枕草子87段 職の御曹司におはします頃、西の廂にて

左衛門の陣 枕草子
上巻下
87段
職の御曹司
めでたき

(旧)大系:87段
新大系:83段、新編全集:83段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:91段
 


 
 職の御曹司におはします頃、西の廂にて不断の御読経あるに、仏などかけ奉り、僧どものゐたるこそ、さらなることなれ。
 

 二日ばかりありて、縁のもとに、あやしき者の声にて、「なほかの御仏供のおろし侍りなむ」といへば、「いかでか、まだきには」といふなるを、何のいふにからむとて、立ち出でて見るに、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、さるさまにていふなりけり。
 「かれは、何ごといふぞ」といへば、声ひきつくろひて、「仏の御弟子に候へば、御仏供のおろしたべむと申すを、この御坊たちの惜しみ給ふ」といふ。
 はなやぎ、みやびかなり。
 かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたてもはなやぎたるかなとて、「こと物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふときことかな」といふ、けしきを見て、「などか、こと物も食べざらむ。それが候はねばこそととり申しつれ」といへば、果物、ひろき餅などを、物に入れてとらせたるに、むげになかよくなりて、よろづのこと語る。
 

 わかき人々出で来て、「をとこやある」「いづくにか住む」など口々に問ふに、をかしき言、そへ言などをすれば、「歌はうたふや。舞などするか」と問ひもはてぬに、「夜は誰とか寝む。常陸の介と寝む。寝たる肌よし」これが末、いとおほかり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」と頭をまろばし振る。いみじうにくければ、わらひにくみて、「往ね、往ね」といふ。
 「いとほし。これに何とらせむ」といふを聞かせ給ひて、「いみじう、かたはらいたきわざは、せさせつるぞ。聞かで、耳をふたぎてぞありつる。その衣ひとつとらせて、とく遣りてよ」と仰せらるれば、「これ、賜はするぞ。衣すすけたり。しろくて着よ」とて、投げとらせたれば、ふし拝みて、かたにうち置きては舞ふものか。まことににくくに、みな入りにし。
 

 後、ならひたるにやあらむ、つねに見えしらがひありく。
 やがて常陸の介とつけたり。
 衣もしろめず、おなじすすけにてあれば、いづち遣りてけむなどにくむ。
 

 右近の内侍の参りたるに、「かかるものをなむ語らひつけておきためる。すかして、つねに来ること」とて、ありしやうなど、小兵衛といふ人にまねばせて聞かせさせ給へば、「かれいかで見侍らむ。かならず見させ給へ。御得意ななり。さらに、よも語らひとらじ」など笑ふ。
 

 その後、また、尼なる乞食のいとあてやかなる、出で来たるを、また呼び出でてものなどいふに、これはいとはづかしげに思ひて、あはれなれば、例の、衣ひとつ賜はせたるを、ふし拝むは、されどよし、さてうち泣きよろこびて往ぬるを、常陸の介は、来あひて見てけり。
 その後ひさしう見えねど、誰かは思ひ出でむ。
 

 さて、師走の十よ日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいとおほく置くを、「おなじくは、庭にまことの山を作らせ侍らむ」とて、侍召して、「仰せごとにて」といへば、あつまりて作る。主殿寮の官人、御きよめに参りたるなども、みな寄りて、いとたかう作りなす。宮司なども参りあつまりて、言くはへ興ず。三四人参りつる主殿寮の者ども、二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しに遣はしなどす。
 「けふ、この山作る人には、日三日賜ぶべし。また、参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」などいへば、聞きつけたるはまどひ参るもあり。里とほきは、え告げやらず。
 

 作りはてつれば、宮司召して、衣二結ひとらせて、縁に投げいだしたるを、ひとつとりにとりて、拝みつつ、腰にさしてみなまかでぬ。うへのきぬなど着たるは、さて狩衣にてぞある。
 「これ、いつまでありなむ」と人々に宣はするに、「十日はありなむ」「十よ日はありなむ」など、ただこの頃のほどを、あるかぎり申すに、「いかに」と問はせ給へば、「正月の十よ日までは侍りなむ」と申すを、御前にも、えさはあらじとおぼしめしたり。
 女房はすべて、年のうち、つごもりまでもえあらじとのみ申すに、あまりとほくも申しけるかな、げにえしもやあらざらむ、一日などぞいふべかりけると、下には思へど、さはれ、さまでなくとも、いひそめてむことはとて、かたうあらがひつ。
 

