源氏物語 18帖 松風:あらすじ・目次・原文対訳

絵合 源氏物語
第一部
第18帖
松風
薄雲

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 松風(まつかぜ)のあらすじ

 光源氏31歳秋の話。

 二条東院が完成し、源氏は西の対に花散里を移らせた。東の対には明石の御方を迎えるつもりだったが、明石入道は源氏に文で「娘・明石の御方も住みなれたここを離れて、上洛することには不安を抱えています」と伝えた。大堰川近くの山荘(母方の祖父・中務宮の別荘)を修理して娘をそこへ住まわせることに決めたという。ちょうど源氏が建てた嵯峨野の御堂も近くにあり、明石の御方は父入道を一人明石に残して姫君母尼君と共に上京する。しかし源氏はなかなか大堰を訪れず、明石の御方は琴を爪弾き無聊を紛らわせていた。

 源氏は紫の上に気を遣いながらも、御堂の様子を見に行くとの口実でようやく大堰を来訪。明石の御方と3年ぶりの再会を喜び合い、また初めて見る娘の愛らしさに感嘆した。姫君を将来の后がねと考える源氏は、その出自の低さを補うためにも、一日も早く姫君を都へ迎えたいと考える。源氏から姫君を養女として育ててほしいと相談された紫の上は、元々子供好きなこともあり快く承諾するが、姫君と引き離される明石の御方の心を思いやって悩む源氏だった。

(以上Wikipedia松風(源氏物語)より。色づけは本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#松風(16首:別ページ)
主要登場人物
 
第18帖 松風(まつかぜ)
 光る源氏の内大臣時代
 三十一歳秋の大堰山荘訪問の物語
 
第一章 明石の物語
 上洛と老夫婦の別れの秋
 第一段 二条東院の完成、明石に上洛を促す
 第二段 明石方、大堰の山荘を修理
 第三段 惟光を大堰に派遣
 第四段 腹心の家来を明石に派遣
 第五段 老夫婦、父娘の別れの歌
 第六段 明石入道の別離の詞
 第七段 明石一行の上洛
 
第二章 明石の物語
 上洛後、源氏との再会
 第一段 大堰山荘での生活始まる
 第二段 大堰山荘訪問の暇乞い
 第三段 源氏と明石の再会
 第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ
 第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊
 
第三章 明石の物語
 桂院での饗宴
 第一段 大堰山荘を出て桂院に向かう
 第二段 桂院に到着、饗宴始まる
 第三段 饗宴の最中に勅使来訪
 
第四章 紫の君の物語
 嫉妬と姫君への関心
 第一段 二条院に帰邸
 第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十一歳
呼称:内の大殿・大臣・大殿・殿
明石入道(あかしのにゅうどう)
明石の君の父親
呼称:入道
明石の尼君(あかしのあまぎみ)
明石の君の母親
呼称:母君・尼君
明石の君(あかしのきみ)
源氏の妻
呼称:明石の御方・明石・御方・女君・女・君
明石の姫君(あかしのひめぎみ)
光る源氏の娘
呼称:若君
紫の上(むらさきのうえ)
源氏の正妻
呼称:女君

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

  定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  松風(まつかぜ)
 
 

第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋

 
 

第一段 二条東院の完成、明石に上洛を促す

 
1  東の院造りたてて、花散里と聞こえし、移ろはしたまふ。
 西の対、渡殿などかけて、政所、家司など、あるべきさまにし置かせたまふ。
 東の対は、明石の御方と思しおきてたり。
 北の対は、ことに広く造らせたまひて、かりにても、あはれと思して、行く末かけて契り頼めたまひし人びと集ひ住むべきさまに、隔て隔てしつらはせたまへるしも、なつかしう見所ありてこまかなる。
 寝殿は塞げたまはず、時々渡りたまふ御住み所にして、さるかたなる御しつらひどもし置かせたまへり。
 
 東の院を建築して、花散里と申し上げたお方をお移し住まわせなさる。
 西の対から渡殿などにかけて、政所や家司などの部屋を、しかるべき状態にお設けになる。
 東の対は明石の御方をとお考えになっていた。
 北の対は特別に広くお造りになって、一時的にせよご愛情をお持ちになって将来までもと約束なさり、心頼りにおさせになった女性たちが一緒に住めるようにと、部屋部屋を仕切ってお造りになっているのも感じがよく、見所があって行き届いている。
 寝殿は空けてお置きになって、時々お渡りになる時の御座所として、そのような設備をなさっていた。
 
2  明石には御消息絶えず、今はなほ上りたまひぬべきことをばのたまへど、女は、なほ、わが身のほどを思ひ知るに、  明石にはお便りを絶えず遣わして、今はもうぜひとも上京なさるようにとおっしゃるが、女君はやはりわが身のほどが分かっているので、
3  「こよなくやむごとなき際の人びとだに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべく聞くを、まして、何ばかりのおぼえなりとてか、さし出でまじらはむ。
 この若君の御面伏せに、数ならぬ身のほどこそ現はれめ。
 たまさかにはひ渡りたまふついでを待つことにて、人笑へに、はしたなきこと、いかにあらむ」
 「この上なく高貴な身分の女性でさえ、縁がすっかり切れるでないご様子の冷淡さを見ながら、かえって物思いを募らせていると聞くのに、ましてどれほども世間から重んじられているわけでもない者がその中へ入って行けようか。
 この若君の不面目になり、賤しい身の上が現れてしまおう。
 まれまれにこっそりお渡りになる機会を待つことになって、物笑いの種になり引っ込みがつかなくなることは、どんなであろう」
4  と思ひ乱れても、また、さりとて、かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ恨み背かず。
 親たちも、「げに、ことわり」と思ひ嘆くに、なかなか、心も尽き果てぬ。
 
 と思い乱れても、又一方では、そうかといって、このような明石の田舎の地に生まれて、お子として認めてもらえないのも、ひどくかわいそうなので、一途に恨んだり背いたりすることもできない。
 両親も、「なるほど、もっともなことだ」と嘆いて、かえって、気苦労の限りをし尽くすのであった。
 
 
 

第二段 明石方、大堰の山荘を修理

 
5  昔、母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが領じたまひける所、大堰川のわたりにありけるを、その御後、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年ごろ荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて宿守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。
 
 昔、母君の祖父で、中務宮と申し上げたお方が所領なさっていた所が、大堰川の近くにあったのを、その後はしっかりと引き継ぐ人もいなくて長年荒れていたのを思い出して、あの当時から代々留守番のような役をしていた人を呼び迎えて相談する。
 
