源氏物語 42帖 匂兵部卿:あらすじ・目次・原文対訳

源氏物語
第三部
第42帖
匂兵部卿
紅梅

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 匂兵部卿(におうひょうぶきょう・匂宮=後世の呼称)のあらすじ

 「幻」〔源氏の死〕から八年後、薫14歳から20歳までの話。

 光源氏亡き後、その面影を継ぐ人はいなかった。長男・夕霧は面影こそ源氏に似てはいるが、若い頃から変わらず真面目で律儀な性格である事から、「やはり 殿(源氏)とは違う」と女房も語るほど〔※原文はそこまで端的ではない。一章三節〕。先の帝・冷泉院〔源氏と藤壷の子〕こそ「亡き殿に瓜二つ」との声もあるが、先の帝であることから口にすることも恐れ多いと憚られていた。ただわずかに今上帝〔朱雀院(源氏の異母兄)の子〕三の宮(匂宮)と、女三宮腹の若君(、実は柏木の子〔つまりかつての頭中将の孫〕)が当代きっての貴公子との評判が高い。

 源氏が他界してからというものの、六条院は火が消えたような寂しさとなっていた。夕霧は父が愛したこの屋敷が荒れて行くのを憂えたことから、落葉の宮を一条の屋敷から移り住まわせる事に。その甲斐あってか、明石の中宮〔源氏と明石の方との子〕の娘・女一宮が亡き紫の上を偲び、春の町で暮らすようになり、時々ではあるが、二宮が寝殿を使うようになったことから、六条院は再び賑わいを見せるようになった。

 匂宮は元服して兵部卿となり、紫の上の二条院を里邸としている。夕霧は匂宮を婿にと望みもするが、自由な恋愛を好む当人にはその気がない。その夕霧は、落葉の宮を六条院の冬の町に迎え、三条殿に住まう雲居の雁のもとと一日交代に月に十五日ずつ律儀に通っている。夕霧は娘の中で一番美人と誉れ高い藤典侍腹の六の君を、落葉の宮に預けて教養の豊かな女性に育てようとしている。

 六条院は、今は明石の中宮の子たちの大半が住んでいる。夏の町に住んでいた花散里〔源氏が葵亡き後知り合った女性〕は二条院の東の院へ、女三宮は三条宮へそれぞれ移っている。

 一方薫は、冷泉院と秋好中宮〔かつての伊勢斎宮〕に殊更に可愛がられ育てられ、元服後は官位の昇進もめざましい。しかし、漠然ながら自分の出生に疑念を感じていた薫は、人生を味気なく思い、悶々と出家の志を抱え過ごしていた。

 不思議なことに、薫の体には生まれつき仏の身にあるといわれる芳香が備わっていた。匂宮は対抗心から薫物(たきもの)に心を砕き、このため二人は世間から「匂ふ兵部卿、薫る中将」と呼ばれる。世間の評判はこの二人に集中し、娘の婿にと望む権門は多いが、匂宮は冷泉院の女一宮に好意を寄せており、厭世観を強めている薫は思いの残る女性関係は持つまいとしている。

 薫20歳の正月、夕霧は六条院で賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)を催した。匂宮はもちろん、薫も出席し、華やかな宴となる。

(以上Wikipedia匂宮より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次
和歌抜粋#匂兵部卿(1首:別ページ)
主要登場人物
 
第42帖 匂兵部卿(におうひょうぶきょう)
 薫君の中将時代
 十四歳から二十歳までの物語
 
第一章 光る源氏没後の物語
 光る源氏の縁者たちのその後
 第一段 匂宮と薫の評判
 第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち
 第三段 光る源氏の夫人たちのその後
 
第二章 薫中将の物語
 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格
 第一段 薫、冷泉院から寵遇される
 第二段 薫、出生の秘密に悩む
 第三段 薫、目覚ましい栄達
 第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う
 第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格
 第六段 夕霧の六の君の評判
 第七段 六条院の賭弓の還饗
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

薫(かおる)
十四歳から二十歳〔源氏の子と一般にみなされる柏木と女三の宮の子、頭中将の孫〕
呼称:薫る中将・宰相中将・源中将・宮の若君
匂宮(におうのみや)
今上帝の第三親王
呼称:匂ふ兵部卿・兵部卿宮・当代の三の宮
夕霧(ゆうぎり)
源氏の長男
呼称:右大臣・右の大殿・大殿・大臣・大将
明石の中宮(あかしのちゅうぐう)
今上帝の后
呼称:后の宮・今后
今上帝(きんじょうてい)
朱雀院の御子
呼称:当代・帝・内裏
女三の宮(おんなさんのみや)
薫の母
呼称:入道の宮・二品の宮・母宮
冷泉院(れいぜいいん)
呼称:冷泉院の帝・下りゐの帝・院・上

 
 以上の内容は、薫の〔〕以外、全て以下の原文のリンクから参照。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  匂兵部卿(におうひょうぶきょう・匂宮)
 
 

第一章 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後

 
 

第一段 匂宮と薫の評判

 
   光隠れたまひにし後、かの御影に立ちつぎたまふべき人、そこらの御末々にありがたかりけり。
 下りゐの帝をかけたてまつらむはかたじけなし。
 当代の三の宮、その同じ御殿にて生ひ出でたまひし宮の若君と、この二所なむ、とりどりにきよらなる御名取りたまひて、げに、いとなべてならぬ御ありさまどもなれど、いとまばゆき際にはおはせざるべし。
 
