安山。 高安山を越えき。 河内の高安山を越えました。
     
故切是樹
以作船。
かれこの樹を切りて、
船に作れるに、
そこでこの樹を切つて
船に作りましたところ、
甚捷行之船也。 いと捷とく行く船なりけり。 非常に早はやく行く船でした。
時號其船。
謂枯野。
時にその船に名づけて
枯野からのといふ。
その船の名は
カラノといいました。
     
故以是船。 かれこの船を以ちて、 それでこの船で、
旦夕
酌淡道嶋之寒泉。
旦夕あさよひに
淡道島の寒泉しみづを酌みて、
朝夕に
淡路島の清水を汲んで
獻大御水也。 大御水もひ獻る。 御料の水と致しました。
     
茲船破壞以
燒鹽。
この船の壞やぶれたるもちて、
鹽を燒き、
この船が壞こわれましてから、
鹽を燒き、
取其燒遺木。 その燒け遺のこりの木を取りて、 その燒け殘つた木を取つて
作琴。 琴に作るに、 琴に作りましたところ、
其音響七里。 その音七里ななさとに聞ゆ。 その音が七郷に聞えました。
     
爾歌曰。 ここに歌よみて曰ひしく、 それで歌に、
     
加良怒袁 枯野からぬを 船ふねのカラノで
志本爾夜岐 鹽に燒き、 鹽を燒いて、
斯賀阿麻理 其しが餘あまり その餘りを
許登爾都久理 琴に造り、 琴に作つて、
賀岐比久夜 掻き彈くや 彈きなせば、
由良能斗能 由良ゆらの門との 鳴るユラの海峽の
斗那賀能伊久理爾 門中となかの 海石いくりに 海中の岩に
布禮多都 振れ立つ  觸れて立つている
那豆能紀能 浸漬なづの木の、 海の木のように
佐夜佐夜 さやさや。 さやさやと鳴なり響く。
    と歌いました。
     
此者。
志都歌之
歌返也。
 こは
志都歌の
歌ひ返しなり。
これは
靜歌しずうたの
歌うたい返かえしです。
     

最期(仁徳天皇)

     
此天皇。
御年捌拾參歲。
 この天皇の
御年八十三歳やそぢあまりみつ。
 この天皇は御年八十三歳、
  (丁卯の年
八月十五日崩りたまひき)
丁卯ひのとうの年の
八月十五日にお隱れなさいました。
御陵在
毛受之耳〈上〉原也。
御陵は
毛受もずの耳原みみはらにあり。
御陵は
毛受もずの耳原にあります。

 

履中天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子(履中天皇)

     
伊邪本和氣命。  子みこ
伊耶本和氣
いざほわけの王、
 御子の
イザホワケの王
(履中天皇)、

伊波禮之
若櫻宮。
伊波禮いはれの
若櫻わかざくらの宮に
ましまして、
大和のイハレの
若櫻わかざくらの宮に
おいでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。 この天皇、 この天皇、
娶葛城之
曾都毘古之子。
葦田宿禰之女。
名黑比賣命。
葛城かづらきの
曾都毘古そつびこの子、
葦田あしだの宿禰が女、
名は黒比賣くろひめの命に娶ひて、
葛城かずらきの
ソツ彦の子この
アシダの宿禰の女の
黒姫くろひめの命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生うみになつた御子みこは、
市邊之
忍齒王。
市いちの邊べの
忍齒おしはの王、
市いちの邊べの
オシハの王・
次御馬王。 次に御馬みまの王、 ミマの王・
次妹青海郎女。
亦名
飯豐郎女。
次に妹青海あをみの郎女、
またの名は
飯豐いひとよの郎女
アヲミの郎女いらつめ、
又の名は
イヒトヨの郎女の
〈三柱〉 三柱。 お三方かたです。
     

墨江中王による宮放火

     
本坐
難波宮之時。
 もと
難波の宮にましましし時に、
 はじめ
難波の宮においでになつた時に、
坐大嘗而。 大嘗おほにへにいまして、 大嘗の祭を遊ばされて、
爲豐明之時。 豐の明あかりしたまふ時に、  
於大御酒
宇良宜而。
大御酒に
うらげて、
御酒みきに
お浮かれになつて、
大御寢也。 大御寢おほみねましき。 お寢やすみなさいました。
     
爾其弟
墨江中王。
ここにその弟
墨江すみのえの中つ王、
ここにスミノエノ
ナカツ王が
欲取天皇以。 天皇を取りまつらむとして、 惡い心を起して、
火著大殿。 大殿に火を著けたり。 大殿に火をつけました。
     

阿知直(アチチ)による(夜)救出

     
於是
倭漢直之祖。
ここに
倭やまとの漢あやの直あたへの祖、
この時に
大和の漢あやの直あたえの祖先の
阿知直。 阿知あちの直、 アチの直あたえが、
盜出而。 盜み出でて、 天皇をひそかに盜み出して、
乘御馬。 御馬に乘せまつりて、 お馬にお乘せ申し上げて
令幸於倭。 倭やまとにいでまさしめき。 大和にお連れ申し上げました。
     
故到于
多遲比野而。
かれ
多遲比野たぢひのに到りて、
そこで河内の
タヂヒ野においでになつて、
寤詔
此間者何處。
寤めまして詔りたまはく、
「此處ここは何處いづくぞ」
と詔りたまひき。
目がお寤さめになつて
「此處は何處だ」
と仰せられましたから、
爾阿知直白。 ここに阿知の直白さく、 アチの直が申しますには、
墨江中王。 「墨江の中つ王、 「スミノエノナカツ王が
火著大殿。 大殿に火を著けたまへり。 大殿に火をつけましたので
故率
逃於倭。
かれ率ゐまつりて、
倭に逃のがるるなり」
とまをしき。
お連れ申して
大和に逃げて行くのです」
と申しました。
     

屏風(も持ってこいよ)の歌

     
爾天皇歌曰。 ここに天皇歌よみしたまひしく、 そこで天皇がお歌いになつた御歌、
     
多遲比怒邇 丹比野たぢひのに タヂヒ野で
泥牟登斯理勢婆 寢むと知りせば、 寢ようと知つたなら
多都碁母母 防壁たつごもも 屏風をも
母知弖許麻志母能 持ちて來ましもの。 持つて來たものを。
泥牟登斯理勢婆 寢むと知りせば。 寢ようと知つたなら。
     

あれ燃えてるのウチじゃんの歌

     
到於
波邇賦坂。
 波邇賦
はにふ坂に到りまして、
 ハニフ坂においでになつて、
望見難波宮。 難波の宮を見放さけたまひしかば、 難波の宮を遠望なさいましたところ、
其火猶炳。 その火なほ炳もえたり。 火がまだ燃えておりました。
爾天皇亦歌曰。 ここにまた歌よみしたまひしく、 そこでお歌いになつた御歌、
     
波邇布邪迦 波邇布はにふ坂 ハニフ坂に
和賀多知美禮婆 吾が立ち見れば、 わたしが立つて見れば、
迦藝漏肥能 かぎろひの 盛んに
毛由流伊幣牟良 燃ゆる家群むら、 燃える家々は
都麻賀伊幣能阿多理 妻つまが家いへのあたり。 妻が家のあたりだ。
     

ある女人の歌

     
故到幸大坂
山口之時。
 かれ大坂の
山口に到りましし時に、
 かくて二上山ふたかみやまの
大坂の
山口においでになりました時に、
遇一女人。 女人をみな遇へり。 一人の女が來ました。
其女人白之。 その女人の白さく、 その女の申しますには、
     
持兵人等。 「兵つはものを持てる人ども、 「武器を持つた人たちが
多塞茲山。 多さはにこの山を塞さへたれば、 大勢この山を塞いでおります。
自當岐麻道。 當岐麻道たぎまぢより廻りて、 當麻路たぎまじから廻つて、
廻應越幸。 越え幸でますべし」
とまをしき。
越えておいでなさいませ」
と申し上げました。
     
爾天皇歌曰。 ここに天皇歌よみしたまひしく、 依つて天皇の歌われました御歌は、
     
於富佐迦邇。 大坂に 大坂で
阿布夜袁登賣袁。 遇ふや孃子をとめを。 逢あつた孃子おとめ。
美知斗閇婆。 道問へば  道を問えば
多陀邇波能良受。 直ただには告のらず、 眞直まつすぐにとはいわないで
當藝麻知袁能流。 當岐麻路たぎまぢを告る。 當麻路たぎまじを教えた。
     

兄弟殺し令(天皇→水齒別→墨江中王)

     
故上幸。  かれ上り幸でまして、  それから上つておいでになつて、
坐石上神宮也。 石いその上かみの宮に
ましましき。
石いその上かみの神宮に
おいで遊ばされました。
於是其
伊呂弟
水齒別命。
 ここにその
同母弟いろせ
水齒別みづはわけの命、
 ここに
皇弟
ミヅハワケの命が
參赴令謁。 まゐ赴むきて
まをさしめたまひき。
天皇の御許おんもとに
おいでになりました。
     
爾天皇令詔。 ここに天皇
詔りたまはく、
天皇が
臣下に言わしめられますには、
吾疑汝命
若與墨江中王。
同心乎。
故不相言。
「吾、汝が命の、
もし墨江すみのえの中なかつ王と
同おやじ心ならむかと疑ふ。
かれ語らはじ」
とのりたまひしかば、
「わたしはあなたが
スミノエノナカツ王と
同じ心であろうかと思うので、
物を言うまい」
と仰せられたから、
答白。 答へて曰さく、  
僕者
無穢邪心。
「僕は
穢きたなき心なし。
「わたくしは
穢きたない心はございません。
亦不同
墨江中王。
墨江の中つ王と
同おやじくはあらず」と、
答へ白したまひき。
スミノエノナカツ王と
同じ心でもございません」
とお答え申し上げました。
     
亦令詔。 また詔らしめたまはく、 また言わしめられますには、
然者。 「然らば、 「それなら
今還下而。 今還り下りて、 今還つて行つて、
殺墨江中王而。 墨江の中つ王を殺して、 スミノエノナカツ王を殺して
上來。 上のぼり來ませ。 上つておいでなさい。
彼時吾必相言。 その時に、吾あれかならず語らはむ」
とのりたまひき。
その時にはきつとお話をしよう」
と仰せられました。
     

そそのかされたソバカリ(墨江家臣の隼人)

     
故即
還下難波。
かれすなはち
難波に還り下りまして、
依つて
難波に還つておいでになりました。
欺所
近習
墨江中王之隼人。
名曾婆加理。
墨江の中つ王に近く事つかへまつる
隼人はやびと、
名は曾婆加里そばかりを
欺きてのりたまはく、
スミノエノナカツ王に近く仕えている
ソバカリという隼人はやとを
欺あざむいて、
     
云若汝從吾言者。 「もし汝、吾が言ふことに從はば、 「もしお前がわたしの言うことをきいたら、
吾爲天皇。 吾天皇となり、 わたしが天皇となり、
汝作大臣。 汝を大臣おほおみになして、 お前を大臣にして、
治天下那何。 天の下治らさむとおもふは如何に」
とのりたまひき。
天下を治めようと思うが、どうだ」
と仰せられました。
     
曾婆訶理。
答白
隨命。
曾婆訶里答へて白さく
「命のまにま」
と白しき。
ソバカリは
「仰せのとおりに致しましよう」
と申しました。
     
爾多祿給
其隼人。
ここにその隼人に
物多さはに賜ひてのりたまはく、
依つてその隼人に
澤山物をやつて、
曰然者
殺汝王也。
「然らば汝の王を殺とりまつれ」
とのりたまひき。
「それならお前の王をお殺し申せ」
と仰せられました。
     
於是
曾婆訶理。
ここに
曾婆訶里、
ここに
ソバカリは、
竊伺。
己王入厠。
己が王の
厠に入りませるを伺ひて、
自分の王が
厠にはいつておられるのを伺つて、
以矛刺而殺也。 矛ほこもちて刺して殺しせまつりき。 矛ほこで刺し殺しました。
     

哀れなソバカリ

     
故率曾婆訶理。 かれ曾婆訶里を率ゐて、 それでソバカリを連れて
上幸於倭之時。 倭やまとに上り幸でます時に、 大和に上つておいでになる時に、
到大坂山口。 大坂の山口に到りて、 大坂の山口においでになつて
以爲。 思ほさく、 お考えになるには、
     
曾婆訶理。 曾婆訶里、 ソバカリは
爲吾雖有大功。 吾がために大き功いさをあれども、 自分のためには大きな功績があるが、
既殺己君。 既におのが君を殺せまつれるは、 自分の君を殺したのは
是不義。 不義きたなきわざなり。 不義である。
然不賽其功。 然れどもその功に報いずは、 しかしその功績に報じないでは
可謂無信。 信まこと無しといふべし。 信を失うであろう。
既行其信。 既にその信を行はば、 しかも約束のとおりに行つたら、

惶其情。
かへりて
その心を恐かしこしとおもふ。
かえつて
その心が恐しい。
故雖報其功。 かれその功に報ゆとも、 依つてその功績には報じても
滅其正身。 その正身ただみを滅しなむ
と思ほしき。
その本人を殺してしまおうと
お思いになりました。
     

飛鳥の由来(隼人×発つのは明日か)

     
是以
詔曾婆訶理。
ここをもちて
曾婆訶里に詔りたまはく、
かくて
ソバカリに仰せられますには、
今日留此間而。 「今日は此處ここに留まりて、 「今日は此處に留まつて、
先給大臣位。 まづ大臣の位を賜ひて、 まずお前に大臣の位を賜わつて、
明日上幸。 明日上りまさむ」とのりたまひて、 明日大和に上ることにしよう」と仰せられて、
留其山口。 その山口に留まりて、 その山口に留まつて
即造假宮。 すなはち假かり宮を造りて、 假宮を造つて
忽爲豐樂。 俄に豐の樂あかりして、 急に酒宴をして、
乃於其隼人。
賜大臣位。
その隼人に大臣の位を賜ひて、 その隼人に大臣の位を賜わつて
百官令拜。 百官つかさづかさをして
拜をろがましめたまふに、
百官をして
これを拜ましめたので、
隼人歡喜。 隼人歡びて、 隼人が喜んで
以爲遂志。 志遂げぬと思ひき。 志成つたと思つていました。
     
爾詔其隼人。 ここにその隼人に詔りたまはく、 そこでその隼人に
今日與大臣。
飮同盞酒。
「今日大臣と
同おやじ盞うきの酒を飮まむとす」
と詔りたまひて、
「今日は大臣と共に
一つ酒盞の酒を飮もう」
と仰せられて、
共飮之時。 共に飮む時に、 共にお飮みになる時に、
隱面大鋺。 面おもを隱す大鋺まりに 顏を隱す大きな椀に
盛其進酒。 その進たてまつれる酒を盛りき。 その進める酒を盛りました。
於是王子先飮。 ここに王子みこまづ飮みたまひて、 そこで王子がまずお飮みになつて、
隼人後飮。 隼人後に飮む。 隼人が後に飮みます。
     
故其隼人飮時。 かれその隼人の飮む時に、 その隼人の飮む時に
大鋺覆面。 大鋺、面を覆ひたり。 大きな椀が顏を覆いました。
爾取出置席下之劍。 ここに席むしろの下に置ける
劒たちを取り出でて、
そこで座の下にお置きになつた
大刀を取り出して、
斬其隼人之頸。 その隼人が首を斬りたまひき。 その隼人の首をお斬りなさいました。
     
乃明日上幸。 すなはち明日くるつひ、
上り幸でましき。
かようにして明くる日に
上つておいでになりました。
故號其地。
謂近飛鳥也。
かれ其地そこに名づけて
近ちかつ飛鳥あすかといふ。
依つて其處を
近つ飛鳥あすかと名づけます。
     
上到于倭。 倭やまとに上り到りまして 大和に上つておいでになつて
詔之。 詔りたまはく、 仰せられますには、
今日留此間。 「今日は此處に留まりて、 「今日は此處に留まつて
爲祓禊而。 祓禊はらへして、 禊祓はらいをして、
明日參出。 明日まゐ出でて、 明日出て
將拜神宮。 神宮かむみやを拜まむ」
とのりたまひき。
神宮に參拜しましよう」
と仰せられました。
故號其地謂
遠飛鳥也。
かれ其地そこに名づけて
遠つ飛鳥といふ。
それで其處を
遠つ飛鳥と名づけました。
     

石上神宮参拝と報償(殺のお礼×参り)

     
故參出
石上神宮。
かれ石いその上かみの
神宮にまゐでて、
かくて石いその上かみの
神宮に參つて、
令奏天皇。
政既平訖
參上侍之。
天皇に
「政既に平ことむけ訖へて
まゐ上り侍さもらふ」
とまをさしめたまひき。
天皇に
「すべて平定し終つて
參りました」
と奏上致しました。
爾召入而。
相語也。
ここに召し入れて
語らひたまひき。
依つて召し入れて
語られました。
     
天皇。  天皇、  ここにおいて、
於是以阿知直。 ここに阿知の直を、 天皇がアチの直あたえを
始任
藏官。
始めて藏くらの官つかさに
任まけたまひ、
大藏の
役人になされ、
亦給粮地。 また粮地たどころを賜ひき。 また領地をも賜わりました。
     
亦此御世。 またこの御世に、 またこの御世に
於若櫻部臣等。
賜若櫻部名。
若櫻部わかさくらべの臣等に、
若櫻部といふ名を賜ひ、
若櫻部の臣等に
若櫻部という名を賜わり、
又比賣陀君等。
賜姓
謂比賣陀之君也。
また比賣陀ひめだの君等に、
比賣陀の君といふ
姓かばねを賜ひき。
比賣陀ひめだの君等に
比賣陀の君という
稱號を賜わりました。
亦定
伊波禮部也。
また伊波禮部いはれべを
定めたまひき。
また伊波禮部を
お定めなさいました。
     

最期(履中天皇)

     
天皇之
御年。陸拾肆歲。
 天皇の
御年六十四歳むそぢあまりよつ
天皇は
御年六十四歳、
  (壬申の年
正月三日崩りたまひき)
壬申みずのえさるの年の
正月三日にお隱れになりました。
御陵在毛受也。 御陵は毛受もずにあり。 御陵はモズにあります。

 

反正天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
水齒別命。  弟いろと
水齒別
みづはわけの命、
 弟の
ミヅハワケの命
(反正天皇)、
坐多治比之
柴垣宮。
多治比たぢひの
柴垣しばかきの宮にましまして、
河内の多治比たじひの
柴垣しばがきの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。
御身之長。
九尺二寸半。
天皇、
御身みみの長たけ
九尺二寸半
ここのさかまりふたきいつきだ。
天皇は
御身のたけが
九尺二寸半、
御齒
長一寸廣二分。
御齒の
長さ一寸き、廣さ二分きだ。
御齒の
長さが一寸、廣さ二分、
上下等齊。 上下等しく齊ととのひて、 上下同じように齊そろつて
既如貫珠。 既に珠を貫ぬけるが如くなりき。 珠をつらぬいたようでございました。
     
