古事記~八十神の迫害② 原文対訳

迫害① 古事記
上巻 第三部
大国主の物語
八十神の迫害②木の国
根の国
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是八十神見。  ここに八十神見て  これをまた大勢の神が見て
且欺
率入山而。
また欺きて、
山に率ゐて入りて、
欺あざむいて
山に連れて行つて、
切伏大樹。 大樹を切り伏せ、 大きな樹を切り伏せて
茹矢。 茹矢ひめやを 楔子くさびを
打立其木。 その木に打ち立て、 打つておいて、
令入其中。 その中に入らしめて、 その中に大國主の命をはいらせて、
即打離
其冰目矢而。
すなはちその氷目矢ひめやを
打ち離ちて、
楔子くさびを
打つて放つて
拷殺也。 拷うち殺しき。 打ち殺してしまいました。
     
爾亦
其御祖命
哭乍求者。
ここにまた
その御祖、
哭きつつ求まぎしかば、
そこでまた
母の神が
泣きながら搜したので、
得見。 すなはち見得て、 見つけ出して
即折其木
而取出活。
その木を拆さきて、
取り出で活して、
その木を拆さいて
取り出して生いかして、
告其子言 その子に告りて言はく、 その子に仰せられるには、
汝者有此間者。 「汝ここにあらば、 「お前がここにいると
遂爲八十神
所滅。
遂に八十神に
滅ころさえなむ」といひて、
しまいには大勢の神に
殺ころされるだろう」と仰せられて、
乃速遣於
木國之
大屋毘古神之御所。
木の國の
大屋毘古おほやびこの神の御所みもとに
違へ遣りたまひき。
紀伊の國の
オホヤ彦の神のもとに
逃がしてやりました。
     
爾八十神
覓追臻而。
ここに八十神
覓まぎ追ひ臻いたりて、
そこで大勢の神が
求めて追つて來て、
矢刺乞時。 矢刺して乞ふ時に、 矢をつがえて乞う時に、
自木俣
漏逃而去。
木の俣またより
漏くき逃れて去いにき。
木の俣またから
ぬけて逃げて行きました。
迫害① 古事記
上巻 第三部
大国主の物語
八十神の迫害②木の国
根の国

解説

 
 
 木の俣から逃げていることは、無名の者として転生したことの例え。
 これが転生を暗示していることは、パラレルの構造をなす前段参照。
 無名の者として生まれたことは、有名になって目にとまったことの裏返し。
 木の国で続く根の国とつなげている。紀伊の国なのかは、可能性は高いが、ここだけはそこまで定かではない。
 

 因幡の段から全て、全て欺きから入りヤケドし(痛い目を見る話の例え)、それが原因で大国主が失命する話が続く。
 そしてスサノオから認められるということから、大国主は、神々に追放されたスサノオの因縁(カルマ)を継承した存在と見るのが自然。
 つまり分身(転生)。天照にしたことの反射効。
 神々からいわれがなく迫害されると見るのは、この視点でみれば違う。
 

 なぜか国をまかせられているのは、当初イザナギからの命がそうであったから。その命が続いている。
 命をすぐ失い続けるのは、命を無視し続けたから。ウサギ一匹に助言したことが、まず唯一の償い。
 自分では何もしていない。むしろ神々の親にずっと世話されている。
 御祖(神々の母≒天照≒カミムスビ)が「泣きながら」無事に大丈夫になるよう手間をかける、これが慈悲(カルナ)。
 
 しかし、親は一人ではない。
 それで国譲りの段の冒頭で、今度はタカムスビ(神々の父)が突如天照とセットで出てきて、反逆の報いを受けさせている(自分の放った矢で死亡)。