 光源氏がお隠れになって後、あのお輝きをお継ぎになるような方、大勢のご子孫方の中にもいらっしゃらないのであった。
 御譲位された帝をどうこう申し上げるのは恐れ多いことである。
 今上帝の三の宮、その同じお邸でお生まれになった宮の若君と、このお二方がそれぞれに美しいとのご評判をお取りになって、なるほど、実に並大抵でないお二方のご器量であるが、ほんとうに輝くほどではいらっしゃらないであろう。
 
   ただ世の常の人ざまに、めでたくあてになまめかしくおはするをもととして、さる御仲らひに、人の思ひきこえたるもてなし、ありさまも、いにしへの御響きけはひよりも、やや立ちまさりたまへるおぼえからなむ、かたへは、こよなういつくしかりける。
 
 ただ世間普通の人らしく、立派で高貴で優美でいらっしゃるのを基本として、そのようなご関係から、人が思い込みでご評判申し上げている扱い、様子も、昔のご評判やご威光よりも、少し勝っていらっしゃる高い評判ゆえに、一つには、この上なく威勢があったのであった。
 
   紫の上の、御心寄せことに育みきこえたまひしゆゑ、三の宮は、二条の院におはします。
 春宮をば、さるやむごとなきものにおきたてまつりたまて、帝、后、いみじうかなしうしたてまつり、かしづききこえさせたまふ宮なれば、内裏住みをせさせたてまつりたまへど、なほ心やすき故里に、住みよくしたまふなりけり。
 御元服したまひては、兵部卿と聞こゆ。
 
 紫の上が、格別におかわいがりになってお育て申し上げたゆえに、三の宮は、二条院にいらっしゃる。
 春宮は、そのような重い方として特別扱い申し上げなさって、帝、后が、大変におかわいがり申し上げになり、大切にお世話申し上げになっている宮なので、宮中生活をおさせ申し上げなさるが、やはり気楽な里邸を、住みよくお思いでいらっしゃるのであった。
 ご元服なさってからは、兵部卿と申し上げる。
 
 
 

第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち

 
   女一の宮は、六条の院の南の町の東の対を、その世の御しつらひ改めずおはしまして、朝夕に恋ひしのびきこえたまふ。
 二の宮も、同じ御殿の寝殿を、時々の御休み所にしたまひて、梅壺を御曹司にしたまうて、右の大殿の中の姫君を得たてまつりたまへり。
 次の坊がねにて、いとおぼえことに重々しう、人柄もすくよかになむものしたまひける。
 
 女一の宮は、六条院南の町の東の対を、ご生前当時のお部屋飾りを変えずにいらして、朝晩に恋い偲び申し上げなさっている。
 二の宮も、同じ邸の寝殿を、時々のご休息所になさって、梅壷をお部屋になさって、右大臣の中の姫君をお迎え申し上げていらっしゃった。
 次の春宮候補として、まことに信望が重々しく、人柄もしっかりしていらっしゃるのであった。
 
   大殿の御女は、いとあまたものしたまふ。
 大姫君は、春宮に参りたまひて、またきしろふ人なきさまにてさぶらひたまふ。
 その次々、なほ皆ついでのままにこそはと、世の人も思ひきこえ、后の宮ものたまはすれど、この兵部卿宮は、さしも思したらず、わが御心より起こらざらむことなどは、すさまじく思しぬべき御けしきなめり。
 
 大殿の御姫君は、とても大勢いらっしゃる。
 大姫君は、春宮に入内なさって、また競争する相手もない様子で伺候していらっしゃる。
 その次々と、やはりみなその順番通りに結婚なさるだろうと、世間の人もお思い申し上げ、后の宮も仰せになっていらっしゃるが、この兵部卿宮は、それほどはお思いにならず、ご自分のお気持ちから生じたのではない結婚などは、おもしろくなくお思いのご様子のようである。
 
   大臣も、「何かは、やうのものと、さのみうるはしうは」と静めたまへど、また、さる御けしきあらむをば、もて離れてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづききこえたまふ。
 六の君なむ、そのころの、すこし我はと思ひのぼりたまへる親王たち、上達部の、御心尽くすくさはひにものしたまひける。
 
 大臣も、「何の、同じようにと、そのようにばかりきちんきちんとすることはない」と落ち着いていらっしゃるが、また一方で、そのようなご意向があるなら、お断りはしないという顔つきで、とても大切にお世話申し上げていらっしゃる。
 六の君は、その当時の、少し自分こそはと自尊心高くいらっしゃる親王方、上達部の、お心を夢中にさせる種でいらっしゃるのであった。
 
 
 

第三段 光る源氏の夫人たちのその後

 
   さまざま集ひたまへりし御方々、泣く泣くつひにおはすべき住みかどもに、皆おのおの移ろひたまひしに、花散里と聞こえしは、東の院をぞ、御処分所にて渡りたまひにける。
 
 いろいろとお集まりであった御方々は、泣く泣く最後の生活をなさるべき邸々に、みなそれぞれお移りになったが、花散里と申し上げた方は、二条東の院を、ご遺産としてお移りになった。
 
