徒然草 題名の由来

    徒然草
題名の由来
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『徒然〳〵草』

→〳〵※を然に掛けて振り仮名にした和漢混交のイタズラと解く。その心は真名は徒然(漢字=マナ×本名)。つれ〳〵解釈は片手落ち。題全体の大意は、無職の無駄話。

※〳
 〵(=く=くり返し記号)

 

由来
作品全体:徒然草←枕草子よりとりとめない文章
主題先頭:徒然 ←平家1例(官位辞し籠居の客観情況)
本文先頭:つれづれなるままに←源氏物語特有の枕詞
枕草子・源氏物語・平家物語は全て徒然草で直接言及

 

解釈
徒然:種=原因=辞職し引籠り=世に無力(平家+兼好)
草 :種から生じたもの・とりとめない文(草稿・言葉)

 

 以上より題は『徒然草』が本来で、これが問題ない多数の表記。原文を『つれづれ草』とする本も外題は『徒然草』としている。

本文に「徒然」はないものの、各段と全体を象徴する題の意義は異なるので『つれづれ』でなくても問題なく、また平家の「徒然」文脈と完全に符合している。

一部『つれづれ種』とする有力本(新体系。最古写本・正徹本の見出しとする)があるが、著者の文脈に根拠がなく、直感的にも違和感がある。最初の注釈本『寿命院抄』が冒頭、徒然草の大体は枕草子を模し多くは源氏物語の詞を用いたものとしたように、その由来を無関係に見ることはできない。このことからも、序段の各文言(つれづれなるままに(源氏)…あやしうこそものぐるほしけれ(枕))はこの関係性を表したもので、さらに冒頭『徒然』が平家物語に由来していることが、平家冒頭の祇園精舎のような短い導入に表されている、という点が従来にはない本ページの主題である。

 

 そして上記リンクにもある原文題の「徒然〳〵草」のような判然としない表記は、和漢混交文を体現したものと言える(〳〵が然に掛かる振り仮名で、これ自体イタズラ的)。

 

 

 『徒然草』という題は『枕草子』(枕にできる枕詞の分厚い本=読むと眠くなる百科事典の類)に由来し、仕事を辞めた無力な無職が+つらつら適当に綴った文章(言葉)というネタ的な題(徒然+草)。草子(冊子)から草になり、枕草子よりとりとめない本。草稿(ねられていない文。ねる=寝る×練る)。

 著者の吉田兼好は30前後での世捨て人で寺にも入らず、物書きと和歌を人生の目的(1段:いでやこの世に生まれては)とした人で、世間的に全く真面目ではない。逆にいたずら心がわからない大真面目な人を皮肉っている(236段:丹波に出雲)。

 徒然が直接ではないがおかしくしている(要所で頓知を用いる)ことは、徒然序段「あやしうことものぐるほしけれ」が、枕草子224段「あやしう…をかしきこそもの狂ほしけれ」と符合していることからも言える。

 

 なお以上も以下も全くの独自説で類説はない。学説はほとんど成立過程論・諸本・各段の分類に注力していて、主要学術書(大系・全集・全注釈・集成)では題名を独立して論じたものはなく、序段の「つれづれ」で枕草子・和泉式部日記に用例があるとし、「ものぐるほし」で枕草子224段を引くにとどまる。つまり解釈の精度が著しく不足し、また主観的なので、ここで多角的な根拠をあげ精度を高めて改める。

 

目次
概要:全体は枕草子に由来(ものぐるほし・つれづれ文脈)+徒然は平家物語
 なお本文冒頭の「つれづれなるままに」は源氏物語の定型句で枕草子にはない
徒然:仕事を辞めた引きこもり。それが平家と兼好の文脈
 通説の問題点:世間側の視点(孤独で寂しい・手持無沙汰などの悲哀的解釈)
 先例:男女の別れ(伊勢)・外出きず暇+執筆経緯(枕)・女性の人恋しさ(和泉)
 徒然草の引用:枕・源氏各2回=序段文言。伊勢・平家各1回。和泉なし。
 兼好の文脈:自発的世捨て人で男性+一人こそ良い+心が清らかになる
 発展:主客の認識の違い(著者の意識≠世間の評価)

:草子よりとりとめなく、つらつら綴った文章・草稿(ねられてない文)

概要:全体は枕草子、徒然は平家物語に由来

 
 

 まず題の「徒然」と、本文序段冒頭の「つれづれ」があるが、前者は序段の文脈のみならず、全体を包括象徴する意味をもつ点で異なる。しかし現状はその意義を分けて論じず、序段が題の代わりになる総括とみなされてきた。そうではなく、単にある日の感想とする説もあるが、であれば題の意義を別途論じる必要がある。

