伊勢物語 5段:関守 あらすじ・原文・現代語訳

第4段
西の対
伊勢物語
第一部
第5段
関守
第6段
芥河

 
 目次
 

・あらすじ(大意)
 

原文対照
 

現代語訳(逐語解説)
 

 五条わたり
 行先:二条の后のいとこ=6段
 目的:お見舞い。4段
 主体:二条の后。3~4段
 昔男:付き添い。女所(縫殿)の文屋。下僕。「二条の后に仕うまつる男」(95段)。
 古今で二条の后の完全オリジナルの詞書を持つのは文屋のみ(古今8445)。あとは業平認定された伊勢の歌2つとそのコピーの素性。
 3段は着物の着替えの話。
(女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり『源氏』=昔男)
 

 在五→×「けぢめ見せぬ心」(63段
 「在原なりける男…例のこのみ曹司には、人の見るをも知で(女所に)のぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく」(65段
 この段も在五と無関係、かつ業平は二条の后と恋愛関係にもない(76段99段)。下賤の発想でそうなった。みやびはぱんぴーに理解不能。
 業平のイケメン色男伝説は、伊勢とそれを支持する源氏の全記述(伊勢の海の深き心)から誤り。伊勢を上辺だけ乗っ取った成果。
 

 わらべのふみあけたる
 築泥のくづれより通ひ(現実ではありえない=比喩)
 あな(穴)い通し=可愛らし=童=二条の后。
 =「御せうと堀河の大臣…まだ下臈にて…まだいと若うて后のたゞ(の人)におはしける時とや」(6段
  

 あるじ①二条の后のせうと=兄
  

 関守の歌(に警備されこれ以上行けますん? by昔男
 

 あるじ②二条の后
 

 ゆえして(?それなら仕方ないわね)
 

 二条の后に忍びてまゐりける 
 ×:后の所に忍びで行く ○:后と共に忍びで行く
 こう見ないと、あえなく帰って来た歌を直後認知され、あるじがゆえす説明がつかず、かつ前後の段との整合性もとれない。
 在五にあえず、女がその歌を受け取り苦しみ、女の主があわれに思ったというのは全て文面にない(こじつけ)。そんな主ならガードなどしない。
 警備するのは夜這いから守るためではなく外出する妹のため。もう行かないのは、お見舞いなのに大袈裟にしない・下々に負担をかけないため。
 つまりちゃんと寝かせてあげるため。それで4段で永眠していた。
 
 この流れで夜這いとは一体どういう思考回路なのか。色々ありえない、というか人としてない。
 それが源氏の続く「はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものに(を)おとしめ嫉みたまふ」。
 ここでの「に」も、上記と同種の用法。行先ではなく客体。
 伊勢の異次元の内容が当時の貴族社会が認められなかったから、おばかで人格に問題のある業平の話と強弁し、心の平安を保った。それで平安時代?
 ちゃんちゃん。
 

 せうとたち
 
 

あらすじ

 
 
 本段は3~6段で一連の二条の后の話。説明が相互にリンクしているので合わせて、かつ統一的に見る。ここでは「あるじ」の解釈・多義性が問題になる。
 古来より(聖書でも)「あるじ」は多義的に使用されてきた。誰を立てるか(仕えるか)という意識の問題。主客は区別し、かつ文脈から区別するように。
 

 昔男が東五条辺りに夜な夜な通っていたが、あるじ①が聞きつけ関守を配置し、あえなく帰って来た。これは4・6段での二条の后のお忍びの見舞いの話。
 そこで関守は夜も寝ないという歌を読むと、あるじ②が許したという。
 

 本段と6段から①のあるじは二条の后の兄ということは確定。しかし②を①と同じと見ると通らない。通せない。
 したがって、②のあるじは二条の后で、男は「二条の后に仕うまつる男」(95段)の文屋。
 伊勢は業平の話でもないし、その夜這い話でもない。警備されたのに関守が寝ないという歌一つで許されたなど、完全に意味不明。
 会えなかったのに、なぜか歌は受け取れた女が苦しむ様子に、あるじが心を打たれ警備を解いたなどとするが、文面に全くない。それは最早伊勢ではない。
 それ自体で通ってない説明はそれだけで誤り。前提がおかしいからそうなる。これは二条の后に付き添った昔男が、そのお忍び訪問を諦めてもらった時の話。
 