6  「世の中を今はと思ひ果てて、かかる住まひに沈みそめしかども、末の世に、思ひかけぬこと出で来てなむ、さらに都の住みか求むるを、にはかにまばゆき人中、いとはしたなく、田舎びにける心地も静かなるまじきを、古き所尋ねて、となむ思ひ寄る。
 さるべき物は上げ渡さむ。
 修理などして、かたのごと人住みぬべくは繕ひなされなむや」
 「この世はこれまでだと見切りをつけて、このような土地に落ちぶれた生活になじんでしまったが、老年になって思いがけないことが起こったので、改めて都の住居を求めるのだが、急に眩しい都人の中に出るのはきまりが悪いので、田舎者になってしまった心地にも落ち着くまいから、昔の所領を探し出して、と考えたのだ。
 必要な費用はお送りしよう。
 修理などして、どうにか住めるように修繕してくださらないか」
7  と言ふ。
 預り、
 と言う。
 預かり人は、
8  「この年ごろ、領ずる人もものしたまはず、あやしきやうになりてはべれば、下屋にぞ繕ひて宿りはべるを、この春のころより、内の大殿の造らせたまふ御堂近くて、かのわたりなむ、いと気騷がしうなりにてはべる。
 いかめしき御堂ども建てて、多くの人なむ、造りいとなみはべるめる。
 静かなる御本意ならば、それや違ひはべらむ」
 「長年、ご領主様もいらっしゃらず、ひどい状態になっておりますので、下屋を繕って住んでおりますが、今年の春頃から、内大臣殿がご建立なさっている御堂が近いので、あの近辺はとても騒々しくなっております。
 立派な御堂をいくつも建立して、大勢の人々が造営にあたっているようでございます。
 静かなのがご希望ならば、あそこは適当ではございません」
9  「何か。
 それも、かの殿の御蔭に、かたかけてと思ふことありて。
 おのづから、おひおひに内のことどもはしてむ。
 まづ、急ぎておほかたのことどもをものせよ」
 「何、かまわぬ。
 このことも、あの殿のご庇護にお頼りしようと思うことがあってのことだ。
 いずれ、おいおいと内部の整備はしよう。
 まずは、急いでだいたいの修理をしてほしい」
10  と言ふ。
 
 と入道は言う。
 
11  「みづから領ずる所にはべらねど、また知り伝へたまふ人もなければ、かごかなるならひにて、年ごろ隠ろへはべりつるなり。
 御荘の田畠などいふことの、いたづらに荒れはべりしかば、故民部大輔の君に申し賜はりて、さるべき物などたてまつりてなむ、領じ作りはべる」
 「自分自身が所領している所ではございませんが、また他にご相続なさる方もなかったので、閑静な土地柄に従って、長年ひっそり過ごしてきたのでございます。
 ご領地の田や畑などというものが、台無しに荒れはてておりましたので、故民部大輔様のお許しを得て、しかるべきものどもをお支払い申して、作らせていただいております」
12  など、そのあたりの貯へのことどもを危ふげに思ひて、髭がちにつなしにくき顔を、鼻などうち赤めつつ、はちぶき言へば、  などと、その収穫したものを心配そうに思って、髭だらけの憎々しい顔をして、鼻などを赤くしいしい、口をとがらせて文句を言うので、
13  「さらに、その田などやうのことは、ここに知るまじ。
 ただ年ごろのやうに思ひてものせよ。
 券などはここになむあれど、すべて世の中を捨てたる身にて、年ごろともかくも尋ね知らぬを、そのことも今詳しくしたためむ」
 「まったく、その田畑などのようなことは、こちらでは問題にするつもりはない。
 ただこれまで通りに思って使用するがよい。
 証書などはここにあるが、まったく世を捨てた身なので、長年どうなっていたか調べなかったが、そのことも今詳しくはっきりさせよう」
14  など言ふにも、大殿のけはひをかくれば、わづらはしくて、その後、物など多く受け取りてなむ、急ぎ造りける。
 
 などと言うのにも、大殿との関係をほのめかすので、厄介になって、その後は、品物などを多く受け取って、急いで修築したのであった。
 
 
 

第三段 惟光を大堰に派遣

 
15  かやうに思ひ寄るらむとも知りたまはで、上らむことをもの憂がるも、心得ず思し、「若君の、さてつくづくとものしたまふを、後の世に人の言ひ伝へむ、今一際、人悪ろき疵にや」と思ほすに、造り出でてぞ、「しかしかの所をなむ思ひ出でたる」と聞こえさせける。
 「人に交じらはむことを苦しげにのみものするは、かく思ふなりけり」と心得たまふ。
 「口惜しからぬ心の用意かな」と思しなりぬ。
 
 このように考えついていようともご存知なくて、上京することを億劫がっているのもわけが分からずお思いになって、「若君が、あのようなままひっそり寂しくしていらっしゃるのを、後世に人が言い伝えては、もう一段と外聞の悪い欠点になりはしないか」とお思いになっていたところに、修理を終えさせて、「しかじかの所を思い出しました」と申し上げたのであった。
 「人なかに出て来ることを嫌がってばかりいたのは、このように考えてのことであったのか」と合点が行きなさる。
 「立派な心がまえであることよ」とお思いになった。
 
16  惟光朝臣、例の忍ぶる道は、いつとなくいろひ仕うまつる人なれば、遣はして、さるべきさまに、ここかしこの用意などせさせたまひけり。
 
 惟光朝臣は、例によって、内緒事にはいつに限らず関係してお勤めする人なので、彼をお遣わしになって、しかるべきさまにあれこれの準備などをおさせになるのであった。
 
17  「あたり、をかしうて、海づらに通ひたる所のさまになむはべりける」  「付近一帯は趣のある所で、海辺に似た感じの所でございました」
18  と聞こゆれば、「さやうの住まひに、よしなからずはありぬべし」と思す。
 
 と申し上げるので、「そのような住まいとしては、ふさわしくないこともあるまい」とお思いになる。
 
19  造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり。
 
 ご建立なさっている御堂は大覚寺の南に当たって、滝殿の趣などもそれに負けないくらい素晴らしい寺である。
 
20  これは、川面に、えもいはぬ松蔭に、何のいたはりもなく建てたる寝殿のことそぎたるさまも、おのづから山里のあはれを見せたり。
 内のしつらひなどまで思し寄る。
 
 こちらは大堰川に面していて、何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子も、自然と山里のしみじみとした情趣が感じられる。
 内部の装飾などまでご配慮なさっている。
 
 
 

第四段 腹心の家来を明石に派遣

 
21  親しき人びと、いみじう忍びて下し遣はす。
 逃れがたくて、今はと思ふに、年経つる浦を離れなむこと、あはれに、入道の心細くて一人止まらむことを思ひ乱れて、よろづに悲し。
 「すべて、など、かく、心尽くしになりはじめけむ身にか」と、露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。
 
 親しい側近たちを、たいそう内密に明石へ下し遣わしなさる。
 断わりようもなくて、いよいよ上京と思うと、長年住み慣れた明石の浦を去ることが、しみじみとして、父入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。
 「何につけても、どうして、こう心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。
 