 二十日のほどに編め降れど、消ゆべきやうもなし。すこしたけぞ劣りもて行く。
 「白山の観音、これ消えさせ給ふな」といのるも、ものくるほし。
 

 さて、その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さしいだしてものなどいふに、「けふ雪の山作らせ給はぬところなむなき。御前の壺にも作らせ給へり。春宮にも弘徽殿にも作られたりつ。京極殿にも作らせ給へりけり」などいへば、
 

♪7
  ここにのみ めづらしとみる 雪の山
  所所に ふりにけるかな
 

と、かたはらなる人していはすれば、度々かたぶきて、「返しはつかうまつりけがさじ。あされたり。御簾の前にて、人にを語り侍らむ」とて立ちにき。歌いみじうこのむと聞くものを、あやし。御前にきこしめして、「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞ宣はする。
 

 つごもりがたに、すこしちひさくなるやうなれど、なほいとたかくてあるに、昼つ方、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。
 「など、いとひさしう見えざりつる」と問へば、「なにかは。心憂きことの侍りしかば」といふ。
 「何事ぞ」と問ふに、「なほかく思ひ侍りしなり」とて、ながやかによみ出づ。
 

♪8
  うらやまし 足もひかれず わたつ海の
  いかなる人にも の賜ふらむ
 

といふを、にくみ笑ひて、人の目も見入れねば、雪の山にのぼり、かかづらひありきて、往ぬる後に、右近の内侍に、かくなどいひやりたれば、「などか、人添へては賜はせざりし。かれがはしなたなくて、雪の山までのぼりつたひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。
 

 さて、雪の山、つれなくて年もかへりぬ。
 一日の日の夜、雪のいとおほく降りたるを、「うれしうもまた積みたるかな」と見るに、「これはあいなし。はじめの際をおきて、いまのはかき棄てよ」と仰せらる。
 

 局へいととく下るれば、侍の長なる者、柚の葉のごとくなる宿直衣の袖の上に、あをき紙の松につけたるを置きて、わななき出でたり。
 「それは、いづこのぞ」と問へば、「斎院より」といふに、ふとめでたうおぼえて、とりて参りぬ。
 

 まだ大殿籠りたれば、まづ御帳にあたりたる御格子を、碁盤などかきよせて、ひとり念じあぐる、いとおもし。
 片つ方なればきしめくに、おどろかせ給ひて、「などさはすることぞ」と宣はすれば、「斎院により御文の候はむには、いかでかいそぎあげ侍らざらむ」と申すに、「げに、いととかりけり」とて、起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌ふたつを、卯杖のさまに頭などつつみて、山橘、日かげ、山菅など、うつくしげにかざりて、御文はなし。ただなるやうあらむやは、とて御覧ずれば、卯杖の頭つつみたるちひさき紙に、
 

♪9
  山とよむ 斧の響きを 尋ぬれば
  いはひの杖の 音にぞありける
 

 御返し書かせ給ふほども、いとめでたし。斎院には、これよりきこえさせ給ふも、なほ心ことに、書きけがしおほう、用意見えたり。御使に、しろき織物の単、蘇芳なるは梅なめり。雪の降りしきたるに、かづきて参るもをかしう見ゆ。そのたびの御返しを、知らずなりにしこそくちをしけれ。
 

 さて、雪の山、まことの越のにやあらむと見えて、消えげもなし。くろうなりて、見るかひなきさまはしたれども、げに勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずる。されど、「七日をだにえすぐさじ」と、なほいへば、いかでこれ見果てむと、みな人思ふほどに、にはかに内裏へ、三日に入らせ給ふべし。いみじうくちをし、この山のはてを知らでやみなむことと、まめやかに思ふ。
 こと人も、「げにゆかしかりつるものを」などいふを、御前にも仰せらるるに、同じくはいひあてて御覧ぜさせばやと思ひつるに、かひなければ、御物の具どもはこび、いみじうさわがしきにあはせて、こもりといふ者の、築土のほどに廂さしてゐたるを、縁のもとちかく呼びよせて、「この雪の山いみじうまぼりて、わらはべなどに踏みちらさせず、こぼたせで、よくまもりて、十五日まで候ふ。その日まであらば、めでたき禄賜はせむとす」など語らひて、つねに台盤所の人、下衆などにくるるを、くだ物やなにやと、いとおほくとらせたれば、うち笑みて、「いとやすきこと。たしかにまもり侍らむ。わらはべぞのぼり候はむ」といへば、「それを制して、聞かざらむ者をば申せ」などいひ聞かせて、入らせ給ひぬれば、七日まで候ひて出でぬ。
 