 ~
 

 「むかし、男ありけり。ひんがしの五条わたりにいと忍びていきけり」
 むかし男がいた。東五条あたり(4段参照)に、とても忍びで行った(理由は6段末尾参照。お見舞い)。
 (4段「むかしひんがしの五条に、大后の宮おはしましける西の対に住む人ありけり」。この人の所。
 そして大后の宮は二条の后ではないし、西の対の人は二条の后ではなく、いとこ。6段末尾参照。二条というのに五条にいるとする理由がない。
 

 「みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、わらべのふみあけたる築泥のくづれより、通ひけり」
 そこは密かな場所(?)だったので、門からも入らないで、子供が踏み抜いた(??)築地の崩れから、通っていた。
 しかし絶対ありえない内容。京の貴族の屋敷にそんな穴ができることも、放置されることもありえない。
 したがって、これは後述の「世の聞え」=ありえない一般の評判。
 穴を通って通うって。いやいやおかしいだろ、それはみやびなのか。そういうツッコミ待ち。しかし、なんということでしょう!
 

 「人しげくもあらねど、たび重なりければ、
 あるじ(?)聞きつけて、その通ひ路に、夜毎に人をすゑてまもらせければ、いけどもえ逢はでかへりけり」
 
 人は多くなかったが(つまり穴から通ったことの否定)、度重なったので、
 それを主(誰?→后の兄人。本段末尾・及び6段末尾)が聞きつけ、その通い路に夜毎に人を据えて守らせた。
 なのでそこに行けども会えずに帰った。(これが敢えなし)
 

 「さてよめる。
 人知れぬ わがあるじの)通ひ路の関守は 宵々ごとに うちも寝ななむ
 とよめりければ、いといたう心(?)やみけり。あるじゆえしてけり(???)」
 

 さてそういうわけで、ここで(昔男が)歌を詠んだ。(つまり基本主体を省略している
 「人知れず わが(=あるじの)通いじの関守は 毎夜のことでも ちっともねないね(ん)」
 このものらはいつもいますけど、いつ寝てるんですかね(ウチもいつ寝てるんですかね…)?
 と詠んだところ、とてもいたう心(?行きたいなと思う心?)も止み、のあるじ(二条の后)は許したのだった。
 

 歌を詠んで「やって」いないので、直ちに知るほど近い距離。
 そして二条の后は車とセットで出てくる(76段99段。そして99段と39段は数でも内容でも完璧にリンクしている。女の車に言い寄る色好み)。
 そして39段で男は女の車に同乗している。確実。
 ま、ここまでの読みは誰もできんでしょ。しかし伊勢全体の構造から絶対確実。どこの誰が后の車の中の事情を知っているのよ。
 
 「二条の后に仕うまつる男」(95段)、これが昔男。女所=縫殿の文屋。
 この95段を一般は理解できず、突如出現した男が、しかも后ではなく后の側女を必死こいて口説く話にするが、滅茶苦茶すぎる。
 それは著者のせいではなく、読解力がないせいと、物の見方がおかしいせい。
 

 え、通っていたのは、あのナニヒラ様の神聖不可侵な夜這いであらせられたか! なわきゃねーだろ。
 そういう人は6段読んでください。噂だって。そもそもナリ上がりの藤原とは犬猿の仲なんじゃなかったっけ? 超どうでもいいけど。
 それに歌一つで許される理由に何一つならんでしょ。禁断の恋?じゃなかったっけ? この歌で心うたれた? どういう世界観。
 こっそり夜這いしておきながら、その歌が、夜這い先のあるじにどうやって到達したんだよ。勝手にあることないこと補うんじゃありません。
 

 業平と決めてみるからおかしなことになる。
 それが続く「世の聞え」で、その集大成が、古今の手当たり次第の業平認定。わかります? わかりませんね。
 そんなすぐわかったら「けぢめ見せぬ心」と非難される「在五」(63段)、後宮で人目も憚らず女につきまとい流された「在原なりける」(65段)が千年も主人公扱いにはならない。人目を忍ぶのは昔男の命。だから匿名。それなのに業平業平。
 在五としたのに昔男とし続ける意味がない。しかも全力で非難した人物に主人公の面影があるなどと言ってしまう。全く伊勢を読んでいないとしかいえない。
 

