古事記 神の怒りで仲哀天皇死亡~原文対訳

歸神 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の神がかり
2 神の怒りで天皇死亡
国之大祓
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
爾其神大忿。 ここにその神いたく忿りて、
詔りたまはく、
そこで神樣がたいへんお怒りになつて
詔凡茲天下者。 「およそこの天の下は、 「すべてこの國は
汝非應知國。 汝の知らすべき國にあらず、 あなたの治むべき國ではないのだ。
汝者向一道。 汝は一道に向ひたまへ」
と詔りたまひき。
あなたは一本道にお進みなさい」
と仰せられました。
     
於是
建内宿禰大臣白。
ここに
建内の宿禰の大臣白さく、
そこで
タケシウチの宿禰が申しますには、
恐我天皇。 「恐かしこし、我が天皇おほきみ。 「おそれ多いことです。陛下、
猶阿蘇婆勢
其大御琴。
〈自阿至勢以音〉
なほその大御琴
あそばせ」とまをす。
やはりそのお琴を
お彈き遊ばせ」と申しました。
     
爾稍取依其御琴而。 ここにややにその御琴を取り依せて、 そこで少しその琴をお寄せになつて
那摩那摩邇
〈此五字以音〉
控坐。
なまなまに
控きいます。
生々なまなまに
お彈きになつておいでになつたところ、
故未幾久而。 かれ、幾時いくだもあらずて、 間も無く
不聞御琴之音。 御琴の音聞えずなりぬ。 琴の音が聞えなくなりました。
     
即擧火見者。 すなはち火を擧げて見まつれば、 そこで火を點ともして見ますと、
既崩訖。 既に崩かむあがりたまひつ。 既にお隱かくれになつていました。
歸神 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の神がかり
2 神の怒りで天皇死亡
国之大祓

天命を無視した天皇の死

 
 
 一般的な説明では、「天皇はこの神を信じず熊襲を攻めたが空しく敗走。翌年〔仲哀天皇9年〕2月に天皇が橿日宮(現・香椎宮)にて急死。『日本書紀』内の異伝や『天書紀』では熊襲の矢が当たったという」とされている(Wikipedia神功皇后#熊襲征伐)。
 

 ここでの冒頭の内容(およそこの天の下は汝の知らすべき國にあらず)は、体制礼賛的な人には許しがたい内容だろう。明らかに著者がそういう思想でないと記されうる内容ではない。
 雄略天皇の描写のように、日本書紀では漠然と神が天皇となれあい一緒に狩をする友達のような存在として描かれるが、古事記では天皇が自分のように振舞う神に逆上し、矢を射ようとして屈服させられるエピソードが長々描写される。神に矢を射ようとするのは、典型的な反逆の象徴(天使の雉の射殺、竹取の天人に対する帝の軍勢)。
 

 天命は、生前地上に下される前に、天から下される使命(生きる目的)のことで、孔子のいう天命もこの意味である。影響力ある立場にありながら、あまりに外れたことをすると直接の戒めがある。それが天道の考え方。天道は、摂理と同義であり(プロビデンスの目、お天道様は見ている)、かつ人格をもつ全体の神である。これは監視しているというより、あたかも体の末端でも痛みや違和感があればそこを見るようなもの。