   入道の宮は、三条の宮におはします。
 今后は、内裏にのみさぶらひたまへば、院のうち寂しく、人少なになりにけるを、右の大臣、
 入道の宮は、三条宮にいらっしゃる。
 今后は、宮中にばかり伺候していらっしゃるので、六条院の中は寂しく、人少なになったが、右大臣が、
   「人の上にて、いにしへの例を見聞くにも、生ける限りの世に、心をとどめて造り占めたる人の家居の、名残なくうち捨てられて、世の名残も常なく見ゆるは、いとあはれに、はかなさ知らるるを、わが世にあらむ限りだに、この院荒さず、ほとりの大路など、人影離れ果つまじう」  「他人事として、昔の例を見たり聞いたりするにつけても、生きている限りの間に、丹精をこめて造り上げた人の邸が、すっかり忘れられて、人の世の常のことながら無常に思われるのは、まことに感慨無量で、情けない思いがしないではいられないが、せめて自分が生きている間だけでも、この院を荒廃させず、近くの大路など、人の姿が見えなくならないように」
   と、思しのたまはせて、丑寅の町に、かの一条の宮を渡したてまつりたまひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住みたまひける。
 
 と、お思いになりおっしゃって、丑寅の町に、あの一条宮をお移し申し上げなさって、三条殿と、一晩置きに十五日ずつ、きちんとお通いになっていらっしゃるのであった。
 
   二条の院とて、造り磨き、六条の院の春の御殿とて、世にののしる玉の台も、ただ一人の御末のためなりけり、と見えて、明石の御方は、あまたの宮たちの御後見をしつつ、扱ひきこえたまへり。
 大殿は、いづかたの御ことをも、昔の御心おきてのままに、改め変ることなく、あまねき親心に仕うまつりたまふにも、「対の上の、かやうにてとまりたまへらましかば、いかばかり心を尽くして仕うまつり見えたてまつらまし。
 つひに、いささかも取り分きて、わが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて、過ぎたまひにしこと」を、口惜しう飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ。
 
 二条院と言って、磨き造り上げ、六条院の春の御殿と言って、世間に評判であった玉の御殿も、ただお一方の将来のためであったと思えて、明石の御方は、大勢の宮たちのご後見をしながら、お世話申し上げていらっしゃった。
 大殿は、どの方の御事も、故人のおとりきめ通りに、改変することなく、別け隔てなく親切にお仕えなさっているにつけても、「対の上が、このように生きていらっしゃったならば、どんなに誠意を尽くしてお仕え申し御覧に入れたことであろうか。
 とうとう、多少なりとも特別に、自分が好意を寄せているとお分かりになっていただける機会もなくて、お亡くなりになってしまったこと」を、残念に物足りなく悲しく思い出し申し上げなさる。
 
   天の下の人、院を恋ひきこえぬなく、とにかくにつけても、世はただ火を消ちたるやうに、何ごとも栄なき嘆きをせぬ折なかりけり。
 まして、殿のうちの人びと、御方々、宮たちなどは、さらにも聞こえず、限りなき御ことをばさるものにて、またかの紫の御ありさまを心にしめつつ、よろづのことにつけて、思ひ出できこえたまはぬ時の間なし。
 春の花の盛りは、げに、長からぬにしも、おぼえまさるものとなむ。
 
 天下の人は、院を恋い慕い申し上げない者はなく、あれこれにつけても、世はまるで火を消したように、何事につけてもはりあいのない嘆きを漏らさない折はなかった。
 まして、殿の内の女房たち、ご夫人方、宮様方などは、改めて申し上げるまでもなく、限りないお嘆きの事はもちろんのこととして、またあの紫の上のご様子を心に忘れず、いろいろのことにつけて、お思い出し申し上げなさらない時の間もない。
 春の花の盛りは、なるほど、長くないことによって、かえって大事にされるというものである。
 
 
 

第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な人生

 
 

第一段 薫、冷泉院から寵遇される

 
   二品宮の若君は、院の聞こえつけたまへりしままに、冷泉院の帝、取り分きて思しかしづき、后の宮も、皇子たちなどおはせず、心細う思さるるままに、うれしき御後見に、まめやかに頼みきこえたまへり。
 
 二品の宮の若君は、院がお頼み申し上げなさっているとおりで、冷泉院の帝が、特別に大切になさり、后の宮も、親王方などいらっしゃらず、心細くお思いのために、嬉しいご後見役として、お頼み申し上げていらっしゃった。
 
   御元服なども、院にてせさせたまふ。
 十四にて、二月に侍従になりたまふ。
 秋、右近中将になりて、御たうばりの加階などをさへ、いづこの心もとなきにか、急ぎ加へておとなびさせたまふ。
 おはします御殿近き対を曹司にしつらひなど、みづから御覧じ入れて、若き人も、童、下仕へまで、すぐれたるを選りととのへ、女の御儀式よりもまばゆくととのへさせたまへり。
 
 ご元服なども、院の御所でおさせになる。
 十四歳で、二月に侍従におなりになる。
 秋、右近衛府の中将なって、恩賜の加階などまで、どこが気がかりなのか、急いで加えてご成人させなさる。
 お住まいあそばす御殿の近くの対の屋をお部屋にしたてたりなど、院御自身で監督なさって、若い女房も、女の童、下仕えまで、すぐれた人を選びそろえ、姫宮の御儀式よりもまぶしいほど立派にお整えさせなさっていた。
 
   上にも宮にも、さぶらふ女房の中にも、容貌よく、あてやかにめやすきは、皆移し渡させたまひつつ、院のうちを心につけて、住みよくありよく思ふべくとのみ、わざとがましき御扱ひぐさに思されたまへり。
 故致仕の大殿の女御と聞こえし御腹に、女宮ただ一所おはしけるをなむ、限りなくかしづきたまふ御ありさまに劣らず、后の宮の御おぼえの、年月にまさりたまふけはひにこそは、などかさしも、と見るまでなむ。
 