22  親たちも、かかる御迎へにて上る幸ひは、年ごろ寝ても覚めても、願ひわたりし心ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ見で過ぐさむいぶせさの堪へがたう悲しければ、夜昼思ひほれて、同じことをのみ、「さらば、若君をば見たてまつらでは、はべるべきか」と言ふよりほかのことなし。
 
 両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに一緒に暮らせない気がかりさが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、同じようなことばかり、「そうなると、若君にお目にかかれず、過すことになるのか」と繰り返し言うこと以外、言葉がない。
 
23  母君も、いみじうあはれなり。
 年ごろだに、同じ庵にも住まずかけ離れつれば、まして誰れによりてかは、かけ留まらむ。
 ただ、あだにうち見る人のあさはかなる語らひだに、見なれそなれて、別るるほどは、ただならざめるを、まして、もてひがめたる頭つき、心おきてこそ頼もしげなけれど、またさるかたに、「これこそは、世を限るべき住みかなれ」と、あり果てぬ命を限りに思ひて、契り過ぐし来つるを、にはかに行き離れなむも心細し。
 
 母君もたいそう切ない気持ちである。
 今まででさえ、同じ庵に住まずに離れていたので、まして誰を頼りとして留まっていられようか。
 ただかりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に別れることは一通りのものでないようだが、まして変な恰好の頭や気質は頼りになりそうにないが、またその方面で、「この土地こそは、一生を終えるついの住みかだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも心細い気がする。
 
24  若き人びとの、いぶせう思ひ沈みつるは、うれしきものから、見捨てがたき浜のさまを、「または、えしも帰らじかし」と、寄する波に添へて、袖濡れがちなり。
 
 若い女房たちで、憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思う一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。
 
 
 

第五段 老夫婦、父娘の別れの歌

 
25  秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたる心地して、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海の方を見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜より深う起きて、鼻すすりうちして、行なひいましたり。
 いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。
 
 秋のころなので、もの悲しい気持ちが重なったような心地がして、上京という日の暁に、秋風が涼しく吹いて、虫の声もあわただしく鳴く折柄、女君が海の方を眺めていると、入道がいつものように後夜より早く起き出して、鼻をすすりながら勤行していらっしゃる。
 ひどく言葉に気をつけているが、誰も誰もたいそう堪え難い。
 
26  若君は、いともいともうつくしげに、夜光りけむ玉の心地して、袖よりほかに放ちきこえざりつるを、見馴れてまつはしたまへる心ざまなど、ゆゆしきまで、かく、人に違へる身をいまいましく思ひながら、「片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむ」と、つつみあへず。
 
 若君はとてもとてもかわいらしい感じで、あの夜光ったという玉のような心地がして、袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる心根など、不吉なまでにこう通常の人と違ってしまった身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。
 
 

283
 「行く先を はるかに祈る 別れ路に
 堪へぬは老いの 涙なりけり
 「姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して
  堪えきれないのは老人の涙であるよ
 
27  いともゆゆしや」  まったく縁起でもない」
28  とて、おしのごひ隠す。
 尼君、
 と言って、涙を拭って隠す。
 尼君は、
 

284
 「もろともに 都は出で来 このたびや
 ひとり野中の 道に惑はむ」
 「ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は
  一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう」
 
29  とて、泣きたまふさま、いとことわりなり。
 ここら契り交はして積もりぬる年月のほどを思へば、かう浮きたることを頼みて、捨てし世に帰るも、思へばはかなしや。
 御方、
 と言って、お泣きになる様子はまことに無理もない。
 長年契り交わしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。
 御方は、
 

285
 「いきてまた あひ見むことを いつとてか
 限りも知らぬ 世をば頼まむ
 「京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って
  限りも分からない寿命を頼りにできましょうか
 
30  送りにだに」  せめて都まで送ってください」
31  と切にのたまへど、方々につけて、えさるまじきよしを言ひつつ、さすがに道のほども、いとうしろめたなきけしきなり。
 
 と一生懸命にお頼みになるが、入道は、あれやこれやとそうはできないことを言いながらも、やはり道中のことがたいそう気がかりな様子である。
 
 
 

第六段 明石入道の別離の詞

 
32  「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に思ひ下りはべりしことども、ただ君の御ためと、思ふやうに明け暮れの御かしづきも心にかなふやうもやと、思ひたまへ立ちしかど、  「世の中を捨てた当初に、このような見知らぬ国に決意して下って来ましたことも、ただあなたの御ためにと、思いどおりに朝晩のお世話も満足にできようかと決心致したのですが、
33 身のつたなかりける際の思ひ知らるること多かりしかば、さらに、都に帰りて、古受領の沈めるたぐひにて、貧しき家の蓬葎、元のありさま改むることもなきものから、 わが身の不運な身分が思い知らされることが多かったので、絶対に都に帰って古受領の落ちぶれた類となって、貧しい家の蓬や葎の有様を、元の状態に戻すこともできないものから、
34 公私に、をこがましき名を広めて、親の御なき影を恥づかしめむことのいみじさになむ、やがて世を捨てつる門出なりけりと人にも知られにしを、その方につけては、よう思ひ放ちてけりと思ひはべるに、 公私につけて馬鹿らしい名を広めて、亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、そのまま世を捨てる門出であったのだと、世間の人にもそのように知られてしまったが、そのことについてはよく思い切ったと思っていましたが、
35 君のやうやう大人びたまひ、もの思ほし知るべきに添へては、など、かう口惜しき世界にて錦を隠しきこゆらむと、心の闇晴れ間なく嘆きわたりはべりしままに、仏神を頼みきこえて、さりとも、かうつたなき身に引かれて、山賤の庵には混じりたまはじ、と思ふ心一つを頼みはべりしに、 あなたがだんだんとご成長なさり、物ごとが分かってくるようになると、どうしてこんなつまらない田舎に錦をお隠し申しておくのかと、親の心の闇の晴れる間もなくずっと嘆いておりましたが、神仏にご祈願申して、いくら何でも、このように不甲斐ない身の上に巻き添えになって、田舎の生活を一緒にはなさるまいと思う心を独り持って期待していましたが、
36 思ひ寄りがたくて、うれしきことどもを見たてまつりそめても、なかなか身のほどを、とざまかうざまに悲しう嘆きはべりつれど、若君のかう出でおはしましたる御宿世の頼もしさに、かかる渚に月日を過ぐしたまはむも、いとかたじけなう、 思いがけなく嬉しいことを拝見しましてこのかたも、かえって身の程をあれこれと悲しく嘆いていましたが、姫君がこのようにお生まれになったご因縁の頼もしさに、このような海辺で月日を送っていらっしゃるのもたいそうもったいなく、
37 契りことにおぼえたまへば、見たてまつらざらむ心惑ひは、静めがたけれど、この身は長く世を捨てし心はべり。
 
宿縁も格別に存じられますので、お目にかかれない悲しさは鎮めがたい気がするが、わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます。
 