天皇。娶
丸邇之
許碁登臣之女。
都怒郎女。
天皇、
丸邇わにの
許碁登こごとの臣が女、
都怒つのの郎女に娶ひて、
 天皇は
ワニのコゴトの臣の女の
ツノの郎女と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
甲斐郎女。 甲斐かひの郎女、 カヒの郎女・
次都夫良郎女。 次に都夫良つぶらの郎女 ツブラの郎女の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
同臣之女。
弟比賣。
また同おやじ臣が女、
弟比賣に
娶ひて、
また同じ臣の女の
弟姫と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
財王。 財たからの王、 タカラの王・
次多訶辨郎女。 次に多訶辨たかべの郎女、 タカベの郎女で
并四王也。 并はせて四柱ましき。 合わせて四王おいでになります。
     
天皇之
御年。陸拾歲。
天皇
御年六十歳むそぢ。
天皇は
御年六十歳、
  (丁丑の年
七月に崩りたまひき)
丁丑ひのとうしの年の
七月にお隱れになりました。
御陵在
毛受野也。
御陵は
毛受野もずのにありと言へり。
御陵は
モズ野にあるということです。
     
     

 

允恭天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
男淺津間
若子宿禰命。
 弟男淺津間
をあさづまの
若子わくごの宿禰の王、
 弟の
ヲアサヅマ
ワクゴノスクネの王(允恭天皇)、
坐遠飛鳥宮。 遠つ飛鳥あすかの宮にましまして、 大和の
遠つ飛鳥の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。 この天皇、 この天皇、

意富本杼王之妹。
忍坂之
大中津比賣命。
意富本杼
おほほどの王が妹、
忍坂おさかの
大中津おほなかつ比賣の命
に娶ひて、
オホホドの王の妹の
オサカノ
オホナカツ姫の命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子みこは、
     
木梨之輕王。 木梨きなしの輕かるの王、 キナシノカルの王・
次長田大郎女。 次に長田の大郎女おほいらつめ、 ヲサダの大郎女・
次境之黑日子王。 次に境さかひの黒日子の王、 サカヒノクロヒコの王・
次穴穂命。 次に穴穗あなほの命、 アナホの命・
     
次輕大郎女。 次に輕の大郎女、 カルの大郎女・
亦名
衣通郎女。
またの御名は
衣通そとほしの郎女、
(カルの大郎女は
またの名を
衣通そとおしの郎女
〈御名所。
以負衣通王者。
(御名は
衣通の王と負はせる所以は、
と申しますのは、
其身之光。
自衣通出也〉
その御身の光
衣より出づればなり。)
その御身の光が
衣を通して出ましたからでございます。)
     
次八瓜之白日子王。 次に八瓜やつりの白日子の王、 ヤツリノシロヒコの王・
次大長谷命。 次に大長谷はつせの命、 オホハツセの命・
次橘大郎女。 次に橘たちばなの大郎女、 タチバナの大郎女・
次酒見郎女。 次に酒見さかみの郎女 サカミの郎女
〈九柱〉 九柱。 の九王です。
     
凡天皇之御子等。 およそ天皇の御子たち、  
九柱。 九柱。  
〈男王五。女王四〉 (男王五柱、女王四柱。) 男王五人女王四人です。
     
此九王之中。 この九柱の中に、  
穴穂命者。
治天下也。
穴穗の命は、
天の下治らしめしき。
このうちアナホの命は
天下をお治めなさいました。
次大長谷命。
治天下也。
次に大長谷の命も、
天の下治らしめしき。
次にオホハツセの命も
天下をお治めなさいました。
     

八十一の船

     
天皇。
初爲將所知
天津日繼之時。
 天皇
初め天つ日繼
知らしめさむとせし時に、
 初はじめ天皇てんのう、
帝位に
お即つきになろうとしました時に
     
天皇辭而。 辭いなびまして、 御辭退遊ばされて
詔之。 詔りたまひしく  
我者。
有一長病。
「我は
長き病しあれば、
「わたしは
長い病氣があるから
不得所知日繼。 日繼をえ知らさじ」と
詔りたまひき。
帝位に即つくことができない」
と仰せられました。
     
然大后始而。 然れども大后より始めて、 しかし皇后樣をはじめ
諸卿等。 諸卿まへつぎみたち 臣下たちも
因堅奏而乃。 堅く奏すに因りて、 堅くお願い申しましたので、
治天下。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此時。 この時、 この時に
新良國主。 新羅しらぎの國主こにきし、 新羅の國主が
貢進。
御調
八十一艘。
御調物みつぎもの
八十一艘やそまりひとふね
獻りき。
御調物みつぎものの
船八十一艘を
獻りました。
     
爾御調之大使。 ここに御調の大使、 その御調の大使は
名云
金波鎭
漢紀武。
名は
金波鎭漢紀武
こみはちに
かにきむといふ。
名なを
金波鎭漢紀武
こみぱちに
かにきむと言いました。
此人
深知藥方。
この人
藥の方みちを深く知れり。
この人が
藥の處方をよく知つておりましたので、
故治差。
帝皇之御病。
かれ天皇が御病を
治めまつりき。
天皇の御病氣を
お癒し申し上げました。
     

八十友緒氏姓

     
於是天皇。  ここに天皇、  ここに天皇が

天下。
氏氏名名人等之。
氏姓
忤過而。
天の下の
氏氏名名の人どもの、
氏姓かばねが
忤たがひ過あやまてることを
愁へまして、
天下の
氏々の人々の、
氏姓うじかばねの
誤あやまつているのを
お歎きになつて、
     
於味白檮之。
言八十禍津日前。
味白檮うまかしの
言八十禍津日
ことやそまがつひの前さきに、
大和のウマカシの
言八十禍津日
ことやそまがつひの埼さきに
居玖訶瓮而。
〈玖訶二字以音〉
玖訶瓮くかべを据ゑて、 クカ瓮べを据えて、
定賜天下之。
八十友緒
氏姓也。
天の下の
八十伴やそともの緒をの
氏姓を定めたまひき。
天下の臣民たちの
氏姓をお定めになりました。
     
又爲木梨之
輕太子
御名代。
また木梨きなしの
輕かるの太子
ひつぎのみこの御名代として、
またキナシノカルの太子の
御名の記念として
定輕部。 輕部かるべを定め、 輕部をお定めになり、
爲大后御名代。 大后の御名代として、 皇后樣の御名の記念として
定刑部。 刑部おさかべを定め、 刑部おさかべをお定めになり、
爲大后之弟。
田井中比賣
御名代。
大后の弟
田井たゐの中なかつ比賣の
御名代として、
皇后樣の妹の
タヰノナカツ姫の
御名の記念として
定河部也。 河部かはべを定めたまひき。 河部をお定めになりました。
     

最期(允恭天皇)

     
天皇。
御年。
漆拾捌歲。
 天皇
御年
七十八歳ななそぢまりやつ。
天皇
御年
七十八歳、
  (甲午の年
正月十五日崩りたまひき。)
甲午きのえうまの年の
正月十五日にお隱れになりました。
御陵在
河内之
惠賀
長枝也。
御陵は
河内かふちの
惠賀ゑがの
長枝ながえにあり。
御陵は
河内の
惠賀えがの
長枝にあります。
     

志良宜(しらげ)歌

     
天皇
崩之後。
 天皇
崩りまして後、
 天皇が
お隱かくれになつてから後のちに、

木梨之輕太子。
所知日繼。
木梨の輕の太子、
日繼知らしめすに
定まりて、
キナシノカルの太子が
帝位におつきになるに
定まつておりましたが、
未即位之間。 いまだ位に
即つきたまはざりしほどに、
まだ位に
おつきにならないうちに
奸其伊呂妹
輕大郎女而。
歌曰。
その同母妹いろも
輕の大郎女に奸たはけて、
歌よみしたまひしく、
妹のカルの大郎女に
戲れて
お歌いになつた歌、
     
阿志比紀能 あしひきの  
夜麻陀袁豆久理 山田をつくり 山田を作つて、
夜麻陀加美 山高だかみ 山が高いので
斯多備袁和志勢 下樋びをわしせ、 地の下に樋ひを通わせ、
志多杼比爾 下どひに  そのように心の中で
和賀登布伊毛袁 吾わがとふ妹を、 わたしの問い寄る妻、
斯多那岐爾 下泣きに 心の中で
和賀那久都麻袁 吾が泣く妻を、 わたしの泣いている妻を、
許存許曾婆 昨夜こぞこそは 昨夜こそは
夜須久波陀布禮 安やすく肌觸れ。 我が手に入れたのだ。
     
此者。
志良宜歌也。
 こは
志良宜しらげ歌なり。
 これは
志良宜歌しらげうたです。
     

夷振(ひなぶり)之上歌

     
又歌曰。 また歌よみしたまひしく、 また、
     
佐佐波爾 笹葉ささはに 笹ささの葉はに
宇都夜阿良禮能 うつや霰の、 霰あられが音おとを立たてる。
多志陀志爾 たしだしに  そのようにしつかりと
韋泥弖牟能知波 率寢ゐねてむ後のちは 共に寢た上は、
比登波加由登母 人は離かゆとも。 よしや君きみは別わかれても。
     
宇流波斯登 うるはしと いとしの妻と
佐泥斯佐泥弖婆 さ寢ねしさ寢てば 寢たならば、
加理許母能 刈薦ごもの 刈り取つた薦草こもくさのように
美陀禮婆美陀禮 亂れば亂れ。 亂れるなら亂れてもよい。
佐泥斯佐泥弖婆 さ寢しさ寢てば。 寢てからはどうともなれ。
     
此者。
夷振之上歌也。
 こは夷振ひなぶりの
上歌あげうたなり。
 これは夷振ひなぶりの
上歌あげうたです。
     

輕箭穴穂箭(かるやあなほや)

     
是以
百官及。
 ここを以ちて
百ももの官つかさまた、
 そこで
官吏を始めとして
天下人等。 天の下の人ども、 天下の人たち、
背輕太子而。 みな輕の太子に背きて、 カルの太子に背いて
歸穴穂御子。 穴穗ほの御子みこに歸よりぬ。 アナホの御子に心を寄せました。
     
爾輕太子畏而。 ここに輕の太子畏みて、 依つてカルの太子が畏れて
逃入
大前小前
宿禰大臣之家而。
大前おほまえ
小前をまへの
宿禰の大臣おほおみの家に
逃れ入りて、
大前小前
おおまえおまえの
宿禰の大臣の家へ
逃げ入つて、
備作兵器。 兵つはものを備へ作りたまひき。 兵器を作り備えました。
〈爾時所作矢者。 (その時に作れる矢は、 その時に作つた矢は
銅其箭之内。 その箭の同を銅にしたり。 その矢の筒を銅にしました。
故号其矢謂
輕箭也〉
かれその矢を
輕箭といふ。)
その矢を
カル箭やといいます。
     
穴穂御子亦。 穴穗あなほの御子も アナホの御子も
作兵器。 兵つはものを作りたまひき。 兵器をお作りになりました。
〈此王子
所作之矢者。
(その王子の
作れる矢は、
その王の
お作りになつた矢は

今時之矢者也。
今時の矢なり。 今の矢です。
是謂穴穂箭也〉 そを穴穗箭といふ。) これをアナホ箭やといいます。
     

加那斗加宜(かなとかげ)の歌

     
於是穴穂御子。
興軍

大前小前
宿禰之家。
穴穗の御子みこ
軍を興して、
大前小前の
宿禰の家を
圍かくみたまひき。
ここにアナホの御子が
軍を起して
大前小前の
宿禰の家を
圍みました。
     
爾到其
門時。
ここにその
門かなとに到りましし時に
そしてその
門に到りました時に
零大氷雨。 大氷雨ひさめ降りき。 大雨が降りました。
故歌曰。 かれ歌よみしたまひしく、 そこで歌われました歌、
     
意富麻幣 大前 大前
袁麻幣須久泥賀 小前宿禰が 小前宿禰の
加那斗加宜 かな門陰とかげ  家の門のかげに
加久余理許泥 かく寄より來こね。 お立ち寄りなさい。
阿米多知夜米牟 雨立ち止やめむ。 雨をやませて行きましよう。
     

宮人振(みやひとぶり)の歌

     
爾其
大前小前宿禰。
 ここにその
大前小前の宿禰、
 ここにその
大前小前の宿禰が、
擧手打膝。 手を擧げ、
膝を打ち、
手を擧げ膝を打つて
儛訶那傳
〈自訶下
三字以音〉
舞ひかなで、 舞い奏かなで、
歌參來。 歌ひまゐ來く。 歌つて參ります。
     
其歌曰。 その歌、 その歌は、
     
美夜比登能 宮人の 宮人の
阿由比能古須受 足結あゆひの小鈴こすず。 足に附けた小鈴が
淤知爾岐登 落ちにきと  落ちてしまつたと
美夜比登登余牟 宮人とよむ。 騷いでおります。
佐斗毘登母由米 里人もゆめ。 里人さとびとも
そんなに騷がないでください。
     
此歌者。  この歌は  この歌は
宮人振也。 宮人曲みやひとぶりなり。 宮人曲みやびとぶりです。
     

天田振の歌

     
如此歌參歸。 かく歌ひまゐ來て、 かように歌いながらやつて來て
白之。 白さく、 申しますには、
我天皇之御子。 「我あが天皇おほきみの御子、 「わたしの御子樣、
於伊呂兄王
無及兵。
同母兄いろせの御子を
な殺しせたまひそ。
そのようにお攻めなされますな。
若及兵者。 もし殺せたまはば、 もしお攻めになると
必人咲。 かならず人咲わらはむ。 人が笑うでしよう。
僕捕以貢進。 僕あれ捕へて獻らむ」
とまをしき。
わたくしが捕えて獻りましよう」
と申しました。
     
爾解兵退坐。 ここに軍を罷やめて
退そきましき。
そこで軍を罷やめて
去りました。
     
故大前小前宿禰。 かれ大前小前の宿禰、 かくて大前小前の宿禰が
捕其輕太子。 その輕の太子を捕へて、 カルの太子を捕えて
率參出以貢進。 率ゐてまゐ出て獻りき。 出て參りました。
     
其太子。 その太子、 その太子が
被捕歌曰。 捕はれて歌よみしたまひしく、 捕われて歌われた歌は、
     
阿麻陀牟 天飛だむ 空そら飛とぶ雁かり、
加流乃袁登賣 輕の孃子、 そのカルのお孃さん。
伊多那加婆 いた泣かば あんまり泣くと
比登斯理奴倍志 人知りぬべし。 人が氣づくでしよう。
波佐能夜麻能 波佐はさの山の  それでハサの山の
波斗能 鳩の、 鳩のように
斯多那岐爾那久 下泣きに泣く。 忍び泣きに泣いています。
     
又歌曰。  また歌よみしたまひしく、  また歌われた歌は、
     
阿麻陀牟 天飛あまだむ 空飛ぶ雁かり、
加流袁登賣 輕孃子かるをとめ、 そのカルのお孃さん、
志多多爾母 したたにも しつかりと
余理泥弖登富禮 倚り寢ねてとほれ。 寄つて寢ていらつしやい
加流袁登賣杼母 輕孃子ども。 カルのお孃さん。
     
故其輕太子者。  かれその輕の太子をば、  かくてそのカルの太子を
流於伊余湯也。 伊余いよの湯ゆに放ちまつりき。 伊豫いよの國の温泉に流しました。
     
亦將流之時。 また放たえたまはむとせし時に、 その流されようとする時に
歌曰。 歌よみしたまひしく、 歌われた歌は、
     
阿麻登夫 天飛あまとぶ 空を飛ぶ
登理母都加比曾 鳥も使ぞ。 鳥も使です。
多豆賀泥能 鶴たづが音ねの 鶴の聲が
岐許延牟登岐波 聞えむ時は、 聞えるおりは、
和賀那斗波佐泥 吾わが名問はさね。 わたしの事をお尋ねなさい。
     
此三歌者。  この三歌は、  この三首の歌は
天田振也。 天田振あまだぶりなり。 天田振あまだぶりです。
     

夷振之片下の歌

     
又歌曰。 また歌よみしたまひしく、 また歌われた歌は、
     
意富岐美袁 大君を わたしを
斯麻爾波夫良婆 島に放はぶらば、 島に放逐ほうちくしたら
布那阿麻理 船ふな餘り 船の片隅に乘つて
伊賀幣理許牟叙 い歸がへりこむぞ。 歸つて來よう。
和賀多多彌由米 吾わが疊ゆめ。 わたしの座席は
しつかりと護つていてくれ。
許登袁許曾 言をこそ 言葉でこそ
多多美登伊波米 疊と言はめ。 座席とはいうのだが、
和賀都麻波由米 吾が妻はゆめ。 わたしの妻を
護つていてくれというのだ。
     
此歌者。  この歌は、  この歌は
夷振之
片下也。
夷振ひなぶりの
片下かたおろしなり。
夷振ひなぶりの
片下かたおろしです。
     

衣通王の歌

     
其衣通王。 その衣通そとほしの王、 その時に衣通しの王が
獻歌。 歌獻りき。 歌を獻りました。
其歌曰。 その歌、 その歌は、
     
那都久佐能 夏草の 夏の草は萎なえます。
阿比泥能波麻能 あひねの濱の そのあいねの濱の
加岐加比爾 蠣貝かきかひに  蠣かきの貝殼に
阿斯布麻須那 足踏ますな。 足をお蹈みなさいますな。
阿加斯弖杼富禮 明あかしてとほれ。 夜が明けてからいらつしやい。
     

山多豆の歌

     
故後亦
不堪戀慕而。
 かれ後にまた
戀慕しのひに堪へかねて、
 後に
戀しさに堪えかねて
追往時。 追ひいでましし時、 追つておいでになつて
歌曰。 歌ひたまひしく、 お歌いになりました歌、
     
岐美賀由岐。 君が行き おいで遊ばしてから
氣那賀久那理奴。 け長くなりぬ。 日數が多くなりました。
夜麻多豆能。 山たづの  ニワトコの木のように、
牟加閇袁由加牟。 迎むかへを行かむ。 お迎えに參りましよう。
麻都爾波麻多士。 待つには待たじ。 お待ちしてはおりますまい。
〈此云山多豆者。 (ここに山たづといへるは、  
是今造木者也〉 今の造木なり)    
     

読歌(黄泉歌)