 院の上におかれても中宮におかれても、伺候している女房の中でも、器量がよく、上品で難がない者は、みなお移しなさりなさりして、院の中を気に入って、住みよく生活しよく思うようにとばかり、特別にお世話しようとお思いなっていらっしゃった。
 故致仕の大殿の女御と申し上げたお方に、女宮がただお一方いらっしゃったのを、この上なく大切にお育てなさっているのに負けないほど、后の宮の御寵愛が、年月とともに厚くなってゆく感じなのであろうが、どうして、そんなにまですることがあろう、と思われるほどである。
 
   母宮は、今はただ御行ひを静かにしたまひて、月の御念仏、年に二度の御八講、折々の尊き御いとなみばかりをしたまひて、つれづれにおはしませば、この君の出で入りたまふを、かへりて親のやうに、頼もしき蔭に思したれば、いとあはれにて、院にも内裏にも、召しまとはし、春宮も、次々の宮たちも、なつかしき御遊びがたきにてともなひたまへば、暇なく苦しく、「いかで身を分けてしがな」と、おぼえたまひける。
 
 母宮は、今はただご勤行だけを静かになさって、毎月のお念仏、年に二回の御八講、折々の尊い御仏事の営みばかりなさって、他に何もすることなくいらっしゃるので、この君がお出入りなさるのを、かえって親のように、頼りになる方とお思いでいらっしゃったので、とてもおいたわしくて、院におかせられても帝におかせられても、いつもお召しになり、春宮も、次々の親王方も、親しいお遊び相手としてお誘いになるので、暇もなく苦しくて、「何とかして身体を分けたいものだ」と、思われなさるのであった。
 
 
 

第二段 薫、出生の秘密に悩む

 
   幼心地にほの聞きたまひしことの、折々いぶかしう、おぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし。
 宮には、ことのけしきにても、知りけりと思されむ、かたはらいたき筋なれば、世とともの心にかけて、
 子供心にかすかにお聞きになったことが、時々気にかかり、どうしたことかとずっと思い続けていたが、尋ねるべき人もいない。
 宮には、事の一端なりとも知ってしまったと思われなさるのは、具合の悪い筋合なので、それ以来心から離れることなくて、
   「いかなりけることにかは、何の契りにて、かうやすからぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ。
 善巧太子の、わが身に問ひけむ悟りをも得てしがな」とぞ、独りごたれたまひける。
 
 「どのようなことであってか、何の因果で、このような気がかりな思いを身にまとって生まれてきたのだろうか。
 善巧太子が、わが身に問うている悟りを得たいものだ」と、つい独り言が漏れなさるのであった。
 
 

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 「おぼつかな 誰れに問はまし いかにして
 初めも果ても 知らぬわが身ぞ」
 「はっきりしないことだ、誰に尋ねたらよいものか
  どうして初めも終わりも分からない身の上なのだろう」
 
   いらふべき人もなし。
 ことに触れて、わが身につつがある心地するも、ただならず、もの嘆かしくのみ、思ひめぐらしつつ、「宮もかく盛りの御容貌をやつしたまひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむきたまひけむ。
 かく、思はずなりけることの乱れに、かならず憂しと思しなるふしありけむ。
 人もまさに漏り出で、知らじやは。
 なほ、つつむべきことの聞こえにより、我にはけしきを知らする人のなきなめり」と思ふ。
 
 答えることのできる人はいない。
 何かにつけて、自分自身に悪いところのある感じがするのも、気持ちが落ち着かず、何か物思いばかりがされ、あれこれ思案して、「母宮もこのような盛りのお姿を尼姿になさって、どのような御道心でからか、急に出家されたのだろう。
 このように、不本意な過ちがもとで、きっと世の中が嫌になることがあったのだろう。
 世間の人も漏れ聞いて、知らないはずがあろうか。
 やはり、隠しておかなければならないことのために、わたしには事情を知らせる人がいないようだ」と思う。
 
   「明け暮れ、勤めたまふやうなめれど、はかなくおほどきたまへる女の御悟りのほどに、蓮の露も明らかに、玉と磨きたまはむことも難し。
 五つのなにがしも、なほうしろめたきを、我、この御心地を、同じうは後の世をだに」と思ふ。
 「かの過ぎたまひけむも、やすからぬ思ひに結ぼほれてや」など推し量るに、世を変へても対面せまほしき心つきて、元服はもの憂がりたまひけれど、すまひ果てず、おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまりたまへり。
 
 「朝晩、勤行なさっているようだが、とりとめもなくおっとりしていらっしゃる女のお悟りの状態では、蓮の露も明らかなように、玉と磨きなさることも難しい。
 五つの障害も、やはり不安だが、わたしが、このお志を、同じことならせめて来世を」と思う。
 「あの亡くなったという方も、辛い思いに迷いが解けないでいるのではないか」などと推量するが、生まれ変わってでもお会いしたい気がして、元服は気がお進みにならなかったが、辞退しきれず、自然と世間から大事にされて、眩しいほど華やかなご身辺も、一向に気に染まず、ひっこみ思案でいらっしゃった。
 
 
 

第三段 薫、目覚ましい栄達

 
   内裏にも、母宮の御方ざまの御心寄せ深くて、いとあはれなるものに思され、后の宮はた、もとよりひとつ御殿にて、宮たちももろともに生ひ出で、遊びたまひし御もてなし、をさをさ改めたまはず、「末に生まれたまひて、心苦しう、おとなしうもえ見おかぬこと」と、院の思しのたまひしを、思ひ出できこえたまひつつ、おろかならず思ひきこえたまへり。
 