 加えて題は「徒然」、序段冒頭は「つれづれ」と別にするのが一般的で、直ちに全く同一のものとはみなせない(解釈が同じだとしても)。

 つまり題の『徒然草』は枕草子とリンクさせたもの、本文の「つれづれなるままに」は源氏物語独自の定型フレーズによる(後者の検証は序段で論じる)。

 この2作品を並べて重視することは常識でも、「言ひ続くれば、みな源氏物語、枕草子など」(19段)としている点にも根拠がある。

 

 ここで整理すると「つれづれなるままに」は源氏物語、「徒然草」は枕草子、さらに「徒然」は平家物語に一度だけ記述があり(巻二・徳大寺之沙汰)、四度の「つれづれ」と区別されている(籠居=家にとじこもっていて出家したい=無駄に過ごしている状態)。

 

 『徒然草』という題が『枕草子』に由来する根拠は、まず一つに字数と草の符合(草という字も、三文字の題も古文で通例ではない)。
 次に、徒然草序段「つれづれなるままに」の末尾「あやしうこそものぐるほしけれ」が、枕草子224段あやしう…をかしきこそもの狂ほしけれ」と符合すること。
 さらに、枕草子319段・跋文「この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを」というように、書物の執筆動機が「つれづれ」と合わせて説明されており、この跋文で題である「枕」の由来が説明されていること。

 

 『徒然(つれづれ)』で、無駄に暇人の。「つれづれ」の用例は著者の作風=主題に応じる。現状の解釈は最も重んじるべき枕草子の客観用例を軽視し、逆に徒然草で全く明示されない和泉式部の主観用例を読み込んでいる(兼好は自ら世を捨てた男性で、人恋しい乙女ではない)。

 『草』が、枕草子(冊子)に対し、ルーズリーフ(束ねられていない・つづられていない紙切れ)・言葉・草稿(とりあえずの文・走り書き)に対応。つまり枕草子以上にまとまり(とりとめ)のない文章。段の出入りが極めて激しい枕草子に比し、徒然草の構成は固まっているが、それでも出し入れはあるという。

 

 現状の説は、題の「徒然」の解釈としてではなく、序段本文の「つれづれ」の解釈として、やりきれない・物寂しい・孤独という哀愁的意味に解するが、それは世間側目線の解釈で、30代前後で官位を捨て世捨て人になったとされる兼好の行動性と、山寺に引きこもることで心が清らかになる、一人が良いとする原文(17段・75段)と相容れない。

 また、所在ない・退屈・しようにもすることがない(手持無沙汰)とするのも一般的だが、直後の1段は「いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ」から始まり、結論部で「ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管弦の道」としている兼好が、しようにもすることがない・手持無沙汰とは言えない。

 つまり上記の「つれづれ」の解釈は、世間に属している側の心理の集団的投影と言わざるを得ない。世間を捨てた=つれづれになったから、執筆に打ち込むしかない。そしてそれだけに集中してたら、集中しすぎて頭がおかしくなってきた(ヒートアップして変になってきた)ということ。

 

 さらに現状の解釈の問題点として、人に説く立場の大真面目な人(法師・上人=高僧)が、おかしなことを理解できないおかしさは、徒然草の要所で紹介される(仁和寺にある法師・丹波に出雲)が、それは徒然という題、つまり序段の解釈についてもそれが言える。

 題は、著者も読者も意図する・しないにかかわらず全体の象徴であるから、最初がおかしいと全体の解釈もおかしなことになっている道理。

 通説の理解では、遁世したはいいがすることなく、独り身で物寂しくたわいない物書に走り、狂○じみ・○違いじみた(ものぐるほし)という。しかしそういう卑下や謙遜は「ありたき事は、まことしき文の道」とした人がするだろうか。

 ここでも枕草子の「あやしう…をかしきこそもの狂ほしけれ」と無関係には見ず、徒然の「ものぐるほしけれ」も面白おかしな文脈で見る必要がある。そしてそれは「まことしき文の道」に沿っている。

 

 蛇足かもしれないが、「丹波に出雲」段の悪童の悪戯による逆向きの狛犬とそれに感涙する上人(高僧)は、兼好が世に背いた(遁世)状態と諸先生方の徒然草の解説を象徴していると思う(御前なる獅子、狛犬、そむきて、後ろさまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、あなめでたや)。それで「そのことに候ふ。さがなき童べどものつかまつりける、奇怪に候ふことなりとて、さしよりて、据ゑなほして往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり」というオチの「奇怪(おかしい)」は、「あやしう(こそものぐるほしけれ)」と枕草子の「あやしう…をかしきこそもの狂ほしけれ」と完璧に符合する。そして上記「いたづら」は無駄・無用という意味である。