     
故追到之時。  かれ追ひ
到りましし時に、
 かくて追つて
おいでになりました時に、
待懷而歌曰。 待ち懷おもひて、
歌ひたまひしく、
太子がお待ちになつて
歌われた歌、
     
許母理久能 隱國こもりくの 隱れ國の
波都世能夜麻能 泊瀬はつせの山の 泊瀬の山の
意富袁爾波 波多波理陀弖 大尾おほをには 幡はた張はり立て 大きい高みには旗をおし立て
佐袁袁爾波 波多波理陀弖 さ小尾ををには 幡張り立て 小さい高みには旗をおし立て、
意富袁爾斯 那加佐陀賣流 大尾おほをよし ながさだめる おおよそにあなたの思い定めている
淤母比豆麻阿波禮 思ひ妻あはれ。 心盡しの妻こそは、ああ。
都久由美能 許夜流許夜理母 槻つく弓の伏こやる伏りも、 あの槻つき弓のように伏すにしても
阿豆佐由美 多弖理多弖理母 梓弓立てり立てりも、 梓あずさの弓のように立つにしても
能知母登理美流 後も取り見る 後も出會う
意母比豆麻阿波禮 思ひ妻あはれ。 心盡しの妻は、ああ。
     
又歌曰。  また歌ひたまひしく、  またお歌い遊ばされた歌は、
     
許母理久能 隱國こもりくの 隱れ國の
波都勢能賀波能 泊瀬はつせの川の 泊瀬の川の
加美都勢爾 伊久比袁宇知 上かみつ瀬せに 齋杙いくひを打ち、 上流の瀬には清らかな柱を立て
斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 下しもつ瀬に ま杙くひを打ち、 下流の瀬にはりつぱな柱を立て、
伊久比爾波 加賀美袁加氣 齋杙いくひには 鏡を掛け、 清らかな柱には鏡を懸け
麻久比爾波 麻多麻袁加氣 ま杙には ま玉を掛け、 りつぱな柱には玉を懸け、
麻多麻那須 阿賀母布伊毛 ま玉なす 吾あが思もふ妹、 玉のようにわたしの思つている女、
加賀美那須 阿賀母布都麻 鏡なす 吾あが思もふ妻、 鏡のようにわたしの思つている妻、
阿理登伊波婆許曾爾 ありと いはばこそよ、 その人がいると言うのなら
伊幣爾母由加米 家にも行かめ。 家にも行きましよう、
久爾袁母斯怒波米 國をも偲しのはめ。 故郷をも慕いましよう。
     
如此歌。  かく歌ひて、  かように歌つて、
即共
自死。
すなはち共に
みづから死せたまひき。
ともに
お隱れになりました。
故此二歌者。 かれこの二歌は それでこの二つの歌は
讀歌也。 讀歌なり。 讀歌よみうたでございます。

 
 

安康天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
     
穴穂御子。  御子
穴穗あなほの御子、
 御子の
アナホの御子(安康天皇)、
坐石上之穴穂宮。 石いその上かみの
穴穗の宮にましまして
石いその上かみの
穴穗の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

大日下王への使(根臣=ねのおみ)

     
天皇。  天皇、 天皇は、
爲伊呂弟
大長谷
王子而。
同母弟いろせ
大長谷はつせの
王子のために、
弟の
オホハツセの
王子のために、
坂本
臣等之祖。
坂本さかもとの
臣おみ等が祖おや
坂本の
臣たちの祖先の
根臣。 根ねの臣を、 ネの臣を、
遣大日下王
之許。
大日下おほくさかの王の
もとに遣して、
オホクサカの王の
もとに遣わして、
令詔者。 詔らしめたまひしくは、 仰せられましたことは
     
汝命之妹。 「汝が命の妹 「あなたの妹の
若日下王。 若日下わかくさかの王を、 ワカクサカの王を、
欲婚
大長谷王子。
大長谷の王子に
合はせむとす。
オホハツセの王と
結婚させようと思うから
故可貢。 かれ獻るべし」
とのりたまひき。
さしあげるように」
と仰せられました。
     
爾大日下王。 ここに大日下の王 そこでオホクサカの王は、
四拜白之。 四たび拜みて白さく、 四度拜禮して
若疑有
如此大命。
「けだしかかる
大命おほみこともあらむと思ひて、
「おそらくはこのような
御命令もあろうかと思いまして、
故。 かれ、 それで
不出外以置也。 外とにも出さずて置きつ。 外にも出さないでおきました。
是恐。 こは恐し。 まことに恐れ多いことです。
隨大命奉進。 大命のまにまに獻らむ」
とまをしたまひき。
御命令の通りさしあげましよう」
と申しました。
     
然言以白事。 然れども言こともちて白す事は、 しかし言葉で申すのは
其思无禮。 それ禮ゐやなしと思ひて、 無禮だと思つて、
即爲
其妹之禮物。
すなはち
その妹の禮物ゐやじろとして、
その妹の贈物として、
令持押木之
玉縵而
貢獻。
押木の
玉縵たまかづらを持たしめて、
獻りき。
大きな木の
玉の飾りを持たせて
獻りました。
     

根臣の謀り(大日下討たれる)

     
根臣。
即盜取
其禮物之
玉縵。
根の臣
すなはちその禮物ゐやじろの
玉縵たまかづらを
盜み取りて、
ネの臣は
その贈物の
玉の飾りを
盜み取つて、
     

大日下王曰。
大日下の王を
讒よこしまつりて曰さく、
オホクサカの王を
讒言していうには、
大日下王者。 「大日下の王は 「オホクサカの王は
不受勅命。 大命を受けたまはずて、 御命令を受けないで、
曰己妹乎。 おのが妹や、 自分の妹は
爲等族之
下席而。
等ひとし族うからの
下席したむしろにならむといひて、
同じほどの一族の
敷物になろうかと言つて、
取横刀之手上
而怒歟。
大刀の手上たがみ取とりしばりて、
怒りましつ」とまをしき。
大刀の柄つかをにぎつて
怒りました」と申しました。
     
故天皇。 かれ天皇 それで天皇は
大怒。 いたく怒りまして、 非常にお怒りになつて、

大日下王而。
大日下の王を
殺して、
オホクサカの王を
殺して、
取持來。
其王之嫡妻。
長田大郎女。
爲皇后。
その王の嫡妻むかひめ
長田ながたの大郎女を
取り持ち來て、
皇后おほぎさきとしたまひき。
その王の正妻の
ナガタの大郎女を取つて
皇后になさいました。
     

目弱王(大日下の子)

     
自此以後。  これより後に、  それから後に、
天皇。 天皇 天皇が
坐神牀而。 神牀かむとこにましまして、 神を祭つて
晝寢。 晝寢みねしたまひき。 晝お寢やすみになりました。
爾語其后。 ここにその后に語らひて、 ここにその皇后に物語をして
曰。
汝有所思乎。
「汝いまし思ほすことありや」
とのりたまひければ、
「あなたは思うことがありますか」
と仰せられましたので、
     
答曰。
被天皇之
敦澤。
何有所思。
答へて曰さく
「天皇おほきみの
敦き澤めぐみを被かがふりて、
何か思ふことあらむ」とまをしたまひき。
「陛下の
あついお惠みをいただきまして
何の思うことがございましよう」
とお答えなさいました。
     
於是。 ここに ここに
其大后先子。 その大后の先さきの子 その皇后樣の先の御子の
目弱王。 目弱まよわの王、 マヨワの王が
是年七歲。 これ年七歳になりしが、 今年七歳でしたが、
是王。 この王、 この王が、
當于其時而。 その時に當りて、 その時に
遊其殿下。 その殿の下に遊べり。 その御殿の下で遊んでおりました。
     
爾天皇。 ここに天皇、 そこで天皇は、
不知
其少王。
遊殿下以。
その少わかき王みこの
殿の下に遊べることを
知らしめさずて、
その子が
御殿の下で遊んでいることを
御承知なさらないで、

吾恆有所思。
大后に詔りたまはく、
「吾は恆に思ほすことあり。
皇后樣に仰せられるには
「わたしはいつも思うことがある。
何者。 何なぞといへば、 それは何かというと、
汝之子目弱王。 汝いましの子目弱の王、 あなたの子のマヨワの王が
成人之時。 人となりたらむ時、 成長した時に、
知吾殺
其父王者。
吾が
その父王を殺せしことを知らば、
わたしが
その父の王を殺したことを知つたら、
還爲有邪心乎。 還りて邪きたなき心あらむか」
とのりたまひき。
わるい心を起すだろう」
と仰せられました。
     

目弱王による天皇暗殺

     
於是。 ここに そこで
所遊其殿下
目弱王。
その殿の下に遊べる
目弱の王、
その御殿の下で遊んでいた
マヨワの王が、
聞取此言。 この言みことを聞き取りて、 このお言葉を聞き取つて、
便竊伺。 すなはち竊に ひそかに
天皇之
御寢。
天皇の
御寢みねませるを
伺ひて、
天皇の
お寢やすみになつているのを
伺つて、
取其傍大刀。 その傍かたへなる大刀を取りて、 そばにあつた大刀を取つて、
乃打斬。
其天皇之頸。
その天皇の頸を
うち斬りまつりて、
天皇のお頸くびをお斬り申して
逃入
都夫良意富美
之家也。
都夫良意富美
つぶらおほみが
家に逃れ入りましき。
ツブラオホミの
家に逃げてはいりました。
     
天皇。
御年。伍拾陸歲。
天皇、
御年五十六歳いそぢまりむつ。
天皇は
御年五十六歳、
御陵在
菅原之
伏見岡也。
御陵は
菅原すがはらの
伏見ふしみの岡をかにあり。
御陵は
菅原の
伏見の岡にあります。
     

大長谷王怒る:黑日子王を殺

     
爾大長谷王子。  ここに大長谷の王、  ここにオホハツセの王は、
當時
童男。
その時
かみ童男おぐなにましけるが、
その時
少年でおいでになりましたが、
即聞此事以。 すなはちこの事を聞かして、 この事をお聞きになつて、
慷愾忿怒。 慨うれたみ怒りまして、 腹を立ててお怒りになつて、
乃到
其兄。
黑日子王之許。
曰。
その兄いろせ
黒日子の
もとに到りて、
その兄の
クロヒコの王の
もとに行つて、
人取天皇。 「人ありて天皇を取りまつれり。 「人が天皇を殺しました。
爲那何。 いかにかもせむ」
とまをしたまひき。
どうしましよう」
と言いました。
     
然其黑日子王。 然れどもその黒日子の王、 しかしそのクロヒコの王は
不驚而。 驚かずて、 驚かないで、
有怠緩之心。 怠緩おほろかにおもほせり。 なおざりに思つていました。
     
於是大長谷王。 ここに大長谷の王、 そこでオホハツセの王が、
詈其兄。 その兄を詈のりて、 その兄を罵つて
言一爲天皇。 「一つには天皇にまし、 「一方では天皇でおいでになり、
一爲兄弟。 一つには兄弟はらからにますを、 一方では兄弟でおいでになるのに、
何無恃心。 何ぞは恃もしき心もなく、 どうしてたのもしい心もなく
聞殺
其兄。
その兄を
殺とりまつれることを聞きつつ、
その兄の
殺されたことを聞きながら
不驚而怠乎。 驚きもせずて、
怠おほろかに坐せる」といひて、
驚きもしないで
ぼんやりしていらつしやる」と言つて、
即握其衿控出。 その衣矜くびを取りて控ひき出でて、 着物の襟をつかんで引き出して
拔刀打殺。 刀たちを拔きてうち殺したまひき。 刀を拔いて殺してしまいました。
     

大長谷王怒る②:白日子王も殺

     
亦到
其兄。
白日子王而。
またその兄
白日子しろひこの王に
到りまして、
またその兄の
シロヒコの王のところに
行つて、
告状
如前。
状ありさまを告げまをしたまひしに、 樣子をお話なさいましたが、
緩亦如 前のごと
緩おほろかに
思ほししかば、
前のように
なおざりに
お思いになつておりましたから、
黑日子王。 黒日子の王のごと、 クロヒコの王のように、
即握
其衿以。
すなはちその衣衿を取りて、 その着物の襟をつかんで、
引率來。

小治田。
引き率ゐて、
小治田をはりだに
來到きたりて、
引きつれて
小治田おはりだに
來て
掘穴而
隨立埋者。
穴を掘りて、
立ちながらに埋みしかば、
穴を掘つて
立つたままに埋めましたから、
至埋腰時。 腰を埋む時に到りて、 腰を埋める時になつて、
兩目走拔
而死。
二つの目、走り拔けて
死うせたまひき。
兩眼が飛び出して
死んでしまいました。
     

ツブラオミ家(目弱王子の逃げた先)

     
亦興軍。  また軍を興して、  また軍を起して

都夫良
意美之家。
都夫良意美
つぶらおみが家を
圍かくみたまひき。
ツブラ
オホミの家を
お圍みになりました。
爾興軍
待戰。
ここに軍を興して
待ち戰ひて、
そこで軍を起して
待ち戰つて、
射出之矢。
如葦來散。
射出づる矢
葦あしの如く來散りき。
射出した矢が
葦のように飛んで來ました。
     
於是
大長谷王。
ここに
大長谷の王、
ここに
オホハツセの王は、
以矛爲杖。 矛を杖として、 矛ほこを杖として、
臨其内詔。 その内を臨みて
詔りたまはく、
その内をのぞいて
仰せられますには
我所相言之
孃子者。
「我が語らへる
孃子は、
「わたしが話をした
孃子は、
若有此家乎。 もしこの家にありや」
とのりたまひき。
もしやこの家にいるか」
と仰せられました。
     

都夫良意美。
ここに都夫良意美、 そこでツブラオホミが、
聞此詔命。 この詔命おほみことを聞きて、 この仰せを聞いて、
自參出。 みづからまゐ出でて、 自分で出て來て、
解所佩兵而。 佩ける兵つはものを解きて、 帶びていた武器を解いて、
八度拜。 八度拜をろがみて、 八度も禮拜して
白者。 白しつらくは、 申しましたことは
     
先日。
所問賜之
女子。
「先に
問ひたまへる
女子むすめ
「先に
お尋ねにあずかりました
女むすめの
訶良比賣者
侍。
訶良から比賣は、
侍さもらはむ。
カラ姫は
さしあげましよう。
亦副
五處之屯宅以獻。
また
五處の屯倉みやけを
副へて獻らむ
また
五か處のお倉を
つけて獻りましよう。
〈所謂五村屯宅者。
今葛城之五村苑人也〉
(いはゆる五處の屯倉は、
今の葛城の五村の苑人なり。)
 
     

其正身。
所以不參向者。
然れども
その正身ただみ
まゐ向かざる故は、
しかし
わたくし自身の
參りませんわけは、
自往古至今時。 古むかしより今に至るまで、 昔から今まで、

臣連。
隱於王宮。
臣連の、
王の宮に隱こもることは
聞けど、
臣下が
王の御殿に隱れたことは
聞きますけれども、
未聞
王子。
隱於臣家。
王子みこの
臣やつこの家に隱りませることは
いまだ聞かず。
王子が
臣下の家にお隱れになつたことは、
まだ聞いたことがありません。
     
是以思。 ここを以ちて思ふに、 そこで思いますに、
賎奴
意富美者。
賤奴やつこ
意富美は、
わたくし
オホミは、
雖竭力戰。 力をつくして戰ふとも、 力を盡して戰つても、
更無可勝。 更に
え勝つましじ。
決して
お勝ち申すことはできますまい。
然恃己。 然れどもおのれを恃みて、 しかしわたくしを頼んで、
入坐于隨家。 陋いやしき家に いやしい家に
之王子者。 入りませる王子は、 おはいりになつた王子は、
死而不棄。 命いのち死ぬとも棄てまつらじ」 死んでもお棄て申しません」と、
     
如此白而。 とかく白して、 このように申して、
亦取其兵。 またその兵を取りて、 またその武器を取つて、
還入以戰。 還り入りて戰ひき。 還りはいつて戰いました。
     

王子と家臣の最期

     
爾力窮。  ここに窮まり、 そうして力窮まり
矢盡。 矢も盡きしかば、 矢も盡きましたので、
白其王子。 その王子に白さく、 その王子に申しますには
僕者手悉傷。 「僕は痛手負ひぬ。 「わたくしは負傷いたしました。
矢亦盡。 矢も盡きぬ。 矢も無くなりました。
今不得戰。 今はえ戰はじ。 もう戰うことができません。
如何。 如何にせむ」とまをししかば、 どうしましよう」と申しましたから、
     
其王子。 その王子 その王子が、
答詔。 答へて詔りたまはく、 お答えになつて、
然者。
更無可爲。
「然らば
更にせむ術すべなし。
「それなら
もう致し方がない。
今殺吾。 今は吾を殺しせよ」
とのりたまひき。
わたしを殺してください」
と仰せられました。
     
故以刀
刺殺其王子。
かれ刀もちて
その王子を刺し殺せまつりて、
そこで刀で
王子をさし殺して、
乃切己頸
以死也。
すなはちおのが頸を切りて
死にき。
自分の頸を切つて
死にました。
     

カラフクロの言(謎の予言)

     
自茲以後。  これより後、  それから後に、
淡海之
佐佐紀
山君之祖。
淡海の
佐佐紀ささきの
山やまの君が祖おや、
近江の
佐々紀ささきの
山の君の祖先の
名韓帒白。 名は韓帒からふくろ白さく、 カラフクロが申しますには、
淡海之
久多
〈此二字以音〉
綿之蚊屋野。
「淡海の
久多綿くたわたの
蚊屋野かやのに、
「近江の
クタワタの
カヤ野に
多在猪鹿。 猪鹿しし多さはにあり。 鹿が澤山おります。
其立足者。 その立てる足は、 その立つている足は
如荻原。 荻すすき原の如く、 薄原すすきはらのようであり、
指擧角者。 指擧ささげたる角つのは、 頂いている角は
如枯樹。 枯松からまつの如し」
とまをしき。
枯松かれまつのようでございます」
と申しました。
     

市辺の忍齒(おしは)王の発言:(未明に)まだ覚めないか

     
此時
相率
市邊之
忍齒王。
この時
市の邊べの
忍齒おしはの王を
相率あともひて、
この時に
イチノベノ
オシハの王を
伴なつて
幸行淡海。 淡海にいでまして、 近江においでになり、
到其野者。 その野に到りまししかば、 その野においでになつたので、
各異作
假宮
而宿。
おのもおのも異ことに
假宮を作りて、
宿りましき。
それぞれ別に
假宮を作つて、
お宿りになりました。
     
