徒然草232段 すべて人は無智無能:原文

園の別当 徒然草
第六部
232段
すべて人は
よろづの咎

 
 すべて、人は、無智、無能なるべきものなり。
ある人の子の、身ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人ともの言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞こえしかども、尊者の眼にてはさらずとも覚えしなり。
また、ある人のもとにて、琵琶法師の物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱の一つ落ちたりしかば、「作りて付けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓の柄ありや」などいふを見れば、爪を生ふしたり。
琵琶など弾くにこそ。
盲法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。
道に心得たるよしにやと、かたはらいたかりき。
「柄杓の柄は、桧物木とかやいひて、よからぬ物に」とぞある人仰せられし。
 

 若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。