 さて、ことの次第はこうである。
 

 「二条の后忍びてまゐりけるを、世の聞えありければ、せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ」
 
 つまり昔男が、主である二条の后の言う所に一緒に忍びで参っていたところ(狩の使ならぬ夜の使)、
 6段にあるような夜這いだと駆け落ちだ(そんなのはナニヒラに決まっている!65段参照)と噂が広まったので、せうと(后の兄人=藤原の大臣)たちが、そういう騒ぎをこれ以上起こさないように、その通ひ路を守らせたのである。
 

 「二条の后に忍びてまゐりける」とあるが、この最終段落は塗籠が完全欠落させているから、特に解釈に問題ありとされた部分。
 二条の后に、とするか、二条の后がとするかで全く意味が異なる。だからこの部分のこの一文字の文言はかなり危うい。
 つまり写本の際に校訂と称し、文言を変えることも十分ある。なにせ一文字。業平の夜這い話と思い込んでいたらそうなるしかない。
 だからそういう一文字を殊更絶対視するのは違う。そういうのはむしろ危うい。
 
 そしてこれは次段で「これは二条の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを」とされているのである。ここはどうしようもない。
 したがって、「ゆして」とか「二条の后忍びて」という一字のみで決めるのではなく、大きな物語全体の文脈から見なければならない。
 しかるにこうした一字のみをもって全体を規定することが本末転倒。
 その典型が、39段末尾に付記された、本筋と全く無関係の源順という古今以後の後撰の人物。
 これも注釈を装い伊勢を古今以後にしてしまおうとする苦肉の策といえる(古今の業平認定を維持するための工作)。この国の学者の走り。
 
 「みそかなる所」というのは、后の当然の作法として人目を忍んでいるから(見舞いで大勢引き連れていくと大事になる)。
 「築泥のくづれ」というのは、后の宮として絶対ありえないので、これが世間の噂。
 
 この段の歌は昔男が二条の后に言った内容である。恋文じゃない。これ以上行けそうにありますん(?、人が寝れません)という説明の歌。
 だから男のあるじ(二条の后)は、そんならしょうがないねとしたという。人を見舞って人を大変にしちゃだめだよね、と。
 それが当初の「いと忍びて」の動機。
 
 この世界観、みやびで繊細でしょ。
 それをどこぞの淫奔が「おれが女の所に通えねーだろ」という歌って一体何。そんなのが美しかった時代などない。
 これ以上伊勢を汚さないで。あ、無理? あーうつくしー国。
 
 なぜ業平業平と言われたかといえば、すぐれた歌で帝に重用された(69段参照)文屋が、上達部の男達の嫉妬を買った。
 その暗示が源氏の冒頭。
 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。
 
 つまり、人格に問題がある業平の歌として上書きした。
 だから中身関係なく業平業平といい、頭が軽い割に、歌は中々だなという意味不明な上から目線。そんな歌など誰でも詠めるという。
 だから今まで文屋は、歌も満足に読めない人々に、バカにされ嘲笑されている。ありえない。それがこの国の民度で古の理解。俗にまみれた権威主義者達。
 あのカオスなインドですら、ハーレムで沢山の女達を世話したクリシュナを、一般と同目線で見てはならないとしているのに。親友の有常はアルジュナ。
 
 源氏は「伊勢物語」に直接言及し「伊勢の海の深き心」として業平の物語ということを拒絶。源氏の心は「御心」「親心」。
 源氏のモデルは昔男。だから(頭)中将がライバル。主人公と相容れない。中将とは63段の「在五中将」のこと。それも明示的に引用している。
 紫の実力は伊勢を読めたから。貫之の実力も伊勢を読めたから。伊勢を業平の色恋と凡に理解できるように矮小化する以上、その人の古の理解はその程度。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第5段 関守 築土の崩れ
   
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこ有けり。  昔男有けり。
  ひんがしの五条わたりに ひむがしの五条わたりに、 ひんがしの五條わたりに。
  いと忍びていきけり。 いとしのびていきけり。 いとしのびいきけり。
 