爾明旦。  ここに明くる旦、 翌朝まだ
未日出之時。 いまだ日も出でぬ時に、 日も出ない時に、
忍齒王。 忍齒の王、 オシハの王が
以平心。 平つねの御心もちて、 何心なく
隨乘御馬。 御馬みまに乘りながら、 お馬にお乘りになつて、
到立
大長谷王
假宮之傍而。
大長谷の王の
假宮の傍に
到りまして、
オホハツセの王の
假宮の傍に
お立ちになつて、
詔其
大長谷王
子之御伴人。
その大長谷の王子の
御伴人みともびとに
詔りたまはく、
オホハツセの王の
お伴の人に
仰せられますには、
     
未寤坐。 「いまだも
寤めまさぬか。
「まだ
お目寤ざめになりませんか。
早可白也。 早く白すべし。 早く申し上げるがよい。
夜既曙訖。 夜は既に曙あけぬ。 夜はもう明けました。
可幸猟庭。 獵庭かりにはにいでますべし」
とのりたまひて
獵場においでなさいませ」
と仰せられて、
乃進馬出行。 馬を進めて出で行きぬ。 馬を進めておいでになりました。
     

忍齒王射殺さる(大長谷王に)

     
爾侍
其大長谷王之
御所人等。
ここに大長谷の王の
御許みもとに
侍ふ人ども、
そこで
そのオホハツセの王の
お側の人たちが、
白宇多弖
物云王子。
〈宇多弖
三字以音〉
「うたて
物いふ御子なれば、
「變つた事を
いう御子ですから、
故應愼。 御心したまへ。 お氣をつけ遊ばせ。
亦宜堅
御身。
また御身をも
堅めたまふべし」
とまをしき。
御身おんみをも
お堅めになるがよいでしよう」
と申しました。
     
即衣中服甲。 すなはち衣みその中に
甲よろひを服けし、
それでお召物の中に
甲よろいをおつけになり、
取佩弓矢。 弓矢を佩おばして、 弓矢をお佩おびになつて、
乘馬出行。 馬に乘りて出で行きて、 馬に乘つておいでになつて、
倏忽之間。 忽の間に たちまちの間に
自馬往雙。 馬より往き雙ならびて、 馬上でお竝びになつて、
拔矢。 矢を拔きて、 矢を拔いて
射落其忍齒王。 その忍齒の王を射落して、 そのオシハの王を射殺して、
乃亦切其身。 またその身みみを切りて、 またその身を切つて、
入於馬樎。 馬樎ぶねに入れて、 馬の桶に入れて
與土等埋。 土と等しく埋みき。 土と共に埋めました。
     

オホケとオケ逃げる(オシハの子)

     
於是。
市邊王之
王子等。
 ここに
市の邊の王の
王子たち、
それで
そのオシハの王の
子の
意富祁王。 意祁おけの王、 オケの王・
袁祁王 袁祁をけの王 ヲケの王の
〈二柱〉 二柱。 お二人は、
聞此亂而 この亂を聞かして、 この騷ぎをお聞きになつて
逃去。 逃げ去りましき。 逃げておいでになりました。
     

粮(メシ)の恨み(仕込み)

     
故到山代
苅羽井。
かれ山代やましろの
苅羽井かりはゐに到りまして、
かくて山城の
カリハヰにおいでになつて、

御粮之時。
御粮かれひ
きこしめす時に、
乾飯ほしいを
おあがりになる時に、
面黥
老人來。
面め黥さける
老人來て
顏に黥いれずみをした
老人が來て
奪其粮。 その御粮かれひを奪とりき。 その乾飯を奪い取りました。
     
爾其二王。 ここにその二柱の王、 その時にお二人の王子が、
言不惜粮。 「粮は惜まず。 「乾飯は惜しくもないが、
然。汝者誰人。 然れども汝いましは誰そ」
とのりたまへば、
お前は誰だ」
と仰せになると、
答曰。
我者。
山代之猪甘也。
答へて曰さく、
「我あは山代の
豕甘ゐかひなり」とまをしき。
「わたしは
山城の豚飼ぶたかいです」
と申しました。
     
故逃
渡玖須婆之河。
かれ
玖須婆くすばの河を
逃れ渡りて、
かくて
クスバの河を逃げ渡つて、
至針間國。 針間はりまの國に至りまし、 播磨はりまの國においでになり、
入其國人。
名志自牟之
家。
その國人名は
志自牟しじむが
家に入りまして、
その國の人民の
シジムという者の
家におはいりになつて、
隱身。 身を隱して、 身を隱して
役於
馬甘。
牛甘也。
馬甘うまかひ
牛甘うしかひに
役つかはえたまひき。
馬飼うまかい
牛飼うしかいとして
使われておいでになりました。

 

雄略天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮と系譜・事績

     
大長谷
若建命。
 大長谷の
若建わかたけの命、
 オホハツセノ
ワカタケの命(雄略天皇)、
坐。
長谷朝倉宮。
長谷はつせの
朝倉あさくらの宮にましまして、
大和の長谷はつせの
朝倉の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。
娶大日下王之妹。
若日下部王。
天皇、
大日下の王が妹、
若日下部の王に娶あひましき。
天皇は
オホクサカの王の妹の
ワカクサカベの王と結婚しました。
〈无子〉 (子ましまさず。) 御子はございません。
     
又娶
都夫良意富美之女。
韓比賣生御子。
また都夫良意富美が女、
韓比賣からひめに娶あひて、
生みませる御子、
またツブラオホミの女の
カラ姫と結婚して
お生みになつた御子は、
白髮命。 白髮しらがの命、 シラガの命・
次妹
若帶比賣命。
次に妹いも
若帶わかたらし比賣の命
ワカタラシの命
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
故爲
白髮太子之
御名代。
かれ白髮の太子みこの
みことの御名代みなしろとして、
そこでシラガの太子の
御名の記念として
定白髮部。 白髮部しらがべを定め、 白髮部しらがべをお定めになり、
又定
長谷部
舍人。
また
長谷部はつせべの
舍人とねりを定め、
また
長谷部はつせべの舍人、
又定
河瀬舍人也。
また河瀬の
舍人を定めたまひき。
河瀬の舍人を
お定めになりました。
     
此時。 この時に この御世に
呉人參渡來。 呉人くれびとまゐ渡り來つ。 大陸から
呉人くれびとが渡つて參りました。
其呉人。 その呉人を その呉人を
安置於呉原。 呉原くれはらに置きたまひき。 置きましたので
故號其地。 かれ其地そこに名づけて  
謂呉原也。 呉原といふ。 呉原くれはらというのです。
     

屋上の堅魚(カツオ)

     
初大后。  初め大后、  初め皇后樣が
坐日下之時。 日下にいましける時、 河内の
日下くさかにおいでになつた時に、
自日下之
直越道。
日下の
直越ただこえの道より、
天皇が日下の
直越ただごえの道を通つて
幸行河内。 河内に出いでましき。 河内においでになりました。
爾登山上。 ここに山の上に登りまして、 依つて山の上にお登りになつて
望國内者。 國内を見放さけたまひしかば、 國内を御覽になりますと、
有上堅魚。
作舍屋之家。
堅魚かつをを上げて
舍屋やを作れる家あり。
屋根の上に高く飾り木をあげて
作つた家があります。
     
天皇。
令問其家云。
天皇
その家を問はしめたまひしく、
天皇が、
お尋ねになりますには
其上堅魚
作舍者。誰家。
「その堅魚かつをを上げて
作れる舍は、誰が家ぞ」
と問ひたまひしかば、
「あの高く木をあげて
作つた家は誰の家か」
と仰せられましたから、
答白。
志幾之
大縣主家。
答へて曰さく、
「志幾しきの
大縣主おほあがたぬしが家なり」
と白しき。
お伴の人が
「シキの村長の家でございます」
と申しました。
     
爾天皇詔者。 ここに天皇詔りたまはく、 そこで天皇が仰せになるには、
奴乎。
己家。
似天皇之
御舍而造。
「奴や、
おのが家を、
天皇おほきみの
御舍みあらかに似せて造れり」
とのりたまひて、
「あの奴やつは
自分の家を
天皇の
宮殿に似せて造つている」
と仰せられて、
     
即遣人。 すなはち人を遣して、 人を遣わして
令燒其家之時。 その家を燒かしめたまふ時に、 その家をお燒かせになります時に、
其大縣主懼畏。 その大縣主、懼おぢ畏かしこみて、 村長が畏れ入つて
稽首白。 稽首のみ白さく、 拜禮して申しますには、
奴有者。 「奴にあれば、 「奴のことでありますので、
隨奴不覺而。 奴ながら覺さとらずて、 分を知らずに
過作。 過ち作れるが、 過つて作りました。
甚畏。 いと畏きこと」とまをしき。 畏れ入りました」と申しました。
     

犬献上

     
故獻
能美之御幣物。
〈能美二字以音〉
かれ
稽首のみの
御幣物ゐやじりを獻る。
そこで
獻上物を致しました。

布縶白犬。
白き犬に
布を縶かけて、
白い犬に
布を縶かけて
著鈴而。 鈴を著けて、 鈴をつけて、
己族
名謂腰佩人。
おのが族やから、
名は腰佩こしはきといふ人に、
一族の
コシハキという人に
令取犬繩
以獻上。
犬の繩つなを取らしめて
獻上りき。
犬の繩を取らせて
獻上しました。
故令止
其著火。
かれその火著くることを
止めたまひき。
依つてその火をつけることを
おやめなさいました。
     
即幸行。
其若日下部王之
許。
すなはち
その若日下部の王の
御許みもとにいでまして、
そこで
そのワカクサカベの王の
御許おんもとにおいでになつて、
賜入其犬。 その犬を賜ひ入れて、 その犬をお贈りになつて
令詔。 詔らしめたまはく、 仰せられますには、
是物者。 「この物は、 「この物は
今日得道之
奇物。
今日道に得つる
奇めづらしき物なり。
今日道で得た
めずらしい物だ。

都摩杼比
〈此四字以音〉
之物云
而賜入也。
かれ
妻問つまどひの物」
といひて、
賜ひ入れき。
贈物としてあげましよう」
と言つて、
くださいました。
     

日下部の歌(下根付かず)

     
於是
若日下部王。
ここに
若日下部の王、
この時に
ワカクサカベの王が
令奏天皇。 天皇に奏まをさしめたまはく、 申し上げますには、
背日
幸行之事。
「日に背そむきて
いでますこと、
「日を背中にして
おいでになることは
甚恐。 いと恐し。 畏れ多いことでございます。
故己
直參上而仕奉。
かれおのれ
直ただにまゐ上りて仕へまつらむ」
とまをさしめたまひき。
依つてわたくしが
參上してお仕え申しましよう」
と申しました。
     
是以。
還上坐於宮之時。
ここを以ちて
宮に還り上ります時に、
かくして
皇居にお還りになる時に、
行立
其山之坂上
歌曰。
その山の坂の上に
行き立たして、
歌よみしたまひしく、
その山の坂の上に
お立ちになつて、
お歌いになりました御歌、
     
久佐加辨能 日下部の  
許知能夜麻登 此方こちの山と この日下部くさかべの山と
多多美許母 疊薦たたみこも  
幣具理能夜麻能 平群へぐりの山の、 向うの平群へぐりの山との
許知碁知能 此方此方こちごちの あちこちの
夜麻能賀比爾 山の峽かひに 山のあいだに
多知邪加由流 立ち榮ざかゆる 繁つている
波毘呂久麻加斯 葉廣はびろ熊白檮くまかし、 廣葉のりつぱなカシの樹、
母登爾波 本には その樹の根もとには
伊久美陀氣淤斐 いくみ竹だけ生ひ、 繁つた竹が生え、
須惠幣爾波 末すゑへは 末の方には
多斯美陀氣淤斐 たしみ竹生ひ、 しつかりした竹が生え、
伊久美陀氣 いくみ竹 その繁つた竹のように
伊久美波泥受 いくみは寢ず、 繁くも寢ず
多斯美陀氣 たしみ竹 しつかりした竹のように
多斯爾波韋泥受 たしには率宿ゐねず、 しかとも寢ず
能知母久美泥牟 後もくみ寢む 後にも寢ようと思う
曾能淤母比豆麻 その思妻、 心づくしの妻は、
阿波禮 あはれ。 ああ。
     

令持此歌
而返使也。
 すなはち
この歌を持たしめして、
返し使はしき。
 この歌を
その姫の許に持たせて
お遣りになりました。
     

赤猪子(あかいこ)

     
亦一時。  またある時  また或る時、
天皇遊行。 天皇いでまして、  
到於
美和河之時。
美和河みわがはに
到ります時に、
三輪河に
お遊びにおいでになりました時に、
河邊。 河の邊に 河のほとりに
有洗衣童女。 衣きぬ洗ふ童女をとめあり。 衣を洗う孃子がおりました。
其容姿甚麗。 それ顏いと好かりき。 美しい人でしたので、
天皇。
問其童女。
汝者誰子。
天皇その童女に、
「汝いましは誰が子ぞ」
と問はしければ、
天皇がその孃子に
「あなたは誰ですか」と
お尋ねになりましたから、
     
答白。 答へて白さく 「わたくしは
己名。

引田部
赤猪子。
「おのが名は
引田部ひけたべの
赤猪子あかゐことまをす」
と白しき。
引田部ひけたべの
赤猪子あかいこと申します」
と申しました。
爾令詔者。 ここに詔らしめたまひしくは そこで仰せられますには、
汝不嫁夫。 「汝いまし、嫁とつがずてあれ。 「あなたは嫁に行かないでおれ。
今將喚而。 今召さむぞ」とのりたまひて、 お召しになるぞ」と仰せられて、
還坐於宮。 宮に還りましつ。 宮にお還りになりました。
     

八十年経過

     
故其赤猪子。 かれその赤猪子、 そこでその赤猪子が
仰待天皇之命。 天皇の命を仰ぎ待ちて、 天皇の仰せをお待ちして
既經八十歲。 既に八十歳やそとせを經たり。 八十年經ました。
於是赤猪子以爲。 ここに赤猪子 ここに赤猪子が思いますには、
望命之間。 「命みことを仰ぎ待ちつる間に、 「仰せ言を仰ぎ待つていた間に
已經多年。 已に多あまたの年を經て、 多くの年月を經て
姿體痩萎。 姿體かほかたち痩やさかみ
萎かじけてあれば、
容貌もやせ衰えたから、
更無所恃。 更に恃むところなし。 もはや恃むところがありません。
然非顯
待情。
然れども待ちつる心を
顯はしまをさずては、
しかし待つておりました心を
顯しませんでは
不忍於悒而。 悒いぶせきに忍あへじ」と思ひて、 心憂くていられない」と思つて、
令持
百取之
机代物。
百取ももとりの
机代つくゑしろの物を
持たしめて、
澤山の
獻上物を
持たせて
參出貢獻。 まゐ出で獻りき。 參り出て獻りました。
     
然天皇。 然れども天皇、 しかるに天皇は
既忘。
先所命之事。
先に詔りたまひし事をば、
既に忘らして、
先に仰せになつたことを
とくにお忘れになつて、
問其赤猪子曰。 その赤猪子に問ひてのりたまはく、 その赤猪子に仰せられますには、
汝者誰老女。 「汝いましは誰しの老女おみなぞ。 「お前は何處のお婆さんか。
何由以參來。 何とかもまゐ來つる」
と問はしければ、
どういうわけで出て參つたか」
とお尋ねになりましたから、
     
爾赤猪子答白。 ここに赤猪子答へて白さく、 赤猪子が申しますには
其年其月。 「それの年のそれの月に、 「昔、何年何月に
被天皇之命。 天皇が命を被かがふりて、 天皇の仰せを被つて、
仰待大命。 大命を仰ぎ待ちて、 今日まで御命令をお待ちして、
至于今日。 今日に至るまで  
經八十歲。 八十歳やそとせを經たり。 八十年を經ました。
今容姿既耆。 今は容姿既に老いて、 今、もう衰えて
更無所恃。 更に恃むところなし。 更に恃むところがございません。

顯白
己志以。
然れども、
おのが志を
顯はし白さむとして、
しかし
わたくしの志を
顯し申し上げようとして
參出耳。 まゐ出でつらくのみ」
とまをしき。
參り出たのでございます」
と申しました。
     

志都歌①②ゆゆしき歌

     
於是。
天皇大驚曰
ここに
天皇、いたく驚かして、
そこで
天皇が非常にお驚きになつて、
     

既忘先事。
「吾は
既に先の事を忘れたり。
「わたしは
とくに先の事を忘れてしまつた。
然汝守志
待命。
然れども汝いまし志を守り
命を待ちて、
それだのにお前が志を變えずに
命令を待つて、
徒過盛年。 徒に盛の年を過ぐししこと、 むだに盛んな年を過したことは
是甚愛悲。 これいと愛悲かなし」とのりたまひて、 氣の毒だ」と仰せられて、
心裏欲婚。 御心のうちに召さむと
欲おもほせども、
お召しになりたくは
お思いになりましたけれども、
憚其極老。 そのいたく老いぬるを
悼みたまひて、
非常に年寄つているのを
おくやみになつて、
不得
成婚而。
え召さずて、 お召しになり得ずに
賜御歌。 御歌を賜ひき。 歌をくださいました。
     
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
美母呂能 御諸みもろの 御諸みもろ山の
伊都加斯賀母登 嚴白檮いつかしがもと、 御神木のカシの樹のもと、
賀斯賀母登 由由斯伎加母 白檮かしがもと ゆゆしきかも。 そのカシのもとのように憚られるなあ、
加志波良袁登賣 白檮原かしはら孃子をとめ。 カシ原はらのお孃さん。
     
又歌曰。  また歌よみしたまひしく、  またお歌いになりました御歌は、
     
比氣多能 引田ひけたの 引田ひけたの
和加久流須婆良 若栗栖原くるすばら、 若い栗の木の原のように
和加久閇爾 若くへに  若いうちに
韋泥弖麻斯母能 率寢ゐねてましもの。 結婚したらよかつた。
淤伊爾祁流加母 老いにけるかも。 年を取つてしまつたなあ。
     

志都歌③④クサカエの歌(盛りを返せ・老い返せ)

     
爾赤猪子之
泣涙。
 ここに赤猪子が
泣く涙、
 かくて赤猪子の
泣く涙に、
悉濕。
其所服之
丹摺袖。
その服けせる
丹摺にすりの袖を
悉ことごとに濕らしつ。
著ておりました
赤く染めた袖が
すつかり濡れました。
     
答其大御歌
而歌曰。
その大御歌に答へて
曰ひしく、
そうして天皇の御歌にお答え
申し上げた歌、
     
美母呂爾 御諸に 御諸山に
都久夜多麻加岐 築つくや玉垣たまかき、 玉垣を築いて、
都岐阿麻斯 築つきあまし 築き殘して
多爾加母余良牟 誰たにかも依らむ。 誰に頼みましよう。
加微能美夜比登 神の宮人。 お社の神主さん。
     
