伊勢物語 76段:小塩の山 あらすじ・原文・現代語訳

第75段
みるをあふにて
伊勢物語
第三部
第76段
小塩の山
第77段
安祥寺のみわざ

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  氏神 
 
  人々の禄 
 
  神代のこと 
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 昔、二条の后がまだ東宮のお相手と言われた頃、氏神に参り、人々にご祝儀(禄)を賜っていた。
 
 ある近衛の翁もなぜか寄って来て頂戴し、そして奏上する。
 
 大原や をしほの山も 今日こそは 神代のことも 思ひいづらめ
 

 おお太っ腹や。しかし、こんなしょっぱい中身で今日に備えるとはな。大原野の神も辛い思いをしていることだろうよ。
 

 と言われ、二条の后は、めでたい日なのに、心から悲しいと思った。
 (とて、心にもかなしと思ひけむ)

 こいつは一体何を考えているのか? 別に知りたいわけではないが。
 (いかが思ひけむ、知らずかし)

 ~
 

 冒頭の「氏神」は伊勢。
 大原やは、大原野に当ててくさした表現。なんでここにいるの?(俺は皇族の血だけどな)と。
 だから、ありえない内容。だから末文の表現になるわけ。
 
 物語の前後の流れを一切無視して、行き先を大原野(藤原の氏神)と認定するのも、恋仲云々も、ただの予断。小塩山が物思うとするのも意味不明。
 何のため「藤原高子」ではなく「二条の后」「春宮」としているのか(これは明確に区別している。例えば次段「多賀幾子」。これはそのメッセージ)。
 「近衛」がなぜ大原野に? だからそこではない。そこまで無関係に書いていない。
 

 こういう(宮城の)文脈・繊細な暗示を理解できることが、みやびの一つの素養。
 情報を断片的に覚えれば、誰でも分かるというものでもない。
 

 前段まで伊勢斎宮の文脈で、物語最長のペースで続いていた所に、なぜ突如、二条の后の話が出現したのか。
 なぜ、人々に「禄(祝儀)」を「賜った」か。つまりただの参拝ではない。
 こう見ないで、漫然と表面的に見るから、業平と恋仲などと巷の噂のようなことになる。つまりみやびな振舞いが全く理解されずにそうなった。
 
 71段では、伊勢の斎宮に「内の御使」で参るとし、
 前段では「伊勢の国に率ていきてあらむ」としている。その「率ていきて」が、本段の一行。
 

 この「翁」が業平というのは、いいだろう。
 古今871の認定はおまけなのでともかく、物語の前後の流れからもそう。
 これまで「近衛」に近い記述は、63段の「在五中将」しかなかった。
 近衛の「翁」は次段の「馬頭なりける翁」(77段)にかかる。人外の畜生と阿保にかけて。
 

 したがって、二条の后と恋愛関係などということは、ない。ありえない。だから伊勢物語自身が、西の対の件でそう説明している(6段)。
 むかし男が二条の后の側で仕えていることもあってか、夜這いだなんだと外部で噂になった。
 (その噂が今まで続いている。古今の業平認定はその象徴)
 
 「むかし、 二条の后に仕うまつる男ありけり」(95段。この時点で業平ではない。そしてここで春宮という注記がなくなっていることに注意)。
 そうして仕えている女車に寄ってくる不貞の輩を、著者が糾弾する構図は、39段(源の至)と全く同様。
 「率て出で奉らず」という表現も39段にはある。付き添い・露払いという意味。
 恋愛云々ではなく仕事。縫殿(後宮の女官人事)の六歌仙。
 

 ただし、男は伊勢を記して歴史に残すほど物語(言葉)が巧みなのだから、二条の后からも当然喜ばれて、ひいきにされていた。
 それがその男の古今の歌に二度も出てくる二条の后という詞書(古今8445)、及び先の95段
 「女いとしのびて、ものごしに逢ひにけり。物語などして男。『彦星に 恋はまさりぬ天の河…』 この歌にめでて、あひにけり」。
 つまり物凄いピュアな関係。そこで「つねに見かはして、よばひわたり」とは夜這いではなく、つねに気をとめ、そして呼ばわれという意味。
 二条で夜這いなどありえない。下賤すぎる。だから女の方から来ている。二条の后も、狩の使の伊勢斎宮も。それを夜這いと普通は言わない。
 

 「翁」としたのは、そのような下卑た噂を断固拒絶する意思表示。年頃の女性が、性根が卑しいじじいと恋仲になれるわけはない。
 しかし、そのような繊細な努力も、あまり関係なかったようだ。匿名であることをいいことに。
 だったら名をだせと転嫁する発想がおかしい。合わせると際限がなくなる。どんどん野卑になる。
 