  みそかなる所なれば、 みそかなるところなれば、 しのぶ所なれば
  門よりもえ入らで、 かどよりもえいらで、 かどよりもいらで。
  わらべのふみあけたる わらはべのふみあけたる  
  築泥のくづれより、通ひけり。 ついひぢのくづれよりかよひけり。 ついぢのくづれよりかよひけり。
 
  人しげくもあらねど、 ひとしげくもあらねど、 人たかしくも[しげくもイ]あらねど。
  たび重なりければ、 たびかさなりければ、 たびかさなりければ。
  あるじ聞きつけて、 あるじきゝつけて、 あるじきゝつけて。
  その通ひ路に、 そのかよひぢに、 そのかよひぢに。
  夜毎に人をすゑて、まもらせければ、 夜ごとに人をすへてまもらせければ、 夜ごとに人をすへてまもらせければ。
  いけどもえ逢はでかへりけり。 いけどえあはでかへりけり。 かのおとこえあはでかへりにけり。
 
  さてよめる。 さてよめる。 さてつかはしける。
 
♪6  人知れぬ
 わが通ひ路の関守は
 ひとしれぬ
 わがゝよひぢのせきもりは
 人しれぬ
 わか通路の關守は
  宵々ごとに
  うちも寝ななむ
  よひよひごどに
  うちもねなゝむ
  よひ〳〵ことに
  うちもねなゝん
 
  とよめりければ、 とよめりければ とよみけるをきゝて。
  いといたう心やみけり。 いといたくこゝろやみけり。 いといたうえんじける。
  あるじゆえしてけり。 あるじゆるしてけり。 あるじゆるしてけり。
 
  二条の后に忍びてまゐりけるを、 二条のきさきにしのびてまいりけるを、  
  世の聞えありければ、 世のきこえありければ、  
  せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ。 せうとたちのまもらせたまひけるとぞ。  
   

現代語訳

 
 

五条わたり

 

むかし、男ありけり。ひんがしの五条わたりにいと忍びていきけり。

 
むかし、男ありけり。
 むかし、男がいた。
 

ひんがしの五条わたりに
 東の五条あたりに
 

 わたり :
 【渡り】①川渡り。②移転。③来訪(多く「御わたり」の形で、来ることの尊敬語)
 【辺り】①付近。②かた(人や人々を間接的にさしていう)。
 

 辞書では両者を混同しないようにとしているが、ここでは渡り③と辺り①②を同時に表す(あるお方の館辺りに訪れに)。それを掛かりという。
 混同とは、意味も区別せずごちゃまぜにすることで、意味を理解しつつ同時多義的に含ませる掛詞とは似てるが違う。混同しないように。
 前者は意味が通らない。後者はそれぞれの意味で通る。だからかなにしている。
 

いと忍びていきけり。
 とても人目を忍んで行った。
 
 

築泥のくづれ

 

みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、わらべのふみあけたる築泥のくづれより、通ひけり。

 
みそかなる所なれば、
 ひそかな所(?)であったので、
 
 みそかなり 【密かなり】
 :こっそり振る舞う。ひそかに。
 
 ここでみそかに掛かるのは所で、振舞うというのは違う。
 だから穴から通る意味はない。実際にはそんな所を通る意味がない。この表現はそういう意味。
 

門よりもえ入らで、
 門からも入れないで、
 

わらべのふみあけたる(△塗籠欠落)
 童の踏みあけた
 

築泥(ついひぢ)のくづれより、通ひけり。
 築地の崩れから、通っていた。
 

 ついひぢ 【築泥・築地】
 :泥土を積み上げて築いた塀。
 

 本段は4段~6段で一貫しているから、西の対の話で寝殿造の塀。
 したがって子供が踏み抜くなど事実上ありえない。だからこの点を塗籠本は無視している。

 しかし実際の話に、明らかにおかしな話が混ぜこまれ、それがまかり通っているというのが、この段と続く6段の趣旨。
 築泥の崩れは、そのおかしな前提は子どもの頭でも崩せるという。しかしいい年した大人も何とも思わない。
 
 

あるじ①

 

人しげくもあらねど、たび重なりければ、
あるじ聞きつけて、その通ひ路に、夜毎に人をすゑて、まもらせければ、 いけどもえ逢はでかへりけり。

 
 