又歌曰。  また歌ひて曰ひしく、  また歌いました歌、
     
久佐迦延能 日下江くさかえの 日下江くさかえの
伊理延能波知須 入江の蓮はちす、 入江に蓮はすが生えています。
波那婆知須 花蓮はなばちす その蓮の花のような
微能佐加理毘登 身の盛人、 若盛りの方は
登母志岐呂加母 ともしきろかも。 うらやましいことでございます。
     

多祿給
其老女以。
 ここに
その老女おみなに
物多さはに給ひて、
 そこで
その老女に
物を澤山に賜わつて、
返遣也。 返し遣りたまひき。 お歸しになりました。
     
故此四歌。 かれこの四歌は この四首の歌は
志都歌也。 志都歌なり。 靜歌しずうたです。
     

吉野の舞子の歌

     
天皇。  天皇  天皇が
幸行吉野宮之時。 吉野えしのの宮にいでましし時、 吉野の宮においでになりました時に、
吉野川之濱。 吉野川の邊に、 吉野川のほとりに
有童女。
其形姿美麗。
童女をとめあり、
それ形姿美麗かほよかりき。
美しい孃子がおりました。
故婚是童女而。 かれこの童女を召して、 そこでこの孃子を召して
還坐於宮。 宮に還りましき。 宮にお還りになりました。
     
後更亦
幸行吉野之時。
後に更に
吉野えしのにいでましし時に、
後に更に
吉野においでになりました時に、

其童女之所遇。
その童女の遇ひし所に
留まりまして、
その孃子に遇いました處に
お留まりになつて、
於其處立
大御呉床而。
其處そこに
大御呉床あぐらを立てて、
其處に
お椅子を立てて、
坐其御呉床。 その御呉床にましまして、 そのお椅子においでになつて
彈御琴。 御琴を彈かして、 琴をお彈きになり、
令爲儛其孃子。 その童女に儛はしめたまひき。 その孃子に舞まわしめられました。
爾因
其孃子之好儛。
ここに
その童女の好く儛へるに因りて、
その孃子は好く舞いましたので、
作御歌。 御歌よみしたまひき。 歌をお詠みになりました。
     
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
阿具良韋能 呉床座あぐらゐの 椅子にいる
加微能美弖母知 神の御手もち 神樣が御手みてずから
比久許登爾 彈く琴に 彈かれる琴に
麻比須流袁美那 舞する女をみな、 舞を舞う女は
登許余爾母加母 常世とこよにもがも。 永久にいてほしいことだな。
     

アキズの歌(飽きない食い合い)

     
即幸
阿岐豆野而。
 すなはち
阿岐豆野あきづのにいでまして、
 それから
吉野のアキヅ野においでになつて
御猟之時。 御獵したまふ時に、 獵をなさいます時に、
天皇。
坐御呉床。
天皇、
御呉床にましましき。
天皇が
お椅子においでになると、
爾虻
咋御腕。
ここに、虻あむ、
御腕ただむきを咋くひけるを、
虻あぶが
御腕を咋くいましたのを、
即蜻蛉來。
咋其虻而飛。
〈訓蜻蛉云阿岐豆〉
すなはち蜻蛉あきづ來て、
その虻あむを咋くひて、
飛とびき。
蜻蛉とんぼが來て
その虻を咋つて
飛んで行きました。
     
於是作御歌。 ここに御歌よみしたまへる、 そこで歌をお詠みになりました。
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
美延斯怒能 み吉野えしのの 吉野の
袁牟漏賀多氣爾 袁牟漏をむろが嶽たけに ヲムロが嶽たけに
志斯布須登 猪鹿しし伏すと、 猪ししがいると
多禮曾 誰たれぞ 陛下に申し上げたのは誰か。
意富麻幣爾麻袁須 大前に申す。  
夜須美斯志 やすみしし 天下を知ろしめす
和賀淤富岐美能 吾わが大君の 天皇は
斯志麻都登 猪鹿しし待つと 猪を待つと
阿具良爾伊麻志 呉床あぐらにいまし、 椅子に御座ぎよざ遊ばされ
斯漏多閇能 白栲しろたへの 白い織物の
蘇弖岐蘇那布 袖そで著具きそなふ お袖で裝うておられる
多古牟良爾 手腓たこむらに 御手の肉に
阿牟加岐都岐 虻あむ掻き著き、 虻が取りつき
曾能阿牟袁 その虻を その虻を
阿岐豆波夜具比 蜻蛉あきづ早咋くひ、 蜻蛉とんぼがはやく食い、
加久能碁登 かくのごと かようにして
那爾於波牟登 名に負はむと、 名を持とうと、
蘇良美都 そらみつ  
夜麻登能久爾袁 倭やまとの國を この大和の國を
阿岐豆志麻登布 蜻蛉島あきづしまとふ。 蜻蛉島あきづしまというのだ。
     
故自其時。  かれその時より、  その時からして、
號其野。 その野に名づけて その野を
謂阿岐豆野也。 阿岐豆野あきづのといふ。 アキヅ野というのです。
     

葛城山の大猪歌

     
又一時天皇。
登幸
葛城之山上。
 またある時、天皇
葛城かづらきの山の上に
登り幸でましき。
 また或る時、天皇が
葛城山の上に
お登りになりました。
爾大猪出。 ここに大きなる猪出でたり。 ところが大きい猪が出ました。
     
即天皇。
以鳴鏑。
射其猪之時。
すなはち天皇
鳴鏑なりかぶらをもちて
その猪を射たまふ時に、
天皇が
鏑矢かぶらやをもつて
その猪をお射になります時に、
其猪怒而。 その猪怒りて、 猪が怒つて
宇多岐依來。
〈宇多岐
三字以音〉
うたき
依り來。
大きな口をあけて
寄つて來ます。
故天皇。 かれ天皇、 天皇は、
畏其宇多岐。 そのうたきを畏みて、 そのくいつきそうなのを畏れて、
登坐榛上。 榛はりの木の上に登りましき。 ハンの木の上にお登りになりました。
     
爾歌曰。 ここに御歌よみしたまひしく、 そこでお歌いになりました御歌、
     
夜須美斯志 やすみしし 天下を知ろしめす
和賀意富岐美能 吾わが大君の 天皇の
阿蘇婆志斯 遊ばしし お射になりました
志斯能夜美斯志能 猪の、病猪やみししの 猪の手負い猪の
宇多岐加斯古美 うたき畏み、 くいつくのを恐れて
和賀爾宜能煩理斯 わが逃げ登りし、 わたしの逃げ登つた
阿理袁能 あり岡をの 岡の上の
波理能紀能延陀 榛はりの木の枝。 ハンの木の枝よ。
     

一言主大神(鏡の作用・鏡の神・還矢の本)

     
又一時。  またある時、天皇  また或る時、天皇が
登幸
葛城山之時。
葛城山に
登りいでます時に、
葛城山に
登つておいでになる時に、
     
百官人等。 百官つかさつかさの人ども、 百官の人々は

給著
紅紐之
青摺衣服。
悉ことごとに
紅あかき紐ひも著けたる
青摺の衣きぬを
給はりて著きたり。
悉く
紅い紐をつけた
青摺あおずりの衣を
給わつて著ておりました。
彼時。 その時に その時に
有其自所
向之山尾。
その向ひの山の尾より、 向うの山の尾根づたいに
登山上人。 山の上に登る人あり。 登る人があります。
既等
天皇之鹵簿。
既に
天皇の鹵簿みゆきのつらに等しく、
ちようど
天皇の御行列のようであり、
亦其裝束之状。 またその束裝よそひのさま、 その裝束の樣も
及人衆。 また人どもも、 また人たちも
相似不傾。 相似て別れず。 よく似てわけられません。
     
爾天皇。 ここに天皇 そこで天皇が

令問曰。
見放さけたまひて、
問はしめたまはく、
御覽遊ばされて
お尋ねになるには、
於茲倭國。 「この倭やまとの國に、 「この日本の國に、
除吾
亦無王。
吾あれを除おきて
また君は無きを。
わたしを除いては
君主はないのであるが、
今誰人如此而行。 今誰人かかくて行く」
と問はしめたまひしかば、
かような形で行くのは誰であるか」
と問わしめられましたから、
即答曰之状亦。 すなはち答へまをせるさまも、 答え申す状もまた
如天皇之命。 天皇の命みことの如くなりき。 天皇の仰せの通りでありました。
     
於是天皇。 ここに天皇 そこで天皇が
大忿而
矢刺。
いたく忿いかりて、
矢刺したまひ、
非常にお怒りになつて
弓に矢を番つがえ、
百官人等。 百官の人どもも、 百官の人々も
悉矢刺爾。 悉に矢刺しければ、 悉く矢を番えましたから、
其人等亦
皆矢刺。
ここにその人どもも
みな矢刺せり。
向うの人たちも
皆矢を番えました。
     
故天皇。 かれ天皇 そこで天皇が
亦問曰。 また問ひたまはく、 またお尋ねになるには、
然告其名。 「その名を告のらさね。 「それなら名を名のれ。
爾各告名而
彈矢。
ここに名を告りて、
矢放たむ」とのりたまふ。
おのおの名を名のつて
矢を放とう」と仰せられました。
     
於是答曰。 ここに答へてのりたまはく、 そこでお答え申しますには、
吾先見問。 「吾あれまづ問はえたれば、 「わたしは先に問われたから
故吾先爲名告。 吾まづ名告りせむ。 先に名のりをしよう。
吾者。 吾あは わたしは
雖惡事而一言。 惡まが事も一言、 惡い事も一言、
雖善事而一言。 善事よごとも一言、 よい事も一言、
言離之神。 言離ことさかの神、 言い分ける神である
葛城之
一言主大神者也。
葛城かづらきの
一言主ひとことぬしの大神なり」
とのりたまひき。
葛城の
一言主ひとことぬしの大神だ」
と仰せられました。
     

現実の神に雄略屈服

     
天皇。
於是惶畏而白。
天皇ここに
畏みて白したまはく、
そこで天皇が
畏かしこまつて仰せられますには、
恐我大神。 「恐し、我が大神、 「畏れ多い事です。わが大神よ。
有宇都志意美者。
〈自宇下五字以音〉
現うつしおみまさむとは、 かように
現實の形をお持ちになろうとは
不覺白而。 覺しらざりき」と白して、 思いませんでした」と申されて、
     
大御刀。
及弓矢始而。
大御刀
また弓矢を始めて、
御大刀
また弓矢を始めて、
脱百官人等。
所服衣服以。
百官の人どもの
服けせる衣服きものを脱がしめて、
百官の人どもの
著ております衣服を脱がしめて、
拜獻。 拜み獻りき。 拜んで獻りました。
     
爾其一言主大神。 ここにその一言主の大神、 そこでその一言主の大神も
手打
受其捧物。
手打ちて
その捧物ささげものを受けたまひき。
手を打つて
その贈物を受けられました。
     
故天皇之還幸時。 かれ天皇の還りいでます時、 かくて天皇のお還りになる時に、
其大神。 その大神、 その大神は
深山末。 山の末はにいはみて、 山の末に集まつて、
於長谷
山口送奉。
長谷の
山口に送りまつりき。
長谷はつせの
山口までお送り申し上げました。
故是
一言主之大神者。
かれこの一言主の大神は、 この一言主の大神は
彼時所顯也。 その時に顯れたまへるなり。 その時に御出現になつたのです。
     

金鉏岡の歌:金でスキにする歌

     
又天皇。  また天皇、  また天皇、

丸邇之
佐都紀臣之女。
袁杼比賣。
丸邇わにの
佐都紀さつきの臣が女、
袁杼をど比賣を
婚よばひに、
丸邇わにの
サツキの臣の女の
ヲド姫と
結婚をしに
幸行于
春日之時。
春日に
いでましし時、
春日に
おいでになりました時に、
媛女逢道。 媛女をとめ、道に逢ひて、 その孃子が道で逢つて、
即見幸行而。 すなはち幸行いでましを見て、 おでましを見て
逃隱岡邊。 岡邊をかびに逃げ隱りき。 岡邊に逃げ隱れました。
     
故作御歌。 かれ御歌よみしたまへる、 そこで歌をお詠みになりました。
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
袁登賣能 孃子をとめの お孃さんの
伊加久流袁加袁 い隱かくる岡を 隱れる岡を
加那須岐母 金鉏かなすきも じようぶな鉏すきが
伊本知母賀母 五百箇いほちもがも。 澤山あつたらよいなあ、
須岐波奴流母能 鉏すき撥はぬるもの。 鋤すき撥はらつてしまうものを。
     
故號其岡。  かれその岡に名づけて、  そこでその岡を
謂金鉏岡也。 金鉏かなすきの岡といふ。 金鉏かなすきの岡と名づけました。
     

三重の采女

     
又天皇。  また天皇、  また天皇が

長谷之
百枝槻下。
長谷の
百枝槻ももえつきの下に
ましまして、
長谷の
槻の大樹の下に
おいでになつて
爲豐樂之時。 豐の樂あかりきこしめしし時に、 御酒宴を遊ばされました時に、
伊勢國之
三重婇。
伊勢の國の
三重の婇うねめ
伊勢の國の
三重から出た采女うねめが
指擧
大御盞
以獻。
大御盞おほみさかづきを
捧げて
獻りき。
酒盃さかずきを
捧げて
獻りました。
     
爾其
百枝槻葉落
浮於大御盞。
ここにその
百枝槻の葉落ちて、
大御盞に浮びき。
然るにその
槻の大樹の葉が落ちて
酒盃に浮びました。
其婇
不知
落葉
浮於盞。
その婇
落葉の
御盞みさかづきに浮べるを
知らずて、
采女は
落葉が
酒盃に浮んだのを
知らないで
猶獻
大御酒。
なほ大御酒
獻りけるに、
大御酒おおみきを
獻りましたところ、
     
天皇。 天皇、 天皇は
看行。
其浮盞之葉。
その御盞に浮べる葉を
看そなはして、
その酒盃に浮んでいる葉を
御覽になつて、
打伏其婇。 その婇を打ち伏せ、 その采女を打ち伏せ
以刀刺充其頸。 御佩刀はかしをその頸に刺し當てて、 御刀をその頸に刺し當てて
將斬之時。 斬らむとしたまふ時に、 お斬り遊ばそうとする時に、
     

天語①:みなコロコロしてます

     
其婇
白天皇。
その婇
天皇に白して曰さく、
その采女が
天皇に申し上げますには
曰莫殺吾身。 「吾が身をな殺したまひそ。 「わたくしをお殺しなさいますな。
有應白事。 白すべき事あり」とまをして、 申すべき事がございます」と言つて、
即歌曰。 すなはち歌ひて曰ひしく、 歌いました歌、
     
麻岐牟久能 纏向まきむくの 纏向まきむくの
比志呂乃美夜波 日代ひしろの宮は、 日代ひしろの宮は
阿佐比能 比傳流美夜 朝日の 日照でる宮。 朝日の照り渡る宮、
由布比能 比賀氣流美夜 夕日の 日陰がける宮。 夕日の光のさす宮、
多氣能泥能 泥陀流美夜 竹の根の 根足ねだる宮。 竹の根のみちている宮、
許能泥能 泥婆布美夜 木この根ねの 根蔓ねばふ宮。 木の根の廣がつている宮です。
夜本爾余志 八百土やほによし  多くの土を築き堅めた宮で、
伊岐豆岐能美夜 い杵築きづきの宮。 りつぱな材木の檜ひのきの御殿です。
     
麻紀佐久 ま木きさく  
比能美加度 日の御門、  
     
爾比那閇夜爾 新嘗屋にひなへやに その新酒をおあがりになる御殿に
淤斐陀弖流 生ひ立だてる 生い立つている
毛毛陀流 都紀賀延波 百足だる 槻つきが枝えは、 一杯に繁つた槻の樹の枝は、
本都延波 阿米袁淤幣理 上ほつ枝えは 天を負おへり。 上の枝は天を背おつています。
那加都延波 阿豆麻袁淤幣理 中つ枝は 東あづまを負へり。 中の枝は東國を背おつています。
志豆延波 比那袁於幣理 下枝しづえは 鄙ひなを負へり。 下の枝は田舍いなかを背おつています。
     
本都延能 延能宇良婆波 上ほつ枝えの 枝えの末葉うらばは その上の枝の枝先の葉は
那加都延爾 淤知布良婆閇 中つ枝に 落ち觸らばへ、 中の枝に落ちて觸れ合い、
那加都延能 延能宇良婆波 中つ枝の 枝の末葉は 中の枝の枝先の葉は
斯毛都延爾 淤知布良婆閇 下しもつ枝に 落ち觸らばへ、 下の枝に落ちて觸れ合い、
斯豆延能 延能宇良婆波 下しづ枝の 枝の末葉は 下の枝の枝先の葉は、
     
阿理岐奴能 美幣能古賀 あり衣ぎぬの 三重の子が 衣服を三重に著る、
佐佐賀世流 捧ささがせる  その三重から來た子の
捧げている
美豆多麻宇岐爾 瑞玉盃みづたまうきに りつぱな酒盃さかずきに
宇岐志阿夫良 浮きし脂あぶら 浮いた脂あぶらのように
淤知那豆佐比 落ちなづさひ、 落ち漬つかつて、
美那許袁呂許袁呂爾 水みなこをろこをろに、 水音もころころと、
許斯母 こしも これは
阿夜爾加志古志 あやにかしこし。 誠に恐れ多いことでございます。
     
多加比加流 比能美古 高光る日の御子。 尊い日の御子樣。
許登能 事の 事の
加多理碁登母 語りごとも 語り傳えは
許袁婆 こをば。 かようでございます。
     
故獻此歌者。  かれこの歌を獻りしかば、  この歌を獻りましたから、
赦其罪也。 その罪を赦したまひき。 その罪をお赦しになりました。
     

天語②:高光る日の御子

     
爾大后歌。 ここに大后の歌よみしたまへる、 そこで皇后樣のお歌いになりました
其歌曰。 その御歌、 御歌は、
     
夜麻登能 許能多氣知爾 倭やまとの この高市たけちに 大和の國の この高町で
古陀加流 伊知能都加佐 小高こだかる 市いちの高處つかさ、 小高くある 市の高臺の、
爾比那閇夜爾 新嘗屋にひなへやに 新酒をおあがりになる御殿に
淤斐陀弖流 生ひ立だてる 生い立つている
波毘呂 由都麻都婆岐 葉廣はびろ ゆつま椿つばき、 廣葉の清らかな椿の樹、
     