 この物語の趣旨・命は、何よりみやびであること。初段にそう記している。
 だから業平が主人公と言われ続けること自体、この物語にとって死と同じ。
 業平的にみる解釈は、悉く無節操で道理に外れている。その象徴が、一般の初段の解釈。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第76段 小塩の山
   
   むかし、  むかし、  昔。
二条の后の、 二条のきさきの、 ニ條の后の
  まだ春宮の御息所と申しける時、 まだ春宮のみやすん所と申ける時、 春宮のみやす所と申けるころ。
  氏神にまうで給ひけるに、 氏神にまうで給けるに、 氏神にまうで給けるに。
  近衛府にさぶらひける翁、 このゑづかさにさぶらひけるおきな、 つかうまつれりけるこのゑづかさなりける翁。
  人々の禄たまはるついでに、 人々のろくたまはるついでに、 人々のろく給はりけるつゐでに。
  御車より給はりて、 御くるまよりたまはりて、 御車より給はりて
  よみて奉りける。 よみてたてまつりける。 よみて奉る。
       

139
 大原や
 をしほの山も今日こそは
 おほはらや
 をしほの山もけふこそは
 大原や
 小鹽の松も(山へ)けふこそは
  神代のことも
  思ひいづらめ
  神世のことも
  思ひいづらめ
  神世のことも(を)
  おもひいつら(しるら一本古今)め
       
  とて、心にもかなしと思ひけむ、 とて、心にもかなしとや思ひけむ、  
  いかが思ひけむ、知らずかし。 いかゞ思ひけむ、しらずかし。  
   

現代語訳

 
 

氏神

 

むかし、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、
氏神にまうで給ひけるに、

 
 
むかし
 

二条の后のまだ春宮の御息所と申しける時
 二条の后がまだ皇太子のお相手といわれた頃
 

 この表現は大事なので、後述。
 ただし「御息所」は母親という意味ではない。それは「大御息所」。そして妻でもない。ただの気休めの相手。そういう扱い。
 

氏神にまうで給ひけるに
 氏神(の伊勢)に詣でなさった所
 

 「氏神」は、ここでは伊勢。大原野ではない。
 藤原という氏の指定はどこにもない。むしろ「二条」と「春宮」と続けて明示してあるが。
 二条の后が藤原高子という認定は、そもそもどこからくる? 伊勢から推測しただけだろう。推測を根拠にした認定を当然のように重ねても無意味。
 「二条の后」の一つの認定が高子であっても、それをもって「氏神」の認定が直ちに藤原という理由にはならない。
 そういう認定は、むしろ軽くいって背信。場当たり的すぎる。
 

 「大原や」と大原野にかけているのはあてつけ。藤原がここに来ていいのか? という。
 

 伊勢というのは、
 69段から前段まで伊勢斎宮の文脈が続いていたこと、
 前段(75段)で、男が「伊勢の国に率ていきてあらむ」と女(斎宮)に伝えていた。
 この前後の流れを一切無視するのはどういうことか。
 

 前段の「率ていきて」とは引率という意味。
 これは、39段(源の至)で、男が葬儀の際、女車に同乗し「久しく率ていで奉らず」とすることと全く同様。
 公然かつ長く継続した関係。
 つまり「むかし、 二条の后に仕うまつる男ありけり」(95段。この時点で業平ではない)。
 

 この「二条の后に仕える男」を知る手掛かりとして、
 最初の「二条の后のまだ春宮の御息所と申しける時」というフレーズを見る。
 
 この伊勢に象徴的なフレーズが、古今集にそのままある(以下の理由で、古今が伊勢を参照)。
 この詞書をもつのは、業平2、素性1、文屋2。
 業平の2つは本段の歌と、106段のちはやぶるの歌。素性については「ちはやぶる」と抱き合わされた存在で、二条にからむ独自の意義はない。
 しかも本段の歌は、いつもの「むかし男」と明らかに違い「近衛府にさぶらひける翁」の歌。「むかし男」が近衛府にいる記述など伊勢にはない。
 
 他方で、文屋の2つの歌は、いずれも伊勢から完全に独立した歌。
 にもかかわらず完全に符合した表現が二つも、季節を隔ててある(正月の雪及び、花の歌)。つまり二人は継続した関係。
 しかも古今に唯一ある、二条の后の歌(古今4)に一番近い六歌仙が、文屋(古今8)。
 文屋の象徴的な職場は縫殿助。後宮で服飾かつ女官人事を担当する所(だから后の近く)。そして女物の服やら生地の話やら女所の話は何度も出てくる。
 
