古事記 仁徳天皇の系譜~原文対訳

応神天皇陵 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
宮と系譜
聖帝の世
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

難波之高津宮

     
大雀命。  大雀おほさざきの命、  オホサザキの命(仁徳天皇)、
坐難波之
高津宮。
難波の
高津の宮にましまして、
難波なにわの
高津たかつの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

后妃・皇子女

石之日賣命

     
此天皇。 この天皇、 この天皇、
娶葛城之
曾都毘古之女。
石之日賣命
〈大后〉
葛城かづらきの
曾都毘古そつびこが女、
石いはの日賣ひめの命
大后に娶あひて、
葛城のソツ彦の女の
石いわの姫ひめの命(皇后)と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
大江之
伊邪本和氣命。
大江の
伊耶本和氣
いざほわけの命、
オホエノ
イザホワケの命・

墨江之中津王。
次に
墨江すみのえの
中なかつ王みこ、
スミノエノ
ナカツの王・

蝮之水齒別命。
次に
蝮たぢひの
水齒別みづはわけの命、
タヂヒノ
ミヅハワケの命・

男淺津間
若子宿禰命。
次に男淺津間若子
をあさづま
わくごの宿禰の命
ヲアサヅマ
ワクゴノスクネの命の
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     

髮長比賣

     
又娶上云。
日向之
諸縣君。
牛諸之女。
髮長比賣。
また上にいへる
日向ひむかの
諸縣むらがたの君
牛諸うしもろが女、
髮長比賣かみながひめに娶あひて、
また上にあげた
ヒムカノ
ムラガタの君
ウシモロの女の
髮長姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子みこは
波多毘能大郎子。
〈自波下
四字以音。下效此〉
亦名大日下王。
波多毘
はたびの大郎子、
またの名は
大日下くさかの王、
ハタビの大郎子、
またの名は
オホクサカの王・
次波多毘能若郎女。
亦名長日比賣命。
亦名若日下部命。
次に波多毘の若郎女わきいらつめ、
またの名は長目ながめ比賣の命、
またの名は若日下部の命
ハタビの若郎女、
またの名はナガメ姫の命、
またの名はワカクサカベの命の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     

八田若郎女・宇遲能若郎女

     
又娶
庶妹
八田若郎女。
また庶妹ままいも
八田やたの若郎女に
娶ひ、
また庶妹
ヤタの若郎女と
結婚し、
又娶
庶妹
宇遲能若郎女。
また庶妹
宇遲の若郎女に
娶ひたまひき。
また庶妹
ウヂの若郎女と
結婚しました。
此之二柱。
無御子也。
(この二柱は、
御子まさざりき)
このお二方は
御子がありません。
     
凡此
大雀天皇之御子等。
并六王。
およそこの
大雀の天皇の御子たち
并はせて六柱。
すべてこの
天皇の御子たち
合わせて六王ありました。
〈男王五柱。女王一柱〉 (男王五柱、女王一柱) 男王五人女王一人です。
     

履中(17代 )

     

伊邪本和氣命者。
治天下也。
かれ
伊耶本和氣の命は、
天の下治らしめしき。
この中、
イザホワケの命は
天下をお治めなさいました。
     

反正(18代 )

     

蝮之水齒別命。
亦。治天下。
次に
蝮の水齒別の命も
天の下治らしめしき。
次に
タヂヒノミヅハワケの命も
天下をお治めなさいました。
     

允恭(19代 )

     

男淺津間
若子宿禰命
亦。治天下也。
次に
男淺津間
若子の宿禰の命も
天の下治らしめしき。
次に
ヲアサヅマ
ワクゴノスクネの命も
天下をお治めなさいました。
     
此天皇之御世。  この天皇の御世に、 この天皇の御世に
爲大后。
石之日賣命之
御名代。
定葛城部。
大后
石いはの比賣の命の
御名代みなしろとして、
葛城部かづらきべを定めたまひ、
皇后
石いわの姫ひめの命の
御名の記念として
葛城部をお定めになり、
亦爲太子。
伊邪本和氣命之
御名代。
定壬生部。
また太子
ひつぎのみこ
伊耶本和氣の命の御名代として、
壬生部にぶべを定めたまひ、
皇太子
イザホワケの命の
御名の記念として
壬生部をお定めになり、
亦爲水齒別命之
御名代。
定蝮部。
また水齒別の命の
御名代として、
蝮部たぢひべを定めたまひ、
またミヅハワケの命の
御名の記念として
蝮部たじひべをお定めになり、
亦爲大日下王之
御名代。
定大日下部。
また大日下の王の
御名代として、
大日下部を定めたまひ、
またオホクサカの王の
御名の記念として
大日下部おおくさかべをお定めになり、
爲若日下部王之
御名代。
定若日下部。
若日下部の王の
御名代として、
若日下部を定めたまひき。
ワカクサカベの王の
御名の記念として
若日下部をお定めになりました。
     

治水政策

     
又役秦人。  また秦はた人を役えだてて、  この御世に大陸から來た
秦人はたびとを使つて、
作茨田堤。 茨田うまらたの堤と 茨田うまらだの堤、
及茨田三宅。 茨田の三宅みやけとを作り、 茨田の御倉をお作りになり、
又作丸邇池。 また丸邇わにの池、 また丸邇わにの池、
依網池。 依網よさみの池を作り、 依網よさみの池をお作りになり、
又掘難波之堀江而。 また難波の堀江を掘りて、 また難波の堀江を掘つて
通海。 海に通はし、 海に通わし、
又掘小椅江。 また小椅をばしの江を掘り、 また小椅おばしの江を掘り、
又定
墨江之津。
また墨江の津を
定めたまひき。
墨江すみのえの舟つきを
お定めになりました。
応神天皇陵 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
宮と系譜
聖帝の世