光と影の理論~月影の解釈

 

 影は日本の古文では光と定義されているが、しかしそれは「月影」の解せなさによるこじつけであり、字義に反して誤っているということをここで証明する。

本来、影を光というのは論理以前の背理だが、訳もわからず正しいと覚える暗記教育によってドグマ化しているため、そうした集団的蒙昧に懸命に追従し続ける不毛な習性を打破するために論証する。

 

目次
影の字義=光との①対照+②非実体の形(投影

月影の解釈=月(光)と影=実体の①陰影+②幻影
 ①陰影は物理的(即物的)で、②幻影は概念的
 和歌では基本即物的ではなく概念的に解する

 幻を幻術士とする通説も典型的即物的曲解で誤り

紫式部集1の月影=あの人(光)の②面影
 光を人に例えることは紫式部の最大の特徴

 輝く日の宮と対比すると光る源氏はほのかな月光
 「月かな」とする百人一首57は素人向け骨抜き

 ※上記①②は、Shadowの要素で普遍的概念。

 つまり月影=月光説は、影という文字の要素を完全に無視して理解できない。それが一般の百人一首57。
 ひたすら視覚的で即物的であるために、影の心象や非実体用法を認識できず、歌心を解せないという現状。

 

影の字義=光との対照+非実体の形

 

 

 影(かげ)とは、

 ①光が遮られ出来る暗い部分(陰影・影絵)

 ②映し出される対象の形(撮影・投影・幻影・面影)

 ③実体ではないこと(影武者・投影・幻影)

 

 ①が物理的・視覚的(即物的)特徴で、③は概念的・観念的(象徴的)用法。②はその中間で総合。これらは区別できる部分もあるが、常に画然とは区別されない。それが影の本質的性質。

 ①の第一義から影を光とするのは背理である。光と影は典型的対照なのに、場当たりで混同して意味消失させ、その象徴が紫式部集の「めぐり逢いて」の月影の影を無視して百人一首57でも「月かな」としてしまうこと。それは即物的で意味を通せないから。

 

 心を表す和歌とその精神を投影した古文(貫之・仮名序「やまとうたは、人のこゝろをたねとして」「いにしへのことをも歌のこゝろをもしれる人、わづかにひとりふたりなりき」)の解釈では、まず③、次に②が基本で、それでは通らない場合、①を検討する。

 古文や和歌は、基本的に概念的・比喩的・唯心的なので、即物的で視覚的な通常の用法から反転していることになるが、それは付属語とか学校文法のレベルの話ではなく、そもそもの物事の捉え方・解釈の仕方・着眼する次元が異なるため。自分達はわかっていると思うのがはじめより我はと思い上がり。通せないからとすぐ言葉を曲げられるが、それは曲解で誤り。
 

 以上の基本を応用して、紫式部を代表し象徴する和歌の歌詞「月影」を解釈する。

 

月影の解釈=陰影・幻影

 

 

 月影を上記の影の理論に照らして見ると、「月」が光、「影」がそれと対照の上記①②③。

 月影を月光とする通説は、即物的で影の象徴的用法が理解できず、物理視覚的にこじつけた語義矛盾の曲解で背理で誤り。

 

 具体的事例で見てみよう。

 

和歌と月影

 このイラストでは上下二つの月があり、上が実体の月(光)で、下が非実体の月影(投影)であり、後者がさやか(清か)に見える月影の例である。何も違和感はないと思う。影というのに光に見えておかしいね、それがをかしの心。頭が固い人が教えるとユーモアも歌心も解らない。歌人とは独自の言葉を持ち、その感覚に自信があり、世間の枠組みをあてにしないのが基本的習性。芭蕉がその集大成。それを世間のレールに乗ることを至上命題に生き、自分では決めれない人達の感覚で解釈するから頓珍漢になる。多数派とは紫式部のレベルでは良いことでは全くない(はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ)。

 