38  君達は、世を照らしたまふべき光しるければ、しばし、かかる山賤の心を乱りたまふばかりの御契りこそはありけめ。
 
 あなたたちは世の中をお照らしになる光明がはっきりしているので、しばらくの間、このような田舎者の心をお乱しになるほどのご宿縁があったのでしょう。
 
39 天に生まるる人の、あやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて、今日、長く別れたてまつりぬ。
 
天上界に生まれる人でも、いまわしい三悪道に帰るようなのも一時のことと思いなぞらえて、今日、永遠にお別れ申し上げます。
 
40 命尽きぬと聞こしめすとも、後のこと思しいとなむな。
 さらぬ別れに、御心動かしたまふな」
わたしの寿命が尽きたとお聞きになっても、死後のことを、お考えくださるな。
 逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」
 
41 と言ひ放つものから、 と言い切る一方で、
42 「煙ともならむ夕べまで、若君の御ことをなむ、六時の勤めにも、なほ心ぎたなく、うち交ぜはべりぬべき」 「火葬の煙となる夕べまで、姫君のことを六時の勤めにもやはり未練がましく、きっとお祈りにお加え申し上げることであろう」
43  とて、これにぞ、うちひそみぬる。
 
 と言って、自分の言葉に、涙ぐんでしまった。
 
 
 

第七段 明石一行の上洛

 
44  御車は、あまた続けむも所狭く、片へづつ分けむもわづらはしとて、御供の人びとも、あながちに隠ろへ忍ぶれば、舟にて忍びやかにと定めたり。
 辰の時に舟出したまふ。
 昔の人もあはれと言ひける浦の朝霧隔たりゆくままに、いともの悲しくて、入道は、心澄み果つまじく、あくがれ眺めゐたり。
 ここら年を経て、今さらに帰るも、なほ思ひ尽きせず、尼君は泣きたまふ。
 
 お車は多数続けるのも仰々しいし、半分ずつ分けて上京するのも厄介だと考えて、お供の人々もできるだけ目立たないようにしているので、舟でひっそりと上京することに決めた。
 辰の時刻に舟出をなさる。
 昔の人も「あわれ」と言った明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は煩悩も断ち切れがたくぼうっと眺めていた。
 尼君は、長年住みなれて今さら都に帰るのも、やはり感慨無量でお泣きになる。
 
 

286
 「かの岸に 心寄りにし 海人舟の
 背きし方に 漕ぎ帰るかな」
 「彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが
  捨てた都の世界に帰って行くのだわ」
 
45  御方、  御方は、

287
 「いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ
 浮木に乗りて われ帰るらむ」
 「何年も秋を過ごし過ごしして来たが
  頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう」
 
46  思ふ方の風にて、限りける日違へず入りたまひぬ。
 人に見咎められじの心もあれば、路のほども軽らかにしなしたり。
 
 思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わず京にお入りになった。
 人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。
 
 
 

第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会

 
 

第一段 大堰山荘での生活始まる

 
47  家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらにおぼえたれば、所変へたる心地もせず。
 昔のこと思ひ出でられて、あはれなること多かり。
 造り添へたる廊など、ゆゑあるさまに、水の流れもをかしうしなしたり。
 まだこまやかなるにはあらねども、住みつかばさてもありぬべし。
 
 山荘の様子も風情があって、長年住み慣れた明石の海辺に似ていたので、場所が変わった気もしない。
 昔のことが自然と思い出されて、しみじみと感慨を催すことが多かった。
 造り加えた廊などは、風流な様子で、遣水の流れも風流に作ってあった。
 まだ細かな造作は出来上がっていないが、住み慣れればそのままでも住めそうである。
 
48  親しき家司に仰せ賜ひて、御まうけのことせさせたまひけり。
 渡りたまはむことは、とかう思したばかるほどに、日ごろ経ぬ。
 
 腹心の家司にお命じになって、無事到着の祝宴のご準備をおさせになっていたのであった。
 お出でになることをあれこれと口実をお考えになっているうちに、数日がたってしまった。
 
49  なかなかもの思ひ続けられて、捨てし家居も恋しう、つれづれなれば、かの御形見の琴を掻き鳴らす。
 折の、いみじう忍びがたければ、人離れたる方にうちとけてすこし弾くに、松風はしたなく響きあひたり。
 尼君、もの悲しげにて寄り臥したまへるに、起き上がりて、
 かえって物思いの日々が続いて、捨ててきた明石の家も恋しく、所在ないので、あのお形見の琴の琴を弾き鳴らす。
 折柄、たいそう堪えがたいので、人里から離れた所で気ままに少し弾いてみると、松風がきまりわるいほど音を合わせて吹いてきた。
 尼君は、もの悲しそうに物に寄り掛かっていらっしゃったが、起き上がって、
 

288
 「身を変へて 一人帰れる 山里に
 聞きしに似たる 松風ぞ吹く」
 「尼姿となって一人帰ってきた山里に
  昔聞いたことがあるような松風が吹いている」
 
50  御方、  御方は、

289
 「故里に 見し世の友を 恋ひわびて
 さへづることを 誰れか分くらむ」
 「故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く
  田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか」
 
 

第二段 大堰山荘訪問の暇乞い

 
51  かやうにものはかなくて明かし暮らすに、大臣、なかなか静心なく思さるれば、人目をもえ憚りあへたまはで、渡りたまふを、女君は、かくなむとたしかに知らせたてまつりたまはざりけるを、例の、聞きもや合はせたまふとて、消息聞こえたまふ。
 
 このように頼りない状態で毎日過ごしているが、内大臣は、かえって落ち着いていらっしゃれないので、人目を憚ることもおできになれず、大堰にお出掛けになるのを、女君にはこれこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったので、例によって外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げる。
 
52  「桂に見るべきことはべるを、いさや、心にもあらでほど経にけり。
 訪らはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて、待つなれば、心苦しくてなむ。
 嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御訪らひすべければ、二、三日ははべりなむ」
 「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。
 訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて待っているというので、気の毒でなりません。
 嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二三日は逗留することになりましょう」
53  と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
54  「桂の院といふ所、にはかに造らせたまふと聞くは、そこに据ゑたまへるにや」と思すに、心づきなければ、「斧の柄さへ改めたまはむほどや、待ち遠に」と、心ゆかぬ御けしきなり。
 
 「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに女を住まわせなさっているのだろうか」とお思いになと、おもしろくないので、「斧の柄まで付け替えるほどの長期になるのでしょうか、待ち遠しいこと」と、不機嫌のご様子である。
 
55  「例の、比べ苦しき御心、いにしへのありさま、名残なしと、世人も言ふなるものを」、何やかやと御心とりたまふほどに、日たけぬ。
 
 「例によって、調子を合わせにくいお心よ。
 昔の好色がましい心はすっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」と、何やかやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。
 
 
 

