古事記~高倉下(高木が下した命) 原文対訳

神武東征 古事記
中巻①
神武天皇
高倉下
八咫烏
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
此時。
熊野之
高倉下
〈此者人名〉
この時に
熊野の
高倉下たかくらじ、
この時
熊野の
タカクラジという者が
齎一横刀。 一横刀たちをもちて、 一つの大刀をもつて
到於
天神御子之伏地而。
獻之時。
天つ神の御子の
伏こやせる地ところに
到りて獻る時に、
天の神の御子の
臥しておいでになる處に
來て奉る時に、
天神御子
即寤起。
天つ神の御子、
すなはち寤さめ起ちて、
お寤さめになつて、
詔長寢乎。 「長寢ながいしつるかも」
と詔りたまひき。
「隨分寢たことだつた」
と仰せられました。
     
故受取
其横刀之時。
かれその横刀たちを
受け取りたまふ時に、
その大刀を
お受け取りなさいました時に、
其熊野山之荒神。 その熊野の山の
荒あらぶる神
熊野の山の
惡い神たちが
自皆爲切仆。 おのづからみな切り仆たふさえき。 自然に皆切り仆されて、
爾其惑伏御軍。
悉寤起之。
ここにそのをえ伏せる御軍
悉に寤め起ちき。
かの正氣を失つた軍隊が
悉く寤さめました。
     
故天神御子。 かれ天つ神の御子、 そこで天の神の御子が
問獲
其横刀之所由。
その横刀たちを獲つる
ゆゑを問ひたまひしかば、
その大刀を獲た
仔細をお尋ねになりましたから、
高倉下答曰。 高倉下じ答へまをさく、 タカクラジがお答え申し上げるには、
     
己夢云。 「おのが夢に、 「わたくしの夢に、
天照大神。
高木神。
二柱神之命以。
天照らす大神
高木の神
二柱の神の命もちて、
天照らす大神と
高木の神の
お二方の御命令で、
召建御雷神
而詔。
建御雷たけみかづちの神を召よびて
詔りたまはく、
タケミカヅチの神を召して、
     
葦原中國者。
伊多玖
佐夜藝帝阿理那理。
〈此十一字以音〉
葦原の中つ國は
いたく
騷さやぎてありなり。
葦原の中心の國は
ひどく
騷いでいる。
我之御子等。
不平坐良志。
〈此二字以音〉
我が御子たち
不平やくさみますらし。
わたしの御子みこたちは
困つていらつしやるらしい。
其葦原中國者。 その葦原の中つ國は、 あの葦原の中心の國は
專汝所
言向之國故。
もはら汝いましが
言向ことむけつる國なり。
もつぱらあなたが
平定した國である。
汝建御雷神
可降。
かれ汝
建御雷の神降あもらさね」
とのりたまひき。
だからお前
タケミカヅチの神、
降つて行けと仰せになりました。
     
爾答曰。 ここに答へまをさく、 そこでタケミカヅチの神が
お答え申し上げるには、
僕雖不降。 「僕やつこ降らずとも、 わたくしが降りませんでも、
專有
平其國之横刀。
もはら
その國を平ことむけし横刀あれば、
その時に國を平定した大刀が
ありますから、
可降是刀。 この刀たちを降さむ。 これを降しましよう。
〈此刀名。
云佐士布都神。
亦名云甕布都神。
亦名云布都御魂。
此刀者。
坐石上神宮也〉
(この刀の名は
佐士布都の神といふ。
またの名は甕布都の神といふ、
またの名は布都の御魂。
この刀は
石上の神宮に坐す)
この大刀の名は
サジフツの神、
またの名はミカフツの神、
またの名はフツノミタマと言います。
今石上いそのかみ神宮にあります。
降此刀状者。 この刀を降さむ状は、 この大刀を降す方法は、
穿高倉下之
倉頂。
高倉下が
倉の頂むねを穿ちて、
タカクラジの
倉の屋根に穴をあけて
自其墮入。 そこより墮し入れむ
とまをしたまひき。
其處から墮し入れましよう
と申しました。
「故
建御雷神教曰。
   
穿汝之倉頂。    
以此刀堕入」    

阿佐
米余玖
〈自阿下五字以音〉
かれ

目吉よく
そこでわたくしに、
お前は朝
目が寤さめたら、
汝取持。 汝取り持ちて この大刀を取つて
獻天神御子。 天つ神の御子に獻れと、
のりたまひき。
天の神の御子に奉れと
お教えなさいました。
     
故如夢教而。 かれ夢の教のまにま、 そこで夢の教えのままに、
旦見己倉者。 旦あしたにおのが倉を見しかば、 朝早く倉を見ますと
信有横刀。 信まことに横刀たちありき。 ほんとうに大刀がありました。
故以是
横刀而獻耳。
かれこの横刀をもちて獻らくのみ」
とまをしき。
依つてこの大刀を奉るのです」
と申しました。
神武東征 古事記
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高倉下
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