 帝におかせられましても、母宮の御縁続きの御好意が厚くて、大変にかわいい者としてお思いあさばされ、后の宮も、また、もともと同じ邸で、宮方と一緒にお育ちになり、お遊びなさったころの御待遇を、すこしもお改めにならず、「晩年にお生まれになって、気の毒で、大きくなるまで見届けることができないこと」と、院がおっしゃっていたのを、お思い出し申し上げなさっては、並々ならずお思い申し上げていらっしゃった。
 
   右の大臣も、わが御子どもの君たちよりも、この君をばこまやかにやうごとなくもてなしかしづきたてまつりたまふ。
 
 右大臣も、ご自分のご子息たちよりも、この君を気にかけて大事にお扱い申し上げていらっしゃる。
 
   昔、光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみたまふ人うち添ひ、母方の御後見なくなどありしに、御心ざまもの深く、世の中を思しなだらめしほどに、並びなき御光を、まばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじき世の乱れも出で来ぬべかりしことをも、ことなく過ぐしたまひて、後の世の御勤めも後らかしたまはず、よろづさりげなくて、久しくのどけき御心おきてにこそありしか、この君は、まだしきに、世のおぼえいと過ぎて、思ひあがりたること、こよなくなどぞものしたまふ。
 
 昔、光君と申し上げた方は、あのような比類ない帝の御寵愛であったが、お憎みなさる方があって、母方のご後見がなかったりなどしたが、ご性質も思慮深く、世間の事を穏やかにお考えになったので、比類ないご威光を、目立たないように抑えなさり、ついに大変な天下の騷ぎになりかねない事件も、無事にお過ごしになって、来世のご勤行も時期を遅らせなさらず、万事目立たないようにして、遠く先をみて穏やかなご性格の方であったが、この君は、まだ若いうちに、世間の評判が大変に過ぎて、自負心を高く持っていることは、この上なくいらっしゃる。
 
   げに、さるべくて、いとこの世の人とはつくり出でざりける、仮に宿れるかとも見ゆること添ひたまへり。
 顔容貌も、そこはかと、いづこなむすぐれたる、あなきよら、と見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしう恥づかしげに、心の奥多かりげなるけはひの、人に似ぬなりけり。
 
 なるほど、そうあるはずのように、とてもこの世の人としてできているのではない、人間の姿を借りて宿ったのかと思えることがお加わりであった。
 お顔の器量も、はっきりそれと、どこが素晴らしい、ああ美しい、と見えるところもないが、ただたいそう優美で気品高げで、心の奥底が深いような感じが、誰にも似ていないのであった。
 
   香のかうばしさぞ、この世の匂ひならず、あやしきまで、うち振る舞ひたまへるあたり、遠く隔たるほどの追風に、まことに百歩の外も薫りぬべき心地しける。
 誰も、さばかりになりぬる御ありさまの、いとやつればみ、ただありなるやはあるべき、さまざまに、われ人にまさらむと、つくろひ用意すべかめるを、かくかたはなるまで、うち忍び立ち寄らむものの隈も、しるきほのめきの隠れあるまじきに、うるさがりて、をさをさ取りもつけたまはねど、あまたの御唐櫃にうづもれたる香の香どもも、この君のは、いふよしもなき匂ひを加へ、御前の花の木も、はかなく袖触れたまふ梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしむる人多く、秋の野に主なき藤袴も、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風、ことに折なしからなむまさりける。
 
 薫の香ばしさは、この世の匂いでなく、不思議なまでに、ちょっと身じろぎなさる周囲の、遠く離れている所の追い風も、本当に百歩の外も薫りそうな感じがするのであった。
 どなたにも、あれほどのご身分で、たいそう身をやつし、平凡な恰好でいられようか、あれこれと、自分こそは誰よりも良くあろうと、おしゃれをし気をつかうはずなのであるが、このように体裁の悪いほど、ちょっとお忍びに立ち寄ろうとする物蔭も、はっきりこの人と分かる薫りが隠れ場もないので、厄介に思って、ほとんど香を身におつけにならないが、たくさんの御唐櫃にしまってあるお香の薫りも、この君のは、何ともいえない匂いが加わり、お庭先の花の木も、ちょっと袖をお触れになる梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしみて感じる人が多く、秋の野に主のいない藤袴も、もとの薫りは隠れて、やさしい追い風が、特に折り取られて一段と香が引き立つのであった。
 
 
 

第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う

 
   かく、いとあやしきまで人のとがむる香にしみたまへるを、兵部卿宮なむ、異事よりも挑ましく思して、それは、わざとよろづのすぐれたる移しをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。
 
 このように、まことに不思議なまで人が気のつく薫りに染まっていらっしゃるのを、兵部卿宮は、他のことよりも競争心をお持ちになって、それは、特別にいろいろの優れたのをたきしめなさり、朝夕の仕事として香を合わせるのに熱心で、お庭先の植え込みでも、春は梅の花園を眺めなさり、秋は世間の人が愛する女郎花や、小牡鹿が妻とするような萩の露にも、少しもお心を移しなさらず、老を忘れる菊に、衰えゆく藤袴、何の取柄もないわれもこうなどは、とても見るに堪えない霜枯れのころまでお忘れにならないなどというふうに、ことさらめいて、香を愛する思いを、取り立てて好んでいらっしゃるのであった。
 
   かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、好いたる方に引かれたまへりと、世の人は思ひきこえたり。
 昔の源氏は、すべて、かく立ててそのことと、やう変り、しみたまへる方ぞなかりしかし。
 