 そしてこういう世間的には役に立たなさそうな個人的書物が、世間的書物が消えてもなお残り続ける。

 

徒然:暇=仕事を辞めた引きこもり(平家=兼好)

 

 
 徒然草は諸本で「つれつれ(つれ〳〵)」「つれづれ(つれ〳゛〵)」「徒然」と表記され、徒然という字があり、つれつれ・つれづれという読みがされてきたと言えるが、著者が明示的に参照した先例(伊勢物語・古今・枕草子・源氏物語・新古今・平家物語)で平家以外に「徒然」とする例はなく、他は全て「つれづれ」、歌集は濁点なし「つれつれ」であり、さらにこの平家の用例と兼好の情況が符合している。

 大作の平家物語で一例のみ、「つれづれ」4例と区別されているので以下引用する(平家物語巻第二・徳大寺之沙汰/徳大寺厳島詣)。


 徳大寺の大納言実定卿は…しばらく世のならんやうを見んとて、大納言を辞して籠居しておはしけるが、「出家せん」と宣へば、御内の上下皆歎き悲しびあへりけり。
 …大納言「誰そ」と宣へば、「重兼候ふ」。「夜は遥かにふけぬらんに、いかにただ今何事ぞ」と宣へば、「今夜はあまりに月冴え、よろづ心の澄むままに参つて候ふ」。大納言、「神妙なり。何とやらん、世に徒然なるに」とぞ宣ひける。

 

 ここでは籠居(引きこもり・隠居)した大納言に、夜人が人目を忍んで訪ねてくると、元大納言が不審がり「世に徒然なるに」という。これは自分はもう世間に対し無力なのに、何を言いに来たのかと言っている(人目を避けた夜更けだから十中八九政治の話)。

 これは主観的な意味でなく、客観的情況を言っている。よってこの用法に兼好は則っていると見れ(徒然1段「まことしき文の道」)、そして兼好の客観的な情況はまさにこれに符合する。

 

通説の問題点:世間側の視点(手持無沙汰+寂しい)

 

 この点、通説は「つれづれ」を「しようにもすることのないやりきれなさ・所在のなさという原義」(全注釈上17p)とするが、そのようなやりきれなさとか、所在のなさという主観的な意味づけは、徒然総体の文脈に根拠のない読者側(一般世間)の価値判断を含み、兼好の価値観とは言えない。兼好は一般世間の考え方と相容れないと感じたから世捨て人となっている。以下参照。

 「山寺にかきこもりて、仏につかうまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ」(17段)
 「つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ」(75段)

 

つれづれ先例:男女離別・出家孤独(伊勢)・外に出れず暇+執筆経緯(枕)・人恋しさ(和泉)

 

 また序段冒頭「つれづれ」の解釈において一般に枕草子・和泉式部日記の用例が紹介されるが、その用例は、兼好が重んじた作品(直接言及した、伊勢物語・古今・枕草子・源氏物語・新古今・平家物語)を検討すべきだろう。そしてこれらの文脈は一様ではないし、また和泉式部はここに含まれない。

 

 さかのぼれば初出は伊勢物語45段「(人の娘が)死にければ、つれづれと籠りをりけり」、同83段「つれづれといとものがなしくておはしまし」、同107段「つれづれのながめにまさる涙川 袖のみひぢて逢ふよしもなし」の3例。これは全て悲しい文脈で(ただし悲しみの質は一様ではなく、他人から見ると哀れな意味もある)、前後の2例は男女の文脈、83段は出家。

 

 時代が下り、枕草子では14例、人恋しい用例がわずかにあるが、ほとんど単に暇な状態。「過ぎにし方恋しきもの…折からあはれなりし人の文、雨などふりつれづれなる日、さがし出でたる」「つれづれなる折りに、いとあまりむつまじうもあらぬまらうど(大して親しくもない客人)の来て」」「雨いたう降りてつれづれなりとて、殿上人上の御局に召して御遊びあり」「いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌にこもりて」「一日より雨がちに、曇り過ぐす。つれづれなるを」「つれづれなぐさむもの 碁。双六。物語」「この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを」。

 

 和泉式部日記では16例、ほとんど離れ離れの人恋しさでそれが彼女の作風でもある。「日比山寺にまかりありき侍るになむ。いとたよりなくつれ〳〵に候へしかは」「心のとかに御ものかたりおきふしきこえて。つれ〳〵もまきるれはそ」、「つれ〳〵もすこしなくさむ心ちしてあるほとに。又御ふみあり」「雨うちふりていとつれ〳〵なるころ。女はいとゝ雲間なきなかめに」