 ここでの影は上記③の意味(非実体=投影)であり、こう見えるから月影とは月光のこととするのは、影の本質を理解していない。

 つまり図のように光の影となることがあっても、影を光というのは混同。

 月影は、光ではなく影に着目した表現で本物の投影(幻影)ということに本旨がある。月光とすると月影の肝心の趣旨をそこなう。

 

 少なくとも紫式部は光と影を区別して用いていることは、源氏物語幻巻直後の「光隠れたまひにし後、かの御影に立ちつぎたまふべき人、そこらの御末々にありがたかりけり」から明らかである(②の面影の意味)。光る源氏は影る源氏ではない。

 

 光と影は典型的対照で(この図でも、先の源氏の表現でもそう配置されている)、日光と日影は同じではないし、光る君は影る君ではないし、陰と陽は同じではないし、電池の+と-を反対にしたら最悪壊れる。陽炎でかげろうと読んでも、それは陽からかげが生じるからである(上記①②)。

 

 月影は月影で、月光ではない。

 そうすると巷の辞書や注釈は肝心を理解していないことになるが、それが貫之の古の事と歌の心を知るのは一人二人ということで、別におかしいことではない。おかしいと思うのは貫之未満の理解力だから。即物的で歌心を解せないから。心は頭で考える以前の問題。

 

 


紫式部集1の月影=あの人の面影

 

 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに
 雲がくれにし 夜はの月かげ(紫式部集1・定家本)

 

 この和歌は「はやうよりわらは友だちなりし人に、年ごろへて行きあひたるが、ほのかにて、十月十日のほど、月にきほひて帰りにければ」(同上)として、「月にきほひて(月と競って=月と並べた表現)」と「雲がくれ」により、月を好きな人に見立て、月影に面影を掛けた。つまり実物が月と好きな人で、月影でその人の面影。好きだから「ほのかに」とある。これを通説は素直に意味が通せないので、よく見えなかったとか時間が少なかったと説が分かれ、穴がないように説を合わせたりするが、どちらにしても典型的即物的解釈で誤っている。これは和歌の説明なのだから、上述の通り心情として解すのが筋であり、またそれで素直に通る(ほのかに人知れずときめいて)。よく見えなかったとするのが多数説だが、それではなぜ行き会い・めぐり逢ったと言えるのか。めぐり逢は女子にとってそこまで軽い言葉ではない。女性の方、見たのかどうかも定かでない人にめぐり逢ったと言いますか。そんなよくわからない友情の歌を先頭にもってくる意味がわからない。紫式部の歌風・作風は一体何だというのか。「めぐり逢」の素朴な女子の用法を無視し、見せ掛けの一語に全集中して他全部を左右させる。これが頓珍漢で即物的で心の解せなさ。友だち=同性、月影=月光、これが現状の読解力。

 

 月に託したとか縁語とか観念的説明は的外れなのでどうでもいい。

 

 どこかに行ってしまったあの人の面影、もっと見ていたかったのに、という人に言えない乙女の歌心。友の姿がなんとおぼろだったことかという説もあるが、若くして認知に問題が出たのだろうか。それは冗談だが、表現を膨らませてポエム的にすれば良いものではない。むしろ謙抑的にすることこそ和歌の心髄。

 

 好きな人を(月つまり)光に見立てたことこそこの歌の肝心であり、定家本の表現も軽んじ肝心の女子の用いる「逢」の文字も左右し、定家本で「めぐり逢」源氏唯一の恋歌用法も無視し、「友だち」三文字で同性とは解釈以前の失笑ものの思い込みだが、通説である。巷の百人一首57は「月かな」として月影を骨抜きにするが、これは月影を解せないスポンサーの天皇辺りと御用系の力学の妥協の産物として「月かな」にされ、その余波で原典たる紫式部集・定家本も「月かげ」にされた他、通る説明はできないと思う(百人一首の古い写本では月かげもあるとされ、源氏物語と紫式部集合わせてこの句以外「月かげ」は1首もなく、他10首全て「月影」である。また「月かな」は源氏で1首のみ「月影」とセットで用いられる)。