枕草子94段 上の御局の御簾の前にて

無名 枕草子
上巻下
94段
上の御局
ねたき

(旧)大系:94段
新大系:90段、新編全集:90段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:98段
 


 
 上の御局の御簾の前にて、殿上人、日一日琴笛吹き、遊びくらして、大殿油まゐるほどに、まだ御格子はまゐらぬに、大殿油さし出でたれば、戸のあきたるがあはらなれば、琵琶の御琴をたたざまに持たせ給へり。くれないゐの御衣ども、いふも世の常なる袿、また、張りたるどもなどをあまた奉りて、いとくろうつややかなる琵琶に、御袖を打ち掛けて、とらへさせ給へるだにめでたきに、そばより、御額のほどの、いみじうしろうめでたくけざやかにて、はづれさせ給へるは、たとふべき方ぞなきや。
 ちかくゐ給へる人にさし寄りて、「なかば隠したりけむは、えかくはあらざりけむかし。あれはただ人にこそありけめ」といふを、道もなきにわけまゐりて申せば、笑はせ給ひて、「別れは知りたりや」となむ仰せらるる、と伝ふるもをかし。