 したがって、伊勢の著者は文屋。
 人柄も目立たず、家柄も何もないにもかかわらず六歌仙とされる文屋が、無名の「むかし男」として、六歌仙たる実力に相応しい。
 

 上記のような古今の配置は、古今の業平認定とは別に、貫之のみ意図したもの(古今9。つまり8を立てている。名を当てて)。
 蛇足だが、伊勢と竹取を融合させたような大和物語は、貫之が文屋を熱心にリスペクトした作品と思う。仮名序及び大和の冒頭に伊勢の御を出すこともそう。
 

 業平は、この二人(二条と文屋)の間で起きた話(西の対・関守)を、極めて下賤にした噂(芥河)としてくっついてきただけ。
 業平はそのおこぼれに勝手にあずかり、のっとっているにすぎない。伊勢がなくなれば何も残らない男。
 

 二条の后というのも、ただの一般名詞なので、世代を超えるほど個人の通称とされていたとは考えにくい。
 むしろ主体を一般名詞でぼかす伊勢の記述と趣旨を完全に一にするので、その影響力からも、伊勢が原因の呼称というのが自然。
 
 

人々の禄

 

近衛府にさぶらひける翁、
人々の禄たまはるついでに、御車より給はりて、よみて奉りける。

 
 
近衛府にさぶらひける翁
 近衛に仕える翁が
 
 つまり二条の后に仕えているのではない。という表現。
 そしてこれを古今871は業平の歌と認定するが、ある意味そうだが、ある意味違う。
 (つまり業平の言動を著者が歌として昇華させているが、業平自身によるものではない。なぜならその内容自体がまず歌としてありえない内容。
 文脈でのあてつけでしかなく、これが業平の作として独自に存在する意味がない)
 
 というのも、この翁は、
 近衛府にさぶらひける翁(本76段)
 →右馬頭なりける翁(77段)
 →右馬頭なりける人(78段)
 →これは貞数の親王。 時の人、中条の子となむいひける(79段)
 として人として問題のある中将にかけられる(天皇の女で、自らの姪を孕ませる。人の道を守れない)。
 
 それでも「中条」とぼかされているが、この物語で中将という時「在五中将」(63)。それ以外の中将はこの物語にはない。
 この物語の「馬頭」=ばか。阿保にかけた業平の蔑称。63段で女を罵倒したことともかけて。
 それをここでは、あろうことか、二条の后にまで。
 

人々の禄たまはるついでに
 人々が(后から)ご祝儀(お小遣い。つまり相応に特別な儀の機会)をもらうついでに
 

  ろく【禄】
 :褒美。祝儀。
 (衣などの指定はない。根拠なく勝手に補わないように)
 
 近衛の翁が若い女性に小遣いをもらうというのは、あまりにあべこべで滑稽。そういう表現。
 

御車より給はりて
 その車によってきて、
 

よみて奉りける
 詠んで奏じた。
 
 じじいが恋人、ありえる? ありえないよ。だからそういう表現。
 色好みって何だよ。
 
 

神代のこと

 

大原や をしほの山も今日こそは
 神代のことも 思ひいづらめ
 
とて、心にもかなしと思ひけむ、
いかが思ひけむ、知らずかし。

 
 
大原や をしほの山も 今日こそは
 おーや、太っ腹だな(これっぽっちかよ。しょっぱ)、こんな日なのになあ
 
 大原野と当てた皮肉というのは上述。つまりあんた皇族ではないよな?(俺はそうだが) 何でここにいる? というボンボンのあてつけ。
 だから恋人とかいうのはありえない。だから6段でそう書いている。この男女のお忍びが、夜這いだなんだと下らない噂を立てられたと。
 
 どこに恋人同士の描写などがあるのか。文面と文脈から全く離れて認定するなら、それは伊勢物語ではない。各々の妄想。
 それがこの段でも前段から物語で一番長い流れを一切無視して、突如冒頭で大原野をもち出す認定に、如実に表わされる。
 

神代のことも 思ひいづらめ
 神もこんなんじゃ しょっぱい顔しかせんわ
 

とて心にもかなしと思ひけむ
 と言われ、(二条の后は)心にも悲しいと思った。
 

いかが思ひけむ
 一体こいつは何を考えているのか。
 

知らずかし
 いや知らんけど。いや○んで。くくれや。
 

 小塩の山が思い出している?嘆いている? だからそういうの意味不明。 山が思い出すってなに。んなわけない。
 なんで細部は全部都合よく無視してきめつけるの。そういうもんだと思いこんで読むなら、自分で読む意味ないでしょ。
 じじいだよじじい。若い御息所の相手にならんでしょうが。なにが禁断だよ。こういうタイプの禁断? きもちわる。
 そういう人の色好みってなんなんだよ。そういう表現なんだって。全力の。
 
 だから39段の全く同様の情況(女車に寄ってくる天下の色好みの貴族)で源至を小ばかにしている。
 かなしはかなしでも、爺の境遇を嘆いているのではない。