曾賀波能 比呂理伊麻志 そが葉の 廣りいまし、 その葉のように廣らかにおいで遊ばされ
曾能波那能 弖理伊麻須 その花の 照りいます その花のように輝いておいで遊ばされる
多加比加流 比能美古爾 高光る 日の御子に、 尊い日の御子樣に
登余美岐 多弖麻都良勢 豐御酒とよみき 獻らせ。 御酒をさしあげなさい。
     
許登能 事の 事の
加多理碁登母 語りごとも 語り傳えは
許袁婆 こをば。 かようでございます。
     

天語③:ももしきの由来

     
即天皇
歌曰。
 すなはち天皇
歌よみしたまひしく、
 天皇の
お歌いになりました御歌は、
     
毛毛志記能 ももしきの  
淤富美夜比登波 大宮人おほみやひとは、 宮廷に仕える人々は、
宇豆良登理 鶉鳥うづらとり 鶉うずらのように
比禮登理加氣弖 領布ひれ取り掛けて 頭巾ひれを懸けて、
麻那婆志良 鶺鴒まなばしら 鶺鴒せきれいのように
袁由岐阿閇 尾行き合へ 尾を振り合つて
爾波須受米 庭雀にはすずめ、 雀のように
宇受須麻理韋弖 うずすまり居て 前に進んでいて
祁布母加母 今日もかも 今日もまた
佐加美豆久良斯 酒さかみづくらし。 酒宴をしているもようだ。
多加比加流 高光る りつぱな
比能美夜比登 日の宮人。 宮廷の人々。
     
許登能 事の 事の
加多理碁登母 語りごとも 語り傳えは
許袁婆 こをば。 かようでございます。
     
此三歌者。  この三歌は、  この三首の歌は
天語歌也。 天語あまがたり歌なり。 天語歌あまがたりうたです。
     

宇岐歌

     
故於此豐樂。 かれ豐とよの樂あかりに、 その御酒宴に
譽其三重婇而。 その三重の婇を譽めて、 三重の采女を譽めて、
給多祿也。 物多さはに給ひき。 物を澤山にくださいました。
     
是豐樂之日。  この豐の樂の日、  この御酒宴の日に、
亦春日之袁杼比賣。 また春日の袁杼比賣をどひめが また春日のヲド姫が
獻大御酒之時。 大御酒獻りし時に、 御酒を獻りました時に、
天皇歌曰。 天皇の歌ひたまひしく、 天皇のお歌いになりました歌は、
     
美那曾曾久 水灌みなそそく 水みずのしたたるような
淤美能袁登賣 臣おみの孃子をとめ、 そのお孃さんが、
本陀理登良須母 ほだり取らすも。 銚子ちようしを持つていらつしやる。
本陀理斗理 ほだり取り 銚子を持つなら
加多久斗良勢 堅く取らせ。 しつかり持つていらつしやい。
斯多賀多久 下堅したがたく 力ちからを入れて
夜賀多久斗良勢 彌堅やがたく取らせ。 しつかりと持つていらつしやい。
本陀理斗良須古 ほだり取らす子。 銚子を持つていらつしやるお孃さん。
     
此者。
宇岐歌也。
 こは
宇岐うき歌なり。
 これは
宇岐歌うきうたです。
     

志都歌

     
爾袁杼比賣獻歌。 ここに袁杼比賣、歌獻りき。 ここにヲド姫の獻りました歌は、
其歌曰。 その歌、  
     
夜須美斯志 やすみしし 天下を知ろしめす
和賀淤富岐美能 吾が大君の 天皇の
阿佐斗爾波 伊余理陀多志 朝戸あさとには い倚り立だたし、 朝戸にはお倚より立ち遊ばされ
由布斗爾波 伊余理陀多須 夕戸には い倚り立だたす 夕戸ゆうどにはお倚り立ち遊ばされる
和岐豆岐賀斯多能 脇几わきづきが 下の 脇息きようそくの下の
伊多爾母賀 板にもが。 板にでもなりたいものです。
阿世袁 吾兄あせを。 あなた。
     
此者志都歌也。  こは志都しづ歌なり。  これは志都歌しずうたです。
     

最期(雄略天皇)

     
天皇。
御年。
壹佰貳拾肆歲。
 天皇、
御年、
一百二十四歳
ももちまりはたちよつ。
 天皇は
御年
百二十四歳、
  (己巳の年
八月九日崩りたまひき。)
己巳つちのとみの年の
八月九日にお隱れになりました。
御御陵在
河内之
多治比
高鸇也。
御陵は
河内かふちの
多治比たぢひの
高鸇たかわしにあり。
御陵は
河内の
多治比たじひの
高鸇たかわしにあります。

 

清寧天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
白髮
大倭根子命。
 御子、白髮しらがの
大倭根子
おほやまとねこの命、
 御子の
シラガノ
オホヤマトネコの命(清寧天皇)、

伊波禮之
甕栗宮。
伊波禮いはれの
甕栗みかくりの宮に
ましまして、
大和の磐余いわれの
甕栗みかくりの宮に
おいでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。  この天皇、 この天皇は
無皇后。 皇后ましまさず、 皇后がおありでなく、
亦無御子。 御子もましまさざりき。 御子もございませんでした。
故御名代
定白髮部。
かれ御名代として、
白髮部しらがべを定めたまひき。
それで御名の記念として
白髮部をお定めになりました。
     

跡継ぎ探し

     
故天皇
崩後。
かれ天皇
崩かむあがりまして後、
そこで天皇が
お隱かくれになりました後に、
無可
治天下之王也。
天の下治らすべき
御子ましまさず。
天下をお治めなさるべき
御子がありませんので、
於是。

日繼所知之王也。
ここに
日繼知らしめさむ
御子を問ひて、
帝位につくべき
御子を尋ねて、
市邊
忍齒別王之妹。
忍海郎女。
市の邊の
忍齒別おしはわけの王の妹、
忍海おしぬみの郎女、
イチノベノ
オシハワケの王の妹の
オシヌミの郎女、
亦名
飯豐王。
またの名は
飯豐いひとよの王、
またの名はイヒトヨの王が、

葛城忍海之
高木角刺宮也。
葛城の忍海の
高木の
角刺つのさしの宮に
ましましき。
葛城かずらきのオシヌミの
高木たかぎの
ツノサシの宮に
おいでになりました。
     

人民シジムの家の二人の少年

     
爾山部連
小楯。
 ここに山部やまべの連むらじ
小楯をたて、
 ここに山部やまべの連
小楯おだてが
任針間國之
宰時。
針間はりまの國の
宰みこともちに任よさされし時に、
播磨の國の
長官に任命されました時に、
到其國之人民。 その國の人民おほみたから この國の人民の
名志自牟之
新室樂。
名は志自牟しじむが
新室に到りて樂うたげしき。
シジムの家の
新築祝いに參りました。
於是。
盛樂。
酒酣。
ここに
盛さかりに樂うたげて
酒酣なかばなるに、
そこで
盛んに遊んで、
酒酣たけなわな時に
以次第
皆儛。
次第つぎてをもちて
みな儛ひき。
順次に
皆舞いました。
     

燒火少子二口。
かれ
火燒たきの小子わらは二人、
その時に
火焚ひたきの少年が二人
居竈傍。 竈かまどの傍へに居たる、 竈かまどの傍におりました。
     

おまえがまえ(前/舞え)

     
令儛
其少子等。
その小子どもに
儛はしむ。
依つてその少年たちに
舞わしめますに、
     
爾其一少子。 ここにその一人の小子、 一人の少年が
曰。
汝兄先儛。
「汝兄なせまづ儛ひたまへ」
といへば、
「兄上、まずお舞まいなさい」
というと、
其兄亦。 その兄も、 兄も

汝弟先儛。
「汝弟なおとまづ儛ひたまへ」
といひき。
「お前がまず舞まいなさい」
と言いました。
如此相讓之時。 かく相讓る時に、 かように讓り合つているので、
其會人等。 その會つどへる人ども、 その集まつている人たちが
咲其相讓之状。 その讓れる状さまを咲わらひき。 讓り合う有樣を笑いました。
     
爾遂兄儛訖。 ここに遂に兄儛ひ訖りて、 遂に兄がまず舞い、
次弟將儛時。 次に弟儛はむとする時に、 次に弟が舞おうとする時に
爲詠曰。 詠ながめごとしたまひつらく、 詠じました言葉は、
     
物部之。 物ものの部ふの、 武士である
我夫子之。 わが夫子せこが、 わが君の
取佩。 取り佩はける、 お佩きになつている
於大刀之手上。 大刀の手上たがみに、 大刀の柄つかに、
丹畫著。 丹書にかき著け、 赤い模樣を畫き、
其緒者。 その緒には、 その大刀の緒には
載赤幡。 赤幡あかはたを裁ち、 赤い織物を裁たつて附け、
     
立赤幡。 赤幡たちて見れば、 立つて見やれば、
見者五十隱。 い隱る、 向うに隱れる
山三尾之。 山の御尾の、 山の尾の上の
竹矣。
「本」訶岐
〈此二字以音〉
苅。
竹を
掻き
苅り、
竹を
刈り
取つて、

押縻魚簀。

押し靡かすなす、
その竹の末を
押し靡なびかせるように、
如調
八絃琴。
八絃やつをの琴を
調しらべたるごと、
八絃の琴を
調べたように、
所治賜天下。 天の下治しらし給たびし、 天下をお治めなされた
伊邪本和氣。 伊耶本和氣いざほわけの イザホワケの
天皇之御子。 天皇の御子、 天皇の皇子の
市邊之。 市の邊の イチノベノ
押齒王之。 押齒の王みこの、 オシハの王の御子みこです。
奴末。 奴やつこ、御末みすゑ。 わたくしは。
   とのりたまひつ。 と述べましたから、
     

假宮造営

     
爾即
小楯連聞驚而。
ここにすなはち
小楯の連聞き驚きて、
小楯が
聞いて驚いて
自床墮轉而。 床とこより墮ち轉まろびて、 座席から落ちころんで、
追出其室人等。 その室の人どもを追ひ出して、 その家にいる人たちを追い出して、
其二柱王子。 その二柱の御子を、 そのお二人の御子を
坐左右膝上。 左右ひだりみぎりの
膝の上へに坐ませまつりて、
左右の
膝の上にお据え申し上げ、
泣悲而。 泣き悲みて、 泣き悲しんで
     
集人民作假宮。 人民どもを集へて、 民どもを集めて
坐置
其假宮而。
假宮を作りて、
その假宮に坐ませまつり置きて、
假宮を作つて、
その假宮にお住ませ申し上げて
貢上驛使。 驛使はゆまづかひ上りき。 急使を奉りました。
     
於是。
其姨飯豐王。
ここに
その御姨をば飯豐いひとよの王、
そこで
その伯母樣のイヒトヨの王が
聞歡而。 聞き歡ばして、 お喜びになつて、
令上於宮。 宮に上のぼらしめたまひき。 宮に上らしめなさいました。
     

歌垣(歌合戦)

     
故將
治天下之間。
 かれ
天の下
治らしめさむとせしほどに、
 そこで
天下を
お治めなされようとしたほどに、
平群臣之祖。 平群へぐりの臣が祖おや、 平群へぐりの臣の祖先の
名志毘臣。 名は志毘しびの臣、 シビの臣が、
立于歌垣。 歌垣うたがきに立ちて、 歌垣の場で、
取其袁祁命。 その袁祁をけの命の そのヲケの命の
將婚之
美人手。
婚よばはむとする
美人をとめの手を取りつ。
結婚なされようとする
孃子の手を取りました。
     
其孃子者。 その孃子は、 その孃子は
菟田首等之女。 菟田うだの首おびと等が女、 菟田うだの長の女の
名者大魚也。 名は大魚おほをといへり、 オホヲという者です。
     
爾袁祁命亦立
歌垣。
ここに袁祁の命も
歌垣に立たしき。
そこでヲケの命も
歌垣にお立ちになりました。
     
於是。
志毘臣歌曰。
ここに
志毘の臣歌ひて曰ひしく、
ここに
シビが歌いますには、
     
意富美夜能 大宮の 御殿の
袁登都波多傳 をとつ端手はたで ちいさい方の出張りは、
須美加多夫祁理 隅すみ傾かたぶけり。 隅が曲つている。
     
如此歌而。  かく歌ひて、  かく歌つて、
乞其歌末之時。 その歌の末を乞ふ時に、 その歌の末句を乞う時に、
袁祁命歌曰。 袁祁の命歌ひたまひしく、 ヲケの命のお歌いになりますには、
     
意富多久美 大匠おほたくみ 大工が
袁遲那美許曾 拙劣をぢなみこそ 下手へただつたので
須美加多夫祁禮 隅傾けれ。 隅が曲つているのだ。
     

シビの柴垣が荒れとるの歌

     
爾志毘臣。  ここに志毘の臣、  シビが
亦歌曰。 また歌ひて曰ひしく、 また歌いますには、
     
意富岐美能 大君の 王子樣の
許許呂袁由良美 心をゆらみ、 御心がのんびりしていて、
淤美能古能 臣の子の 臣下の
夜幣能斯婆加岐 八重の柴垣 幾重にも圍つた柴垣に
伊理多多受阿理 入り立たずあり。 入り立たずにおられます。
     
於是。
王子。
 ここに
王子
 ここに
王子が
亦歌曰。 また歌ひたまひしく、 また歌いますには、
     
斯本勢能。 潮瀬しほぜの 潮の寄る瀬の
那袁理袁美禮婆。 波折なをりを見れば、 浪の碎けるところを見れば
阿蘇毘久流。 遊び來る 遊んでいる
志毘賀波多傳爾。 鮪しびが端手はたでに シビ魚の傍に
都麻多弖理美由。 妻立てり見ゆ。 妻が立つているのが見える。
     
爾志毘臣。  ここに志毘の臣、  シビが
愈怒歌曰。 いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、 いよいよ怒いかつて歌いますには、
     
意富岐美能 大君の 王子樣の
美古能志婆加岐 王みこの柴垣、 作つた柴垣は、
夜布士麻理 八節結やふじまり 節だらけに
斯麻理母登本斯 結しまりもとほし 結び廻してあつて、
岐禮牟志婆加岐 截きれむ柴垣。 切れる柴垣の
夜氣牟志婆加岐 燒けむ柴垣。 燒ける柴垣です。
     
爾王子。  ここに王子  ここに王子が
亦歌曰。 また歌ひたまひしく、 また歌いますには、
     
意布袁余志。 大魚おふをよし 大おおきい魚の
斯毘都久阿麻余。 鮪しび衝つく海人あまよ、 鮪しびを突く海人よ、
斯賀阿禮婆。 其しがあれば その魚が荒れたら
宇良胡本斯祁牟。 うら戀こほしけむ。 心戀しいだろう。
志毘都久志毘。 鮪衝く鮪。 鮪しびを突く鮪しびの臣おみよ。
     

シビしばかれる(柴枯れる)

     
如此歌而。  かく歌ひて、  かように歌つて
鬪明
各退。
鬪かがひ明して、
おのもおのも散あらけましつ。
歌を掛け合い、
夜をあかして別れました。
     
明旦之時。 明くる旦時あした、 翌朝、
意富祁命。 意祁おけの命、 オケの命・
袁祁命。 袁祁をけの命 ヲケの命
二柱議云。 二柱議はかりたまはく、 お二方が御相談なさいますには、
     
凡朝廷人等者。 「およそ朝廷みかどの人どもは、 「すべて朝廷の人たちは、
旦參赴於朝廷。 旦あしたには朝廷に參り、 朝は朝廷に參り、
晝集於志毘門。 晝は志毘が門かどに集つどふ。 晝はシビの家に集まります。
亦今者
志毘必寢。
また今は
志毘かならず寢ねたらむ。
そこで今は
シビがきつと寢ねているでしよう。
亦其門無人。 その門に人も無けむ。 その門には人もいないでしよう。
故非今。 かれ今ならずは、 今でなくては
者難可謀。 謀り難けむ」とはかりて、 謀り難いでしよう」と相談されて、
即興軍。 すなはち軍を興して、 軍を興して
圍志毘臣之家。 志毘の臣が家を圍かくみて、 シビの家を圍んで
乃殺也。 殺とりたまひき。 お撃ちになりました。
     

弟に譲位

     
於是。
二柱王子等。
 ここに
二柱の御子たち、
 ここで
お二方ふたかたの御子たちが
各相
讓天下。
おのもおのも
天の下を讓りたまひき。
互に
天下をお讓りになつて、
意祁命。 意富祁おほけの命、 オケの命が、
讓其弟。
袁祁命曰。
その弟袁祁の命に
讓りてのりたまはく、
その弟ヲケの命に
お讓り遊ばされましたには、
     
住於針間
志自牟家時。
「針間はりまの
志自牟しじむが家に住みし時に、
「播磨の國の
シジムの家に住んでおつた時に、
汝命不顯名者。 汝なが命名を顯はさざらませば、 あなたが名を顯わさなかつたなら
更非臨
天下之君。
更に天の下知らさむ君とは
ならざらまし。
天下を治める君主とは
ならなかつたでしよう。
是既
汝命之功。
これ既に
汝なが命の功いさをなり。
これは
あなた樣のお手柄であります。
     
故吾
雖兄。
かれ吾、
兄にはあれども、
ですから、
わたくしは兄ではありますが、
猶汝命。 なほ汝が命 あなたが
先治天下而。 まづ天の下を治らしめせ」
とのりたまひて、
まず天下をお治めなさい」
と言つて、
堅讓。 堅く讓りたまひき。 堅くお讓りなさいました。
故不得辭而。 かれえ辭いなみたまはずて、 それでやむことを得ないで、
袁祁命。 袁祁の命、 ヲケの命が
先治天下也。 まづ天の下治らしめしき。 まず天下をお治めなさいました。

 

顯宗天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
   伊弉本別
いざほわけの王の御子、
 イザホワケの天皇の御子、
  市の邊の忍齒の王の御子、 イチノベノオシハの王の御子の
袁祁之
石巣別命。
袁祁をけの
石巣別いはすわけの命、
ヲケノ
イハスワケの命(顯宗天皇)、
坐近飛鳥宮。 近つ飛鳥の宮にましまして、 河内かわちの國の
飛鳥あすかの宮においで遊ばされて、
治天下
捌歲也。
八歳やとせ
天の下治らしめしき。
八年
天下をお治めなさいました。
天皇。 この天皇、 この天皇は、

石木王之女。
難波王。
石木いはきの王の女
難波の王に娶ひしかども、
イハキの王の女の
ナニハの王と結婚しましたが、
无子也。 御子ましまさざりき。 御子みこはありませんでした。
     

置目の老媼(おきめのおみな)