 こうしていることに、少し弱く優し過ぎて、風流な方面に傾いていらしゃると、世間の人はお思い申していた。
 昔の源氏は、総じて、このように一つに事を取り立てて、異様なふうに、熱中なさることはなかったものである。
 
   源中将、この宮には常に参りつつ、御遊びなどにも、きしろふものの音を吹き立て、げに挑ましくも、若きどち思ひ交はしたまうつべき人ざまになむ。
 例の、世人は、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と、聞きにくく言ひ続けて、そのころ、よき女おはする、やうごとなき所々は、心ときめきに、聞こえごちなどしたまふもあれば、宮は、さまざまに、をかしうもありぬべきわたりをばのたまひ寄りて、人の御けはひ、ありさまをもけしきとりたまふ。
 わざと御心につけて思す方は、ことになかりけり。
 
 源中将は、この宮にはいつも参上しては、お遊びなどにも、張り合う笛の音色を吹き立てて、いかにも競争者として、若い者同士が好意をお持ちになっているようなご様子である。
 例によって、世間の人は、「匂う兵部卿、薫る中将」と、聞きずらいほど言い立てて、その当時に、良い娘がいらっしゃる、高貴な所々では、心をときめかして、婿にと申し出たりなさる人もあるので、宮は、あれこれと、興味の惹かれそうな所にはお言葉をお掛けになって、相手のお人柄、ご様子をもお窺いになる。
 特別のご熱心にお思いになる方は、格別いないのであった。
 
   「冷泉院の女一の宮をぞ、さやうにても見たてまつらばや。
 かひありなむかし」と思したるは、母女御もいと重く、心にくくものしたまふあたりにて、姫宮の御けはひ、げに、いとありがたくすぐれて、よその聞こえもおはしますに、まして、すこし近くもさぶらひ馴れたる女房などの、くはしき御ありさまの、ことに触れて聞こえ伝ふるなどもあるに、いとど忍びがたく思すべかめり。
 
 「冷泉院の女一の宮を、結婚して一緒に暮らしてみたいものだ。
 きっとその甲斐はあるだろう」とお思いになっているのは、母女御もとても重々しくて、奥ゆかしくいらっしゃる所であり、姫宮のご様子は、なるほどと、めったにないくらい素晴らしくて、世間の評判も高くいらっしゃるうえに、それ以上に、少し近くに伺候し馴れている女房などが、詳しいご様子などを、何かの機会にふれてお耳に入れることなどもあるので、ますます我慢できなくお思いのようである。
 
 
 

第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格

 
   中将は、世の中を深くあぢきなきものに思ひ澄ましたる心なれば、「なかなか心とどめて、行き離れがたき思ひや残らむ」など思ふに、「わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはむは、つつましく」など思ひ捨てたまふ。
 さしあたりて、心にしむべきことのなきほど、さかしだつにやありけむ。
 人の許しなからむことなどは、まして思ひ寄るべくもあらず。
 
 中将は、世の中を深くつまらないものと悟り澄ました気持ちなので、「なまじ女性に執着して、出家しにくい思いが残ろうか」などと思うので、「厄介な思いをしそうなところに関係するのは、遠慮されて」などと諦めていらっしゃる。
 さしあたって、心に気に入りそうな事がない間は、賢ぶっていたのであろうか。
 親の承諾しないような結婚などは、なおさら思うはずもない。
 
   十九になりたまふ年、三位の宰相にて、なほ中将も離れず。
 帝、后の御もてなしに、ただ人にては、憚りなきめでたき人のおぼえにてものしたまへど、心のうちには身を思ひ知るかたありて、ものあはれになどもありければ、心にまかせて、はやりかなる好きごと、をさをさ好まず、よろづのこともてしづめつつ、おのづからおよすけたる心ざまを、人にも知られたまへり。
 
 十九歳におなりの年、三位宰相になって、やはり中将を辞めていない。
 帝、后の御待遇で、臣下であっては、遠慮のない幸い人のご人望でいらっしゃるが、心の中ではわが身の上について思い知るところがあって、もの悲しい気持ちなどがあったので、勝手気ままな浮いた好色事、まったく好きでなく、万事控え目に振る舞っては、自然と老成した性格を、人からも知られていらっしゃった。
 
   三の宮の、年に添へて心をくだきたまふめる、院の姫宮の御あたりを見るにも、一つ院のうちに、明け暮れ立ち馴れたまへば、ことに触れても、人のありさまを聞き見たてまつるに、「げに、いとなべてならず。
 心にくくゆゑゆゑしき御もてなし限りなきを、同じくは、げにかやうなる人を見むにこそ、生ける限りの心ゆくべきつまなれ」と思ひながら、おほかたこそ隔つることなく思したれ、姫宮の御方ざまの隔ては、こよなく気遠くならはさせたまふも、ことわりにわづらはしければ、あながちにもまじらひ寄らず。
 「もし、心より外の心もつかば、我も人もいと悪しかるべきこと」と思ひ知りて、もの馴れ寄ることもなかりけり。
 
