古事記~八尋和邇(豊玉姫) 原文対訳

豊玉姫出産 古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
八尋和邇
あえずの命
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是思奇
其言。
ここにその言を
奇しと思ほして、
ところがその言葉を
不思議に思われて、
竊伺
其方產者。
そのまさに産みますを
伺見かきまみたまへば、
今盛んに子をお産みになる
最中さいちゆうに
覗のぞいて御覽になると、
八尋和邇而。 八尋鰐になりて、 八丈もある長い鰐になつて
匍匐委蛇。 匍匐はひもこよひき。 匐はいのたくつておりました。
     
即見驚畏而。 すなはち見驚き畏みて、 そこで畏れ驚いて
遁退。 遁げ退そきたまひき。 遁げ退きなさいました。
     

豐玉毘賣命。
ここに
豐玉とよたま毘賣の命、
しかるに
トヨタマ姫の命は

其伺見之事。
その伺見かきまみたまひし事を
知りて、
窺見のぞきみなさつた事を
お知りになつて、
以爲心恥。 うら恥やさしとおもほして、 恥かしい事にお思いになつて
乃生置其御子而。 その御子を生み置きて
白さく、
御子を産み置いて
白妾
恆通海道
「妾あれ、
恆は海道うみつぢを通して、
「わたくしは
常に海の道を通つて
欲往來。 通はむと思ひき。 通かよおうと思つておりましたが、
然。
伺見
吾形。
然れども
吾が形を
伺見かきまみたまひしが、
わたくしの形を
覗のぞいて御覽になつたのは
是甚怍。 いと怍はづかしきこと」とまをして、 恥かしいことです」と申して、
之即塞海坂
而返入。
すなはち海坂うなさかを塞せきて、
返り入りたまひき。
海の道をふさいで
歸つておしまいになりました。

 

豊玉姫出産 古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
八尋和邇
あえずの命

解説

 
 
 「八尋和邇」とは、これで大陸由来の渡来人ということを表現している。
 先行する「一尋和邇」の内容に「渡海中時(海を渡る)」とあったから、海を渡ってきた渡来人。長さが半島と大陸を象徴している。
 ワニ(和邇→王仁)はその名字。そして著者の太安万侶。
 
 先段の「臨產時。以本國之形產生」の本国とは文脈上中国の暗示。
 日本で地方のことを本国とは言わないだろう。そういう呼称があったと想定することも文脈において不自然。
 安万侶(人麻呂)は、基本的にこの国の文化を大したものと思っていない。だから勅命を受けつつ天皇家に全力で諫言する内容を書いている。
 天や神を言うのも、天皇家を権威づけるためではない。世の理の理解を示すため。天子と称した時の君主のあり方・責任を説明するため(君主論・天命論)。
 それが民の困窮時には最低三年租税と労役を免除せよ、それが聖帝という下巻冒頭のエピソード。ここまでの思想は、現代日本どころかどこの国にもない。
 

 八尋の八は至高の神の精神作用を象徴する数字だから、彼女はいわばメッセンジャー。同様の存在が八神姫(=天照)。そして八俣大蛇。
 だからここでも蛇の動きと掛けられている(匍匐委蛇)。
 神話における最初の動物が八俣大蛇で、最後が八尋和邇。
 

 出産で乱れている様子を、ワニとして表現したというのが表面的な意味。
 本国の姿を見て驚き畏れ逃げたとは、違う考えを受け入れられない様子。
 違う出自と知ると、それだけで受け入れられない。
 
 行き来した海路をふさいで返ったとは、もう生まないという意味。なのでここで神話が終わる。
 神に掛けて上巻。