     
此天皇。  この天皇、 この天皇、
求其父王。 その父王 父君
市邊王之御骨時。 市の邊の王の
御骨みかばねを求まぎたまふ時に、
イチノベの王の
御骨をお求めになりました時に、
在淡海國。 淡海あふみの國なる 近江の國の
賤老媼。
參出白。
賤しき老媼おみな
まゐ出て白さく、
賤いやしい老婆が
參つて申しますには、
王子御骨所埋者。 「王子の御骨を埋みし所は、 「王子の御骨を埋めました所は、
專吾能知。 もはら吾よく知れり。 わたくしがよく知つております。
亦以
其御齒可知。
またその御齒もちて知るべし」
とまをしき。
またそのお齒でも知られましよう」
と申しました。
〈御齒者。
如三技
押齒坐也〉
(御齒は
三枝なす
押齒に坐しき。)
オシハの王子のお齒は
三つの枝の出た
大きい齒でございました。
     
爾起民。 ここに民を起たてて、 そこで人民を催して、
掘土。 土を掘りて、 土を掘つて、
求其御骨。 その御骨を求ぎて、 その御骨を求めて、
即獲其御骨而。 すなはちその御骨を獲て、 これを得て
於其蚊屋野之
東山。
その蚊屋野の
東ひむかしの山に、
カヤ野の
東の山に
作御陵葬。 御陵作りて葬をさめまつりて、 御陵を作つてお葬り申し上げて、
以韓帒之子等。 韓帒からふくろが子どもに、 かのカラフクロの子どもに
令守其陵。 その御陵を守らしめたまひき。 これを守らしめました。
(然後 然ありて後に、 後には
持上
其御骨也)
その御骨を
持ち上のぼりたまひき。
その御骨を
持ち上のぼりなさいました。
     
故還上坐而。 かれ還り上りまして、 かくて還り上られて、
召其老媼。 その老媼を召して、 その老婆を召して、
譽其不失見
置知其地以。
その見失はず、
さだかに
その地を知れりしことを譽めて、
場所を忘れずに
見ておいたことを譽めて、
賜名號
置目老媼。
置目おきめの老媼おみな
といふ名を賜ひき。
置目おきめの老媼ばば
という名をくださいました。
仍召入宮内。 よりて宮の内に召し入れて、 かくて宮の内に召し入れて
敦廣慈賜。 敦あつく廣く惠みたまふ。 敦あつくお惠みなさいました。
     
故其老媼所
住屋者。
かれその老媼の住む屋をば、 その老婆の住む家を
近作宮邊。 宮の邊へ近く作りて、 宮の邊近くに作つて、
毎日必召。 日ごとにかならず召す。 毎日きまつてお召しになりました。
故鐸懸大殿戶。 かれ大殿の戸に鐸ぬりてを掛けて、 そこで宮殿の戸に鈴を掛けて、
欲召其老媼之時。 その老媼を召したまふ時は、 その老婆を召そうとする時は
必引鳴其鐸。 かならずその鐸ぬりてを
引き鳴らしたまひき。
きつとその鈴を
お引き鳴らしなさいました。
     

老き女の歌

     
爾作御歌。 ここに御歌よみしたまへる、 そこでお歌をお詠みなさいました。
其歌曰。 その歌、 その御歌は、
     
阿佐遲波良 淺茅原 茅草ちぐさの低い原や
袁陀爾袁須疑弖 小谷をだにを過ぎて、 小谷を過ぎて
毛毛豆多布 百傳ふ   
奴弖由良久母 鐸ぬて搖ゆらくも。 鈴のゆれて鳴る音がする。
於岐米久良斯母 置目來くらしも。 置目がやつて來るのだな。
     
於是置目老媼。  ここに置目の老媼、  ここに置目が
白僕
甚耆老。
「僕
いたく老いにたれば、
「わたくしは
大變年をとりましたから
欲退本國。 本つ國に退まからむとおもふ」
とまをしき。
本國に歸りたいと思います」
と申しました。
故隨白退時。 かれ白せるまにまに、 依つて申す通りに
お遣わしになる時に、
天皇見送。 退まかりし時に天皇見送りて 天皇がお見送りになつて、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いなさいました歌は、
     
意岐米母夜 置目もや 置目よ、
阿布美能於岐米 淡海の置目、 あの近江の置目よ、
阿須用理波 明日よりは 明日からは
美夜麻賀久理弖 み山隱がくりて 山に隱れてしまつて
美延受加母阿良牟 見えずかもあらむ。 見えなくなるだろうかね。
     

志米須の地(乾飯のシメシ)

     
初天皇。  初め天皇、  初め天皇が
逢難
逃時。
難わざはひに逢ひて、
逃げましし時に、
災難に逢つて
逃げておいでになつた時に、

奪其御粮
猪甘老人。
その御粮かれひを奪とりし
猪甘ゐかひの老人おきなを
求まぎたまひき。
その乾飯ほしいを奪つた
豚飼ぶたかいの老人を
お求めになりました。
     
是得求。 ここに求ぎ得て、 そこで求め得ましたのを
喚上而。 喚び上げて、 喚び出して
斬於
飛鳥河之河原。
飛鳥河の河原に
斬りて、
飛鳥河の河原で
斬つて、
皆斷其族之
膝筋。
みなその族やからどもの
膝の筋を斷ちたまひき。
またその一族どもの
膝の筋をお切りになりました。
是以至今。 ここを以ちて今に至るまで、 それで今に至るまで
其子孫上於倭之日。 その子孫こども倭に上る日、 その子孫が大和に上る日には
必自
跛也。
かならずおのづから
跛あしなへくなり。
きつと
びつこになるのです。
     

能見志米岐。
其老所在。
〈志米岐
三字以音〉
かれ
その老の所在ありかを
能く見しめき。
その老人の所在を
よく御覽になりましたから、

故其地謂
志米須也。
かれ其處そこを
志米須しめすといふ。
其處を
シメスといいます。
     

いかさまに(如何様に)

     
天皇。  天皇、  天皇、
深怨
殺其父王之
大長谷天皇。
その父王を殺したまひし
大長谷おほはつせの天皇を
深く怨みまつりて、
その父君をお殺しになつた
オホハツセの天皇を
深くお怨み申し上げて、
欲報
其靈。
その御靈に
報いむと
思ほしき。
天皇の御靈に
仇を報いようと
お思いになりました。
     
故欲毀
其大長谷天皇之
御陵而。
かれ
その大長谷の天皇の
御陵を毀やぶらむと
思ほして、
依つて
そのオホハツセの天皇の
御陵を毀やぶろうと
お思いになつて
遣人之時。 人を遣す時に、 人を遣わしました時に、
其伊呂兄。
意意祁命
奏言。
その同母兄いろせ
意祁おけの命
奏して言まをさく、
兄君の
オケの命の
申されますには、
破壞是御陵。 「この御陵を壞らむには、 「この御陵を破壞するには
不可遣他人。 他あだし人を遣すべからず。 他の人を遣つてはいけません。
專僕自行。 もはら僕みづから行きて、 わたくしが自分で行つて
如天皇之御心。 大君の御心のごと 陛下の御心の通りに
破壞以參出。 壞やぶりてまゐ出む」
とまをしたまひき。
毀して參りましよう」
と申し上げました。
     
爾天皇詔。 ここに天皇、 そこで天皇は、
然隨命
宜幸行。
「然らば
命のまにまにいでませ」
と詔りたまひき。
「それならば、
お言葉通りに行つていらつしやい」
と仰せられました。
是以意祁命。 ここを以ちて意祁おけの命、 そこでオケの命が
自下幸而。 みづから下りいでまして、 御自身で下つておいでになつて、
少掘
其御陵之傍。
その御陵の傍かたへを
少し掘りて
御陵の傍を
少し掘つて
還上。 還り上らして、 還つてお上りになつて、
復奏言。 復奏かへりごとして言まをさく、  
既掘壞也。 「既に掘り壞りぬ」
とまをしたまひき。
「すつかり掘り壞やぶりました」
と申されました。
     
爾天皇。 ここに天皇、 そこで天皇が

其早
還上而。
その早く
還り上りませることを
怪みまして、
その早く
還つてお上りになつたことを
怪しんで、
詔。
如何破壞。
「如何いかさまに壞りたまひつる」
と詔りたまへば、
「どのようにお壞りなさいましたか」
と仰せられましたから、
答白。 答へて白さく、  
少掘其陵之傍土。 「その御陵の傍の土を少し掘りつ」
とまをしたまひき。
「御陵の傍の土を少し掘りました」
と申しました。
     

御陵の堀

     
天皇詔之。 天皇詔りたまはく、 天皇の仰せられますには、
欲報
父王之仇。
「父王ちちみこの仇を
報いまつらむと思へば、
「父上の仇を
報ずるようにと思いますので、
必悉破壞
其陵。
かならずその御陵を
悉ことごとに壞りなむを。
かならずあの御陵を
悉くこわすべきであるのを、

少掘乎。
何とかも
少しく掘りたまひつる」
と詔りたまひしかば、
どうして
少しお掘りになつたのですか」
と仰せられましたから、
     
答曰。 答へて曰さく、 申されますには
所以爲然者。 「然しつる故は、 「かようにしましたわけは、
父王之怨。 父王の仇を、 父上の仇を
欲報
其靈。
その御靈に
報いむと思ほすは、
その御靈に
報いようとお思いになるのは
是誠理也。 誠に理ことわりなり。 誠に道理であります。
然其
大長谷天皇者。
然れどもその
大長谷の天皇は、
しかし
オホハツセの天皇は、
雖爲父之怨。 父の仇にはあれども、 父上の仇ではありますけれども、
還爲
我之從父。
還りては
我が從父をぢにまし、
一面は
叔父でもあり、
亦治天下之
天皇。
また天の下治らしめしし
天皇にますを、
また天下をお治めなさつた
天皇でありますのを、
是今單取
父仇之志。
今單ひとへに
父の仇といふ志を取りて、
今もつぱら
父の仇という事ばかりを取つて、
悉破治
天下之
天皇陵者。
天の下治らしめしし
天皇の御陵を
悉に壞りなば、
天下をお治めなさいました
天皇の御陵を
悉く壞しましたなら、
後人
必誹謗。
後の人
かならず誹そしりまつらむ。
後の世の人が
きつとお誹り申し上げるでしよう。
     
唯父王之仇。 ただ、父王の仇は、 しかし父上の仇は
不可非報。 報いずはあるべからず。 報いないではいられません。
故少掘
其陵邊。
かれその御陵の邊を
少しく掘りつ。
それであの御陵の邊を
少し掘りましたから、
既以是恥。 既にかく恥かしめまつれば、  

示後世。
後の世に示すにも
足りなむ」と、
これで後の世に示すにも
足りましよう」
如此奏者。 かくまをしたまひしかば、 とかように申しましたから、
     
天皇答詔之。 天皇、答へ詔りたまはく、 天皇は
是亦大理。 「こもいと理なり。 「それも道理です。
如命可也。 命みことの如くて可よし」
と詔りたまひき。
お言葉の通りでよろしい」
と仰せられました。
     
故天皇
崩。
かれ天皇
崩りまして、
かくて天皇が
お隱かくれになつてから、
即意祁命。 すなはち意富祁おほけの命、 オケの命が、
知天津日繼。 天つ日繼知らしめき。 帝位にお即つきになりました。
     

最期(顯宗天皇)

     
天皇。
御年。
參拾捌歲。
 天皇、
御年
三十八歳みそぢまりやつ、
御年三十八歳、
治天下
八歲。
八歳やとせ
天の下治らしめしき。
八年間
天下をお治めなさいました。
     
御陵在
片岡之
石坏
岡上也。
御陵は
片岡の
石坏いはつきの
岡の上にあり。
御陵は
片岡の
石坏いわつきの
岡の上にあります。

 

仁賢天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
   袁祁の王の兄、  ヲケの王の兄の
意意祁命。 意富祁おほけの王、 オホケの王(仁賢天皇)、
坐石上廣高宮。 石いその上かみの
廣高の宮にましまして、
大和の石いその上かみの
廣高の宮においでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。娶
大長谷
若建天皇之御子。
春日大郎女。
天皇、
大長谷の
若建わかたけの天皇の御子、
春日の大郎女に娶ひて、
天皇は
オホハツセノ
ワカタケの天皇の御子、
春日の大郎女と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
高木郎女。 高木の郎女、 タカギの郎女・
次財郎女。 次に財たからの郎女、 タカラの郎女・
次久須毘郎女。 次に久須毘くすびの郎女、 クスビの郎女・
次手白髮郎女。 次に手白髮たしらがの郎女、 タシラガの郎女・
次小長谷
若雀命。
次に小長谷をはつせの
若雀わかさざきの命、
ヲハツセノ
ワカサザキの命・
次眞若王。 次に眞若まわかの王。 マワカの王です。
     
又娶
丸邇
日爪臣之女。
糠若子郎女。
また
丸邇わにの
日爪ひのつまの臣が女、
糠ぬかの若子わくごの郎女に
娶ひて、
また
ワニノ
ヒノツマの臣の女、
ヌカノワクゴの郎女と
結婚して
     
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
春日山田郎女。 春日の小田をだの郎女。 カスガノヲダの郎女です。
     
此天皇之御子。
并七柱。
この天皇の御子たち、
并せて、七柱。
天皇の御子たち
七人おいでになる
此之中。 この中、 中に、
小長谷若雀命者。
治天下也。
小長谷の若雀の命は
天の下治らしめしき。
ヲハツセノワカサザキの命は
天下をお治めなさいました。
     

 

武烈天皇

 
 

     
小長谷
若雀命。
 小長谷の
若雀の命、
 ヲハツセノ
ワカサザキの命(武烈天皇)、
坐長谷之
列木宮。
長谷の
列木なみきの宮にましまして、
大和の長谷はつせの
列木なみきの宮においでになつて、
治天下捌歲也。 八歳天の下治らしめしき。 八年天下をお治めなさいました。
     
此天皇。 この天皇、 この天皇は
无太子。 太子ひつぎのみこましまさず。 御子がおいでになりません。
故爲御子代。 かれ御子代として、 そこで御子の代りとして

小長谷部也。
小長谷部をはつせべを
定めたまひき。
小長谷部おはつせべを
お定めになりました。
     
御陵在
片岡之
石坏岡也。
御陵は
片岡の
石坏いはつきの岡にあり。
御陵は
片岡の
石坏いわつきの岡にあります。
     
天皇既崩。 天皇既に崩りまして、 天皇がお隱れになつて、

可知日續之王。
日續知らしめすべき
王ましまさず。
天下を治むべき
王子がありませんので、

品太天皇
五世之孫。
かれ
品太ほむだの天皇
五世いつつぎの孫みこ、
ホムダの天皇の
五世の孫、
袁本杼命。 袁本杼をほどの命を ヲホドの命を
自近淡海國。 近つ淡海の國より 近江の國から
令上坐而。 上りまさしめて、 上らしめて、
合於手白髮命。 手白髮たしらがの命に合はせて、 タシラガの命と結婚をおさせ申して、
授奉天下也。 天の下を授けまつりき。 天下をお授け申しました。

 
 

繼體天皇

     
袁本杼命。  品太ほむだの王の五世の孫
袁本杼をほどの命、
 ホムダの王の五世の孫の
ヲホドの命(繼體天皇)、

伊波禮之
玉穂宮。
伊波禮いはれの
玉穗たまほの宮に
ましまして、
大和の磐余いわれの
玉穗の宮に
おいでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。娶
三尾君等祖。
名若比賣。
天皇
三尾みをの君等が祖、
名は若比賣に娶ひて、
この天皇、
三尾みおの君等の祖先の
ワカ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
大郎子。 大郎子おほいらつこ、 大郎子・
次出雲郎女。 次に出雲の郎女 イヅモの郎女の
〈二柱〉 二柱。 お二方ふたかたです。
     
又娶
尾張連等之祖。
凡連之妹。
目子郎女。
また尾張の連等が祖、
凡おほしの連が妹、
目子の郎女に
娶ひて、
また尾張の連等の祖先の
オホシの連の妹の
メコの郎女と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
廣國押建金日命。 廣國押建金日
ひろくにおしたけかなひの命、
ヒロクニオシタケカナヒの命・
次建小
廣國押楯命。
次に
建小たけを
廣國押楯の命
タケヲ
ヒロクニオシタテの命の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
意富祁天皇之御子。
手白髮命。
〈是大后也〉
また
意富祁おほけの天皇の御子、
手白髮の命(こは大后にます)
に娶ひて、
また
オホケの天皇の御子の
タシラガの命を皇后として
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
天國押波流岐
廣庭命。
〈波流岐三字以音。
一柱〉
天國押波流岐廣庭
あめくにおしはるき
ひろにはの命
一柱。
アメクニオシハルキ
ヒロニハの命
お一方です。
     
又娶
息長
眞手王之女。
麻組郎女。
また
息長おきながの
眞手まての王が女、
麻組をくみの郎女に娶ひて、
また
オキナガノ
マテの王の女の
ヲクミの郎女と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
佐佐宜郎女。
〈一柱〉
佐佐宜ささげの郎女
一柱。
ササゲの郎女
お一方です。
     
又娶
坂田大俣王之女。
黑比賣。
また
坂田の大俣おほまたの王が女、
黒比賣に娶ひて、
また
サカタノオホマタの女の
クロ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
神前郎女。 神前かむさきの郎女、 カムザキの郎女・
次田郎女。    
次「馬來」田郎女。    
<「三柱」>    
     
「又娶
茨田連小望之女。
關比賣。
   
生御子。    
     
茨田大郎女。」 次に茨田うまらたの郎女、 ウマラタの郎女・
次白坂
活日(子)郎女。
次に白坂しらさかの
活目いくめ子の郎女、
シラサカノ
イクメコの郎女、
次小野郎女。
亦名
長目比賣。
次に小野をのの郎女、
またの名は
長目ながめ比賣
ヲノの郎女
またの名は
ナガメ姫の
〈三柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
三尾君
加多夫之妹。
倭比賣。
また三尾みをの君
加多夫かたぶが妹、
倭やまと比賣に
娶ひて、
また三尾の君
カタブの妹の
ヤマト姫と
結婚して
     
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
大郎女。 大郎女、 大郎女・
次丸高王。 次に丸高まろたかの王、 マロタカの王・
次耳〈上〉王。 次に耳みみの王、 ミミの王・
次赤比賣郎女。 次に赤比賣の郎女 アカ姫の郎女
〈四柱〉 四柱。 のお四方です。
     
又娶
阿倍之
波延比賣。
また阿部の
波延はえ比賣に
娶ひて、
また
阿部の
ハエ姫と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
若屋郎女。 若屋わかやの郎女、 ワカヤの郎女・
次都夫良郎女。 次に都夫良つぶらの郎女、 ツブラの郎女・
次阿豆王。 次に阿豆あづの王 アヅの王
〈三柱〉 三柱。 のお三方です。
     