人しげくもあらねど、
 人通りは多くはなかったが、
 

 しげし 【繁し】
 ①多い。たくさん。
 ②絶え間ない。しきり。
 ③多くてうるさい・わずらわしい。
 

 全ての意味を含む。
 
 

たび重なりければ、
 度重なったので、
 

あるじ聞きつけて、
 主が聞きつけて
 
 このあるじと、後段のあるじは違う。ここでは后の兄人で、後段は后。
 こういうあるじを多義性は、古来古典の常套句。
 伊勢では宮も同様に多義的に用いている。建物や人。元々その意味はあるが特に説明しない。文脈で示す。それは源氏にも継承されている。
 

その通ひ路に、
 その通い路に、
 
 主体は男と后。
 

夜毎に人をすゑて、まもらせければ、
 毎夜に人を配置して、守らせたので、
 

 すう 【据う】
 置く。据える。
 

いけども、えあ(▲逢)はでかへりけり。
 行っても、会えないで帰って来た。
 

 これを敢え無しという(どうしようもない。仕方がない)。
 
 

関守の歌

 

さてよめる。

人知れぬ わが通ひ路の 関守
宵々ごとに うちも寝ななむ 

とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじゆえしてけり。

 
さてよめる。
 
 誰が?
 伊勢で主体が全く明示されない歌は、昔男の歌。
 昔男以外の場合、特定可能な形で明示される。
 
 業平は、在五・在原なりける男・右馬頭・中将なりける、など。
 昔男は主観。在五は対象。明確に主客を分けて描写されている。
 

人知れぬ わが通ひ路の 関守は
 人知れず 通うわがあるじの通い路の関守は
 
 詠人の主体は明示していないから、これはあるじの情況を描写(報告)した歌。
 
 関守の関とは門のこと。
 しかし「門よりもえ入らで」とあるから、これらは全て冗談。大袈裟に言っているだけ。
 意味は通るように統一的に解釈しなければならない。楽しんでもらうために滑稽な冗談をいれても、それに全て全力でマジレスするナンセンス。
 それがたとえば竹取で、翁を70歳だと自称させておいて、あとで実は50歳としたら、矛盾だ! 著者のうっかりだ! という学者達。なわけねーだろ。
 うっかりなのはどっちなの。あからさまに自称ということも読めない。主客の区別がついていない。そういう読解レベル。
 
 主客の区別がついていないとは、古今の業平認定を直ちに絶対の真実とみるようなことである。
 その認定の根拠はなにか? それは示されない。しかし客観的情況からはわかる。
 業平の歌は全て伊勢の歌しかない。だから伊勢を業平の日記で歌集とみなした。それが極めて自然な認定。現に当初はそう目されていた。
 伊勢を無視し、どこかにあるはずの業平原歌集とか想定せざるをえない時点でおかしい。そういう無理な見立て自体が、誤っていることの極めて強力な証拠。
 
 何も問題がなければ古今の認定で良くても、肝心の伊勢の業平非難の記述と相容れないのだから、どちらかが完全に誤っている。そしてそれは古今。
 非難するのは完全主観の話で、誤っているとかいう話ではないし、客観では業平から伊勢をとれば何もない(実力がない)。
 それが認められないから、伊勢が誤っていることにしている。
 しかしそうすると伊勢の価値が否定され、そこにのっているだけの古今の認定も価値を失うから、伊勢との矛盾は無視し上書きする方法をとっている。
 

宵々ごとに うちも寝ななむ
 毎夜のことなのに 少しも寝ないね。
 

 うち【打ち】
 :ちょっと。ふと。
 
 つまり、何となくつぶやいた風。
 このものら、夜なのにいつ来てもいますね~。
 いつねてるんですかね~(わたしもいつねてるんですかね~)。ウチ=わたし。
 

とよめりければ、
 と詠んだら、
 
 

あるじ②


 
いといたう心やみけり。
 とてもいたう心(?)もやんだ。
 
 「いたう心」とは何か。
 こういう微妙な表現は、伊勢では確実に意図的。一義的ではない。含みがある。4段の冒頭。
 
 「むかしひんがしの五条に、大后の宮おはしましける、西の対に住む人ありけり。
 それをほいにはあらで、こころざし深かりける人、ゆきとぶらひけるを」
 

 これを読み込んでいる。
 
 単純化すると、とても行きたいと思う心。しかしこれでは正確ではないので「いたう心」。
 
 

