枕草子 題名の由来~「枕にこそは侍らめ」の文脈

概要 枕草子
題名の由来
清少納言の由来

 
 枕草子の由来は、諸説乱立して決定的証明は困難とされてきたが、ここで十分な証明ができると思う。

 結論から言えば、枕草子=読むと眠くなる分厚い本・冊子=百科事典の類(枕詞を羅列した本)。加えて枕という文脈の史記に掛け先頭の枕が四季。

 

 『枕草子』の由来は跋文の「枕にこそは侍らめ」ということに異論はないが、従来の学説は、いずれもこの本文の文脈を全く無視して枕の意義を論じており(だから諸説乱立できる)、枕元に置く備忘録とすべしとか、良くても枕詞としてきたが、京女の皮肉を解せない大真面目なもので不適当。

 「枕にこそは侍らめ」とは、帝が「史記」を書写したという分厚い紙束(尽きせず多かる紙)を見せられて著者が発言したもので、「これは枕にしてこそでしょうね(物を書いたりせず枕にした方が良い)」と発言した所、「ではもらってな(さは得てよ)」と渡され、「いやおかしい、何やこれはと(あやしきを、こよや何やと)」というもの。従来の説は全て、こうした一連の文脈、史記からの多い紙の文脈、女性のくだけた口語的文脈を考慮せず、枕だけ宙に浮かせて論じている。よって必然、史記に掛けた先頭(枕)の四季の文脈も解らない。旧通説とされる枕元の備忘録とすべし説は、いかにも年配男性教育者的解釈で明文の文脈に反してすらいる(この草子…人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば、よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出でにけれ)。

 題名は全体の象徴で、この理解が物語全体の理解に反映されている。

 

 跋文末尾の「とぞ本に」の意義も、「とまあ本に(有難迷惑なこと)」という(「こよや何や」「よう隠し」のような)口語の感嘆というのが文脈に基づく解釈であり、これを「と写本にある」とする通説は、蜻蛉日記の本文と明らかに無関係な用法を、本作の文脈を完全無視して当てはめた暗記教育の成果(旧弊)そのもの。

 


目次
跋文の文脈
:史記→読むと眠くなる分厚い量の紙=枕
枕にこそは侍らめ=枕にしてこそでしょうね
史記に掛け四季
歌詞の枕詞ではなく文章なので枕草子
加えて通して読むものではない百科事典の類=枕
最後の「とぞ本に」
=ということで本になり、ほんに有難きもの
本は写本ではありえない(原文軽視が過ぎる)
源氏末尾(とぞ本にはべめる
→微妙にニュアンスは異なるが基本皮肉の感嘆

 
 

跋文の文脈

 
 〔定子〕「これに何を書かまし。上の御前には、史記といふ文をなむ書かせ給へる」など宣はせしを、
 〔清少〕「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、
 〔定子〕「さは、得てよ」とて給はせたりしを、
 〔清少〕あやしきを、こよや何やと、尽きせず多かる紙を、書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや」

 

 ~これに何を書いたものだろう。御門においては史記という文を書写なされたもの、などとおっしゃるので~
 (これは当然司馬遷の史記で、源氏物語の乙女でも「史記の難き巻々」とされる超大作。学者ならともかく全部の書写ではありえない。「史記といふ文」からも、これをのたまった定子は史記をよく知らない。普通の人と同様、聞いたことがある程度)。
 よって「枕にこそは侍らめ」とは、定子の発言を受け、これ(分厚い紙)は、枕にしてこそでしょうね、というボケ的ツッコミと解する。
 清少納言は冷笑的でひねた京女の極まりで、直接間接のダメだしが基調。
 

 これを受けた定子の「さは、得てよ」とは、ではそういうことで、もらってな(私は枕にもしないからいらない。あなたの枕にしてちょうだい)というものである(これが女子の枕投げの走りだろう)。

 

 この一連のふざけた解釈は、続く「あやしきを、こよや何やと(合点がいかず、何やこれはと)」という文脈及び、跋文全体の口語調(よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出でにけれ…とぞ本に)からも確実に裏付けられる。「よう何々」は、今に至るまで続く典型的な口語。
 

 そしてこの史記の分厚い本に掛けた寝具の枕と、冒頭の枕詞的な文章(枕言葉)を掛けて四季を枕(先頭)にした。それで枕草子。
 「春はあけぼの」とは、春といえばあけぼの、という意味で、下にこそおかしけれなどの補いはない。これが枕詞的な解釈。ちはやぶるといえば神。あしびきといえば山。柿本といえば人麻呂。
 史記に掛けて四季(この解釈は皆無だろう)。春秋を継ぐ史記に掛けて四季。しかし何の無理もなくシンプルに通る。これが王道の解釈。

 

 以下のような諸説が乱立するのは、ひとえに古文の文言解釈が、総じて原文の文脈の根拠を無視・軽視し、好き勝手に矮小化した思い込みレベルでされていることによる。その際たる例が、最も著名な古文の一つである「枕」の解釈と、土佐冒頭の「女もしてみむ」が女を装っているという文脈完全無視の解釈。どうやら文脈とは直前直後の十文字程度という視野。そこからはみでると、文脈から離れて好き勝手に考え始める。