第三段 源氏と明石の再会

 
56  忍びやかに、御前疎きは混ぜで、御心づかひして渡りたまひぬ。
 たそかれ時におはし着きたり。
 狩の御衣にやつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
 
 ひっそりと、御前駆にも親しくない者は加えないで、十分に気を配っておいでになった。
 黄昏時にお着きになった。
 かつて狩衣のご装束で質素になさっていたお姿でさえまたとなく美しい心地がしたのに、今はなおさらのこと、そのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿は、世になく優美でまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
 
57  めづらしう、あはれにて、若君を見たまふも、いかが浅く思されむ。
 今まで隔てける年月だに、あさましく悔しきまで思ほす。
 
 久しぶりの再会で、感慨無量となって、姫君を御覧になるにつけても、どうして通り一遍にお思いになれようか。
 今まで離れていた年月の間でさえ、あきれるほど悔しいまでお思いになる。
 
58  「大殿腹の君をうつくしげなりと、世人もて騒ぐは、なほ時世によれば、人の見なすなりけり。
 かくこそは、すぐれたる人の山口はしるかりけれ」
 「大殿腹の若君をかわいらしいと、世間の人がもてはやすのは、やはり時流におもねってそのように見做すのであった。
 こんなふうに優れた人の将来は、今からはっきりしているものを」
59  と、うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、匂ひたるを、いみじうらうたしと思す。
 
 と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしくつややかなのを、たいそうかわいらしいとお思いになる。
 
60  乳母の、下りしほどは衰へたりし容貌、ねびまさりて、月ごろの御物語など、馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを、思しのたまふ。
 
 乳母の、下行した時には痩せ衰えていた容貌が、今は立派になって、この何か月もの間のお話などを親しく申し上げるのを、しみじみとあのような漁村の一角で過ごしてきたろうことをおねぎらいになる。
 
61  「ここにも、いと里離れて、渡らむこともかたきを、なほ、かの本意ある所に移ろひたまへ」  「ここも、たいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはりあのかねて考えてある所にお引っ越しなさいませ」
62  とのたまへど、  とおっしゃるが、
63  「いとうひうひしきほど過ぐして」  「とてもまだ慣れない期間をもうしばらく過ごしましてから」
64  と聞こゆるも、ことわりなり。
 夜一夜、よろづに契り語らひ、明かしたまふ。
 
 とお答え申し上げるのも、もっともなことである。
 一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。
 
 
 

第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ

 
65  繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに仰せらる。
 桂の院に渡りたまふべしとありければ、近き御荘の人びと、参り集まりたりけるも、皆尋ね参りたり。
 前栽どもの折れ伏したるなど、繕はせたまふ。
 
 君は修繕なさるべき所を、ここの宿の預かり人や、新たに加えた家司などにお命じになる。
 桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で参集していたのも、みなこちらの大堰の山荘に尋ねて参った。
 前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。
 
66  「ここかしこの立石どもも皆転び失せたるを、情けありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。
 かかる所をわざと繕ふも、あいなきわざなり。
 さても過ぐし果てねば、立つ時もの憂く、心とまる、苦しかりき」
 「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。
 このような庭をわざわざ修繕するのもつまらないことです。
 そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのもつらいことであった」
67  など、来し方のことものたまひ出でて、泣きみ笑ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。
 
 などと、明石の当時のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりしてくつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。
 
68  尼君、のぞきて見たてまつるに、老いも忘れ、もの思ひも晴るる心地してうち笑みぬ。
 
 尼君が、源氏の君をのぞき見て拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。
 
69  東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、繕はせたまふとて、いとなまめかしき袿姿うちとけたまへるを、いとめでたううれしと見たてまつるに、閼伽の具などのあるを見たまふに、思し出でて、  東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣を修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、君は閼伽の道具類があるのを御覧になると、お気付きになって、
70  「尼君は、こなたにか。
 いとしどけなき姿なりけりや」
 「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。
 まことみっともない姿であったよ」
71  とて、御直衣召し出でて、たてまつる。
 几帳のもとに寄りたまひて、
 とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。
 几帳の側にお近寄りになって、
72  「罪軽く生ほし立てたまへる、人のゆゑは、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ。
 いといたく思ひ澄ましたまへりし御住みかを捨てて、憂き世に帰りたまへる心ざし、浅からず。
 またかしこには、いかにとまりて、思ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」
 「前世の罪障を軽めてお育てなさった、その姫君の因果につけ、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。
 たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ちを、深く感謝します。
 またあちら明石の地では、入道どのがどのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」
73  と、いとなつかしうのたまふ。
 
 と、たいそう優しくおっしゃる。
 
74  「捨てはべりし世を、今さらにたち帰り、思ひたまへ乱るるを、推し量らせたまひければ、命長さのしるしも、思ひたまへ知られぬる」と、うち泣きて、「荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先と、祝ひきこえさするを、浅き根ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽くされはべる」  「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、母親の素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」
75  など聞こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語に、親王の住みたまひけるありさまなど、語らせたまふに、繕はれたる水の音なひ、かことがましう聞こゆ。
 
 などと申し上げる感じは、風情がなくもないので、昔話に親王が住んでいらっしゃった様子などを、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。
 
 

290
 「住み馴れし 人は帰りて たどれども
 清水は宿の 主人顔なる」
 「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが
  遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています」
 
76  わざとはなくて、言ひ消つさま、みやびかによし、と聞きたまふ。
 
 わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。
 
 

291
 「いさらゐは はやくのことも 忘れじを
 もとの主人や 面変はりせる
 「小さな遣水は昔のことも忘れないのに
  もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか
 
77  あはれ」  ああ、懐かしい」
78  と、うち眺めて、立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず、とのみ思ひきこゆ。
 
 と、ちょっと眺めて、お立ちになる君のお姿、その美しさを、この世にも見たことがない、とばかり思い申し上げる。
 
 
 

第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊

 
79  御寺に渡りたまうて、月ごとの十四、五日、晦日の日、行はるべき普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏の三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせたまふべきことなど、定め置かせたまふ。
 堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。
 月の明きに帰りたまふ。
 
 嵯峨野の御堂にお出向きになって、毎月の十四、五日と、晦日の日に行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏の三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなどをお定めさせなさる。
 御堂の飾り付けや、仏像の道具類について、お触れを回してお命じになる。
 月の明るいうちに大堰の山荘にお戻りになる。
 
80  ありし夜のこと、思し出でらるる、折過ぐさず、かの琴の御琴さし出でたり。
 そこはかとなくものあはれなるに、え忍びたまはで、掻き鳴らしたまふ。
 まだ調べも変はらず、ひきかへし、その折今の心地したまふ。
 
 かつての明石での夜のことをお思い出しになっていらっしゃる、その時を逃さず、女君はあの琴のお琴を御前に差し出した。
 どことなくしみじみと感慨が込み上げてくるので、我慢がおできになれず、掻き鳴らしなさる。
 絃の調子もまだもとのままで、当時に立ち返って、あの時のことがたった今のようにお感じなさる。
 
