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上巻上 1-40 補1 |
上巻中 41-80 補3 |
上巻下 81-131 補1 |
中巻上 132-148 補0 |
一本 1-29 補0 |
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中巻中 149-190 補4 |
中巻下 191-232 補1 |
下巻上 233-260 補0 |
下巻中 261-290 補5 |
下巻下 291-319 補1 |
※上中下巻は三巻本の区分。下位区分の上中下は独自の便宜上のもの。
「補」は主要三巻本になく能因本(旧全集:三条西家旧蔵本)のみにある段で独自に補ったもの。思いのまま書いた原稿・草稿たる能因本から、より広く人の目に触れることが適当でない段を著者が整理・欠落させたものと解する(独自。最終段参照)。この点、上巻上参照。
ここでの「一本」とは何の本か不明(通説)だが、三巻本のみ最終段直前に「一本 『きよしと見ゆるもの』の次に」として続く一まとまりの章段。大系は「あるいは原形堺本なるものの形態をとどめているか」とするが、同じ池田亀鑑校訂の岩波文庫ではその部分はない。
独自の私見では「一本」とは清少納言本人による補遺集で(表記は三巻本奥書の「本云」の如き書写人の表記)、「きよしと見ゆるものの次に」は著者の指示文と解する。これが構成と表記に最も忠実な解釈でもある。学説は、三巻本が能因本を退けた安易な二分論の延長で、「一本」をどこかの写本から派生した不純物と漫然とみなすためにこのように発想しないが、それで筋が通るかといえば通らない。字面を表面的に捉えたり曲げたりして無理でも押し通すのは、解釈ではなく理解・読解力不足。一本が原形堺本ではなく一本含む三巻本が一体として類纂編集されたのが堺本。それで問題なく通る上、私見によれば通説が書写の過程での増補とする能因本に一本の内容が29中8段しかないことも無理なく説明できる。つまり能因本は初稿・草稿で、堺本のような後人の手による編集ではない。しかし能因本を三巻本より後の集成本とすると説明が完全に錯綜する。言わば一本は三巻本理論に対する最終試験本。筋を通すが論理で、筋が通らないなら論理的ではない感覚論。
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大系 段 |
全集 能因 |
題・冒頭 |
|---|---|---|
| 一本1 | 夜まさりするもの | |
| 一本2 | 火かげにおとるもの | |
| 一本3 | 聞きにくきもの | |
| 一本4 | 文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの | |
| 一本5 | 下の心かまへてわろくてきよげに見ゆるもの | |
| 一本6 | 女の表着は | |
| 一本7 | 299 | 唐衣は |
| 一本8 | 300 | 裳は |
| 一本9 | 汗衫は | |
| 一本10 | 301 | 織物は |
| 一本11 | 302 | 綾の紋は |
| 一本12 | 薄様色紙は | |
| 一本13 | 硯の箱は | |
| 一本14 | 筆は | |
| 一本15 | 墨は | |
| 一本16 | 貝は | |
| 一本17 | 櫛の箱は | |
| 一本18 | 鏡は | |
| 一本19 | 蒔絵は | |
| 一本20 | 火桶は | |
| 一本21 | 畳は | |
| 一本22 | 檳榔毛は | |
| 一本23 | 319 | 松の木立高き所の |
| 一本24 | きよげなる童べの髪うるはしき | |
| 一本25 | 239 | 宮仕所は |
| 一本26 | 荒れたる家の蓬ふかく | |
| 一本27 | 池ある所の五月長雨の頃こそ | |
| 一本28 | 308 | 長谷にもうでて |
| 一本29 | 316 | 女房の参りまかでには |