 

 つまり枕草子では単に暇な状態で、もの悲しいとか主観は関係ない。かつ書名にからめて執筆の経緯を説明している。他方、和泉では女性の人恋しさをいう。それらの「つれづれ」の用法は、それぞれの作風と密接にかかわる。

 

徒然草の引用:枕草子2回+序段文言・伊勢物語1回

 

 そして徒然草は『源氏物語』と並び『枕草子』に直接2回言及、伊勢物語は1回で枕草子ほどの扱いではない。他方で和泉式部への言及は一度もない。

「言ひ続くれば、みな源氏物語、枕草子などにことふりにたれど、同じことまたいまさらに言はじとにもあらず」(19段)

枕草子にも、来しかた恋しき物、枯れたる葵と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ」(138段)

「梅の作り枝に、雉を付けて、「君がためにと祈る花は時しも分かぬ」と言へること、伊勢物語に見えたり」(66段)

 

 さらに徒然草序段末尾の「あやしうこそものぐるほしけれ」は、「あやしう…をかしきこそもの狂ほしけれ」(枕草子224段)と符号しており、したがって、序段冒頭の「つれづれなるままに日ぐらし硯にむかひて」も、枕草子の執筆経緯「つれづれなる里居のほどに書き集めたる」(枕草子319段・跋文)とリンクさせていると見るべきものである。

  

 そうして枕草子のつれづれの要素は、外出できない状態で暇ということであり、これはまさに序段の徒然草の文脈である。

 伊勢物語の引用もあるので、そのつれづれの用法を当然意識して、男女の別れを示唆した可能性もあるが、枕草子より根拠が迂遠で弱い。

 しかるに、人恋しさとか、話し相手がいないとかいう、和泉式部的な意味合いは兼好の文脈には適用されない。やりきれなさ・所在のなさという解釈は原文の表現に反して誤っている。

 

兼好の文脈:男で自発的世捨て人+一人こそ良い

 

 それを具体的に兼好法師の用例で見る。

 以下の徒然草における「つれづれ」全8例の文脈を分類すると、引きこもり(1・3・5)、退屈(2・6・8)、人恋しさ(7)となる。

 加えて寂しさ(4)が一例あるが、それは世間的な意味で、つれづれで寂しいという人はどういう気持ちなのか、むしろ一人の方が良いと力説している。また山寺への引きこもりで心が清らかになるとしているので、一人で所在ない・話し相手がいなくて手持無沙汰という序段の訳出は、兼好法師の境遇、及び、徒然草の文脈を無視している。

  1. 「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて」(序段)
  2. 「我はさやは思ふなど言ひ争み、さるからさぞともうち語らば、つれづれ慰まめと思へど」(12段)
  3. 山寺にかきこもりて、仏につかうまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ」(17段)
  4. つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。世に従へば、心、外の塵に奪はれてまどひやすく、人に交はれば、ことばよその聞きにしたがひて、さながら心にあらず」(75段)
  5. 「女の、憚る事あるころにて、つれづれと篭り居たる」(104段)
  6. 「をかしくもきらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず」(137段)
  7. 「同じ心に向かはまほしく思はむ人の、つれづれにて、いましばし」(170段)
  8. 「つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とりおこなひたるも、心慰む」(175段)

 以上の「つれづれ」を総合すると、1の「つれづれ」は世間から見た時の客観的つれづれ(一般読者の視点を意識している)、3の「つれづれ」は主観的つれづれの認識。兼好は日ぐらし硯に向かっているのだから、山寺と入れ替えても実質そこまで差はない。

  

 総括すると「つれづれ」の「原義」として「やりきれなさ」「所在のなさ」とする通説は、伊勢物語・和泉式部の文脈としては妥当するとしても、枕草子の影響が極めて強い徒然草においては文脈上に根拠がない。また他段での一人が心が綺麗になって良いとする表現も無視しており、解釈を誤ったものである。徒然草のつれづれの意味は、単に暇すぎるというにとどまる。。世間の人ならその状態を「やりきれなさ」「所在のなさ」と思うかもしれないが、兼好は自身はその世間からすれば退屈で暇で孤独な状態を望み、むしろ一人が良くて心が清らかになる心地がすると言っている。それは解釈ではなく原文中に根拠がある。

 

発展:主客の認識の違い(著者の意識≠世間の評価)

 