 そのほども、これがうしろめたければ、おほやけ人、すまし、長女などして、たえずいましめにやる。七日の節供のおろしなどをさへやれば、拝みつることなど、わらひあへり。
 

 里にても、まづ明くるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどに、「五日待つばかりはあり」といへば、うれしくおぼゆ。また、昼も夜もやるに、十四日夜さり、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむといみじう、いま一日二日も待ちつけでと、夜も起きゐていひなげけば、聞く人、ものくるほしとわらふ。
 人の出でていくに、やがて起きゐて、下衆起こさする、さらに起きねば、いみじうにくみ腹立ちて、起き出でたるやりて見すれば、「わらふだのほどなむ侍る。こもり、いとかしこうまもりて、わらはべも寄せ侍らず。『明日、明後日までも候ひぬべし。禄賜はらむ』と申す」といへば、いみじううれしくて、いつしか明日にならば、歌よみて、ものに入れて参らせむと思ふも、いと心もとなくわびし。
 

 くらきに起きて、折櫃など具せさせて、「これに、そのしろからむ所入れて持て来。きたなげならむ所、かき棄てて」などいひやりたれば、いととく持たせつる物をひきさげて、「はやくうせ侍りにけり」といふに、いとあさましく、をかしうよみ出でて、人にも語り伝へさせむとうめき誦じつる歌も、あさましうかひなくなりぬ。
 「いかにしてさるならむ。昨日までさばかりあらむものの、夜のほどに消えぬらむこと」といひくんずれば、「こもりが申しつるは、『昨日いとくらうなるまで侍りき。禄賜はらむと思ひつるものを』とて、手をうちてさわぎ侍りつる」などいひさわぐ。
 

 内裏より仰せごとあり。さて、「雪は今日までありや」と仰せごとあれば、いとねたうくちをしければ、「『年のうち、一日までだにあらじ』と、人々の啓し給ひしに、昨日の夕暮れまで侍りしは、いとかしこしとなむ思う給ふる。今日までは、あまりことになむ。夜のほどに、人のにくみてとり棄てて侍るにやとなむおしはかり侍る、と啓せさせ給へ」など聞こえさせつ。
 

 さて、二十日参りたるにも、まづこのことを、御前にてもいふ。
 「身は投げつ」とて、蓋のかぎり持て来たりけむ法師のやうに、すなはち持て来たりしがあさましかりしこと、物の蓋に小山作りて、白き紙に歌いみじく書きて、参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。
 御前なる人々もわらふに、「かう心に入れて思ひたることをたがへたれば、罪得らむ。まことに、四日の夜、侍どもをやりてとり棄てしぞ。返りごとにいひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。その女出で来て、いみじう手をすりていひけれども、『仰せごとにて。かの里より来たらむ人に、かく聞かすな。さらば、屋うちこぼたむ』などいひて、左近の司の南の築土などに、みな棄ててけり。『いと堅くて、おほくなむありつる』などぞいふなりしかば、げに二十日も待ちつけてまし。今年の初雪も降り添ひなましなどいふ。上も聞こしめして、『いと思ひやりふかくあらがひたる』など、殿上人どもなどに仰せられけり。さても、その歌語れ。いまかくいひあらはしつれば、おなじごと勝ちたるななり」など、御前にも仰せられ、人々も宣へど、「なでふにか、さばかり憂きことを聞きながら、啓し侍らむ」など、まことにまめやかにうんじ、心憂がれば、上もわたらせ給ひて、「まことに、年頃は、おぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと見し」など仰せらるるに、いとど憂く、つらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。
 「いで、あはれ、いみじく憂き世ぞかし。のちに降り積みて侍りし雪を、うれしく思ひ侍りしに、『それはあいなし、かき棄てよ』と仰せごと侍りしか」と申せば、「勝たせじとおぼしけるななり」と、上も笑はせ給ふ。