 三の宮が、年齢とともに熱心でいらっしゃるらしい、院の姫宮のご様子を見るにつけても、同じ院の内に、朝に夕に一緒にお暮らしなので、何かの機会にふれても、姫のご様子を聞いたり拝見したりするので、「なるほど、たいそう並々でない。
 奥ゆかしく嗜み深いお振る舞いはこの上ないので、同じことならば、ほんとうにこのような人と結婚するのこそ、生涯楽しく暮らせる糸口となることだろう」とは思うものの、普通の事は分け隔てなくお扱いでいらっしゃるが、姫宮の御事の方面の隔ては、この上なくよそよそしく習慣づけていらっしゃるのも、もっともなことに厄介な事なので、無理に近づこうとはしない。
 「もし、思いも寄らない気持ちが起こったら、自分も相手もまことに悪い事だ」と分別して、馴れ馴れしく近づき寄ることはなかったのであった。
 
   我が、かく、人にめでられむとなりたまへるありさまなれば、はかなくなげの言葉を散らしたまふあたりも、こよなくもて離るる心なく、なびきやすなるほどに、おのづからなほざりの通ひ所もあまたになるを、人のために、ことことしくなどもてなさず、いとよく紛らはし、そこはかとなく情けなからぬほどの、なかなか心やましきを、思ひ寄れる人は、誘はれつつ、三条の宮に参り集まるはあまたあり。
 
 自分が、このように、人から誉められるように生まれついていらっしゃる有様なので、ちょっと何気ない言葉をおかけになる相手の女性も、まったく相手にしない気持ちはなく、靡きやすい程度なので、自然とたいして気の染まない通い所も多くになるが、相手に対して、大仰な待遇はせず、たいそううまく紛らわして、どことなく愛情がないでもない程度で、かえって気がもめるので、情けを寄せる女は、気が引かれ引かれして、三条宮に参集する者が大勢いる。
 
   つれなきを見るも、苦しげなるわざなめれど、絶えなむよりは、心細きに思ひわびて、さもあるまじき際の人びとの、はかなき契りに頼みをかけたる多かり。
 さすがに、いとなつかしう、見所ある人の御ありさまなれば、見る人、皆心にはからるるやうにて、見過ぐさる。
 
 冷淡な態度を見るのも、辛いことのようであるが、すっかり仲が絶えてしまうよりはと、心細さが辛くて、宮仕えなどしない身分の人々で、頼りない縁に期待をかけている者が多かった。
 そうはいっても、とてもやさしく、見所のある方のご様子なので、一度会った女は、みな自分の気持ちにだまされるようにして、つい大目に見てしまうのである。
 
 
 

第六段 夕霧の六の君の評判

 
   「宮のおはしまさむ世の限りは、朝夕に御目離れず御覧ぜられ、見えたてまつらむをだに」  「母宮が生きていらっしゃるうちは、朝夕にお側を離れずお目にかかり、お仕え申し上げることを、せめてもの孝養に」
   と思ひのたまへば、右の大臣も、あまたものしたまふ御女たちを、一人一人は、と心ざしたまひながら、え言に出でたまはず。
 「さすがに、ゆかしげなき仲らひなるを」とは思ひなせど、「この君たちをおきて、ほかには、なずらひなるべき人を求め出づべき世かは」と思しわづらふ。
 
 と思っておっしゃるので、右大臣も、大勢いらっしゃる姫君たちを、誰か一人は、とお思いになりながら、口にお出しになることができない。
 「なんといっても、近い縁者なのでおもしろみがない」と思ってはみるが、「この君たちを措いて、他に、肩を並べるような人を探し出せるであろうか」とお困りになる。
 
   やむごとなきよりも、典侍腹の六の君とか、いとすぐれてをかしげに、心ばへなどもたらひて生ひ出でたまふを、世のおぼえのおとしめざまなるべきしも、かくあたらしきを、心苦しう思して、一条の宮の、さる扱ひぐさ持たまへらでさうざうしきに、迎へとりてたてまつりたまへり。
 
 れっきとした姫君よりも、典侍腹の六の君とか、たいそう素晴らしくて美しそうで、気立てなども申し分なくて成人なさっているのを、世間の評判が低いのがかえって、このように惜しいのを、不憫にお思いになって、一条宮が、そういうお子様をお持ちでなく手持ち無沙汰なので、迎え取って差し上げなさった。
 
   「わざとはなくて、この人びとに見せそめては、かならず心とどめたまひてむ。
 人のありさまをも知る人は、ことにこそあるべけれ」など思して、いといつくしくはもてなしたまはず、今めかしくをかしきやうに、もの好みせさせて、人の心つけむたより多くつくりなしたまふ。
 
 「わざわざとではなく、この方々に一度お見せしたら、きっと熱心になるにちがいなかろう。
 女性の美しさが分かる人は、特に格別であろう」などとお思いになって、はなはだ威厳ばってはお扱いにならず、今風で趣あるように、しゃれた暮らしをさせて、人が熱心になるような工夫を沢山凝らしていらっしゃる。
 
 
 

第七段 六条院の賭弓の還饗

 
   賭弓の還饗のまうけ、六条の院にていと心ことにしたまひて、親王をもおはしまさせむの心づかひしたまへり。
 
 賭弓の還饗の準備を、六条院で特別念入りになさって、親王方もご招待しようとのお心づもりをしていらっしゃった。
 
   その日、親王たち、大人におはするは、皆さぶらひたまふ。
 后腹のは、いづれともなく、気高くきよげにおはします中にも、この兵部卿宮は、げにいとすぐれてこよなう見えたまふ。
 四の親王、常陸宮と聞こゆる、更衣腹のは、思ひなしにや、けはひこよなう劣りたまへり。
 
 その当日、親王方で、大人でいらっしゃる方は、みな伺候なさる。
 后腹の方は、どの方もどの方も、気高く美しそうにいらっしゃる中でも、この兵部卿宮は、ほんとうにたいそう素晴らしくこの上なくお見えになる。
 四の親王で、常陸宮と申し上げる方は、更衣腹である方は、思いなしか、感じが格段に劣っていらっしゃった。
 
