紫式部日記 21 七日の夜は朝廷の御産養 逐語分析

若女房の舟遊び 紫式部日記
第一部
朝廷の御産養
頼通の御産養
目次
冒頭
1 七日の夜は朝廷の御産養
2  勧学院の衆ども、歩みして参れる
3  今宵の儀式は、ことにまさりて
4 御帳の内をのぞきまゐらせたれば
5  小さき灯籠を御帳の内に
6 おほかたのことどもは
7  御乳付け仕うまつりし橘三位
8 八日、人びと色々さうぞき替へたり

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 七日の夜は、  御誕生七日目の夜は、  
朝廷の
御産養。
朝廷主催の
御産養である。
 
     
蔵人少将
<道雅>を
御使ひにて、
蔵人少将
藤原道雅を
勅使として、
【蔵人少将】-藤原伊周の長男、道雅。十六歳。
ものの数々
書きたる文、
柳筥に入れて
参れり。
御下賜の品々を
書きたる目録を
柳筥に入れて
参上した。
 
     

やがて
返したまふ。
中宮様は目を通されると
そのまま
中宮職の役人にお返しになる。
〈やがて:そっくりそのまま・即(即座に・すぐに・すなわち・つまり)・そのうち。
    「やがて」は読者の感覚に合わせ幅をもってきた対応するはやさの表現で、本来は「いやがって」の意味(独自だが、革命的な理解と思う。その嫌感を見せないようにして「やがて」)。ここでは受け取り、う~んハイ見ましたという意味(面倒に関わりたくない。4の彰子の様子参照)。続く2段で「やがて」もない同じ構文と対比すると、ここでは「そのうち」に近い多少の時間差がある〉

2

勧学院の
衆ども、
歩みして
参れる、
勧学院の
学生たちが
行列を作って
お祝いに参上したが、
【勧学院の衆ども歩みして参れる】-勧学院は藤原氏の私学。氏の長者の慶事に際して祝意を表するために行列して参上する。それを「勧学院の歩み」といった(『江家次第』巻二十)。底本「あゆみして」が『絵詞』には「あゆみつゝ」とある。
見参の文
また啓す。
その参上者の名簿を
中宮様に御覧に入れる。
【文】-底本「ふみとも」。『絵詞』には「ふみ」とある。『全注釈』同様に『絵詞』に従う。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。
     

返したまふ。
それもお目を通されて職の役人に
お返しになる。
 
     
禄ども
賜ふべし。
禄なども
お与えになったようだ。
 

3

今宵の儀式は、 今夜の儀式は、  
ことに
まさりて、
格別に一段と
盛大で
 
おどろおどろしく
ののしる。
仰々しく
騒ぎ立てている。
【ののしる】-『絵詞』には「のゝしるに」とある。『全注釈』は「ののしるに」と校訂するが、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。

4

 御帳の内を
のぞき
まゐらせたれば、
 御帳台の内側を
おのぞき
申したところ、
〈つまり紫式部は彰子の母親的な最側近。以下の文脈もそれを示唆する〉
【まゐらせたれば】-底本「まいりたれは」とある。『絵詞』には「まいらせたれは」とある。『絵詞』に従って改める。
かく
国の親と
もてさわがれ
たまひ、
このように
国母として
持ち上げられ
なさるが、
【もてさわがれたまひ】-『絵詞』は「もてさはかれ給」。『全注釈』は連体形で下文にかかるとみる。『新大系』が「もてさはがれたまふ」と連体形に解する。
うるはしき
御気色にも
見えさせ
たまはず、
御機嫌の良い
様子にも
お見え
あそばさず、
 
すこし
うちなやみ、
面やせて
大殿籠もれる
御ありさま、
すこし
苦しそうで
面やせなさって
休んでいらっしゃる
御様子は、
 
常よりも
あえかに
若く
うつくしげなり。
普段よりも
弱々しそうで
若く
可愛らしげである。
〈あえか(なり):弱々しい、か弱い〉

5

小さき灯籠を
御帳の内に
掛けたれば、
小さい灯籠を
御帳台の内側に
掛けていたので、
【灯籠】-底本「ところ」。『絵詞』は「とうろ」とあり、『絵詞』に従って訂正する。
隈もなきに、 隅々まで明るいので、 【隈も】-『絵詞』には「くもり」とある。『全注釈』は「くもりなきに」と校訂するが、底本のままとする。
いとどしき
御色あひの、
そこひも知らず
清らなるに、
〈ただでさえ
はかなげなお顔色が
底知れずに
清らかな上に、