 

292
 「契りしに 変はらぬ琴の 調べにて
 絶えぬ心の ほどは知りきや」
 「約束したとおり、琴の調べのように変わらない
  わたしの心をお分かりいただけましたか」
 
81  女、  女君は、

293
 「変はらじと 契りしことを 頼みにて
 松の響きに 音を添へしかな」
 「変わらないと約束なさったことを頼みとして
  松風の音に泣く声を添えて待っていました」
 
82  と聞こえ交はしたるも、似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれ。
 こよなうねびまさりにける容貌、けはひ、え思ほし捨つまじう、若君、はた、尽きもせずまぼられたまふ。
 
 と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。
 以前よりすっかりと立派になった女君の器量や雰囲気はとても見捨てがたく、姫君についても、言うまでもなく、いつまでもじっと見守らずにはいらっしゃれない。
 
83  「いかにせまし。
 隠ろへたるさまにて生ひ出でむが、心苦しう口惜しきを、二条の院に渡して、心のゆく限りもてなさば、後のおぼえも罪免れなむかし」
 「どうしたらよいだろう。
 ここで日蔭者としてお育ちになることが気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」
84  と思ほせど、また、思はむこといとほしくて、えうち出でたまはで、涙ぐみて見たまふ。
 幼き心地に、すこし恥ぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの言ひ笑ひなどして、むつれたまふを見るままに、匂ひまさりてうつくし。
 抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。
 
 とお考えになるが、また一方で、女君が悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。
 姫君は幼な心に少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりして、親しみなさるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。
 抱いていらっしゃる君のご様子は、いかにもご立派で、将来はこの上ないと思われた。
 
 
 

第三章 明石の物語 桂院での饗宴

 
 

第一段 大堰山荘を出て桂院に向かう

 
85  またの日は京へ帰らせたまふべければ、すこし大殿籠もり過ぐして、やがてこれより出でたまふべきを、桂の院に人びと多く参り集ひて、ここにも殿上人あまた参りたり。
 御装束などしたまひて、
 次の日は京へお帰りあそばすご予定なので、少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになる予定であったが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢参上したので、ご装束などをお着けになって、
86  「いとはしたなきわざかな。
 かく見あらはさるべき隈にもあらぬを」
 「ほんとうにきまりが悪いことだ。
 このように簡単に発見されるような隠れ家でもなかったのに」
87  とて、騒がしきに引かれて出でたまふ。
 心苦しければ、さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる戸口に、乳母、若君抱きてさし出でたり。
 あはれなる御けしきに、かき撫でたまひて、
 とおっしゃって、外の騒がしさにひかれてお出になる。
 女君が気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が姫君を抱いて出て来た。
 かわいらしい様子なので、ちょっとお撫でになって、
88  「見では、いと苦しかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。
 いかがすべき。
 いと里遠しや」
 「見ないでいては、とてもつらいだろうと思うのは、まったく現金なものだ。
 どうしたらよかろうか。
 とても『里が遠い』というものだな」
89  とのたまへば、  とおっしゃると、
90  「遥かに思ひたまへ絶えたりつる年ごろよりも、今からの御もてなしの、おぼつかなうはべらむは、心尽くしに」  「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしがはっきりしませんのは、気がかりでございまして」
91  など聞こゆ。
 若君、手をさし出でて、立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて、
 などと申し上げる。
 姫君が手を差し出して、お立ちになっている父君の後をお慕いなさるので、お膝をおつきになって、
92  「あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそありけれ。
 しばしにても苦しや。
 いづら。
 など、もろともに出でては、惜しみたまはぬ。
 さらばこそ、人心地もせめ」
 「不思議と気苦労の絶えないわが身であるよ。
 少しの間でもつらい。
 母君はどこか。
 どうして、一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。
 そうしてこそ、人心地もつこうものよ」
93  とのたまへば、うち笑ひて、女君に「かくなむ」と聞こゆ。
 
 とおっしゃるので、乳母はふと笑って、女君に「これこれです」と申し上げる。
 
94  なかなかもの思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず。
 あまり上衆めかしと思したり。
 人びともかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざり出でて、几帳にはた隠れたるかたはら目、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、皇女たちといはむにも足りぬべし。
 
 かえって、物思いに悩んで伏せっていたので、急には起き上がることができない。
 あまりに貴婦人ぶっているとお思いになった。
 女房たちも気を揉んでいるので、しぶしぶといざり出て来て、几帳の蔭に隠れている横顔は、たいそう優美で気品があり、しなやかな感じは、皇女といっても十分である。
 
 
95  帷子引きやりて、こまやかに語らひたまふとて、とばかり返り見たまへるに、さこそ静めつれ、見送りきこゆ。
 
 君は帷子を引きのけて、愛情こまやかにお語らいになろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
 
96  いはむかたなき盛りの御容貌なり。
 いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける御姿など、「かくてこそものものしかりけれ」と、御指貫の裾まで、なまめかしう愛敬のこぼれ出づるぞ、あながちなる見なしなるべき。
 
 男君は何とも言いようがないほど、今がお盛りのご容貌である。
 たいそうすらっとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿などは、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。
 
97  かの、解けたりし蔵人も、還りなりにけり。
 靭負尉にて、今年かうぶり得てけり。
 昔に改め、心地よげにて、御佩刀取りに寄り来たり。
 人影を見つけて、
 あの解任されていた蔵人も今は復官していたのであった。
 靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。
 昔とは違って、得意気なふうで御佩刀を取りに近くにやって来た。
 女房の人影を見つけて、
98  「来し方のもの忘れしはべらねど、かしこければえこそ。
 浦風おぼえはべりつる暁の寝覚にも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて」
 「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。
 浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」
99  と、けしきばむを、  と、意味ありげに言うので、
100  「八重立つ山は、さらに島隠れにも劣らざりけるを、松も昔のと、たどられつるに、忘れぬ人もものしたまひけるに、頼もし」  「『幾重にも雲がかかる山里』は、まったく『島隠れ』の浦に劣りませんでしたのに、『松も昔の相手』はいないものかと思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」
101  など言ふ。
 
 などと言う。
 
102  「こよなしや。
 我も思ひなきにしもあらざりしを」
 「ひどいもんだ。
 自分も悩みがないわけではなかったのに」
103  など、あさましうおぼゆれど、  などと、興ざめな思いがするが、
104  「今、ことさらに」  「いずれ、改めて」
105  と、うちけざやぎて、参りぬ。
 
 と、きっぱり言って、帰参した。
 
 
 

第二段 桂院に到着、饗宴始まる

 
106  いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしかましう追ひ払ひて、御車の尻に、頭中将、兵衛督乗せたまふ。
 
 たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いをして、お車の後座席に、頭中将や兵衛督をお乗せになる。
 