此天皇之御子等。 この天皇の御子たち、 この天皇の御子たちは
并十九王。 并せて十九王
とをまりここのはしら。
合わせて十九王
おいでになりました。
〈男七。女十二〉 (男王七柱、
女王十二柱。)
男王七人
女王十二人です。
     
此之中。
天國
押波流岐
廣庭命者。
治天下。
この中、
天國
押波流岐
廣庭の命は、
天の下治らしめしき。
この中に
アメクニ
オシハルキ
ヒロニハの命は
天下をお治めなさいました。

廣國
押建金日命。
治天下。
次に
廣國
押建金日の命も
天の下治らしめしき。
次に
ヒロクニ
オシタケカナヒの命も
天下をお治めなさいました。

建小
廣國押楯命。
治天下。
次に
建小
廣國押楯の命も
天の下治らしめしき。
次に
タケヲ
ヒロクニオシタテの命も
天下をお治めなさいました。
     
次佐佐宜王者。
拜伊勢神宮也。
次に佐佐宜の王は、
伊勢の神宮を
いつきまつりたまひき。
次にササゲの王は
伊勢の神宮を
お祭りなさいました。
     
此御世。 この御世に、 この御世に
竺紫君
石井。
竺紫つくしの君
石井いはゐ、
筑紫の君
石井が
不從天皇之命而。 天皇の命に從はずして 皇命に從したがわないで、
多无禮。 禮ゐや無きこと多かりき。 無禮な事が多くありました。
     
故遣
物部
荒甲之
大連。
かれ
物部もののべの
荒甲あらかひの
大連おほむらじ、
そこで
物部もののべの
荒甲あらかいの
大連、
大伴之
金村
連二人而。
大伴おほともの
金村かなむらの
連二人を遣はして、
大伴おおともの
金村かなむらの
連の兩名を遣わして、
殺石井也。 石井を殺らしめたまひき。 石井を殺させました。
     
天皇
御年。肆拾參歲。
 天皇、
御年四十三歳よそぢまりみつ。
天皇は
御年四十三歳、
  (丁未の年
四月九日崩りたまひき)
丁未ひのとひつじの年の
四月九日にお隱れになりました。
御陵者
三嶋之藍(御陵)也。
御陵は
三島の藍の陵なり。
御陵は
三島の藍あいの陵みささぎです。

 
 

安閑天皇

 
 

廣國
押建金日命。
 御子
廣國押建金日
ひろくに
おしたけかなひの王、
 御子の
ヒロクニ
オシタケカナヒの王
(安閑天皇)、

勾之
金箸宮。
勾まがりの
金箸かなはしの宮に
ましまして、
大和の勾まがりの
金箸かなはしの宮に
おいでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇
無御子也。
この天皇、
御子ましまさざりき。
この天皇は
御子がございませんでした。
  (乙卯の年
三月十三日崩りたまひき)
乙卯きのとうの年の
三月十三日にお隱れになりました。
     
御陵在
河内之
古市高屋村也。
御陵は
河内の古市ふるちの
高屋の村にあり。
御陵は
河内の古市の
高屋の村にあります。

 
 

宣化天皇

 
 

建小
廣國押楯命。
 弟いろと
建小廣國押楯
たけを
ひろくにおしたての命、
 弟の
タケヲ
ヒロクニオシタテの命
(宣化天皇)、

檜埛之
廬入野宮。
檜埛ひのくまの
廬入野いほりのの宮に
ましまして、
大和の檜隈ひのくまの
廬入野いおりのの宮に
おいでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。

意意祁天皇之御子。
橘之中比賣命。
天皇、
意祁おけの天皇の御子、
橘の中比賣の命に
娶ひて、
天皇は
オケの天皇の御子の
タチバナのナカツヒメの命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
石比賣命。
〈訓石如石。
下效此〉
石比賣
いしひめの命、
石姫いしひめの命・
次小石比賣命。 次に小石比賣の命、 小石こいし姫の命・
次倉之若江王。 次に倉の若江の王、 クラノワカエの王です。
     
又娶
川内之
若子比賣。
また
河内かふちの
若子わくご比賣に娶ひて、
また
川内かわちの
ワクゴ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
火穂王。 火ほの穗ほの王、 ホノホの王・
次惠波王。 次に惠波ゑはの王。 ヱハの王で、
此天皇之御子等
并五王。
この天皇の御子たち
并せて五王いつはしら。
この天皇の御子たちは
合わせて五王、
〈男三。女二〉 (男王三柱、女王二柱) 男王三人、女王二人です。
     
故火穂王者。
〈志比陀君之祖〉
かれ火の穗の王は、
志比陀の君が祖なり三。
そのホノホの王は
志比陀の君の祖先、
惠波王者。
〈韋那君。
多治比君之祖也〉
惠波の王は、
韋那の君、
多治比の君が祖なり。
ヱハの王は
韋那いなの君・
多治比の君の祖先です。

 
 

欽明天皇

 
 

天國
押波流岐
廣庭天皇。

天國押波流岐廣庭
あめくに
おしはるき
ひろにはの天皇、
 弟の
アメクニ
オシハルキ
ヒロニハの天皇
(欽明天皇)、
坐師木嶋
大宮。
師木島しきしまの
大宮にましまして、
大和の師木島しきしまの
大宮においでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。 この天皇、 この天皇、

檜脾天皇之御子。
石比賣命。
檜ひのくまの天皇の御子、
石比賣の命に
娶ひて、
ヒノクマの天皇の御子、
石姫いしひめの命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
八田王。 八田やたの王、 ヤタの王・
次沼名倉
太玉敷命。
次に沼名倉太玉敷
ぬなくらふとたましきの命、
ヌナクラ
フトタマシキの命・
次笠縫王。 次に笠縫かさぬひの王 カサヌヒの王
〈三柱〉 三柱。 のお三方です。
     
又娶
其弟
小石比賣命。
またその弟
小石比賣の命に
娶ひて、
またその妹の
小石こいし姫の命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
上王。
〈一柱〉
上かみの王
一柱。
カミの王
お一方、
     
又娶
春日之
日爪臣之女。
糠子郎女。
また春日の
日爪ひつまの臣が女、
糠子ぬかこの郎女に
娶ひて、
また春日の
ヒノツマの女の
ヌカコの郎女と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
春日山田郎女。 春日の山田の郎女、 春日の山田の郎女・
次麻呂古王。 次に麻呂古まろこの王、 マロコの王・
次宗賀之倉王。 次に宗賀そがの倉の王 ソガノクラの王
〈三柱〉 三柱。 のお三方です。
     
又娶
宗賀之稻目
宿禰大臣之女。
岐多斯比賣。
また
宗賀の稻目いなめの
宿禰の大臣が女、
岐多斯きたし比賣に娶ひて、
またソガのイナメの
宿禰の大臣の女の
キタシ姫と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
橘之豐日命。 橘の豐日の命、 タチバナノトヨヒの命・
次妹石埛王。 次に妹石埛いはくまの王、 イハクマの王・
次足取王。 次に足取あとりの王、 アトリの王・
次豐御氣
炊屋比賣命。
次に豐御氣炊屋
とよみけかしぎや比賣の命、
トヨミケ
カシギヤ姫の命・
次亦麻呂古王。 次にまた麻呂古の王、 またマロコの王・
次大宅王。 次に大宅おほやけの王、 オホヤケの王・
次伊美賀古王。 次に伊美賀古いみがこの王、 イミガコの王・
次山代王。 次に山代の王、 ヤマシロの王・
次妹大伴王。 次に妹大伴おほともの王、 オホトモの王・
次櫻井之玄王。 次に櫻井の
玄ゆみはりの王、
サクラヰノ
ユミハリの王・
次麻奴王。 次に麻怒まのの王、 マノの王・
次橘
本之若子王。
次に橘の
本の若子わくごの王、
タチバナノ
モトノワクゴの王・
次泥杼王。 次に泥杼ねどの王 ネドの王
〈十三柱〉 (十三柱) の十三方でした。
     
又娶
岐多志比賣命之姨。
小兄比賣。
また
岐多志比賣の命が姨をば、
小兄をえ比賣に娶ひて、
また
キタシ姫の命の叔母の
ヲエ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
馬木王。 馬木うまきの王、 ウマキの王・
次葛城王。 次に葛城の王、 カヅラキの王・
次間人
穴太部王。
次に間人はしひとの
穴太部あなほべの王、
ハシヒトノ
アナホベの王・
次三枝部
穴太部王。
亦名
須賣伊呂杼。
次に三枝部さきくさべの
穴太部の王、
またの名は
須賣伊呂杼すめいろど、
サキクサベノ
アナホベの王、
またの名は
スメイロト・
次長谷部若雀命。 次に長谷部はつせべの
若雀わかさざきの命
ハツセベノ
ワカサザキの命
〈五柱〉 五柱。 のお五方です。
     
凡此天皇之御子等。
并廿五王。
およそこの天皇の御子たち
并はせて
二十五王はたちまりいつはしら、
すべてこの天皇の御子たち
合わせて
二十五王おいでになりました。
     
此之中。 この中、 この中で
沼名倉
太玉敷命者。
治天下。
沼名倉
太玉敷の命は、
天の下治らしめしき。
ヌナクラ
フトタマシキの命は
天下をお治めなさいました。
次橘之豐日命。
治天下。
次に橘の
豐日の命も、
天の下治らしめしき。
次にタチバナノ
トヨヒの命・
次豐御氣
炊屋比賣命。
治天下。
次に豐御氣
炊屋比賣の命も、
天の下治らしめしき。
トヨミケ
カシギヤ姫の命・
次長谷部之
若雀命。
治天下也。
次に長谷部の
若雀の命も、
天の下治らしめしき。
ハツセベノ
ワカサザキの命も、
みな天下をお治めなさいました。
     
并四王
治天下也。
并せて四王よはしら
天の下治らしめしき。
すべて四王、
天下をお治めなさいました。

 
 

敏達天皇

 
 

沼名倉
太玉敷命。
 御子
沼名倉太玉敷
ぬなくらふとたましきの命、
 御子の
ヌナクラ
フトタマシキの命(敏達天皇)、
坐他田宮。 他をさ田の宮にましまして、 大和の
他田おさだの宮においでになつて、
治天下
壹拾肆歲也。
一十四歳とをまりよとせ、
天の下治らしめしき。
十四年
天下をお治めなさいました。
     
此天皇。 この天皇、 この天皇は

庶妹。
豐御食
炊屋比賣命。
庶妹ままいも
豐御食炊屋
とよみけかしぎや比賣の命に
娶ひて、
庶妹
トヨミケ
カシギヤ姫の命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
靜貝王。亦名
貝鮹王。
靜貝しづかひの王、またの名は
貝鮹かひだこの王、
シヅカヒの王、またの名は
カヒダコの王・
次竹田王。亦名
小貝王。
次に竹田の王、またの名は
小貝をがひの王、
タケダの王、またの名は
ヲカヒの王・
次小治田王。 次に小治田をはりだの王、 ヲハリダの王・
次葛城王。 次に葛城の王、 カヅラキの王・
次宇毛理王。 次に宇毛理うもりの王、 ウモリの王・
次小張王。 次に小張をはりの王、 ヲハリの王・
次多米王。 次に多米ための王、 タメの王・
次櫻井玄王。 次に櫻井の
玄ゆみはりの王
サクラヰノ
ユミハリの王
〈八柱〉 八柱。 のお八方です。
     
又娶
伊勢
大鹿首之女。
小熊子郎女。
また伊勢の
大鹿おほかの首おびとが女、
小熊をくま子の郎女に
娶ひて、
また伊勢の
オホカの首おびとの女の
ヲクマコの郎女と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
布斗比賣命。 布斗ふと比賣の命、 フト姫の命・
次寶王。亦名
糠代比賣王。
次に寶の王、またの名は
糠代ぬかで比賣の王
タカラの王、またの名は
ヌカデ姫の王
〈二柱〉 二柱。 のお二方です。
     
又娶
息長眞手王之女。
比呂比賣命。
また
息長眞手
おきながまての王が女、
比呂ひろ比賣の命に娶ひて、
また
オキナガノ
マテの王の女の
ヒロ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
忍坂
日子人太子。
亦名
麻呂古王。
忍坂おさかの
日子人ひこひとの
太子みこのみこと、
またの名は
麻呂古の王、
オサカノ
ヒコヒトの太子、
またの名は
マロコの王・
次坂騰王。 次に坂騰のぼりの王、 サカノボリの王・
次宇遲王。 次に宇遲うぢの王 ウヂの王
〈三柱〉 三柱。 のお三方です。
又娶
春日
中若子之女。
老女子郎女。
また春日の
中なかつ若子わくごが女、
老女子おみなこの郎女に
娶ひて、
また春日の
ナカツワクゴの王の女の
オミナコの郎女と
結婚して
生御子。 生みませる御子、
お生みになつた御子は
難波王。 難波の王、 ナニハの王・
次桑田王。 次に桑田の王、 クハタの王・
次春日王。 次に春日の王、 カスガの王・
次大俣王。 次に大俣おほまたの王 オホマタの王
〈四柱〉 四柱。 のお四方です。
     
此天皇之御子等。 この天皇の御子たち  この天皇の御子たち
并十七王之中。 并せて十七王
とをまりななはしらの中に、
合わせて十七王
おいでになつた中に、
日子人太子。 日子人の太子、 ヒコヒトの太子は

庶妹田村王。
亦名
糠代比賣命。
庶妹ままいも田村の王、
またの名は
糠代ぬかで比賣の命に娶ひて、
庶妹タムラの王、
またの名は
ヌカデ姫の命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子が、
坐岡本宮。
治天下之天皇。
岡本の宮にましまして、
天の下治らしめしし天皇、
岡本の宮においでになつて
天下をお治めなさいました天皇
(舒明天皇)・
次中津王。 次に中つ王、 ナカツ王・
次多良王。 次に多良たらの王 タラの王
〈三柱〉 三柱。 のお三方です。
     
又娶
漢王之妹。
大俣王。
また
漢あやの王が妹、
大俣の王に娶ひて、
また
アヤの王の妹の
オホマタの王と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
智奴王。 智奴ちぬの王、 チヌの王、
次妹桑田王。 次に妹桑田の王 クハタの女王
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
庶妹
玄王。
また庶妹
玄ゆみはりの王に
娶ひて、
また庶妹
ユミハリの王と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
山代王。 山代やましろの王、 ヤマシロの王・
次笠縫王。 次に笠縫の王 カサヌヒの王
〈二柱〉 二柱。 のお二方です。
并七王。 并はせて七王ななはしら。 合わせて七王です。
     
  (甲辰の年
四月六日崩りたまひき)
天皇は
甲辰きのえたつの年の
四月六日にお隱れになりました。
御陵在
川内
科長也。
御陵は
川内の
科長しながにあり。
御陵は
河内かわちの
科長しながにあります。

 
 

安閑天皇

 
 

橘豐日命。  弟
橘の豐日とよひの命、
 弟の
タチバナノトヨヒの命(用明天皇)、
坐池邊宮。 池の邊の宮にましまして、 大和の
池の邊の宮においでになつて、
治天下參歲。 三歳天の下治らしめしき。 三年天下をお治めなさいました。
     
此天皇。娶
稻目宿禰大臣之女。
意富藝多志比賣。
この天皇、
稻目いなめの大臣が女、
意富藝多志
おほぎたし比賣に娶ひて、
この天皇は
蘇我そがの
稻目いなめの大臣の女の
オホギタシ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
多米王。
〈一柱〉
多米ための王
一柱。
タメの王お一方です。
     
又娶
庶妹
間人
穴太部王。
また庶妹
間人の
穴太部あなほべの王に
娶ひて、
庶妹
ハシヒトノ
アナホベの王と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
上宮之
厩戶
豐聰耳命。
上うへの宮の
厩戸うまやどの
豐聰耳とよとみみの命、
上の宮の
ウマヤドノ
トヨトミミの命・
次久米王。 次に久米くめの王、 クメの王・
次植栗王。 次に植栗ゑくりの王、 ヱクリの王・
次茨田王。 次に茨田うまらたの王 ウマラタの王
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
當麻之
倉首比呂之女。
飯女之子。
また
當麻たぎまの
倉首比呂くらびとひろが女、
飯いひの子に娶ひて、
また
當麻たぎまの倉の首
ヒロの女の
イヒの子と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
當麻王。 當麻の王、 タギマの王、
次妹
須加志呂古郎女。
次に妹いも
須賀志呂古すがしろこの郎女
スガシロコの郎女
  二柱。 のお二方です。
     
此天皇。  この天皇 この天皇は
  (丁未の年
四月十五日崩りたまひき)
丁未ひのとひつじの年の
四月十五日にお隱れなさいました。
     
御陵在
石寸
掖上。
御陵は
石寸いはれの
池の上にありしを、
御陵は
初めは磐余いわれの
掖上わきがみにありましたが
後遷
科長中陵也。
後に科長の中の陵に
遷しまつりき。
後に科長しながの中の陵に
お遷うつし申し上げました。

 
 

崇峻天皇

 
 

長谷部
若雀天皇。
 弟
長谷部はつせべの
若雀わかさざきの天皇、
 弟の
ハツセベノ
ワカサザキの天皇(崇峻天皇)、
坐倉椅
柴垣宮。
倉椅くらはしの
柴垣しばかきの宮にましまして、
大和の倉椅くらはしの
柴垣の宮においでになつて、
治天下
肆歲。
四歳よとせ天の下治らしめしき。 四年天下をお治めなさいました。
     
  (壬子の年
十一月十三日崩りたまひき)
壬子みずのえねの年の
十一月十三日にお隱れなさいました。
御陵在
倉椅岡上也。
御陵は
椅くらはしの岡の上にあり。
御陵は
倉椅の岡の上にあります。

 
 

推古天皇

 
 

豐御食
炊屋比賣命。
 妹いも
豐御食炊屋
とよみけかしぎや比賣の命、
 妹の
トヨミケカシギヤ姫の命
(推古天皇)、
坐小治田宮。 小治田をはりだの宮にましまして、 大和の
小治田の宮においでになつて、
治天下
參拾漆歲。
三十七歳
みそとせまりななとせ
天の下治らしめしき。
三十七年
天下をお治めなさいました。
     
  (戊子の年
三月十五日
癸丑の日
崩りたまひき)
戊子つちのえねの年の
三月十五日
癸丑みずのとうしの日に
お隱れなさいました。
     
御陵在
大野岡上。
御陵は
大野の岡の上にありしを、
御陵は
初めは大野の岡の上にありましたが、
後遷
科長大陵也。
後に
科長しながの大陵に遷しまつりき。
後に
科長の大陵にお遷し申し上げました。