美しいお顔が、どこまでも清らかに美しいうえに、

〈いとどしき:ますます。ただでさえ…なのに〉

〈そこひ(底ひ):奥底・果て〉

     
こちたき
御髪は、
結ひて
まさらせたまふ
わざなりけり
と思ふ。
煩わしい
お髪は
結って
上げて見栄えよくされた
見事な技術であった〉
と思われる。

〈こちたし (言痛し・事痛し):煩わしい・うるさい・面倒な〉

〈こちたき御髪:出産時の「御頂きの御髮下ろしたてまつり」から、多いではなく扱いに困ると解する。この点をわざと隠したわざをわざわざ言っている。髪は女子に特に大事だから〉

△たくさんあるお髪は
×結い上げなさると一段とお見事になるものだなあ

   

〈学説は、この「こちたき御髪」を「ふさふさの髪」のように文言から離れた美称と解するが、それがまさに本章冒頭から始まる、中宮がうざがる「ことに

…おどろおどろしくののしる」理解。ご機嫌伺いで顔色を窺う周囲と対照的に面倒そうな描写は日記冒頭から彰子の一貫した描写。彼らは体調のせいにするかもしれないが〉

かけまくも
いと
さらなれば、
〈かさねて申すのも
とても
今更なことなので〉

△口に出して申し上げるのも今さらめいているので、

〈かけまく:あえて申す。この点「動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」とする説もあるが、これは「かけて(衣や布団のように重ねて)」「まうす(申す)」の変化形と見る。独自〉

えぞ
書き続け
はべらぬ。
これ以上
書き続けることは
致しません。
 

6

 おほかたの
ことどもは、
 大体の
儀式の内容は、
 
一夜の
同じこと。
先夜と
同様の事である。
【一夜】-底本「一日」。『絵詞』には「ひと夜」とある。『全注釈』『集成』は「一夜」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。
     
上達部の禄は、 上達部への禄は、  
御簾の内より、
女装束、
宮の御衣
など添へて出だす。
御簾の内側から、
女装束と
若宮の御衣
などを添えて差し出す。
 
     
殿上人、

二人をはじめて、
殿上人と
蔵人頭の
二人を始めとする禄は、
【頭二人】-蔵人頭、源頼定源道方
寄りつつ取る。 順次側に寄って受け取る。  
     
朝廷の禄は、 朝廷からの禄は、 【朝廷の禄は】-以下「詳しくは見はべらず」まで、『絵詞』にはナシ。省略されたものだろう。
大袿、
衾、
腰差など、
例の
公けざま
なるべし。
大袿や
衾、
腰差などで、
いつもの
公的なもの
のようである。
【腰差】-巻絹。「かづけ物」が肩に掛けるのに対して、これは腰に差すので、この呼称がある。

7

御乳付け
仕うまつりし
橘三位の贈物、
御乳付け役を
ご奉仕申した
橘三位への贈物は、
〈橘三位:前出橘徳子。帝(一条天皇)の乳母。であるから特段の扱いが説明されているが、先に「御乳付け」の前に言及された彰子の母倫子に言及がないのも一応留意〉
例の女の装束に、
織物の細長添へて、
白銀の衣筥、
包なども
やがて
白きにや。
いつもの女の装束に、
織物の細長を添えて、
白銀の衣筥、
包なども
同じく
白いものであったか。
 
     
また
包みたる物添へて
などぞ
聞きはべりし。
また
包んだ品物を添えて賜った
などと
後から聞きました。
 
     
詳しくは
見はべらず。
詳しくは
見ておりません。
 

8

 八日、
人びと、
色々さうぞ
き替へたり。
 八日目の日には、
女房たちは
色とりどりの装束に
着替えていた。