   例の、左、あながちに勝ちぬ。
 例よりは、とくこと果てて、大将まかでたまふ。
 兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、一つ車に招き乗せたてまつりて、まかでたまふ。
 宰相中将は、負方にて、音なくまかでたまひにけるを、
 いつものように、左方が、一方的に勝った。
 いつもよりは、早く賭弓が終わって、大将が退出なさる。
 兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、同じお車にお招き乗せ申し上げて、退出なさる。
 宰相中将は、負方で、静かに退出なさったが、
   「親王たちおはします御送りには、参りたまふまじや」  「親王方がいらっしゃるお送りに、お出でになりませんか」
   と、おしとどめさせて、御子の右衛門督、権中納言、右大弁など、さらぬ上達部あまた、これかれに乗りまじり、誘ひ立てて、六条の院へおはす。
 
 と、退出をおし止めなさって、ご子息の衛門督を、権中納言、右大弁など、それ以外の上達部が大勢、あれこれの車に乗り合って、誘い合って、六条院へいらっしゃる。
 
   道のややほど経るに、雪いささか散りて、艶なるたそかれ時なり。
 物の音をかしきほどに吹き立て遊びて入りたまふを、「げに、ここをおきて、いかならむ仏の国にかは、かやうの折節の心やり所を求めむ」と見えたり。
 
 道中やや時間のかかるうちに、雪が少し降って、優艶な黄昏時である。
 笛の音色を美しく吹き立てながらお入りなると、「なるほど、ここを措いて、どのような仏の国が、このような時の楽しみ場所を求めることができようか」と見えた。
 
   寝殿の南の廂に、常のごと南向きに、中少将着きわたり、北向きにむかひて、垣下の親王たち、上達部の御座あり。
 御土器など始まりて、ものおもしろくなりゆくに、「求子」舞ひて、かよる袖どものうち返す羽風に、御前近き梅の、いといたくほころびこぼれたる匂ひの、さとうち散りわたれるに、例の、中将の御薫りの、いとどしくもてはやされて、いひ知らずなまめかし。
 はつかにのぞく女房なども、「闇はあやなく、心もとなきほどなれど、香にこそ、げに似たるものなかりけれ」と、めであへり。
 
 寝殿の南の廂間に、いつものように南向きに、中将少将がずらりと着座し、北向きに対座して、垣下の親王方、上達部のお座席がある。
 お盃の事などが始まって、何となく座がはずんでくると、「求子」を舞って、翻る袖の数々をあおる羽風に、お庭先の梅がすっかり満開になっている薫りが、さっと一面に漂って来ると、いつものように、中将の薫りが、ますます素晴らしく引き立てられて、何とも言えないほど優美である。
 わずかに覗いている女房なども、「闇ははっきりせず、見たいものだが、あの薫りは、なるほど他に似たものがありませんね」と、誉め合っていた。
 
   大臣も、いとめでたしと見たまふ。
 容貌用意も、常よりまさりて、乱れぬさまに収めたるを見て、
 大臣も、たいそう立派だと御覧になる。
 ご器量やお振る舞いも、いつも以上で、行儀正しく澄ましているのを見て、
   「右の中将も声加へたまへや。
 いたう客人だたしや」
 「右の中将も一緒にお歌いになりませんか。
 とてもお客人ぶっていますね」
   とのたまへば、憎からぬほどに、「神のます」など。
 
 とおっしゃるので、無愛想にならない程度に、「神のます」などと。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 残りなく地散るぞめでたき桜花ありて世の中果ての憂ければ(古今集春下-七一 読人しらず)(戻)  
  出典2 蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く(古今集夏-一六五 僧正遍昭)(戻)  
  出典3 色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも(古今集春上-三三 読人しらず)(戻)  
  出典4 匂ふ香の君思ほゆる花なれば折れる雫に今朝ぞ濡れぬる(古今六帖一-六〇〇 伊勢)(戻)  
  出典5 主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が脱ぎかけし藤袴ぞも(古今集秋上-二四一 素性法師)(戻)  
  出典6 梅の花立ち寄るばかりありしより人のとがむる香にぞ染みぬる(古今集春上-三五 読人しらず)(戻)  
  出典7 名にめでて折れるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな(古今集秋上-二二六 僧正遍昭)(戻)  
  出典8 わが岡に小牡鹿来鳴く初萩の花妻問ひに来鳴く小牡鹿(万葉集八-一五四一 大伴旅人)(戻)  
  出典9 皆人の老いを忘るといふ菊は百年をやる花にぞありける(古今六帖一-一九四 紀貫之)(戻)  
  出典10 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(古今集春上-四一 凡河内躬恒)(戻)  
  出典11 降る雪に色はまがひぬ梅の花香にこそ似たる物なかりけれ(拾遺集春-一四 凡河内躬恒)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 善巧太子--せんけうた(た/+いし<朱>)けう(けう/$<朱>)(戻)  
  校訂2 はかなく--はかも(も/$)なく(戻)  
  校訂3 袖触れたまふ--袖かけ(かけ/$ふれ)給ふ(戻)  
  校訂4 かひ--かひかひ(かひ<後出>/$<朱>)(戻)  
  校訂5 限りなきを--かきりなき(き/+を)(戻)  
  校訂6 なる--△△(△△/#なる)(戻)  
  校訂7 言に--こと(と/+に)(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。