 

諸説

 

 備忘録説((かつての)通説とされる。枕元に置く本と解する説明)を筆頭に、全く跋文及び全体の文脈を読み込んでいない。

 史記と併記されるのに枕元の備忘録はないし、そのような分量でもない。ともある。それに本人の備忘録ならまだしも、この本を枕元に置くべしなどは上から目線の教員風に過ぎ、「戯れに書きつけたれば」「よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出でにけれ(よう隠しておいたと思っていたのに、心外にも漏れ出てしまって)」という文脈と方向性が真逆。

  

 それで秘蔵本説(枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子)があるのだろう。しかし枕は別に人に見すまじきものではない。枕売り場の陳列は見すまじきものでもなんでもない。特殊な文脈があって枕とピローは淫語になるが(春本を枕草子とするのもある)、そのようなアダルトな文脈がない限り、枕に見すまじき意味はない。

 

 寝具説:枕にするほどの分厚い草子とする説(坂元三郎・山内二郎・佐藤幹二)があるといい結論妥当。これが通説になっていないのは、文脈を無視して説明しているからだろう。そうでなくてこの説が無視されているなら、良識と読解力を疑う。

 

 漢詩説:白氏文集の「白頭老監枕書眠(白頭老監、書を枕にして眠る)」を読み込んだという池田亀鑑説。論理的にも時代的にも寝具説の派生形。しかし史記とあるのになぜあえて白氏文集を持ち出す必要があるのだろうか。本を枕にするという通俗的表現が当時から存在した根拠としては使えるだろうが、白氏文集のこのフレーズを参照した必然がない(春秋の史記で枕=先頭が四季に比して)。さしずめ単なる寝具説は弱いと思い、「ふみは」の段で根拠足る文献を求めたのだろう。

 

 解釈は、原文の文言、文脈に即して解釈する。大意があって細部があり、ミクロの文言や接続から大意を決めているのではない。

 
 

最後の「とぞ本に」=ということで本になりほんにありがたきもの

 
 「それよりありきそめたるなめり、とぞ本に」。

 一般にこれは「と本に書いてある」という後日の他人の付加とされるが、これは、本来本にするつもりはなかったが、伊勢守の介入で一人歩きし始めたようで「ということで本に(なり、ほんにありがたきもの)」と解する。本には感嘆で、写本ではありえない。

 

 突如最後に、写本の旨を原文と混濁する形で四文字だけ付け足すこと自体、類例から極端に外れた極めて不自然な見立てで、かつ文脈を完全に無視している。土佐の冒頭で貫之を女の私とする読解と同様に意味不明かつ文脈上に根拠がない。土佐では以降全体の文脈、ここでは以前全ての文脈を無視している。目の前にある本文を無視して、なぜ最後のたった四文字で突如写本落ちにできるのだろうか。「女もしてみむ」だけで女を装ったと決めつけるのと全く同じ。解釈態度が無秩序で根本的に誤っている。ミクロの一部分だけで決めつけ、全体の整合性を全くとらない。それを解釈とは言わない。

 
 跋文は今でいうあとがきで、出版に携わった人々を紹介し、それらがもたらした僥倖への感謝をいうようで、有難迷惑の皮肉(京のいけず)を暗示する文脈である(上述の枕部分の解釈も参照)。本に、の後に何が入るかは彼女の心情を想像する読者次第だが、少なくとも「書いてある」は、文脈の内容及び、口語調であることを完全に無視しておりありえない。
 

 源氏末尾もほぼ同じ「とぞ本にはべめる」だが、これは「…と、ほんにまあそういうことでございます」という物語の語り口である。枕草子もこの意味で通じるが、跋文全体の文意をよく読み込めるのは上記の解釈。
 

 これらは当時の一般的表現とはいえない。枕草子と源氏が後世に影響を及ぼしても、この二つは一般作品ではない。竹取の「今は昔」も一般的表現とされるが、物語の始祖というのに当時の一般という。当時のどの類例を根拠にしているのか。オリジナルへのリスペクトに欠けている。周囲が認めないと認めない。一部の実力者に価値が認められて拡散すると普通だと言う。これが天才が一般に受容されるサイクル。この国はめざましきものを貶め嫉みたまう人が多いのか。

 
 これを踏まえ、今一度、跋文後半から最後の部分を確認しよう。
 

 「ただ心一つにおのづから思ふことを、戯れに書きつけたれば、ものにたち交じり、人並み並みなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、いとあやしうあるや。

 げに、そもことわり、人のにくむをよしと言ひ、ほむるを悪しと言ふ人は、心のほどこそおしはからるれ。ただ、人に見えけむぞねたき。

 左中将、まだ伊勢守と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさしいでしものは、この草子載りていでにけり。惑ひとり入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞ本に
 

 清少納言が天才というと、紫式部は不服かもしれないが、天才と超天才ということで収めよう。超がつくと一般人には訳がわからない。しかし小難しいことを言っているわけではない。才能ある人にとっては当然すぎる基本の意味が普通の人にはとれないのである。その簡単な例の一つが枕。と本に。