107  「いと軽々しき隠れ家、見あらはされぬるこそ、ねたう」  「たいそう軽々しい隠れ家を見つけられてしまったのが、残念だ」
108  と、いたうからがりたまふ。
 
 と、ひどくお困りのふうでいっらっしゃる。
 
109  「昨夜の月に、口惜しう御供に後れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。
 山の錦は、まだしうはべりけり。
 野辺の色こそ、盛りにはべりけれ。
 なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて、立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」
 「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は霧の中を参ったのでございます。
 山の紅葉はまだのようでございますが、野辺の色は盛りでございました。
 某の朝臣が小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」
110  など言ふ。
 
 などと言う。
 
111  「今日は、なほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。
 にはかなる御饗応と騷ぎて、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。
 
 「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。
 急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、あの海人のさえずりが自然と思い出される。
 
112  野に泊りぬる君達、小鳥しるしばかりひき付けさせたる荻の枝など、苞にして参れり。
 大御酒あまたたび順流れて、川のわたり危ふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。
 
 野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに結び付けた荻の枝などを、お土産にして参上した。
 お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。
 
 
 

第三段 饗宴の最中に勅使来訪

 
113  おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊び始まりて、いと今めかし。
 
 各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。
 
114  弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。
 
 弾楽器は琵琶や和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てているところに、川風が吹き合わせて風雅な中に、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる、その夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
 
115  上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、  殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
116  「今日は、六日の御物忌明く日にて、かならず参りたまふべきを、いかなれば」  「今日は、六日間の御物忌みの明ける日なので、源氏の大臣は必ず参内なさるはずなのに、どうして参上しなのか」
117  と仰せられければ、ここに、かう泊らせたまひにけるよし聞こし召して、御消息あるなりけり。
 御使は、蔵人弁なりけり。
 
 と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になっている由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。
 お使いは蔵人弁であった。
 
 

294
 「月のすむ 川のをちなる 里なれば
 桂の影は のどけかるらむ
 「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので
  月の光をゆっくりと眺められることであろう
 
118  うらやましう」  羨ましいことです」
119  とあり。
 かしこまりきこえさせたまふ。
 
 とある。
 恐縮申し上げなさる。
 
 
120  上の御遊びよりも、なほ所からの、すごさ添へたるものの音をめでて、また酔ひ加はりぬ。
 ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大堰に、
 殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。
 ここには引き出物も準備していなかったので、大堰の山荘に、
121  「わざとならぬまうけの物や」  「ことごとしくならない引き出物はないか」
122  と、言ひつかはしたり。
 取りあへたるに従ひて参らせたり。
 衣櫃二荷にてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の装束かづけたまふ。
 
 と言っておやりになった。
 大堰では有り合わせの物を差し上げた。
 衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。
 
 

295
 「久方の 光に近き 名のみして
 朝夕霧も 晴れぬ山里」
 「桂の里といえば月に近いように思われますが
  それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です」
 
123  行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし。
 「中に生ひたる」と、うち誦んじたまふついでに、かの淡路島を思し出でて、躬恒が「所からか」とおぼめきけむことなど、のたまひ出でたるに、ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし。
 
 行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。
 「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。
 
 

296
 「めぐり来て 手に取るばかり さやけきや
 淡路の島の あはと見し月」
 「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は
  あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか」
 
124  頭中将、  頭中将、

297
 「浮雲に しばしまがひし 月影の
 すみはつる夜ぞ のどけかるべき」
 「浮雲に少しの間隠れていた月の光も
  今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう」
 
125  左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつましう仕うまつりなれし人なりけり。
 
 左大弁は、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
 
 

298
 「雲の上の すみかを捨てて 夜半の月
 いづれの谷に かげ隠しけむ」
 「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に
  お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう」
 
126  心々にあまたあめれど、うるさくてなむ。
 
 それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。
 
127  気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて、千年も見聞かまほしき御ありさまなれば、斧の柄も朽ちぬべけれど、今日さへはとて、急ぎ帰りたまふ。
 
 親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
 
128  物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ち混じりたるも、前栽の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。
 近衛府の名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「其駒」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。
 
 いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。
 近衛府の有名な舎人や芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
 
129  ののしりて帰らせたまふ響き、大堰にはもの隔てて聞きて、名残さびしう眺めたまふ。
 「御消息をだにせで」と、大臣も御心にかかれり。
 
 大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。
 「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。
 
 
 

第四章 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心

 
 

第一段 二条院に帰邸

 
130  殿におはして、とばかりうち休みたまふ。
 山里の御物語など聞こえたまふ。
 
 邸にお帰りになって、しばらくの間お休みになる。
 女君に山里のお話などを申し上げなさる。
 
131  「暇聞こえしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。
 この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしに、引かされて。
 今朝は、いとなやまし」
 「お暇を頂戴した日数が過ぎてしまって、とても申し訳ありません。
 あの風流人たちが尋ねて来て、無理に引き止めたので、それにつられて。
 今朝はとても気分が悪い」
132  とて、大殿籠もれり。
 例の、心とけず見えたまへど、見知らぬやうにて、
 と言って、お寝みになった。
 女君は例によって不機嫌のようでいっしゃったが、気づかないないふりをして、
133  「なずらひならぬほどを、思し比ぶるも、悪きわざなめり。
 我は我と思ひなしたまへ」
 「比較にならない身分をお比べになっても、良くないようです。
 自分は格別だと思っていらっしゃい」
134  と、教へきこえたまふ。
 
 と、お教え申し上げなさる。
 
135  暮れかかるほどに、内裏へ参りたまふに、ひきそばめて急ぎ書きたまふは、かしこへなめり。
 側目こまやかに見ゆ。
 うちささめきて遣はすを、御達など、憎みきこゆ。
 
 日が暮れかかるころに、宮中へ参内なさるが、脇に隠して急いでお認めになるのは、あちらへなのであろう。
 横目には愛情深く見える。
 小声で言って遣わすのを、女房たちは憎らしいとお思い申し上げる。
 
 
 

第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談

 
136  その夜は、内裏にもさぶらひたまふべけれど、解けざりつる御けしきとりに、夜更けぬれど、まかでたまひぬ。
 ありつる御返り持て参れり。
 え引き隠したまはで、御覧ず。
 ことに憎かるべきふしも見えねば、
 その夜は宮中にご宿直の予定であったが、直らなかったご女君の機嫌を取るために夜が更けたが、ご退出になった。
 先ほどのお返事を使者が持って参った。
 お隠しになることができず、御覧になる。
 特別に憎むような点も見えないので、
137  「これ、破り隠したまへ。
 むつかしや。
 かかるものの散らむも、今はつきなきほどになりにけり」
 「これは、破り捨ててください。
 厄介なことだ。
 このような手紙が散らかっているのも、今では不似合いな年になってしまったよ」
138  とて、御脇息に寄りゐたまひて、御心のうちには、いとあはれに恋しう思しやらるれば、燈をうち眺めて、ことにものものたまはず。
 文は広ごりながらあれど、女君、見たまはぬやうなるを、
 と言って、御脇息に寄り掛かりなさっているが、お心の中では実にしみじみといとしく思わずにはいられないので、燈火をふと御覧になって、特に何もおっしゃらない。
 手紙は広げたままあるが、女君は御覧にならないようなので、
139  「せめて、見隠したまふ御目尻こそ、わづらはしけれ」  「無理して見て見ぬふりをなさる眼つきがやっかいですよ」
140  とて、うち笑みたまへる御愛敬、所狭きまでこぼれぬべし。
 