 こうした主観と客観の区別は「ある人、弓射ることを習ふ」でもテーマで、本人は疎かにしていないと思っても、人から見ると疎かにしているとなる。それは矛盾ではない。

 この点について、新体系は「寸陰惜しむ人なし。(これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば)…道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし」(108段)、この部分を括弧内を除いて引用し、「何たる矛盾」で顛倒かというが、それは主客の区別がついていないだけで全くの的外れ(つまりよく知れていない。誰も自分が愚かとは思いたくはないが、人はそれに自覚的でないと賢人にならない=無知の知)。これはつまり「弓射る」の戒めと全く同じ論理で、誰も自分では寸陰惜しんでいると思わないが、著者から見れば空しく(人生の目的意識なく漫然と)過ごしているということ。

 

 竹取物語でも、翁の年齢が70と言った後で50と説明されるが、それが男性学者に矛盾とかうっかり間違いだとか竹取は幼いと評され、それに対し女性学者に著者の深い意図があるのではないかとされてきたが、それは単に主客の違いとそのおかしさを表現したもの。つまり70は翁が盛った自称で、50が客観的事実。このように見ることが物事を解釈するということ。かつ、竹取最後の天人によれば20年は片時・一瞬とされ、翁が怪しがる表現がある(天人が主体に移る)。この20年に掛けた面白文脈まで読むのはさすがに難しいだろうから、著者の理知を讃え深い意図があると擁護してくれた女性学者がいたことは非常に嬉しい。

 しかしそもそもなぜ子供でもない文学者達が主客の区別をできないのか、なぜ古典を捉えて幼稚だ矛盾だ顛倒だとして済ませられるのか理解に苦しむが、それは認識が単線的で二元(単純分類)的で、物事を多元的に認識できないからと思う(例えば、社会的立場を示さないと低レベルと思い込む。俯瞰したメタ認知が難しい)。

 

草:とりとめもない文章・草稿

 
 

 徒然草が枕草子に由来している以上、その草も枕草子と無関係には解せない。

 その意味は上述したように、草子の冊子(綴られた)という意味を弱めたもので、枕草子よりさらにとりとめもなく書きつけた文章(草稿)という砕けた意味に解される。そしてこれは自虐とか卑下とか兼好が自分の価値を低く見ているとかいう意味ではなく(であれば232段で「すべて人は無智、無能なるべきもの」とはしない)、軽妙な機知による、頓知的表現と見る。

 

 滑稽やシュールな笑いでも草が用いられ(伊勢物語100段:忘れ草、藤原定家・毎月抄「笑われ草」)、また他人をけなす口語にくさす(腐す=くたす=古い読み)がある。 

 

 草を論じた説として新体系76pがあり、上記の定家の「笑われ草」を紹介し、徒然草とこの草は種の意で、古今仮名序にいう「人の心の種」と同じとする。

 しかし「種」は原因・内実という意味の語であるところ、『徒然草』は、つれづれとなった原因・内実・経緯を表したのではなく、つれづれなので綴った物という文脈である。言わば、つれづれが種、草(草稿=適当な文章)がそこから生じたもの。
 加えて、一般にくさに種が当てられても(語り草=語り種=話の種)、徒然草を徒然種とする一般用法はない。まず旧大系が烏丸本と明示して「つれづれ草」としていたのに、新体系が、事実上唯一の「つれづれ種」(正徹本)を採用しながらその点何も説明せず、定家の草や貫之の仮名序の種を「つれづれ種」の論拠とするのは論理的ではない。兼好が最初に引くのは定家でも貫之でもなく枕草子であるから。

 

 しかし現状の解釈を見ると、草の解釈が全く無視されており、新体系はその点は先行している。

 枕草子という題の由来は、枕元に置く備忘録とすべしとするのが旧来の通説とされ(近時は枕詞説が有力)、写本用の分厚い紙を「枕にこそは侍らめ」とした題名の根拠となる唯一の原文に根拠がない。文脈を無視して論じている。

 

 それは肝心の徒然においても同様のことが言え、直前直後の段も頑なに無視しているとすら思う。

 現状の解釈は、あたかも菜食者のこうありたいという本を、肉食者(なまぐさ)が解説。それでどうなるかというと、徒然の象徴フレーズの「ものぐるほし」が、狂○じみている・○違いじみたという訳になる(大系・集成。全集は「狂おしい」と回避、全注釈は苦心して「ばかばかしい」)。

 肉食は言い得て妙ではないだろうか(この妙は絶妙の妙)。徒然は草。その草の味が分からない(含みや深みを味があるという)。青臭いのが大嫌いな一部の人には、草ではなく種の方が好みなのかもしれない。たまにそういう人もいるので個性ということにしておくが、多分ヘルシーではない。バランスが大事。

 なお、バランとは弁当箱に入る小さい人工の草。