枕草子277段 御前にて人々とも、また

うれしき 枕草子
下巻中
277段
御前にて
関白殿

(旧)大系:277段
新大系:258段、新編全集:259段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:255段
 


 
 御前にて人々とも、また、もの仰せらるるついでなどにも、
 「世の中の腹立たしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白うきよげなるに、よき筆、白き色紙、みちのくに紙など得つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりととなむおぼゆる。また、高麗縁の、筵青うこまやかに厚きが、縁の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるをひきひろげて見れば、なにか、なほこの世は、さらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなんなる」と申せば、
 「いみじくはかなきことにもなぐさむるかな。姨捨山の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせ給ふ。候ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」などいふ。
 

 さてのち、ほど経て、心から思ひみだるることありて里にある頃、めでたき紙二十を包みて賜はせたり。仰せごとには、「とくまゐれ」など宣はせで、「これはきこしめしおきたることのありしかばなむ。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることをおぼしおかせ給へりけるは、なほただ人にてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。
 心もみだれて、啓すべきかたもなければ、ただ、「
 

♪27
  かけまくも かしこき神の しるしには
  鶴のよはひと なりぬべきかな
 

あまりにやと啓せさせ給へ」とて参らせつ。
 台盤所の雑仕ぞ、御使には来たる。青き綾の単などして、まことに、この紙を草子に作りなどもてさわぐに、むつかしきこともまぎるる心地して、をかしと心のうちにおぼゆ。
 

 二日ばかりありて、赤衣着たる男、畳を持て来て、「これ」といふ。
 「あれは誰そ。あらはなり」など、ものはしたなくいへば、さし置きて往ぬ。
 「いづこよりぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて、とり入れたれば、ことさらに御座といふ畳のさまにて、高麗など、いときよらなり。
 心のうちには、さにやあらむなんど思へど、なほおぼつかなさに、人々いだして求むれど、失せにけり。あやしがりいへど、使のなければいふかひなくて、所違へなどならば、おのづからまたいひに来なむ、宮の辺に案内しに参らまほしけれど、さもあらずは、うたてあべし、と思へど、なほ誰か、すずろにかかるわざはせむ、仰せごとなめり、といみじうをかし。
 

 二日ばかり音もせねば、うたがひなくて、右京の君のもとに、「かかることなむある。さることやけしき見給ひし。忍びてありさま宣へ。さること見えずは、かう申したりとな散らし給ひそ」といひやりたるに、「いみじう隠させ給ひしことなり。ゆみゆめまろが聞こえたると、な口にも」とあれば、さればよと思ふもしるく、をかしうて、文を書きて、またみそかに御前の勾欄におかせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落として、御階の下に落ちにけり。
 
 

うれしき 枕草子
下巻中
277段
御前にて
関白殿