 と言って、微笑みなさる魅力は、あたり一面にこぼれるほどである。
 
 
141  さし寄りたまひて、  女君の側にお寄りになって、
142  「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとて、ものめかさむほども憚り多かるに、思ひなむわづらひぬる。
 同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ。
 いかがすべき。
 ここにて育みたまひてむや。
 蛭の子が齢にもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ捨てがたうこそ。
 いはけなげなる下つ方も、紛らはさむなど思ふを、めざましと思さずは、引き結ひたまへかし」
 「実を申すと、かわいらしい姫君が生まれたものだから、宿縁は浅くも思えず、そうかといって、一人前に扱うのも憚りが多いので、困っているのです。
 わたしと同じ気持ちになって考えて、あなたのお考えで決めてください。
 どうしましょう。
 ここでお育てになってくださいませんか。
 蛭の子の三歳にもなっているのだが、無邪気な様子も放って置けないので。
 幼げな腰のまわりの袴着の儀を、取り繕ってやろうなどと思うのだが、嫌だとお思いでなければ、その腰結いの役を勤めてやってくださいな」
143  と聞こえたまふ。
 
 とお頼み申し上げなさる。
 
 
144  「思はずにのみとりなしたまふ御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそ。
 いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ。
 いかにうつくしきほどに」
 「思ってもいない方にばかりお取りになる冷たいお気持ちを、無理に気づかないふりをして、無心に振る舞っていては良くないとは思えばこそです。
 幼ない姫君のお心には、きっととてもよくお気にめすことでしょう。
 どんなにかわいらしい年頃なのでしょう」
145  とて、すこしうち笑みたまひぬ。
 稚児をわりなうらうたきものにしたまふ御心なれば、「得て、抱きかしづかばや」と思す。
 
 と言って、少し微笑みなさった。
 子どもをひどくかわいがるご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。
 
146  「いかにせまし。
 迎へやせまし」と思し乱る。
 渡りたまふこといとかたし。
 嵯峨野の御堂の念仏など待ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。
 年のわたりには、立ちまさりぬべかめるを、及びなきことと思へども、なほいかがもの思はしからぬ。
 
 「どうしようか。
 迎えようか」とご思案なさる。
 お出向きになることはとても難しい。
 嵯峨野の御堂の念仏の日を待って、一月に二度ほどの逢瀬のようである。
 年に一度の七夕の逢瀬よりは勝っているようであるが、これ以上は望めないことと思うけれども、やはりどうして嘆かずにいられようか。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 みなれ木のみなれそなれて離れなば恋しからじや恋しからむや(源氏釈所引、出典未詳)(戻)  
  出典2 あり果てぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな(古今集雑下-九六五 平貞文)(戻)  
  出典3 古道に我や惑はむいにしへの野中の道の草は茂りあひにけり(拾遺集物名-三七五 藤原輔相)(戻)  
  出典4 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典5 世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため(古今集雑上-九〇一 在原業平)(戻)  
  出典6 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(古今集羈旅-四〇九 読人しらず)(戻)  
  出典7 天の川浮き木に乗れる我なれやありしにもあらず世はなりにけり(俊頼髄脳所引、出典未詳)(戻)  
  出典8 斧の柄は朽ちなばまたもすげ換へむ憂き世の中に帰らずもがな(古今六帖二-一〇一九)(戻)  
  出典9 人よりも思ひのぼれる君なればうべ山口はしるくなりけり(河海抄所引、出典未詳)(戻)  
  出典10 里遠みいかにせよとかかくのみはしばしも見ねば恋しかるらむ(元真集-二七三)(戻)  
  出典11 身を憂しと人知れぬ世を尋ね来し雲の八重立つ山にやはあらぬ(後撰集雑二-一一七三 読人しらず)(戻)  
  出典12 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(古今集羈旅-四〇九 読人しらず)(戻)  
  出典13 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(古今集雑上-九〇九 藤原興風)(戻)  
  出典14 霜のたて露のぬきこそ弱からし山の錦の織ればかつ散る(古今集秋下-二九一 藤原関雄)(戻)  
  出典15 久方の中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる(古今集雑下-九六八 伊勢)(戻)  
  出典16 淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所からかも(古今六帖一-三三二 躬恒)(戻)  
  出典17 玉鬘絶えぬものからあらたまのとしの渡りはただ一夜のみ(後撰集秋上-二三四 読人しらず)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 御面伏せ--御(御/+お)もてふせ(戻)  
  校訂2 騷がしう--さ(さ/+は)かしう(戻)  
  校訂3 畠--はたけ(はたけ/$畠<朱>)(戻)  
  校訂4 など--なん(ん/$<朱>)と(戻)  
  校訂5 思ひて--思て(て/$ひて)(戻)  
  校訂6 たまひ--給へ(へ/$ひ)(戻)  
  校訂7 たまふな」と--給ふなとと(と/#)(戻)  
  校訂8 昔の人--むかし(し/+の<朱>)人(戻)  
  校訂9 浮木に--うき木(き/+に)(戻)  
  校訂10 帰れる--かく(く/$へ<朱>)れる(戻)  
  校訂11 女君は--女君に(に/$)は(戻)  
  校訂12 にはかに--にはかにて(て/#)(戻)  
  校訂13 たまへる--(/+た)まへる(戻)  
  校訂14 念仏--念(念/&念)仏(戻)  
  校訂15 ことなど--(/+事なと)(戻)  
  校訂16 御装束--御さうす(す/=そイ)く(戻)  
  校訂17 たまひて--たま(ま/+ひ)て(戻)  
  校訂18 遠しや--ゝほ(ほ/$を)しや(戻)  
  校訂19 たまひて--たま(ま/+ひ)て(戻)  
  校訂20 えこそ--(/+え<朱>)こそ(戻)  
  校訂21 御饗応と--御あるし(し/+と)し(し/$<朱>)(戻)  
  校訂22 かならず--か(か/$<朱>)かならす(戻)  
  校訂23 装束--さうす(す/=そイ)く(戻)  
  校訂24 ものたまはず--(/+もの)たまはす(戻)  
  校訂25 たまひてむや--たま(ま/+ひ)てんや(戻)  
  校訂26 聞こえ--き(き/+こ)え(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。