伊勢物語 57段:恋ひわびぬ あらすじ・原文・現代語訳

第56段
草の庵
伊勢物語
第二部
第57段
恋ひわびぬ
第58段
荒れたる宿

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 むかし男が、人知れず物思い、そのつれない思いをかけた人に
 

 恋ひわびぬ あまの刈る藻に 宿るてふ われから身をも くだきつるかな
 わびしくて 海女の藻に宿るとかけて 自ら身を砕くと解く そこに宿る心は?
 

 海女の藻で海草、海でそう身を砕く(働く)とくれば、浪だよな…、あ、涙かな?
 

 この段は、53-56段をまとめて、小町にウチ侘しくてゴメンといっている。
 冒頭の「物思い」「つれなき」が、54段(つれなかりける女)・55段(思ひかけたる女)に対応。
 あまのかる「藻」を、56段の草の庵とかけ、ボロ宿で住まない(スマン)。そんで、涙が泊らない、かな。
 

 しかし女々しすぎる内容なので、すんでのところで送らなかった(送ったと書いていないのは、そういう意味)。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第57段 恋ひわびぬ
   
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔。
  人知れぬ物思ひけり。 人しれぬ物思ひけり。 人しれぬ物おもひける男。
  つれなき人のもとに、 つれなき人のもとに、 つれなき女のもとに。
       

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 恋ひわびぬ
 あまの刈る藻に宿るてふ
 こひわびぬ
 あまのかるもにやどるてふ
 戀わひぬ
 蜑のかるもに宿るてふ
  われから身をも
  くだきつるかな
  我から身をも
  くだきつるかな
  我から(く一本)身をも
  くたきつる哉
   

現代語訳

 
 

むかし、男、
人知れぬ物思ひけり。つれなき人のもとに、
 
恋ひわびぬ あまの刈る藻に 宿るてふ
 われから身をも くだきつるかな

 
 恋ひわびぬ あまの刈る藻に 宿るてふ われから身をも くだきつるかな

 いく世しも あらしわか身を なそもかく あまのかるもに 思ひみたるる古今934・読人不知)
 
 「あまのかるも」は万葉にはないので、著者が造り出した語だろう。古今にはもう一つだけあるが(古今807)、それも伊勢に収録されている。
 
 
むかし男
 むかし男が
 

人知れぬ物思ひけり
 人知れず物思っていた。
 
 「物思ひ」の内容は、
 →56段「臥して思ひ起きて思ひ、思ひあまりて」
 →55段「思ひかけたる女」
 →54段「つれなかりける女(小町)」のこと。
 

つれなき人のもとに
 その思うにまかせない人のもとに
 
 この「つれなき人」は、
 34段「つれなかりける人」と同じ意味。
 

 つまり冷淡・そっけないという意味ではなく、思うにまかせないという意味。
 34段・こもり江で舟と棹を出し、釣れない(思い通りにいかない)とかけていた。
 54段と34段は違う人だが、文脈はいずれも、冷たいという内容ではない。
 そして本段でも、「思ひ」にかけて「つれなき」を用いている。
 

 冷淡(そっけない)と、思うにまかせないの違いは何かというと、
 前者はもっぱら自己都合の視点、後者は双方の視点からの広い考慮を含む。
 
 

恋ひわびぬ
 前はごめんねと
 (請い詫びて)
 

 わび
 (侘び)つらく・さびしく・気がめいる。まずしいさま。
 (詫び)謝罪・かこつける。
 

あまの刈る藻に 宿るてふ
 海女の刈る藻に 宿るという(その心は)
 

 てふ
 …という。
 
 「宿る」
 :56段の「暮るれば露の 宿りなりけり」を受けている。
 

われから身をも くだきつるかな
 自ら身をも 砕きつるかな
 

 海女の刈る藻=海草とかけ、海でそうなると解き、浪だかなで涙かな。
 
 つまり56段で「露の宿りなり」とは、
 涙がとまらない(泊らない・宿らない)という意味だった。露は否定形を導くので(露知らず)。
 
 砕くは心とかけて、思い悩む。
 

 単純にいえば、
 うち貧しくてごめんね。一緒になれたらいいのは山々なんだけど。