あるじゆえして(?)けり。
 そういうゆえ、主は許したのであった。
 
 ここのあるじは二条の后。
 関守を配置したあるじとは違う。文脈もそ見ないと通らない。先の主なら突如許す理由(ゆえ)がない。
 こういう抽象的な言葉は、積極的に異なる意味で用いるのが伊勢では一貫している。
 
 

ゆえして

 

「ゆえして」は定家本のみで、他の写本は「ゆるして」。
 誤記の可能性もあるが、定家本の他の記述の信頼性からして安易に丸められない。
 定家本は、このような1対2の構図において、常に意味の通る多義的な記述を保持してきた。
 しかしここではそこまで大きな違いはもたらさないので、ゆえしてのまま許してと見ていいだろう。
 そういうゆえ(理由)に掛けたとも見れるが、そこまで良い掛かりでもない。
 
 しかし許してと見ると、一般の「あるじ」の解釈と相容れない。
 二条の后のせうとなら、上の歌一つで許す理由が何一つない。
 だからここでのあるじは二条の后。
 
 

二条の后に忍びてまゐりける

 

二条の后に忍びてまゐりけるを、世の聞えありければ、せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ。

 
二条の后忍びてまゐりけるを、
(この話は)二条の后に(?)忍びで参ったことを、
 

 ここで「二条の后に」を「二条の后が」にすると、文脈が完全に異なる。
 文字通りの意味では前後の段との辻褄が全く合わなくなるが(行き先は二条の后ではないと明言されている)、二条の后と行ったと見るとすんなり通る。
 したがって、この一文字の意味を頑なに通すのは違う。
 
 一字の違いで全く真逆に左右されることで、物語全体は左右されない。
 それはあまりに軽薄で滅茶苦茶すぎる。だからそれを軽薄な男の話と見て正当化するが、それは完全な誤り。
 その程度の内容が古典として残り、かつ古今で圧倒的な評価を得る作品とされ、かつ紫の源氏物語で「伊勢の海の深き心」とされることなどない。
 
 昔男は、奈良の筒井の田舎から宮仕えに出た男(24段)。だから初段も春日の里から始まっている。
 「二条の后に仕うまつる男」(95段)。縫殿の文屋。古今の詞書にもあるように、文屋は二条の后の極めて近い存在。
 彼女の完全オリジナルの二条の后の詞書をもっているのは文屋しかいない。二条の后は伊勢を象徴する言葉。伊勢は文屋のオリジナル。それが貫之の意図。
 業平とされる歌は全て伊勢の歌しかない。そして伊勢は業平を非難している。業平は歌をもとより知らない(101段)。業平の歌ではない。全て文屋の歌。
 
 

せうとたち


 

世の聞えありければ、
 世の聞こえがあってので
 
 これは包んだ言い方で、読者の素養・教養を前提にした、世間の噂、風評という意味。6段参照。
 
 伊勢は女所の文屋が作った暇な女達の手習い用の素材であり、まずその御達に向けた内容。
 面白いと、オートマチックに写本が増えて流布していくという。最後に目は通していたでしょうけどね。
 それに触発されたのが土佐日記。貫之は文屋信者(古今8・9の配置)。
 

せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ。
 その兄人たちが、守らせたという。
 

(せうと 【兄人】
 ①兄弟。▽年齢上下にかかわらず、女性から見て男の兄弟。
 ②兄。▽男性からも女性からも、年上の兄。
 

 これは、6段の「御せうと堀河の大臣、太郎国経の大納言」。
 したがって、内容もそれを読み込む。
 一気に出さないのは明かしていくことに面白さがあるからね。
 つまり伊勢は後宮での連載。3~6段はそういう構成。
 
 昔男はその都度リリースしていた。身はいやし(84段)だから暇ではない。
 東下りの原因も後で示す構成。結論先出しね。これが伊勢のスタイル。
 東を吾妻にかけて、23段の筒井筒の女=妻が24段で果てたこと。
 
 二条の后の恋愛に破れ、失望した業平が東に流れるなど意味不明。
 業平には妻がいるが恋愛で傷つきそれを放り出し遠足に行き、その先で突如妻を思い出し歌を詠み泣く男と友達達? 正気の沙汰じゃないし、男でもない。